亀爺(以下亀)
「では続いて、ネタバレありの批評、考察記事を書くとするかの」
ブログ主(以下主)
「……この件に関しては少し失敗したんだよなぁ……」
亀「失敗? 何をじゃ?」
主「もうさ、あまりにも評判がいい上に、元々原作大好きで……しかもアニメも当然好きだからさ。もう評判の映画になるのはわかりきっていたんよ。
公開前日の昨日の夜から、楽しみで眠れない子供状態だよ! だからさ、ついつい……色々と調べちゃったのね。Twitterの反応だったりさ」
亀「公開前から話題になっていた映画じゃからの」
主「で、当然あの人の話題にもなるわけよ」
亀「……映画評論家の巨人、町山智浩じゃな」
主「そう。普段はさ、映画の感想記事や考察記事を書く前に、事前に調べることってあまりしないのね。それをすると、作品を語るときに切り口がその人に似ちゃうから。
だけど……本作は聞いちゃったんだよね。しかもさ、公開前なのに3回も見てるんだぜ!!
なにそれ! そのうち1回分頂戴よ!!」
亀「単なる映画ブロガーと一流の映画評論家を比べてはいかんじゃろう。間違いなく観客動員数もそちらの方が貢献しておるし、それこそアリと象どころか、地球と砂ほどの差があるぞ」
主「うるさい!
まあ、それはいいとして……なので、少し見方が引っ張られると思うけれど、それはご容赦を。いつもならばこう言う注意書きもなく、いきなりツラツラと書いちゃうんだけどね。
逆に言うと事前情報なしでいつも書いているんだよ! すごくない!?」
亀「いいからさっさと始める!」
主「はいはい……」
ネタバレなしの感想記事はこちら
ネタバレありなのでご注意ください!!
1 原作との印象の違い
亀「ではまずは……そうじゃの、原作との印象の違いから考えてみようかの」
主「そうね。まず、自分は原作が発売されて、結構話題になっていた2010年くらいに読んでいたのね。その時の印象としては『ああ、こういう戦争物が読みたかったなぁ』なのよ。
いつも語るけれど、戦争物は同じような物語ばかりでさ……正直、飽き飽きしていたのね。戦争反対はわかるよ、だけど、それをはっきりと明言して、涙や怒りを持って抗議するというのは物語としてどうなの? ということ」
亀「ダメ邦画の特長として説明的、道徳的すぎるというのがあるが、それと同じ匂いを感じたのかもしれんの」
主「そう。で、原作を読んだ時にはさ、そこに描かれているのは『戦時下の普通の日常』なんだよね。そしてそれがいかに尊いことか、この漫画ははっきりと教えてくれるわけだ」
亀「しかし、漫画と映画ではほとんど同じではないか」
主「一部カットされた場面は当然あるけれど……特にリンさんのところは見たかったけれど、これでも苦心なのはよくわかるから、しょうがないよね。だけど、その代わり……と言ってはなんだけど、この映画版の方が『生々しさ』は圧倒的に伝わってくるよ」
亀「原作の方が少し……軽いというと語弊はあるが、明るいというか、笑える映画になっておるの」
主「一方の映画版は絵に動きがついて、一気に見ることによって重みというか、悲壮感は増したよね。これは漫画版とは違った味だよ。特にさ、感情表現が激しくなった印象があるかな」
亀「後半のすずが号泣するシーンなどは特にそうじゃな。元々こうの史代がそこまで激しい漫画を描くタイプではないことにも起因しているじゃろうが……」
主「そこは原作と大きく変えてきた部分だよね。どっちがいい、悪いという話じゃなくて、味が違ってまた美味しいみたいなさ」
物語の導入
亀「まずは原作上巻の子供の頃の不思議な体験から話は始まるがの……」
主「ここがまずうまいと思った。原作でもこのパートは特に不思議なところで、あの化け物は一体何だったのか、よくわからないだよね。そこをすずの物語調にすることで、不思議ながらも、いい導入になっていたよ」
亀「あそこを原作通りにすると、中々取っ付きにくいことになっていたかもしれないの」
主「漫画だったらあれでもいいけれどさ、あのパートだけリアリティが全くないんだよね。だから、あのままアニメ映画になると、冒頭なのにフワフワと浮いてしまうことになると思う。
だけどあの不思議な部分を物語とすることで、前半部分だけじゃなくて後半部分も生きるよね。これはうまいよ」
亀「そして子供の頃のお使いや広島の景色を見せられていくわけじゃが……」
主「あれもいいよねぇ……この映画の魅力って、風景をはじめとした景色だけどさ、綺麗な絵にすることによって、ノスタルジィを感じるのと同様に、確かにそこに生きていたというリアリティが生まれる。
この映画ってアニメなのに、下手な実写よりもリアリティがあるんだよ。それはアニメの強みでもあると思うけれど、多分ある程度以上の情報量を絵の中に詰め込むと、人間の脳の中で、非リアルな部分はある程度無視されて、むしろリアリティがあるように補完されるんじゃないかな?」
亀「シン・ゴジラで語っておったことじゃの。ゴジラという強大な虚構を描くためには、圧倒的なリアリティが必要じゃった、という奴じゃの」
主「アニメ自体が嘘だからさ。描き出される絵にリアリティがあれば、そのアニメという嘘が気にならなくなるどころか、そのリアリティを補完しているだろうね」
海の絵
主「それを象徴するのが序盤の動き出した海の絵であってさ。あそこですずが描いた絵が、まるで生き物のように動き出したわけじゃない?
