このブログは600を超える記事数があるようだ。
おそらく、個人のブログでしかも映画など物語を中心に語ってきた中では、かなり記事数の多い方になるのではないだろうか?
その割には儲からない&検索流入のトレンドが短いこともあってアクセス数はそこまで多くもないのだが……
そんな当ブログの中でも、国民的人気を誇りながらも1度も語ったことがないのが『スタジオジブリ』作品である。
もちろん、何度も語ろうと思ったこともあるし、語りたいことも多い。だが、積極的に語っていくことは避けているような現状がある。
その理由の1つが新作が公開される可能性が低いこともあるのだが、世間的な評価が高すぎて自分の感想と大きく乖離したものを発表した時に、その反応が怖いこと、また世界的に権威が強すぎるために却って語りにくいというものがある。
だが、今回はその思いを取っ払って、 高畑勲作品とはどのような作品だったのだろうか? ということ語っていきながら、その功績について考えていきたい。
高畑勲の評価とは?
私が子供の頃からスタジオジブリは存在し、すでに人気のブランドとなっていたのだが、当時の印象としては『スタジオジブリ=宮崎駿作品』だと思っていた。もしかしたら、今でもアニメーション映画に詳しくない方の中ではそのような思いを抱いている人がいるかもしれない。
(似たようなものでは初代『ゴジラ』の監督が円谷英二だと思っている人も多いでは?)
ただ、それも致し方ないかな? と思うところもある。
宮崎駿作品がアニメーションの持つ動の魅力に溢れており、キャラクターも明瞭で可愛らしく、そして冒険活劇のような激しい描写もある娯楽作品を多く生み出していった一方で、高畑勲作品は落ち着いており、しかもちょっと暗い印象を受ける作品も多い。
私は『火垂るの墓』が高畑勲作品の代表作だと言われると、理解はするのだが少し疑問がある。
ギャグや笑いも含めた明るい要素も取り入れている作品もある高畑勲が監督を務めた作品群から考えても、ほぼ全編が暗い本作は、むしろ異色作の部類であるようにも思えるのだ。ただ知名度も高く、高畑自身の思想や反戦のメッセージなどを多く含んだ作品であることからも、それが代表作とされることは致し方ないのかもしれない。
そう、高畑勲作品は決して暗いだけではないのだ。
だが近年の監督作品はアニメーションとしてのレベルが高いものの、日本で一般的にアニメを愛好する人々と嗜好が乖離する作品となってしまい、大きなヒットを飛ばせなかった印象がある。
かぐや姫が制作費が約50億円、興行収入が約25億円となり、大赤字と言わざるを得ない上に、この失敗によってスタジオジブリが実質的に解散することになってしまう決定打になってしまったという指摘にも納得するところはある。
高畑勲作品の特徴
では、その高畑勲作品の特徴とはなんだったのか?
その1つが『自然や故郷の賛歌』であることは間違いないだろう。
これは宮崎駿もそうだが元々学生運動を行っており、その後もリベラルな思想の元で農本主義を思わせる田舎を美しく描いた作品が多い。
『アルプスの少女ハイジ』『おもひでぽろぽろ』『平成狸合戦ぽんぽこ』『かぐや姫の物語』などの作品は明確に田舎を中心に描かれており、都市に対して一定の距離感がある。
ただし、そのような描き方がかなり説教くさいようにも感じられてしまい、私の知り合いの映画好きも『高畑勲は先生のようで、厳粛な気持ちになる』という人もいる。この訃報に対して多くの方々が追悼文を掲載しているが、実際にお会いになられた方の文章を読んでも、同じようなことを書いている方も多い。
それは作品を見ていても伝わってくるのだが、それがあまりにもインテリの説教のようであり、私自身苦手な部分もあるのが正直なところだ。
しかし、そのアニメーションとしてのレベルの高さにおいて異を唱える人は皆無だろう。宮崎駿とはまた違う、一見すると地味な静の魅力に満ちたアニメーション映画ばかりであり、それが興行的な苦しさも生んだのであろうが、日本のアニメーション業界に対して大きな一石と投じることにもなる。
アニメとアニメーション
