物語る亀

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物語愛好者の雑文

アニメ『恋は雨上がりのように』最終回(12話)感想&考察 夏目漱石、それからとの関係性ついて

カエルくん(以下カエル)

 「恋は雨上がりのように、も終わってしまったねぇ」

 

「久々に漫画原作も一気読みしてしまう作品だったかもしれないな」

 

 

カエル「本当はすべての作品をそうするべきなのかもしれないけれど、そういうわけにもいかないしね」

主「あと全10巻(予定)ということもあって読みやすいこともある。

 今は映像化するとTSUTAYAで安くレンタルもできるし、場所もとらなくて便利な世の中になったものですよ」

カエル「……あれ? TSUTAYAの宣伝?」

主「いや、ほら、あの手のレンタル屋さんがなくなると困るのよね。それこそCDも映画も借りているし、なるべきみんな利用しようね! といっておかないと……

 小説は図書館があるけれど漫画はないしさ、自分は沢山読むからいちいち買っていたら……ね?」

 

カエル「死活問題なんだ」

主「というわけで、リアルレンタル店も利用しようね!

 某サイトは絶対ダメだよ! という啓蒙活動をしながら、感想記事のスタートです!

 

 

 

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1 感想

 

カエル「では、全話見終わった感想として、とりあえずざっくり語るとどうなるの?」

主「漫画原作の映像化作品の一つの理想形だよね。

 よく漫画原作ものは『原作を改変するな!』とか言われるし、それが誠実な作品などと呼ばれることも多いけれど、自分はその意見に反対する。なぜならば、定期連載であり人気作品は長く続く方が嬉しい漫画という媒体に適した物語と、終わりの時間や時期が決まっている映画やテレビアニメに適した物語は全然違うからだ。

 だから、まあ極端なことだけれど『原作なんて無視して破壊しろ』なんてこともいう時もある

 

カエル「それは言葉のあやというか、強烈な言葉だけれど……」

主「でもさ、漫画原作ではどのように再構成するのか? というのが非常に大事になってくるわけじゃない。

 アニメだと『放浪息子』『ピンポン』実写映画ならば『ちはやふる』『バクマン』あたりはかなり評価が高いし、個人的にも傑作、名作だと思っている。だけれど、必ずしも全てが原作通りというわけではなくて、ところどころオリジナルのアレンジを加えている」

 

カエル「そのアレンジが原作の伝えたいことなどを壊すことなく、映像化として意義がある作品に仕上がっていることが大事だよね」

主「『恋は雨上がりのように』に話を戻すと、その再構成がとても見事。原作も最新刊である9巻まで読んでいるけれど、自分は……特に後半の展開はアニメ版の方がいいと思った。

 その理由は『文学』『純化』にあるんだよ

 

 

 

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本作の主人公は?

 

カエル「これは前回でも語ったけれど、もちろん本作の主人公はあきらちゃんである。だけれど、より注目をするべきは店長の方だ、という意見だね」

主「自分は店長の独白で『45歳、夢も希望も何にもない』というセリフを聞いた瞬間に、この人の抱える絶望感が深く伝わってきた人間でさ……その状況に納得もしているけれど、どこかであがき続けているその姿が……とても人間臭くて好きなんだよね」

 

カエル「いろいろな個人的な事情もあるのかもしれないけれどね」

主「で、本作を語る上で大事にしたいのが店長と文学の関係性である。

 あのちひろとの文学談義なんてさ、世の中の8割の文学青年(くずれ)が思っていることだよ!

 文学とは毒である! あんな大衆迎合の小説なんて糞食らえ!

 坂口安吾だって『余はベンメイす』の中で『小説は劇薬ですよ。魂の病人のサイミン薬です。病気を根治する由もないが、一時的に、なぐざめてくれるオモチャです。健康な豚がのむと、毒薬になる。』と語っているではないか!」

 

カエル「はい! 安吾の話は長くなるからここでおしまいね!」

主「……とまあ、結構あの論争なども小説好きの……特に純文学好きの中ではあるある話なわけだ。多分、ちひろもインタビューもされているし、映画化も果たしたということはエンタメ寄りの作家なのかな? 気質的には純文学好きだけれど、エンタメを書いていますという複雑な心境を抱える人間なわけ。

 そして店長がいかに変化していくのか……ということを、この作品では重視して観ていたね

 

 

言の葉の庭と本作

 

言の葉の庭

 

 

カエル「前にも語ったけれど、この作品って新海誠の印象がとても強いよね。

 原作でも9巻で街の階段で振り返って眼下に街と広い空を見渡す、というシーンがあるけれど、それも『君の名は。』を連想させるものだったし」

主「特に『言の葉の庭』だよね。

 年齢差のある恋愛関係、進路(やりたいこと)に迷う若者、夢も希望も失った文学好きの年長者、雨の中の物語……共通点がたくさんある。

 ということは、この作品がどのような物語になるか、というのは自ずと見えているんだよ」

 