多分、多くの観客はあのシーンで一気に引き込まれたと思う。それだけの外連味もあるし、美しい描写だったよね」
亀「そうじゃの。あそこが導入で入れられたことによって、それ以降の重要な場面で訪れる、動く絵という描写も気にならなくなったかの」
主「多分、何も知らせずに急に戦争描写で絵画のように演出されたら、少し戸惑いもあると思う。だけどその前で、あのほのぼのとした美しい絵が動き出したことによって『この作品ではこういった表現もありなんですよ』と示唆することができたんじゃないかな?」
2 様々な動物
亀「今作は色々な動物がたくさん出てくるの」
主「町山智浩は虫に注目して語っていたけれど、もちろんネタバレしないようにした結果だけど、それ以外にも様々な動物が各所で出てくるんだよね。もちろん、植物もだけど」
亀「象徴的なのは鳥じゃったの」
主「あの鳥もさ、考えてみると色々とうまく演出されているんだよね。
まずさ……鉛筆のくだりを描いた際に、少女時代で妹と走っていた時に鳥……多分サギが2羽飛んでいるんだよね。ここはさ、明らかにすずと妹の2人で走っていることを象徴しているんだよね。
だけど、水原が出てきた時に、サギは1羽なんだよね。これはさ、やっぱり孤独の状態であることを表していると思う。このサギって、後々大事になるんだよ」
亀「中盤の空襲シーンでサギを追いかけて大変なことになるからの」
主「そう。それを考えると、あそこでサギを追いかけたのは水原かもしくは兄を平和な土地へと送ってあげたかったという意味もあると思うんだよね。幸せの象徴というかさ。
もちろん、結婚生活に不満はないんだけど、当時の状況を考えれば……サギというのは幸せだった時代によく見た鳥だからさ、それを空襲で死なせたくなかったんだろうな」
亀「水原からの贈り物もサギらしい鳥の羽じゃからの」
主「やっぱり、サギというのは特殊な……幸せの青い鳥じゃないけれど、特別な象徴なんだろうね。
サギって最近ペリカン科になったらしいけれど、連載当時の2009年ごろまではコウノトリ科だったらしいのね。コウノトリって、子供を運んでくる象徴じゃない? やっぱり幸せの象徴じゃないかな?」
亀「それから、タンポポもそうじゃの」
主「そうだね。作中で語られているけれど、タンポポは遠いところから飛んできて、その土地に根付いてさらに花を咲かせる。だからタンポポが多く出てくるんだよね。
そういう物語の様々なところに……しかも何気ないところに意味が込められているから、情報量の多さにびっくりするよね」
3 脚本のうまさ
亀「やはりここはあるの」
主「これは原作と同じ流れだから、原作のうまさもあるけれど……大きく改変しなかった映画の素晴らしさもあるよね。
この映画を見るときには誰もが持っている戦争物のイメージというものがあるわけだよ。しかも1945年の広島県の話だからさ、誰もが前述したような作品を連想するわけだ」
亀「当然じゃの。歴史的大事件だから知らないという人の方が少ないだろうし、学校でも習うことじゃからな」
主「その思いをうまく利用しているんだよね。だからさ、途中でお父さんが空襲に襲われるわけじゃない? あのシーンて、見方によると……『ついに来たか!』というシーンなんだよ。つまり、親類の死というある意味ではあって当然のシーンがついに訪れたかという思いにかられるわけだ。
だけど、ここでお父さんは死なないで、ある種のギャグで済ませてしまった。ここでさ、観客は2つの感情に翻弄される」
亀「ある種の『緊張と緩和』じゃな。死という緊張と、実は生きているという緩和が相乗効果となって、より緊張感を増し、さらに日常の尊さを実感させてくれるものじゃの」
主「そう。これはさ……原作を読まなかった方が良かったなぁと実感したよ。原作だともっとあっさりした作りなんだよね。だけど、映画だと流れ弾の恐ろしさもしっかりと描いた後だから、原作よりも強調されているわけだ。
この先の展開にも生きてくるからさ……ここは初見さんが羨ましいよ」
亀「漫画も名作じゃが、アニメ化するに対して最も原作を活かしながらアニメも映えるものにしたの」
緊張と緩和の先に……
亀「本来は笑いの理論である緊張と緩和じゃが、この映画では『戦争の残虐性』と『日常の尊さ』のふたつを見事に引き立てあっておるの」
