今回は 2016年の主役とも言える映画『この世界の片隅に』の新作について語っていきましょう!
やはり2016年のアニメ映画の盛り上がりは異常だったんだなぁ……
カエルくん(以下カエル)
「2016年は『君の名は。』『聲の形』と同じく3Kアニメとして語れる機会も多かった作品であり、さらに『ズートピア』やドラえもんも含めて大傑作が相次いだ一年だったもんね」
主
「この作品の盛り上がりに関しては異常とも言えるレベルで、正直語るのが怖いところもあるよ。
それだけの作品だとも思うけれど……ちょっと盛り上がりすぎているかなぁ、と。MCU並みに熱すぎて怖いファンがついてしまった印象だね」
カエル「それだけ、いろいろな思いを抱える人も多い作品ということだね。
それでは、早速ですが記事のスタートです!
あと、今回はネタバレ全開です!」
主「……前作が2016年に公開されている以上、この作品のネタバレってなんだろう? と考える部分もあるけれどね」
感想
それでは、Twitterの短評からスタートです!
#この世界のさらにいくつもの片隅に
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2019年12月20日
映像表現の凄みすら感じさせる一作と改めて実感
とくに追加シーンのリンさんとのやり取りは圧巻、作品のテーマすらも微妙に変化させ厚みを獲得している
ただ、やはり長さは感じたし冗長で語りすぎな感も生まれてしまったか
何回見てもあのラストに震えます pic.twitter.com/spD9XCrLIs
日本のアニメ映画の到達点として歴史に名を残すのではないでしょうか?
カエル「2016年版ではアニメと実写の垣根を超えて”最高の邦画”という名目も獲得、あのキネマ旬報や映画芸術などの雑誌で年間1位に選出されたり、多くの賞を獲得、海外でもアヌシー国際映画祭で審査員賞を受賞しました。
それだけ高い評価を国内外で獲得し、うちでも2016年の年間ランキング3位に選ぶほどの作品でもあります」
主「それだけにファンが多いから、今回は言葉が難しくなるかなぁ……」
カエル「……あれ、なんか微妙な反応?」
主「もちろん映像表現に関しては超がつくほどの一級品なのは、誰もが認めるだろう。
前作でも使われた箇所と、今作で追加された箇所が時には違和感なく混ざり合い、時にははっきりとわかるほどの独特の絵の力を獲得することによって、さらなる複雑なすずをはじめとした人間の内面性を獲得した。
さらに卓越した時代考証により、あの時代の広島・呉を再現するどころか、その先にまで行っている印象すらある。それだけイメージを刺激するアニメーションでもあるわけだよね。
そうだな……やっぱり、高畑勲の目指した表現に、1番近いところにいる作家が片渕監督なのかもしれない」
クラウドファンディングなどで”ファンが支えたアニメ”
現実に根ざしたリアルなアニメーションということかなぁ
晩年の高畑作品はさらに映像表現の先に突き進もうとしたけれどね
主「元々高い志がある監督なのは知られていたけれど、残念ながらこれまでの作品は興行的にパッとしないところもあった。今作もクラウドファンディングで予算を募集し、監督自身も極貧生活を送りながら作品を完成させた……その執念が作品に宿っている」
カエル「今思うと、あの時は『これからクラウドファンディングでアニメ制作の時代が変わる!』なんて言っていたけれど、あの数年の……この作品と『リトルウィッチアカデミア』が目立ったくらいだったのかな?
もちろん、たくさんの作品がクラウドファンディングに助けられたこともあるんだろうけれど、以前ほど語られることはなくなった印象もあるかな」
主「そのクラウドファンディングで”ファンが支える”ということも可能にしたし、この映画のラストでは前作以上に圧巻の出身者の数にびっくりした。
だからこそ、この作品を作ることができたのは、これまでの情熱とこの作品の大ヒットのためのご褒美……という言い方はあれだけれど、それだけ多くの人を動かした監督として勝ち取った権利だろう。
そのために、なかなか言いづらいこともあるけれど……実際のところ、自分は作品の出来が超一流であることを認めつつも、前作では陰りを見せていたある部分……それは考え方の違いだろうけれど、欠点がより目についてしまった印象だ」
本作の物語に対する違和感
長尺になって目についた”欠点”
じゃあ、その言いにくい欠点ってどこになるの?
