カエルくん(以下カエル)
「えー、今回は急遽予定を変更しまして、こちらの話題について語っていきたいと思います」
ブログ主(以下主)
「観たい映画もたくさんあるんだけれどなぁ……
飯田橋で上映している『しゃぼん玉』とか、あとはナチスドイツ関連だと『ハイドリヒを撃て!』とか『少女ファニーと運命の旅』などなど……何でこんなに観ても観ても次から湧いてくるのだろうか? という思いだね」
カエル「しかも家には借りたレンタルDVDもたまっているしねぇ」
主「旧作を見るタイミングもほとんどないし……
ブログのネタだってないわけではないんだよ? ただ怠惰なだけで!」
カエル「本来であれば『映画は高齢者をどう描くのか』をテーマに記事を書くところでしたが、今話題のネタをテーマに書いていこうと思います」
主「CMについて語るのはさすがに初めてだよ!
しかもこの炎上案件に首をつっこむなんて……恐ろしい……」
カエル「……本当はそう思ってないでしょ?」
主「では記事を始めます!」
1 牛乳石鹸のCM騒動とは?
カエル「では、まずはこの騒動を知らない人のために、説明から入ろうか」
主「牛乳石鹸がWEB広告にて宣伝しているんだけれど、これが大炎上しているというもので……実際は炎上というよりも、賛否両論巻き起こっているというのが正しいところなのかな?
じゃあ、一体何が問題なのかというと……まずはこちらのリンクからCMを観て欲しい」
牛乳石鹸 WEBムービー「与えるもの」篇 フルVer. - YouTube
カエル「なんというか……邦画的なCMだよね」
主「西川美和とか是枝裕和、黒沢清あたりが撮影しそうなタイプのCMだよね。
このCMが炎上しているけれど、中には『気持ち悪い』『サイコパス』などの文字が並んでいる。
これはちょっとわからないでもない。新井浩文の演技がまたうまいからさ、絶妙なものになっていて、様々なものを連想させるようにできているわけだ。
もうタイトルで語っているからはっきり言うけれど、このCMこそが『映像表現』だよ!」
カエル「う〜ん……でも、1つだけ言えるのはこれだけ何かを訴えかける力を持ったWEBCMであることは間違いないわけで……ほとんどのCMは話題になることなく姿を消していくわけだから、その意味では効果はあったと言えるのだろうけれど……」
主「炎上商法を狙ったわけでもないだろうけれど、このCMが炎上してしまうというのが今の日本の風土を物語っているわけだ。
このCMがいかに素晴らしいのかということを、これから訥々と語っていくよ!」
カエル「……炎上しないようにね」
『間』の美学
カエル「これはいい映画の条件としてよく語っていることだよね。
重要なのは『間』であり、日本は間の美学に溢れているという話」
主「例えば、小説などを読むときは『行間』を読み取れと言われる。これももちろん行と行の空白を読めという意味ではなく、その間にある登場人物の思いであったり、作者のメッセージなどを汲み取りなさいということである。
他にも『人間』『時間』『空間』などというように、間というのはどこにでも存在している。
そしてこの『間』がないものを『間抜け』と呼ぶわけだ」
カエル「つまり『人』を描くだけでなくて、人と人の間にあるもの……例えば感情であったり、関係性であったり、いろいろなものを汲み取ってそれを描くというのが『人間を描く』という意味だということだね」
主「このCMにはその『間』がすごく多い。
ただ、残念なことに現代の映像表現というのはその間を奪い、代わりに説明を入れてしまうわけだ。それはどういう意味なのかを台詞などを使って全て説明してしまう。だからこそ……誰にでもわかる話だけれど、それが『間抜け』な物語になってしまいがちなわけだ。
重松清のとんびという本にこんなセリフがある。
『見えるものを見るのはサルでもできる。見えんもんを見ようとするのが人間様じゃ』
このCMは、その『見えんもん』がたくさんあるんだよ」
- 作者: 重松清
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新井浩文の所作
カエル「では、それってどういうところにあるの?」
主「まずは最初のバスの中のシーンだよね。明らかにお父さんは不安そうな、呆然とした表情をしている。その理由はなぜかというと『帰りにケーキをお願い』と頼まれたからだ。
ここで2つの見方があると思うけれど……ここでお父さんはそれを嫌がっていると思うのも、まあ解釈としてはアリだと思う。
だけれど、自分はここで『息子の誕生日を忘れていた』という意味だと受け取った。そんな大事なことも忘れてしまったことに愕然としているわけだね」
カエル「いろいろな解釈があると思うけれど……」
主「で、そのあとに会社ではミスを怒られている後輩がいる。連絡ミスだけれど、おそらくその後輩も連絡を忘れていたんだよ。同じように『忘れてしまった』という共通点があるからこそ、やはり気になってしまうわけだ。
父親とキャッチボールができなかった自分の過去を思い出している。そして、いつしか自分もあの頃の父親と同じことをしているような気がしている」
カエル「でも台詞では『あの頃の父親とはかけ離れた自分がいる』って……」
主「優しいパパとして生活することに疲れてしまっているわけだね。
そのあとでミスをした後輩のために一緒に飲みに行くわけだ。それだって大事な先輩社員の仕事でもある。だけれど、ここでお父さんは息子の誕生日のことを覚えているけれど、どうしようかすごく迷ってしまうわけだね。それが『う〜ん……大丈夫』の一言に出ている。
そして家に帰ると案の定怒られてしまうわけ。そんなやり取りも疲れてしまって、『風呂に入ってくる』となる。
お風呂場で色々と考えるんだよね。そしてそこで『親父の背中はでかかった』となるわけだ。つまりキャッチボールはしてくれなかったけれど、代わりに一緒にお風呂に入ったりはしてくれた。そういう父親だったな、と思い返している。
じゃあ、自分はどうなんだろう? というCMだよ」
2 このCMが示す世相
カエル「なんでそこまでこのCMを高く評価しているのよ?」
主「近年は女性の社会進出が盛んになっている。それに伴ってイクメンなどの家族を大切にするお父さん像が現代の理想になっているわけだ。それ自体は確かに正しいことなんだよ。
現代において女性解放運動、男女共同参画社会運動は確かに少しずつだけれど、浸透してきている。
だけれど、じゃあ男性はどうすればいいの? という問題があるわけ」
カエル「ゴミを捨てる、家族を大事にする、そのどちらも当たり前のことではあるけれど……」
主「でもさ、依然として男性は仕事でバリバリ働いてお金をたくさん稼いでくるという役割があるわけじゃない? 男性の育児休暇も取りづらい現状があって、仕事と家事や育児との両立は現実問題として厳しいところがある。
女性の社会進出に伴って男性の家庭進出は当然の流れだとは、自分も思う。
だけれど、じゃあ男性の家庭進出に伴って出てくる、その男性の負担増はどうすればいいの? という話で。
その分仕事を軽くするの?