主「そして……ここで安心して『この世界観では誰も死なないのかな?』と油断したところに、あの大きな事件が起こるわけだ。
これってさ……ダメージが半端ないよね。しかも、その後に描かれた線の薄い……少し下手な場面は、すずの左手で書いたという意味らしいけれどさ。そういう演出も上手いわけ」
亀「すごくメタ的な見方であるが、そういう邪道な見方をする者ほど感動する流れかもしれんの」
主「で、まっすぐに見ている人はさらに感動するでしょ? これは上手いよね。
絵に込められたリアリティはトンデモナイからさ。さらにこの脚本に、音楽が合わさるわけだから、そりゃ名作だよね」
亀「うまく練られている作品じゃのぉ」
4 径子の描き方
亀「原作と大きく変えられたのはこの径子の描き方じゃの」
主「原作だと、そこまで救いはないような気がするんだよね。もちろん悲しむことも多いし、怒りもそのまま表現するけれど……原作だとさ、淡々として続くから、いつの間にか2人が仲良くなっているように思うけれど、こうして映画になると、この径子の意味がよくわかった」
亀「径子の意味?」
主「そう。前に聲の形でも語ったけれど、径子ってすずの鏡面性の存在なんだよね」
亀「ほう。聲の形でいったら代理の存在というやつかの」
主「そうそう。普段からポワポワして、天然なすずに対して、径子というのは常に何かに怒っているようで、この映画では浮いている存在だよね。この家族もさ、天然とまではいかないけれど、のんびりとした気風だからこの姉というのは非常にアクセントが効いている。
で、何から何まで逆なんだよ。すずは料理ができるけれど径子はできないとか、逆に裁縫やファッションは苦手なすずと、得意な径子とか」
亀「ギャグとして成り立っておったが、家族関係もそうじゃな。唯一映画の中ではうまくいっておらん」
主「旦那さんの先立たれているしさ。踏んだり蹴ったりの人生だよ。子供がいないすずと、いるけれど長男は取られて、娘を育ているというのも対照的かな。この2人、徹底的に反りが合わないんだけど……ある瞬間をもって一気に仲良くなるんだよね……」
亀「……あのシーンは非常にきついものがあるの。あんなことがあるなら、この2人は仲良くなる必要がなかったのではないか、と思うくらいの」
主「失ったものが大きすぎるよね……
だけど、あの描写によって実はすごく大事なことが行われていたと自分は思うんだよね。それが『鏡面性の存在との同一化』とでもいうのかな? ここで2人が仲良くなることによって……すずは広島行きを諦めて、あの家で暮らすことを選ぶわけだ。
もしかしたら、あの場面で径子が止めていなかったら、広島に向かってしまっていたかもしれない。そうなると直撃は避けられたかもしれないけれど、その後の……色々な原爆症とかの影響もあったかもしれない。
だからさ、すずを苦しめたのも径子であるようだけど、すずを救ったのもまた径子なんだよね。この描き方が、うまいなぁと感心させられたよ」
5 奪われたもの
亀「ここで語るのは右手のことかの」
主「そうだね。右手のこともあるけれど……すずって、言葉を選ばずにいうと狂気の表現者でもあるんだよ。あんな悲惨な戦争においても、その光景を絵として連想してしまうくらいに、絵が大好きで表現がしたい。
戦争中って確かに辛いものだけど……同時に文学や芸術などに大きな影響をもたらすんだよね」
亀「主が大好きな坂口安吾や、みんな大好き太宰治、そして織田作之助を加えた無頼派などはまさしく戦争の混乱が生んだ文豪であるからの。戦争という混迷の時代がなければ、どうなっておったかは……わからんな」
主「個人的にすずの表現欲ってすごく好感をもてるんだよね。何か欲しいものが絵にして人を助けたり、辛いときには絵にして自分を慰めたり……そういった行動はやっぱり素晴らしいと思う。
だけど、それがある瞬間ももって永遠に奪われてしまうわけだ」
亀「あの場面の絵も素晴らしかったの……」
主「それまでの絵と違って、多分左手で描いた絵なんだろうね。途中ですず以外が油絵のように歪んでいる描写があったけれど、そこもそれまでのすずの歪みとは違っていてさ……アニメだからできる素晴らしい演出だった。