……単純にさ、物語の起伏が乏しくて飽きてくるんだよなぁ
カエル「……え、これほどの大名作に対して、それを言っちゃうの!?」
主「自分はこんなTweetもしているよ」
今日わかったけど、やっぱり自分はアニメオタクでしかないんだなぁ
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2019年12月20日
主「以前から語っているけれど、自分は映画として最適な尺は90分〜120分だと思っている。
もちろん、多くの名作がその枠を外れる長尺に挑んでいるのもわかるけれど……単純にそれだけ観客の集中力が保つほどの、一瞬も飽きないほどの作品なんてそうそうないんだよ。
『大人なんだから〜』と言われるかもしれないけれど、大学の講義だって90分だしさ、仕事時間だって3時間ぶっ通しで休憩なし! というのは……もちろんそういう会社もあるんだろうけれど、ずっと集中は難しいし、生産性も落ちるしミスも発生するだろう」
カエル「アニメ映画の場合は作画などの手間の問題や、あるいはメインの観客として想定される子供たちのことも考えて90分〜120分、あるいはそれ以下で設定されている作品も多いよね」
主「”短い方が楽”と思う人もいるかもしれないけれど、自分は逆だと思う。
長い方が楽な部分もある。もちろん、作品にもよるから一概に言えないけれどさ。自分は引き算で物語や文章を引き締めることの方が、難しいと考えちゃうタチだから。
で……この作品の欠点を挙げる前に、自分にとって”理想の映像化作品”をいくつか挙げさせてもらう」
原作からの改変の重要性〜理想的な映像化ってなんだろう?〜
では、その作品をいくつか挙げていきましょう
もう聞き飽きた人もいるかもしれないけれど『プラネテス』と『ピンポン』なんかは、その映像化が最大級にうまく行った例と言えるだろう
カエル「『プラネテス』はアニメ化当初連載中ということと、原作が全4巻と短いことから、2クールのテレビアニメにするために宇宙で働くお仕事ものの群像劇として原作とは違う魅力を発揮しています。
また、ピンポンも各媒体で
- 映画→短い尺に合わせるためにペコとスマイル(主人公たち)を重点的に語る
- アニメ→脇役をさらに際立たせるようにオリジナルをいれる
という工夫をしており、原作と大筋では同じながらも、また違う魅力を発揮した作品です」
主「それこそ、片渕監督作品では『ブラックラグーン』をあげよう」
片渕監督は脚本・シリーズ構成も担当しているけれど、放送に対して話の順番を変更しているよね
その改変が見事だったと考えている
主「1期に関しては”主人公のロックという普通の人がいかにロアナプラという悪党の街に染まっていくか、ヒロインのレヴィと距離を縮めるか”ということがメインとなっており、そう魅せるために物語の順番を改変してきている。
2期では名作双子編やヤクザ編を中心に設定しており”誰かの悪意によって道を踏み外す者たち”と感じられるように、漫画とは順序を入れ替えて、物語を作っている。
1期と2期は似ているようだけれど、1期は”自分から悪の道へ進んだ者たち”だとしたら、2期は”悪意によって悪の道を進まされた者たち”の物語というふうに改変しているわけだ。
圧巻はOVAで、原作だと色々な組織が入り混じってわかりづらい物語だったのを大胆に脚色・交通整理している。
個人的には『あのシーン(セリフ)がない!』と言いたくなるけれど……明確にやりたいことが伝わるようなものになっていた」
つまり、各媒体で魅せるために最適な魅せ方があるのではないか? という話だね
そのために脚本家や監督は試行錯誤し、時には罵倒されることにもなる。
主「よく『原作通り作って欲しい!』というけれど、その通りにやったら予算や尺が持たない、媒体が違うから面白くない、などの事情もある。だから、原作レ●プと言われようが、そういう風にやっているわけじゃない」
本作最大の欠点は”漫画をそのまま描いたこと”ではないだろうか?
それが本作の欠点に繋がると……?
漫画をそのままやるのが果たして正解なのかな? ってこと
カエル「よく話をするフォロワーさんも語っていましたが『この世界は3時間バージョンを作るのではなく、90分バージョンを作った方がいい』という話だね……」
主「今回見て、明確に思った。
長すぎるよ、この話。
日常を笑いも交えながら淡々と見せることで”普通の人々の生活”を描き、そこに今回追加されたリンさんのパートを加えることで”女の情念”が際立ったのもわかる。その結果、キャラクターではなく人間性に厚みができて、深くなったのも理解するし、その意図は100%発揮できている。
ただ、長い。
後半の戦争パートが始まるまでは、物語そのものは大きく動かないから、映画としては辛いよね……それをカバーするための映像表現なのも理解するし、原作リスペクトなのもわかるけれどさ。
それに、冗長で語りすぎ。
物語全体がそうだし、中盤くらいの周作とリンさんに何があったか〜とかは、いらないセリフじゃない?」
そのあたりの違和感が『結局自分はオタクでしかないんだなぁ』って発言に繋がるの?