カエル「あんまり『言の葉の庭』について直接的に言うとあれだけれど、この作品と似たような結末と言えるのかなぁ」

主「人生におけるトラブル、それが雨となって降り注ぐ。あきらの場合は足の怪我だよね。

 そこに現れたのが店長で、それはあきらにとって居心地のいい『雨宿りの止まり木』になる。

 だけれど、ずっと雨宿りをしている人はいない。

 雨が止んだらそこを出て行くし、そうしなくてはいけないんだ。だから、この作品はほんのいっときの雨宿りの物語である、ということだね」

カエル「……ちょっとビターなお話かもね」

主「でもだからこそ美しいわけだ」

 

 

 

 

2 文学と『恋は雨上がりのように』

 

夏目漱石と本作

 

カエル「ここからはアニメ版オリジナルの演出について考えていくけれど……まずは何と言っても夏目漱石の『それから』と本作の関係性について考えます」

主「不思議だったのはさ、芥川龍之介の『羅生門』は原作にもあるからピックアップするのもわかる。だけれど、なぜ作中で登場するのが武者小路実篤の『友情』や夏目漱石の『それから』なのか? ということだった。

 だってさ、確かに有名な作家だし文学好きならば知っていても当然と言えるレベルの作品であり作家だけれど、一般的には結構地味な作品じゃない?

 

カエル「まあ、夏目漱石の作品を3作品挙げてください、と言われても『それから』は中々出てこないかもね。『坊ちゃん』『こころ』『吾輩は猫である』の方が有名なのかな?」

主「で、この武者小路実篤と夏目漱石の関係性って結構いろいろとあって……詳しくは省くけれど、簡単に言えば実篤は漱石に憧れていたファンだったけれど、でも自分は漱石の文学とは違う道を行くよ、と宣言して白樺という雑誌を発行している。

 この白樺の創刊号に書いた実篤の文章が『それからに就て』という批評で、これは漱石の描くことからの決別宣言である。

 さらに言えば芥川龍之介も元々は夏目漱石の門下生であり、漱石の影響を受けた作家なんだよね」

 

カエル「明治の文壇の狭さを感じるよね……」

主「まあ、そうなんだけれどさ。

 つまり、本作は夏目漱石に全てが行き着くようにできているようにも見えてくる。

 では、ここで漱石とはどういう作家だったのか、ちょっと考えてみようか」

 

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夏目漱石の作家性

 

カエル「……お札にもなった誰もが知る人物でありながらも、改めて夏目漱石とは? と訊かれると難しいかも。たぶん日本で1番研究者が多い作家だと思うし、日本史上最も重要な作家だとも思うけれど……」

主「難しいことはなしにして、今回は『恋は雨上がりのように』と関連するように語るならば、夏目漱石の作家性とはどこにあるのか? という問題なんだよ。

 その作品の多くは、実は三角関係を描いている。

 国語の教科書で読んだと思うけれど『こころ』なんてまさしくそうじゃない?」

 

カエル「あ〜……確かに」

主「ちょっと文学の歴史について言及すると、日本では自然主義文学と呼ばれる私小説などの『事実に基づいた小説』を良しとする風潮があって、それに反発して反自然主義文学というものも生まれた。

 この辺りはややこしいけれど……漱石は一般に余裕派と呼ばれていて、反自然主義文学寄りの人でもある。まあ、結構この自然主義文学と反自然主義文学の対立からは独立した立場なんだけれどね。

 『それから』という物語が『恋は雨上がりのように』を読み解くには重要なんだ

 

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『それから』とはどういう話?

 

カエル「えっと……ごちゃごちゃしてきたけれど、それからってどういう話なわけ?」

主「漱石の前期三部作(『三四郎』『それから』『門』)のちょうど真ん中の小説で、簡単に言えば三角関係の不倫小説。

 主人公の代助は親から生活費をもらってプラプラ生活する高等遊民だった。で、親友の平岡という男が結婚しているけれど、その奥さんの三千代のことが昔から好きだったわけ。だけれど、親友の平岡のために三千代との縁談を勧めてやる。

 だけれど、数年が過ぎても三千代が忘れられなくて、結局平岡と話し合って三千代を譲ってもらうんだけれど、それが家族に知られて家を勘当されて、仕事を探しに行っておしまい」

 

カエル「えっと……もうどうしようもないお話だね」

主「当時の時代背景もあるから、現代の感覚とはちょっと違うけれど簡単に言えば略奪婚だよ。

 で、重要なのが終盤で代助が平岡に三千代を譲ってくれとお願いをしに行くシーンのこのセリフである。

 

 

『僕が君に対して真に済まないと思うのは、今度の事件より寧ろあの時僕がなまじいに遣り遂げた義侠心だ。君、どうぞ勘弁してくれ。僕はこの通り自然に復讎(かたき)を取られて、君の前に手を突いて詫(あや)まっている』

 

 

 つまり、あの時君に良かれと思って三千代を譲ってしまったのは間違いだった。その結果、このように常識や道理(自然)によって苦しんでいるし、手をついて謝っているんだ、ということだね」