そしてその奪われたものが大きくて、どうしようもなくて、ある意味では自暴自棄な行動に走ってしまうわけだ」
のんを起用した理由
亀「これは前回の感想記事で後述にしたことじゃな」
主「そう。町山智浩とかが語っていて『は!』となったんだけど……ただ単に描きたいだけなんだよね、すずは。表現がしたいだけなんだよ。
だけど、それを奪っていく存在がいるんだ。それは何かというと、戦争なわけ。
『Pumpkin Scissors(パンプキンシザーズ)』という漫画あって、戦災復興をテーマとする漫画なんだけど、その中で『いつ戦災復興が終わるのか?』という問題がある。
その答えとして主人公たちが出した結論は『うまくいかなかったことの言い訳を戦争のせいにしなかった時』と答えるんだよね」
亀「夢や就職、一家団欒に恋愛……そういった個人の幸福を根こそぎ奪っていくのが戦争じゃからな」
主「でもさ、例えば夢が叶わないのは別に戦争だけのせいじゃない。自分の才能がなかったり、貧困に喘いだり、年齢的にアウトだったり、病気になったり……人生には色々あるわけだけど、その理由が戦争という暴力でなくなった時に、戦災復興は終わるというの。
で、のんってまさしくそうじゃない? 芸能界の面倒くさい、しかも黒い噂の多い事務所に目をつけられて芸名を捨てさせられて、改名して、表現の場を奪われている。
それはまさしく右手を失ったすず、そのものではないか、というのが町山理論」
亀「さすがに深い洞察じゃの」
主「でもね、その考察はあえて理解した上で、自分は反論したいこともあるんだよね」
6 左手で掴んだもの
亀「これは最後の部分に触れるのかの」
主「そう。右手を失って、広島に帰ると両親はすでに亡く、妹も原爆症で臥せっているわけだ。
すずはこの戦争で色々なものを失った。それこそ『まだ5人いるのに! 左手も両足もあるのに!』と全てを捨てて戦う覚悟を決めていたのに……最後まで戦う覚悟を決めていたのに、その戦場すらも奪われたわけだ」
亀「……女の戦場じゃの。水原の語った『死に遅れるというんは、じれるもんですのぉ』と心境としては同じかもしれんな」
主「その覚悟した戦場すらも奪われて……右手も失って、それでも生きなければいけないというのは……表現者から表現を奪われたという苦しみは確かに辛いよ。自分なら……すずのように生きられるかわからない。
だけど、そのおかげで掴んだものがあるじゃない」
亀「広島の少女じゃの」
主「そう。あの子が繋いだ縁というのは、失った右腕が実の母親に似ているからという、ただその1点だけだったんだよね。
だけど、その1点だけで……残された左手があったからこそ、すずは1人の少女を救うことができたし、そしてそれはすずにとっても、そして怪子にとっても救いになると思うんだよ」
亀「失われし右手と、残った左手で掴み取った縁か……」
主「確かに右手を失ったことは辛いよ。だけどさ、この作品は失ったものを数える作品でも、それを嘆く作品でも、怒りをぶつける作品でもないんだよ。
しぶとく生きて行く作品なんだよね」
のんを起用できたこと
亀「この流れでのんについて語るのかの」
主「そう。もしかしたら……もしかしたらだよ? のんがあのまま、能年玲奈として活動していて、順調に演技の仕事を積んでいたら……すずの右手が失われずにいたら、どうなっていたんだろうね?」
亀「どうじゃろうな。この映画に起用されたか、全くわからんの」
主「そうだと思うんだよね。能年玲奈ではなく『のん』だからこそ、この映画のすずを演じることに特別な意味を生じさせたわけだ。
確かに能年玲奈というのは失われた右手かもしれない。その代償はあまりにも大きかった。だけどさ、代わりと言ってはなんだけど、残った『のん』というものがなければ、この作品はまた違う意味合いを持った作品になったかもしれない。
もしかしたら起用もできなかったかもしれないし、これだけ絶賛されることもなかったかもしれない。
そう考えるとさ、やっぱり失ったものを数えるのはもう辞めた方がいいと思う。これはのんに対してだけじゃなくて、すべての人に言える事だと思うけれど、残った左手で、両足で、その命で獲得したものは何?