そんなことできるのだろうか?
家族がいるから余計に出世や査定に響かないように……最悪の事態、リストラもされないように頑張らなくてはいけない中で、さらに家事をこなせるようなスーパーマンに誰もかれもがなれるわけじゃない」
カエル「昔、テレビみたけれど『お父さんが家でゴロゴロしているのが嫌です』という投稿にマツコデラックスが怒っていたね。お父さんは家でゴロゴロしちゃいけないの? って」
主「仕事に対する疲労も多い。ましてや現代はどこも定時で帰れるような職場ばかりじゃなくて……むしろ残業が当たり前という職場の方が圧倒的に多いでしょう。年休、有給も取りづらい職場もある。その中で、疲れて帰ってきて、さらに育児や家事も手伝うというのも簡単なことではない。
それを女性はやっているんだ! という意見もごもっともだけれど……もっと根本的なところが問題になっているとも思うんだよ。本来であれば、親と同居して家事をしてもらうとかさ、そういうことも選択肢に入ってくるといいんだけれど……それも難しいというのが現状でしょう」
男性はどうあるべきなのか?
カエル「今の社会で求められているのは、実は男性解放運動なのではないか? とは以前もどこかで語っていたよね」
主「現代って、理想の男性像がない気がするんだよ。理想のお父さんって一体誰なんだろう?」
カエル「関根勤とか所ジョージとかになってくるのかな? 家庭円満のイメージもあるし」
主「ああいう風に肩の力を抜いて生活できればいいけれどねぇ。それすらもなかなか難しいのが現状だし。
そういった社会ムードがある中で、男性たちも『イクメン』や『家族を大事に』という大号令に疲れている現状がある。
勘違いしないように、はっきりとこれは言わせてもらうけれど『イクメン』などについては正しいんだよ。男性の家事進出も、家族を大事にしようとう言葉も絶対的に正しい。
だけれど、正しいからこそそれは男性たち、お父さんたちを追い詰めていく。逃げ場のない正論って諸刃の剣である。いつも言うけれど『正しい』のムードの元で日本人は大号令をかけて、その社会的空気を形成していくの。そのムードの中では反対意見はフルボッコにされてしまうし、社会的制裁も受けてしまう可能性もある」
カエル「それでも歯を食いしばって頑張っていかないといけないんだね……」
主「その頑張らなければいけない、というムードを……困難を乗り越えなければいけないという空気にはっきりと『そうだろうか?』と突きつけた映画が今年公開した。
『マンチェスター・バイ・ザ・シー』だよ。
この作品はあるトラウマを抱えた男の物語だけれど、すごく優しいんだ。トラウマはトラウマのまま残っていてもいいし、苦難は乗り越えなければいけないことでもない。そういうことをしっかりと描いている。
マッチョな男性が支持されるアメリカでも、こういうマッチョではない、アンニュイな男性が描かれたということは、すごく意味があることだと思うね」
最後に
カエル「このCMのラストについてはどう解釈するの?」
主「これがうまいよなぁ……あの不安を抱えているとも、安心感を抱いているとも受け取れる表情がさ。
このCMは新井浩文の演技力が1番素晴らしいのは当然のことだけれど……自分はなんだか安心感を抱いているように見えた。ああ、救われたんだなぁ、という印象。
お父さんとして肩肘張って家族サービスをしなくても、それでも父親からは何か継承されるものがある。その何かに……このCMではお風呂場での父親の背中を思い出すことによって、彼は救われたんだろう」
カエル「このCMって背中がすごくいいよね。
家を出て行く父の背中、走る現代の新井浩文の背中、そして最後の背中を洗いながす姿……父親の背中ってやっぱり、大きな意味合いがあるね」
主「そういうことをサラリと会話を少なくして映像表現として描ききり、しかも『お風呂』という牛乳石鹸の商品に直結するシーンを描きながらも、それが全く無理がない。しかも社会的メッセージ性もあって……これは驚異的じゃない?
多分、牛乳石鹸の担当者も今夏休み中だろうけれど、このCMを削除しないでほしいなぁ。このCMを作った人も知りたい。相当腕がある人じゃないと、こういうのは撮れないんじゃないの?」
カエル「……やろうと思えば黒沢清ばりのおどろおどろしいCMや作品も撮れるんじゃないかな? ネット上だと結構そういう声もあるよね」
主「映像の強度というのかな? それは相当なものがあると思う。
とにかく、自分は絶賛です。いいCMが見れたなぁ」