いよいよ、スタジオジブリ単独制作作品について語るときがきたね
今までず〜っっっと避けてきたからなぁ
カエルくん(以下カエル)
「アニメ映画をメインで扱っていながらも、ここまでジブリを避け続けた理由は?」
主
「……世間評価が高すぎて語りづらい」
カエル「ジブリはかなり特殊だからねぇ。アニメ映画ってそこまで一般層には受けないことも多いけれど、ジブリはそれこそ日本の八割が見てたことがあるのではないか? というくらい人気の高いスタジオだから、おいそれとは批判しにくい雰囲気もあるように思ってしまうのかなぁ」
主「そんな中で高畑勲監督が亡くなり、テレビ放送されるこのタイミングで記事を書いてみようと思いました。
では、早速感想記事のスタートです!」
1 全体に対する印象として
では、最初にざっくりとした大枠の話から始めるとしようか
まず、間違いないなく1つ言えるのは、本作はその歴史的、文化的、技術的な価値が多くある作品だよね
カエル「やはり高畑勲監督の偉大さを思い知るような作品に仕上がっているよね。
特にこの画風といい、作品の出来は圧巻の一言!」
主「まず、そこが高く評価されてしかるべきだ。
この作品が公開された2013年って日本アニメ映画界の大きな変換点でもある。
もちろん宮崎駿が引退する(と表明していた)『風立ちぬ』もそうだけれど、1つの時代が終わった年でもあった。
他にもオタク層を 中心としたブームだけれど『魔法少女まどかマギカ 新編 叛逆の物語』などの多くの話題作が登場し、アニメ映画がとても大きな変化を迎えたと感じさせられた年でもあった」
カエル「改めて思い返すと『言の葉の庭』などもあったりして、アニメ関連の話題の豊富な年だったね」
主「やはり日本アニメ界にとって重要な1年であるのは間違いない。
その変換点からわずか3年後、新たなる才能が次々と頭角を現してきた2016年につながっていったと、考えていくべきだろう」
感想として
カエル「実際のところ、初見時の感想はどうだったの?」
主「初めて見た時は『……すごいなぁ』というだけで、意味がわからなかった。
アニメーション表現はとてつもなく素晴らしいけれど、そもそも物語に起伏がないし、かぐや姫の物語を今更? という思いがあった。
簡単に言えば『技術はすごいけれど、エンタメとしてはつまらない作品』という印象かな」
カエル「終わり方もわかりやすく、誰もが納得するものではないしね。それが高畑勲らしいのかもしれないけれど、お話が色々と意味深すぎて戸惑うこともあるのかな。
今回この記事を書くために改めて見直してみて、どうだった?」
主「映画の見方が昔と変わったこともあるけれど、初回よりはすごく楽しめたし、面白い作品だったよ。
ただ、やっぱりこの作風で2時間越えは長いかなぁ……という印象は拭えない。
好きな作品でもあるけれど……でも何度も観たい作品ではないのかな。
詳しくは後で書いていきます」
高い評価の一方で……
本作はすごく高い評価を受けているよね?
でも、興行収入から考えて『エンタメ作品としては?』という疑問があるという話だよ
カエル「亡くなったばかりの高畑監督の遺作について、興行収入の面からから語るのも問題があるのかもしれないけれど……」
主「でも、ここが晩年の高畑勲を語る上でとても重要なことなんだよ……」
カエル「本作は制作費が50億円以上費やされておりながらも、興行収入は25億円ほどになってしまった。
もちろん、日本の興行収入だけが全てではないけれど……これが大赤字であることは間違いないわけで……」
主「ビジネスとしては大失敗したと言われてしまうものだしスタジオジブリの制作部門を閉めて、実質的なジブリ解体の理由の1つとされている。
宮崎駿の後継者となる、次世代の看板監督を生み出すこともできなかった……いや、そんな存在どこにもいるはずがないし、先人と比べられること間違いないから、誰だってやりたくないと思うけれど……
まあ、宮崎駿引退&高畑勲の興行的な赤字の2つがジブリ閉鎖の決断に至る背景にあったわけだ」
カエル「興行はあくまでも興行であり、作品評価とは無関係なものであるという前提があるけれどね!」
主「でも、自分はこの大赤字は高畑勲に対する世間の評価を語る上では重要な指標だと考えている。
スタジオジブリという日本一の物語のブランドがあって、宮崎、高畑の最後の作品という機運もあったけれど……でも本作は興行は苦戦した」
カエル「25億って普通に考えれば大ヒットだけれどね」
主「時代も全然違うし、配給収入と興行収入の計算方法の違いがあるとはいえ『おもひでぽろぽろ』や『平成狸合戦ぽんぽこ』を明確に上回ることができなかった。
『コクリコ坂』や『思い出のマーニー』にも負けてしまったというのは、ちょっとショックかなぁ」
高畑勲の『アニメーション』
カエル「なぜそれだけの興行になってしまったのかって話だけれど……」
主「結局、後期高畑作品はエンタメとしては広く大衆に受け止められていないのではないか?