 

カエル「勝手な話だね」

主「『それから』や漱石の文学で大事なのが、自分の心と世間の常識の差をどのように結論づけるのか? という問題だ。

 それは『恋は雨上がりのように』とも連動しているんだよ」

 

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『恋は雨上がりのように』と『それから』

 

カエル「えっと……それはどういうこと?」

主「簡単に言ってしまえばだよ、やはり17歳の女子高生と45歳の子持ちバツイチのおじさんの恋愛関係というのは問題が多い。

 それは道理や常識から外れた行動である。それは店長はとてもよく理解している。だからあきらの言葉に頑なに首を縦に振らないわけだ。

 じゃあ、この作品の三角関係とは何かというと、単純な恋愛の三角関係ではないんだよ。

 それはあきらの選ぶ、店長(恋愛)と陸上(夢、やりたいこと)の三角関係なんだ

 

カエル「ふむふむ……」

主「『それから』のラストって結局三千代はショックもあって病気になって、代助は一人で仕事を探しにバスに乗る。そこでは赤い色に包まれているだけれど、赤は興奮の色とともに血などが流れる時の様子から不安の色でもある。

 つまり、取り返しのつかないことをしてしまったというショックが代助を襲うんだ。

 だけれど、あきらは人の道を外れるようなことは選ばず、その本を本棚にしまっておいて、夢を選ぶ。

 それは初恋の終焉でもあるようだし、別の未来を予見させるものでもあるんだ」

 

カエル「文学作品とリンクしているんだね」

主「『それから』もさ、この先がどうなるかわからない、含みを持って終わるんだよ。三部作だから『門』に続くとも考えられるけれど、別に違う未来だってあるかもしれない。三千代と一緒になって、家族や平岡とも縁を戻す未来もあれば、三千代も来ないで独りで孤独に暮らすこともあるかもしれない。

 でも、そんな可能性は一度捨て去った。

 そんな不道徳な関係は止めて、新しい道を選んだ。

 そういう作品なんだよ

 

 

 

 

3 演出面での印象

 

月の演出

 

カエル「それでいうと後半の演出の見所はどこになるの?」

主「まずはオリジナルパートだけれど、10話のスタートで月を見上げているシーンだね。

 もちろん、夏目漱石とのつながりで言えば『月を見上げる=I LOVE YOU』というのは非常に有名なエピソードでもある。それも重要だけれど、ここではスマホの写真にうまく映らないということを取り上げたい。

 つまりさ、あきらの恋心は見上げてはいるけれど、それがうまく写真に収めることができない=恋をうまく形にすることができない、ということを表している。

 また、この先の展開もちょっと予見させるよね」

 

カエル「その後でクローバーとツバメという幸運の象徴である栞を手に入れるし『雨もあたらぬ場所は陽もあたらぬ場所』という名言も飛び出しているね」

 

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窓の外の光

 

主「そしてもう1つの注目が11話で親友の喜屋武がファミレスに来て、戻ってくるように説得をするじゃない?

 あのシーンではそれまでどんよりとした曇り空だったのに、一気に晴れ渡るように明るい画面になっている。

 これは1話と対になっているんだよ。

 1話の時点で足の怪我でどんよりとしたファミレスの店内にいたのに、店長のマジックのおかげもあって一気に光が差し込んだ。ここであきらは新しい希望を見つけたんだよね。

 で、このシーンはそれと同じで……それまでの恋心もあるけれど、また戻る道もあってしかも期待してくれる仲間もいる。

 そんな道を発見したシーンでもあるね」

 

カエル「シリーズだとちょっと見逃しがちだけれど、対になったいい演出だったよね」

主「原作もそうだけれどさ、お客さんの忘れ物を渡すため走って追いかけない。これはあきらの迷いを表しているよね。

 このように、様々な見所があって原作の要素を見事に取り入れつつも、新しい魅力や再構成を発揮した見事な作品である。

 特に文学との関連性は見事の一言。

 この部分に関しては原作に足りない要素をさらに強化したと言えるんじゃないかな?」

カエル「恋愛系テレビアニメシリーズの中でも、中々の良作になったね」

 

 

 

 

最後に

 

カエル「では、最後になりますが……ちひろが語っていた『先が見えないからワクワクすんだよ』とかも含めて、とても名言が多い作品でもあったね」

主「それこそ名言集とか、印象に残った言葉を書き出すだけで1記事できるんじゃないかな?

 原作ももちろん、脚本も取捨選択が見事だっということができるだろう。今季もそこまで観れていないけれど、良作揃いの豊作シーズンにふさわしい作品だったと思うし、ノイタミナらしい明日への活力も生まれてくる作品だった。

 実写映画もこの波に乗れるのか……期待したいね」

 

 

カエル「これだけ褒めちゃうと実写映画のハードルは高そうだなぁ」

主「あんまり酷評するような作品にならないことを祈りつつ、この記事を終えるとします!」

 

 

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