自分はエンタメ重視のクソオタクだからさ
主「さらに言えば物語重視タイプ。
だからというわけではないけれど、この淡々とした日常を、しかも最近はアニメに限らずなんでも早くなっている中で、これだけスローな時間で見せられると、退屈するものを感じる。
ただ、ちゃんと時間を支配しているんだけれどね。
もちろん、こう言った芸術的な側面を理解して評価する人もいると思うし、むしろそういう人が大半なのかもしれないけれど……自分はもっとエンタメ性が欲しくなるかな。
前作はちょうど退屈になり始める間際に戦争が始まったから、そこで物語が大きく動いた。今回はリンさんたちの色艶が素晴らしいとは思うけれど……エピソードの1つ1つが弱く、さらに全体で見ると散漫な印象を抱いてしまったかな。
あとは……世間では大絶賛されているし、確かに合っているとは思うけれどのんの演技が上手いとは思えない。今作に関しては脇役というか、細谷くんだったりの他の役者の演技と、音響監督としての片渕監督の演出・演技指導、そして映像の力による魅力が大きいのではないかなぁ?
その辺りも長尺になって、気になった部分もあるかなぁ……」
”さらにいくつもの”で生まれ変わった『この世界の片隅に』
性を描くことで”男と女”を描く
ここからは一応ネタバレありになります……と言っても、この映画でどこからがネタバレなのかが難しい部分になりますが
前作と明らかに変わったのは”性”の描き方だよね
カエル「今作では夫婦の営みのシーンなどが直接的に挿話されており、より生々しい人間・家族描写が際立つ作品となっています!」
主「基本的には今作のドラマの作り方って、対比関係で進行していく。
すずと径子は嫁と小姑であり、外から来た嫁と外から帰ってきた小姑の対比。
周作と水原はすずと縁があった者であり、外に戦争に行った者と日本に残った兵隊の対比。
晴美と最後の女の子も、その対比と言えるかもしれない。
そこに、今作では1番重要な”すずとリン”という対比関係が生まれた」
カエル「周作をめぐるドラマだね……」
主「周作と水原に関してはサギでも強調されている。この作品では”平和の象徴”でもあるけれど、水原のサギは基本的に1羽、そして周作やすずのサギは2羽で飛んでいることも多い。この辺りも物語を示唆する内容である。
そのような形で語られているけれど、今作はすずとリンが生まれることで女の部分がさらに強調される。
例えば……すずに渡すノートの切れ端をリンが持っているというのも、2人の関係を示唆する意味もあって面白い。
だけれど、それは決して対立するものとしては描いていないというのも、面白いポイントなんだろうな」
レイアウトにみる本作の美しさ
それにしても、リンさんの色気が素晴らしかったね……
今作はそのレイアウトの良さってものも、最大限に発揮されている
カエル「最近だと『ロング・ウェイ・ノース』を鑑賞した時に、日本のデザインと比べると、単純なキャラクターデザインだからこそ伝わるレイアウトだったけれど、今作もそれに似た部分があったんだ」
例えばこのシーンなんかもそうだよね
周作さんがリンさんに渡そうとしていたお茶碗を、すずさんが発見したシーンです
主「こういったシーンのレイアウトが見事でさ、これだけでも色々と伝わってくるものがある。
周作がこの茶碗に込めた思いが、美しい茶碗と澄み渡る空で映えるし、それを下から眺めることで、不安混じりの思いを抱いているのではないか? と連想させる。
でも、きっと周作とリンも商売とはいえ、いい恋愛をしていたのだろう、という予感すらもある。
同時に、本作ではこの茶碗が”平和だった時のリンさんの思い”の象徴となり、それが後編どのような目に遭うのか、ということで色々な思いを察することができる」
カエル「続いてはこちらです」
桜の木の上でリンさんとすずさんが会話をするシーンです
自分はこの一連のシーンを本作のベストに挙げたいかなぁ
主「戦争の中にあるわずかな日常としての桜と、一瞬の祭りがあったわけじゃない。そこでの2人の女の艶やかな姿がとても印象に残っている。
また、木の上に登ることで2人だけの鮮やかな世界、女の嫉妬を超えた友情を感じさせてくれる。
一方で、俗に”桜の木の下には死体が眠っている”というけれど……この2人の華やかにも思える気持ちの裏には、死体となってしまった暗い思いや日々というものもある。
リンさんやテルさんのような、遊郭で働く人々の抱える孤独や不安をも感じさせてくれる。