そのメッセージ性であったり、アニメとしての先進性は素晴らしいの一言、特に演出家としては一流であり、今の日本アニメの礎を築いた人であることは疑いようもない。
本作は今までの日本アニメとは全く違う、先進性に溢れた作品であり、まさしく世界と戦うことができる『アニメーション作品』と呼ぶにふさわしい作品だ。
だけれど、その先進性や実験性、メッセージ性は同時に諸刃の剣でもあって……高畑勲作品=難しい、という意識が働いてしまったのだろう。
特に晩年の作品は子供向けとは言い難いものもあるし」
カエル「ずっと子供目線を意識してきた宮崎駿とは、人気の面で差が出てしまうのはしょうがないのかなぁ」
主「自分は押井守信者だから余計にそう思うのかもしれないけれど……やっぱり『誰も語らなかったジブリを語ろう』という押井守の本にもあるように<クソインテリ>なんだよ。
また『勝つために戦え!』の本の中でもあるように、この作品をエンタメ作家ではなくて文化人として表現した。
自分はこの指摘はとても大きいと思っている。
ただ、重ねて言うけれど、自分は本作をとても高く評価しているし、おそらく空前絶後の作品だと思っている。
だけれど……それは他の作品とあまりにも状況が違いすぎるから、単純な比較はできない」
最高の環境で作られた作品
カエル「……状況が?」
主「鈴木敏夫曰く、本作は『退職金』なんだ。
つまり50億以上という途方もない制作費、スタジオジブリという最高のクリエイター集団、高畑勲という最高の演出家でありインテリ文化人がいて、しかも誰も何も口を出さない、制作期限も限度がない……しかも興行のことも考えなくていい。
これは世界中のクリエイターが垂涎する、最高の環境だよ。
だからこそ本作はとてつもない作品として、おそらく今後世界中のアニメーション史に残るであろう作品にまで磨き上げることができた」
カエル「……でもさ、そんな環境って普通はありえないよね」
主「そんな夢のような環境で作られたのが本作である。
本来アニメーションというのは途方もないお金がかかる、非効率な表現なんだ。セル画アニメがここまで伸びたのも、それが経済的だからという理由があって……今はCGやデジタルを多用したアニメが経済的だから多く制作されているよね。
結局制作から5年が過ぎても本作の後に続く表現が生まれているとは言い難い。
それは誰も追従することができないからでもある」
カエル「これほどの芸術作品であり、インテリ文化人であり、アニメを作ってきた妥協しない巨匠の傑作だしねぇ。
誰にも真似できないのは当然なのかなぁ」
2 作品考察
3つの視点
では、ここからは作品の考察に入ります!
色々な語り方ができる作品でもあるよね
カエル「まず、本作を考える上で大事な3つの視点について、という話だけれど……簡単に言えばこのようになっています」
- 農村と都市の対比
- 子供の世界と大人の世界
- 男と女の対比
主「もちろん、他にも晩年の高畑勲の死生観などが伺えたり……その意味では『風立ちぬ』と同じように、死を意識した人の映画ということもできる。
今回はこの3つの視点に絞って、この作品を読み解いていきたい」
農村と都市
カエル「では、まずは1つ目である『農村と都市』の関係性からです!