それこそが大事なものなんじゃないの?
それが自分が感じた、この映画の最大のメッセージかな」
亀「この意見は賛否はあると思うがの」
主「でもさ、下を向いて泣いてちゃいけないと思うんだよね。
人は生きるよ。どうしようもなく生きる。
どんな状況でも、条件でも生きるんだよ。
そして世界は動き続ける。この世界の片隅に、我々は生きるんだよ」
7 音楽について
亀「これはコトリンゴの『悲しくてやりきれない』のことかの」
主「自分はこの曲、元々すごく好きでさ、色々な人のカバーをしたバージョンも聴いてみたわけ。
そして自分が大好きな歌手で、坂本真綾もカバーをしているわけだけど……彼女がライブでこの曲について語っていたのが印象的でさ。
『この曲は悲しい歌だと思われがちだけど、私はそうは思っていない。それでも明日は来るし、陽は昇るんだという意味の歌詞だと思っている』と語っていたんだよね。
その意識があるからだと思うけれど、自分もコトリンゴの歌う悲しくてやりきれないが、そこまで暗いテイストだとは思えなかった。それが流れているOPも比較的明るい描写が多いしさ」
亀「……それこそ、主の語るしぶとく生きるということを言っているのかもしれんの」
主「どう受け取るかは人次第だけどね」
余談 『広島の空』
主「この映画を観終わった時にリピートして聞いた曲があるのよ」
亀「さだまさしの『広島の空』じゃな」
主「自分の青春ってさだまさしから始まっているんだよね。みんなが流行のポップスを聴いている中で、自分はさだまさしを聞いていたんだよ」
亀「……時代がおかしいがの」
主「まあ、それはいいとしてさ。歌詞の中にこんな言葉が出てくる。
『もううらんではいないと 彼女は言った
武器だけを憎んでも 仕方がないと
むしろ悪魔を産み出す自分の中の
心をうらむべきだから』
ってさ。もうこの歌の精神が広島の精神なわけじゃない。そりゃ右からも左からも色々言われるかもしれないけれど、でもさ、こういうことだと思うんだよね」
亀「人を恨まず武器を恨むというのが日本のスタンスじゃからな」
主「そしてそれがすずさんのスタンスじゃない?」
最後に
亀「今回もそれなりに長い批評になったの」
主「本当はもう何回か見直して、そこから語りたかったけれど、劇場に人がたくさん入っているみたいだからね。できれば初見の人に見てほしいし、この映画は1人でも多くの人に見てほしいしね」
亀「そうじゃの。この余韻を楽しむのも、また一興かの」
主「しかしあれだね。これだけの大名作を見てしまうと、今週はもう映画を観る気がなくすよね……色々と観たい作品もあったけれど、この衝撃を消されたくないというのもあるしなぁ」
亀「何、主の事じゃ。一晩寝らばケロリと忘れるじゃろう」
主「……あんまり言うとさすがに怒るよ?」
亀「おや? 怒りを持たず、日々を生きているんじゃなかったかの?」
主「ウルセェ! それとこれは話が違うわ!」
亀「鬼いちゃんみたいじゃの……」
片渕監督の前作はこちら。
Amazonレンタルであります。
この世界の片隅に、につながる発見も多いです。
(アリーテ姫も大事だけど見るのは難しいかも……)
ユリイカ 2016年11月号 特集=こうの史代 ―『夕凪の街 桜の国』『この世界の片隅に』『ぼおるぺん古事記』から『日の鳥』へ
- 作者: こうの史代,片渕須直,のん,西島大介
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- メディア: ムック
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