8月24日は私にとって少しだけ特別な日で、日本を代表するアニメ監督、今敏監督の命日でもあります。
今年、2016年の8月24日は監督の7回忌であり、一つの区切りとして私も日記にて今監督の素晴らしい業績を振り返り、悼みたいと思います。
記事の内容のこともあり、いつもと違う口調ではありますが、楽しんで読んでいただき今監督を共に悼んでいただければ、1ファンとして嬉しいです。
なお、8月24日に上げることができなくて申し訳ありません。
今から6年前の2010年8月24日、今敏監督は膵臓癌のためこの世を去りました。
私にとって今監督作品をどれか一つだけを挙げて語るということは、非常に難しいことです。テレビシリーズ等を除いたアニメ映画四作品全て外れがなく、語るにふさわしい名作ぞろいだからです。
以下に簡単に各作品の特長を挙げていきます。
パーフェクトブルー アニメ史を考える上では非常に重要な作品
千年女優 個人的に私が一番好きな作品であり、嘘と現実、虚構(映画)について考える上で大事な作品
東京ゴットファーザーズ エンタメとして非常に優れた作品
パプリカ アニメーションの持つ力と発想力が最大限活用された素晴らしい作品
大雑把に特長を挙げましたが、今監督の映画は日本のみならず海外にもファンをつくり『ブラックスワン』や『インセプション』等の作品との類似性が指摘されています。(※1)
今回は作品をしぼらずに、今監督の作風から考えていきたいと思います。
監督がテーマに挙げて表現してきたことを一言でまとめると『境界線』ということができるのではないでしょうか。
『アイドル』と『ファン』、『現実』と『想像』、『ネット』と『リアル』の境界線を描いたパーフェクト・ブルー。
映画という虚構における『嘘』と『現実』の境界線を描いた千年女優。
『日常』と『奇跡』という境界線を、日本の宗教行事の特異的な変化が詰まったクリスマスから正月にかけての時間を描いた東京ゴットファーザーズ。
そして『夢』と『覚醒状態』の境界を描いたパプリカ。
境界線を描くという作風は見方によれば非常にわかりにくい構造になってしまいます。観客は普段物語作品を鑑賞する際に、その世界観に入り込むことが重要ですが、『夢』なのか『覚醒状態』なのか、『嘘』なのか『現実』なのかがわからなければ作品世界に入り込みにくい。だから今監督作品はアニメをあまり見ない層にはあまり知られていないのかもしれません。
しかし、一度その世界に入ってしまえばその世界は非常に奥深いもので構成されています。
例えばパプリカから以下のシーン。
このシーンは登場人物の一人の夢(妄想)の世界に入り込んでしまったことを表していますが、電化製品等の大名行列が続きます。今作の素晴らしい点は既存の妖怪等を表現したのではなく、その多くが家電や鳥居などの大名行列というトンチキでありながらも、楽しい画面構成になっていて飽きさせることがありません。
また、ひとつひとつのシーンを比べていけばアイデアとして発想することは可能かもしれませんが、90分という決して短くない中にこれだけの発想を詰め込み、絵にしたという点をとっても特筆すべきものがある作品です。
今回はわかりやすいためこのシーンをあげましたが、気になった方はOPの映像を見るだけでもいいでしょう。平沢進の音楽と、絵、突飛な発想が全て異質なものながらもその調和に呆気にとられること間違いなし。
(サーカスの観客の顔が全員一緒だったかと思えば、急にターザンのようなジャングルのシーンの移行するなど挙げるときりがない)
今作は誰が正常で誰が異常なのかわからない構成になっている為、一回見ただけではわかりづらいですが、二回以上見るとアニメでしか表現できない映像の世界観にはまり込んでしまいます。
ちなみに今作のアニメーターは日本で最高峰のアニメーターである井上俊之さんを始めオールスターとも呼ぶべき方々です。
東京ゴットファーザーズがエンタメとして優れている理由として挙げられる理由は、実は上記のパプリカや千年女優等は『現実』と『想像(妄想)』を行ったり来たりする為に、今描かれているのかどちらなのかわかりづらいのが問題ですが、この作品は基本的に世界観は現実の東京であるために、非常にわかりやすいことでしょう。