これは高畑勲や宮崎駿の両者に共通する描き方だし、ずっと高畑監督が表現してきたことだよね。
『おもひでぽろぽろ』『平成狸合戦ぽんぽこ』もそうだし『アルプスの少女ハイジ』なども田舎(農村や山奥)が主な舞台である作品も多いね」
主「このあたりは高畑作品らしさがすごく出ていて、本作も草木や花、虫、鳥などがとても美しく、そして農村で暮らす子どもや、その生活がとても魅力的に描かれている。
一方で都市にあたる都の描き方は……とても精緻に調べられているのだろう、実際に働いている人たちは躍動感もあり、魅力にあふれている。
一方で貴族たちの生活などはそこまで魅力がないようにも見える。
ここは農村や自然を大切にし、そのような表現を重視してきた高畑イズムの真骨頂だろう」
カエル「その両方の世界の描き方の違いが面白い部分でもあり、翻弄されるかぐや姫に心を痛めるシーンでもあるけれど……」
主「自分は都市側の人間だし……自然は好きだけれど、でも暮らしたいとは思わないという人間だから、ちょっとケチをつける言い方になるかもしれないかな。
でも、この都市の作法やルールと、農村の作法やルールは全く違うものであって当然なんだよ」
都市のルールと農村のルール
カエル「というと?」
主「都市というのは均質化されたルールを求めるものなんだよね。
例えば、街中で牛や鳥などの糞の臭いや家畜の臭い、動物のけたたましい鳴き声などがしたら、それは嫌がられる。無臭や心地よい香りなどが求められている。
また、都市の道はコンクリートで固められていることも多く、雪が降っても除雪車などが除いてくれる。電車やバスは例外はあるにしろ、いつも決まった時間に訪れて、会社や学校は同じような時間から始まり、コンビニやスーパーの商品は、ほぼ同一の規格内に収まるものが求められる。
これが都市のルールなんだ。
つまり、多くのものが均一化しており、例外が起きることを極力排除しようとする」
カエル「それが行き過ぎてトラブルに発展することもあるようだけれど、いつもと違うとちょっとイラッとくる、みたいなことなのかな」
主「だけれど、自然というのはそれが不可能なんだよ。
むしろ、均一化できないから自然なんだ。
野菜や果物は形や色は変わるし、中にはお化けみたいな大きさにも成長する。ルールがまったく違うし、柔軟に対応することが求められる。
そんな農村のルールを知った人が、都市のルールに触れると戸惑うこともあるだろう。特に、今のように共通の教育を受けているわけではないことを考えると、余計だよね」
カエル「その『都市のルールに慣れろよ』というのが、あのお姫様としての教育の描写なんだね」
主「その都市のルールにさっさと慣れてしまった翁たちもすごいけれど、それは次にあげる『子供の世界と大人の世界』に関連する」
子供の世界と大人の世界
カエル「次に語るのがこの『子供の世界と大人の世界』ということだけれど……」
主「現代でも子供の教育や躾について問題になることが多いけれど、それはなぜかというと子供は都市に残された自然なんだよね。
どのように行動するかわからない、好き勝手に動き回る……それが子供である。だからこそ、だからこそ、それを都市のルールに合わせる必要があるわけで、それが教育の目的の一環でもある」
カエル「つまり、あの都での習い事は子供から大人になるための訓練でもある、ということだね」
主「そうそう。
かぐや姫はやはり子供なんだけれど、都市に行くことによって大人として扱われる。そのために重要な儀式でもある。これは今の日本でもそうで……箸の使い方、字の美しさ、それから今ならパソコンスキルもそうなのかな?
そういうことができないと、大人として恥ずかしいと言われてしまうでしょ? 」
カエル「ふむふむ」
主「そのように2つの世界を明確に分けることによって本作は作劇を行っている。
そして基本的には農村、子供の世界を良いものとして描くようにしている(ように見える)
ただ、自分みたいな都市の人間からすると、そこまで農村が良いものだろうか? という思いもある。
農作物は必ず育つわけでもない。豊作もあれば凶作もあり、しかも農村の民は作中でも何度か盗みを働いているわけで……このような農村びいきなところが、自分が本作にイマイチ乗り切れない理由の1つなのかもしれないな」
3 男と女の対比
この作品は明確に女性の映画だよね!