でもさ、この映画内で素晴らしいのは、遊郭で働く人々を決して”可哀想な存在”としては描かないこと。
ずっと笑って、あっけらかんとしている。だからこそ、その裏にあるものについて、感じざるを得ない部分がある」
そしてこのシーンにつながるわけだね……
この2人の女のドラマの後では、男は見下されるしかないとも言える
カエル「見下すって言葉は悪いけれど……でも、同じ目線ではいられないのかな?」
主「それこそ、先ほどの茶碗との対比になるんじゃないかな? 周作の思いを理解し、さらにその上を行くくらいにすずさんはリンさんを思っている、とも解釈も可能だ。
そして、その後は夫婦で並んで進んでいくことで、夫の過去とその相手の思いも理解しながらも先に進む。
さらに言えば、この先でリンさんの出番はもうない。
これが、2人の女の思いが、全てここで物語として終わった……なんらかの思い葛藤の解消や、あるいは継承が成就したということもできる。
だからこそ……より、戦争の過酷さが響く」
カエル「一部では”長尺版は戦争の否定が弱くなった”と言われていますが……」
主「意見は自由だし、わからなくはない部分もある。前述のように、長くなったことによって話がまとまらず、ボンヤリとしてしまった部分もあるからね。
ただ、その裏にある……人の命を奪っていく、市井の人が傷ついていく戦争というものがいかに辛いものなのかは、前作に負けないほどの説得力を持っていると思うよ」
世界のアニメーションの中での”片隅に”
では、最後にまとめ的な部分になります
今の世界のアニメーションの流れを考えると、今作は日本で最も重要な作品の1つと言えるかもしれない
カエル「……なんか、最初の方で不満タラタラだったのが信じられないくらいの手のひら返しじゃない?」
主「だから”傑作だと思う”って最初から言っているじゃん!
同じ日に公開になった『ブレットウィナー』であったり、あるいは『幸福路のチー』などもそうだけれど、今の世界のアニメーションの中では”その国の歴史、そして女性を語る”というものが隆盛になっている」
カエル「特にアートの性質が強い、ヨーロッパのアニメーションはそうだよね。
2019年だと先述した『ロング・ウェイ・ノース』もそうだし、夫婦の物語としたら『エセルとアーネスト ふたりの物語』などもあったね」
主「日本のアニメというのは、どうしても社会性とも言える、その辺りが弱くなってしまいがちだ。
いや、0ではないよ? それこそ近年では『天気の子』『僕らの7日間戦争』とかは日本社会に対する批評性もあった。
だけれど、どうしても日本のアニメはキャラクター性やエンタメ性が優先になってしまい、そのようなアート的な性質を持つ作品であったり、世界の流れからは離されてしまう傾向にある」
ガラパゴス国家だからねぇ……でも、日本のアニメ(オタク)文化が東アジア全体に広がっていることもあり、決して悪いことではないよね
ただし、世界のアニメーションの潮流からは外れてしまいかねない
主「今、世界で評価される日本のアニメクリエイター(監督)ってそんなに多くないんじゃないかな?
多分湯浅政明などのごく一部……今作はアヌシーでも高く評価されたけれど、やっぱり”オタク的”な日本のアニメって世界でも異質な部分があるのだろう。
ぶっちゃけて言えば、下に見られている。舐められてる。
ある研究家が語っていたけれど、世界では山田尚子がやっていることの先進性に、ほとんど誰も注目していない、という話もあった。
その中で、日本の潮流からは外れているようにも思える本作があれだけ大ヒットし、さらに様々な技巧を凝らした本作が生まれたことは、日本にとっても大事なことだ」
カエル「こういう作品は高畑さんが亡くなった後、もしかしたら商業ではなかなか生まれないかも、って思っていたしね……」
主「日本的なアニメの快楽性と、技術の先進性などが違和感なくミックスされている。その辺りの凄みとハイブリッドな可能性を感じさせてくれた。
願わくば『海獣の子供』みたいなアートの要素も兼ね備える作品がしっかりと売れてくれればいいんだけれど……それは難しいのかもしれない」
カエル「まとめるとさ
- 日本的な快楽性(キャラクターの良さなど)がある
- 先進的が技術がある
- 日本だからこそ描ける物語
- 日常の尊さと戦争の過酷さなど世界にも通じる批評性がある
という、奇跡のような作品に仕上がっているのではないかって話です!」