さて、この記事をここまでお読みの方は気がついている方もいるかもしれないが、私はこの記事内では高畑勲を『アニメーション監督』として書いている。
手塚治虫の登場以降、日本で独特の進化を遂げた『アニメ』と、世界的に表現されている『アニメーション』というのはまた違うものだ。普段は日本の作品を『アニメ』海外の作品を『アニメーション』とざっくりと分類しているが、高畑勲作品は『アニメーション』の方に分類されるものが多い。
商業作品というよりはアートなのである。
『コンテンツの秘密 ぼくがジブリで考えたこと』という川上社長がスタジオジブリと関わっていた時のことをまとめた本の中で明かされているのだが、高畑勲の話として「ルネッサンスとはなんだったのか?」という話がある。
美術史はアーカイズム→クラシック→マニエリスム→バロックの移り変わりの歴史であると高畑は説く。
つまり、最初はマリア像などを描くときにキリスト教の祈りを表現していたものが、古典となる完成系が誕生し(クラシック)細部にこだわるようになり(マニエリスム)最後に飾り立てるような装飾がたくさんつく(バロック)になるということだ。
日本文学の歴史などもこの流れはあるように思えていて、明治初期の頃は新しい表現として言文一致体などが生まれ、それを夏目漱石などの完成されたクラシックが登場し、より緻密な文章を書くマニエリスムが生まれて、三島由紀夫のような豪奢に装飾された小説が登場する。
今のアニメーション(アニメ)はマニエリスムの時期にあるのではないか? というのが、高畑勲の意見である。
これはなんとなく私も感じていて、聖地巡礼などにも表されるように、より細部にこだわったアニメ(アニメーション)が登場する一方で、より派手なバロックのような表現も少しずつ散見されるのかな? という個人的な思いがある。
高畑勲が近年目指した領域とは?
近年の高畑勲の作品は『となりの山田くん』にしろ『かぐや姫の物語』にしろ、そこまで一般観客の心をつかんだとは言い難い作品になっている。
その理由の1つとしてあげられるのが、あまりにも先進的すぎたことではないだろうか?
私が『かぐや姫の物語』を最初に鑑賞した際に感じたのが『技術はすごいがビジネスにはならない』というものだった。日本ではアニメというのはある種の形が決まっており、そこから外れるような作品が受ける環境ではない。
しかし、世界に視点を向けると高畑勲の目指したアニメーションの方が、むしろ多いのではないか? と思うこともある。
独特の進化を遂げてしまったアニメという文化に対して、もっと根源的なアニメーションの魅力を突きつけようと研究し、表現していたのが高畑勲だろう。それはもしかしたら芸術寄りに見えてしまい、一般のアニメや世界のアニメーションを愛好しない人々をそこまで引き付けることはできなかったかもしれない。
だが、世界中のアニメーション制作者のインタビューを読むと、一様に高畑、宮崎の名前を挙げている。それだけ大きな影響を示し、新しい表現を模索し続けた姿は海を越えている。
また高畑勲が変えたアニメの流れも見逃せない。
近年ではよりリアルで写実的なアニメが散見されているが、その元祖は高畑勲だったように思う。アニメーションの魅力であるファンタジーやSFの空想的な表現に頼らず、より現実的で写実的な表現の先にあるアニメーションを模索した結果生まれたのが『おもひでぽろぽろ』であり『火垂るの墓』だったのではないだろうか?
私が『この世界の片隅に』を鑑賞した際、宮崎イズムよりも強く感じたのは高畑勲の影響だった。
高畑が存在しなければ『この世界の片隅に』はもちろん、近年の写実的でリアルなアニメたちも存在しなかったかもしれない。
最後に
近年は高齢ということもあって、そこまで多くの作品を発表していたわけではない。
宮崎駿と違い、自分で絵を描くことなく演出で勝負するアニメーション監督として、多くの実績と未来への影響を残してきたのが高畑勲である。
多くの方が語るように日本アニメーション界にその名を大きく刻む人物であったことは間違いない。
その偉大な功績について考えていきながら駄文を締めたい。
ご冥福をお祈りします。