女性解放運動の話であり、現代的なテーマを獲得しているね
カエル「本作のキャッチコピーである『かぐや姫の罪と罰』というものがあるけれど、その罪ってやっぱり美しすぎることってことなのかな?」
主「あれは鈴木敏夫が作り上げた、それこそキャッチャーな言葉であって、特に深い意味はないようにも思うけれど……それに、罪と罰なんて読み取り方がいくらでもあるし、本作はあえて考えてもらうように余白を多く設けている。
でもかぐや姫の罪といえば、美しいということに繋がるかもしれない。
中盤のお稽古シーンなどは女性の辛さがはっきりと出ているシーンで、姫が姫として存在するために、多くのことを犠牲にしなければいけないという苦悩を描いている」
カエル「眉毛を抜いたり……というのは現代女性に通じるものがあるなぁ。
女性は美しくあらねばならないという社会の意識があって、そのために色々な消費や努力を余儀なくされている部分は大きいよね。
このあたりはTBSの宇垣アナが女性目線で語ったかぐや姫ということで、話題になっていたけれど……美人で目立つ職業の宇垣アナだからこその叫びが響き渡っていたなぁ」
主「ただ、それはそれで女性の苦悩も出ているけれど、同時に男性の苦悩もまたあるのではないかな?」
男性の抱える苦悩
カエル「え? この作品はどちらかというと男性はあまり好意的に描かれていないよね? 貴族社会は男性主導の社会として描かれて、お爺さんも成金であり、かぐや姫の幸せを願ってはいるけれど、地位やお金を重要視しているようだし……」
主「あの5人の公達の描き方も、確かに男の醜さも出ているけれど……
でもさ、最近自分は特に思うけれど、男は男で辛い部分もある。
これだけ男女平等の社会と言われていても、やはり結婚する男性として求められるのは年収や安定だったりする。
それを考えるとあの公達というのは、申し分のない存在なわけだ」
カエル「でもさ、お金で解決するのってどうなの?」
主「それが都市の理論だからね。
自分の男としての魅力をアピールする必要があるけれど、その方法が財力以外ではほとんど知らない。
もちろん、風流に口説き落とすということもできるし、自分の勇敢さを見せつけるということもある。
でも、それだけのアピールをしてもかぐや姫は振り向かない(振り向けない)」
カエル「結局1番見所のありそうな、石上中納言は結局亡くなってしまうしね……
どうすればかぐや姫を納得させることができたのだろうか? というと、やはり農村のルールのように、実際に会って話をして……ということをすべきだったのかもしれないけれど、でもそれは貴族のルールではないし……」
主「結局、都市と農村のルールの違いを超えることはできなかった。
捨丸だってすでに結婚もしていて、結局かぐや姫が都市の女になっていたから、住む世界が違い過ぎたこともあって一緒に暮らすことはできなかった。
かぐや姫の目線だからさ、彼女の怒りももっともだし、確かに理解出来る。
でも同時に、じゃあ男はどうすれば良かったんだろう? という疑問も自分は付きまとってくるんだよなぁ」
女性解放運動の物語として
カエル「本作の公開と似た時期である2013年の11月に『アナと雪の女王』がアメリカで公開されて、日本でもその翌年に大ヒットをしていくわけだけれど、テーマとしてはちょっと被るところがあるのかな?」
主「今の時代で『女性解放運動』というのは、多くの物語が取り組む、とても大きなテーマである。
特に近年はその描き方が興行のヒットの要因にもなったりしている現状があるわけだ。その意味で、日本最古の物語でありながらも、現代に通用する重要なテーマを内包した作品であるのは間違いない」
カエル「本当に結婚が女性の幸せなのか?
社会的ステータスの高い人と結婚することで幸せになれるのか? というのは難しい問題だ……」
主「一方で婚活などのように、それもそれで重要な価値観として残っているというのは、問題をややこしくしているところでもあるけれどね。
結局、かぐや姫は農村の世界にも都市の世界にも馴染むことができず、結婚することもなく月に帰る。自分はあのラストには仏教の宗教画を思わせる行列の様子からも、高畑勲の死生観が出ていると受け取るのが妥当だと思う。
それと同時にそのような農村のルール、あるいは都市のルールからの解放を描いている、という受け取り方もできるわけだ」
カエル「……でも、幸せそうには見えないけれどね」
主「そこがアナ雪との違いかな。簡単な答えを出すことなく『あとはみなさんで考えてください、解釈してください』という空白を多く残している。
だからこそ本作はエンタメ娯楽作品たりえない部分でもあるけれど、高い芸術性を宿している。
まあ、言ってしまえばやっぱり文化人の作る映画ってところなんじゃないかな?」
まとめ
ではこの記事のまとめになります
- 他には真似できない条件で生まれた芸術的作品
- 農村と都市、子供と大人の2つの世界を描く
- 日本最古の物語を女性解放運動にすることで現代風にアップデート
高畑勲監督の遺作にふさわしい作品なのではないかな?
カエル「今回、褒めているようには思えないこともあったかもしれません。亡くなったばかりの方の遺作に対して、少し厳しい論調もあったかもしれませんが、エンタメ作品としては疑問があっても、芸術作品としては文句がほぼつかないということは重ねて伝えさせていただきます」
主「間違いなく日本アニメ界に燦然と輝く偉大な功績を残された方の1人であり、そのこれだけの作品を作り上げたことに深く感謝します」
ご冥福をお祈りいたします