それでも発想力等が失われておらず、所々に細かい演出が光り、奇跡の連続という場合によってはご都合主義の極みのように感じられる設定でも違和感なくすんなりと見ることができます。
(今監督は大筋はわかりやすいのですが、見せ方が癖があるため受け入れがたいものになりやすい……今監督ファンになるとその癖がたまらないですが)
また、千年女優の演出に代表されるように名作映画を引用した場面も多数登場させています。
わかりやすいところではこちら。
これは黒澤明の蜘蛛巣城の名場面ですが、明らかにこのシーンを意識したと思われる場面がが出てきています。
さらにトラック野郎、鞍馬天狗、ゴジラにいたるまで数々の映画が元になっていると思われる場面が続きます。おそらく、蜘蛛巣城とトラック野郎とゴジラをモチーフとした場面を、一つの作品で出した映画というのは過去にあまりないと思います。
他にも雨月物語、青い山脈、木枯らし紋次郎などをモチーフとした場面も指摘されており、私は若輩者のためわからない描写も多々ありますが、古い邦画に造形が深い方である程楽しめるのではないでしょうか。
(ちなみに千年女優も読み取るのが難しい作品ですが、キャッチコピーの『その愛は狂気にも似ている』を元に考えるとわかりやすいかも。読み手によって作品解釈が変わるのも素晴らしい作品である証拠でしょう)
アニメーターという職業はアニメが好きな方がなりやすい職業ですが、今監督は映画を見てアニメを創る監督であり、だからこそ『アニメらしいアニメ映画』というよりも、『邦画らしいアニメ映画』を創ることに専念されたように思います。
また、今監督はWeb上に自らの作品を語った日記を公開しています。それもテキストにすると膨大な量がある為、これを公開し続けたことに頭が下がると同時に、私のような作品を語りたいファンからすると、資料として非常に貴重なものでとてもありがたいです。
http://konstone.s-kon.net/modules/notebook/archives/565
そして、何よりもこの日記の最後に書かれた「さようなら」という記事は一度読んでいただきたい。今監督が死を迎えるにあたり何を考えたかというのか鮮明に描かれており、作品に負けない名文になっています。
「幸せそのものも大事だけれど、幸せを感じる力を育ててもらったことに感謝してもしきれません。」
この一文にどれほどの力をもらったか計り知れません。
宮崎駿が長編作品から引退し、高畑勳は高齢もあり次回作は撮れるかわからず、ジブリが実質解体中で次回作がどうなるかは実際見てみないことにはわかりません。
押井守もスカイクロラ以降アニメ作品は製作しておらず、創る意志はあるらしいが長編作品は制作されていない状況となっています。
他のアニメ映画監督も素晴らしい作品を残す監督はいるけれども、今監督と似たような世界観で表現しようとしている方というと、強いて言えば湯浅政明監督しか思いつきません。映画作品もわずか4作と、その才能を考えればあまりにも少なすぎる。
没後6年過ぎ改めて痛感するのは、46歳という若さで没してしまったのはあまりにも日本やアニメ界のみならず、世界にとって大きな損失だということです。
今監督のご冥福をお祈りし、駄文を締めたいと思います。
※1 クリストファー・ノーラン、ダーレン・アロノフスキーの両監督は今監督のファンであり、作品への影響が多々発見されている。
ただノーラン監督自身は公式に今監督の影響、つまりパクリということは否定している。これはアメリカが著作権に非常に厳しく、また訴訟国家であることから、一度でも影響を認めると訴訟、賠償になってしまうため、あまり影響を受けたと言わない文化があるためと言われている。
押井監督とマトリックスも同様の類似点を指摘されているが、あの兄弟は否定。日本ではあまり気にしない部分であるが、お国柄の違いが受け取れる。
ちなみに押井監督も今監督も映画における引用は問題ないという認識を示している。押井監督に至っては映画には引用しかない、オリジナルなんてないとまで言い切っている )