カエルくん(以下カエル)
「今回は海外アニメ映画の新作について語るけれど、この作品はハリウッド制作ではないんだね。
公式サイトをのぞくと、カナダとフランスの合作とあるけれど……」
ブログ主(以下主)
「『最強の2人』のスタッフ陣が贈る……とあるから、フランスなんだろうな。あれもフランス映画だったし」
カエル「ちなみに、関係ないけれど『最強の2人』はみたの?」
主「見たよ。劇場では見なくて、DVDで自宅で見たから印象はちょっと違うかもしれないけれど……まあ、うん、良作ではあるよね。
たださ、望んでいたものとは違ったかな。貧困や人種の壁などを超えて……というのが、どうにも教育的すぎるような気はした。だけど低い評価をつける人はいないだろうなぁって映画」
カエル「時々いう映画レビューサイトで評価の高い映画の条件に挙げる『8割以上の人が星4つ以上をつける映画』だね」
主「悪口になりそうだけれど、そういう映画を作るのも難しいのよ? ただ、個人的には人生の1作! というレベルではなかったかなぁ。
今作の制作陣も『最強の2人のスタッフが!』という宣伝をしているけれど、これがどれだけ意味があるんだろうね?
だってさ、見る層が全然違うじゃない」
カエル「『最強の2人』は白人で車いすの介護生活を送る白人男性と、貧乏な地区に暮らす黒人男性の物語だからね。さらに実写とアニメだから……ファン層は全然違うよね」
主「調べてみたらさ、全然監督やスタッフの作品がわからなくて……日本だとあまり話題になっていないのか、それとも自分が知らないだけなのかはわからないけれど、確かに『最強の2人』以外はほとんどわからなかった。
一応、声優にエル・ファニングを使っているというのを押していたけれど、キャスト以外宣伝材料があまりない映画なのかもね」
カエル「その割には結構大規模に公開しているよね。100館は超えているし、しかも1度見に行った日には満席で入場できなかったし」
主「子供向けアニメの夏休みの強さを思い知ったよ。しかも『カーズ』とかあったけれど、意外と『女の子向けアニメ映画』って公開されていないみたいだから、それもあるのかもね」
カエル「見事に需要に応えた形になったのかもね。じゃあ、感想記事を始めるよ」
1 感想
カエル「ではまずいつも通りに、Twitterでの短評をアップします」
#フェリシーと夢のトウシューズ
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2017年8月16日
粗もあるけれどそれを補ってあまりある、中々のアニメーションだったのでは?
演出も凝っていたし、一部キャラクターはあれだけど魅力に溢れていた
子供向けアニメーションとしてもオススメできるんじゃないかな?
主「基本的には賛だね。
この映画は89分と子供向けを意識していて、少し短めに作られている。これによってテンポよく物語が展開されていくわけだ。
ただ、その代わりに本来あってもおかしくないシーン……例えばキャラクターの深掘りとかはカットされているし、ちょっと唐突に思える展開もある。強引だったり、ご都合な部分もあることは否めない。
減点法でいけばそれなりにマイナスされてしまうだろう」
カエル「加点法で考えるか、減点法で考えるかって重要な問題だよね……」
主「だけれど、加点法で考えると結構な高得点を獲得すると思う。
今作はバレリーナを題材にした映画だけれど、ちゃんとバレエで作劇を行う理由もできていたし、演出的にも相当凝っているなぁ、という印象を抱いた。もちろん音楽に合わせて踊るシーンもなかなか良かったし、キャラクター性も抜群に良かった。
カナダ・フランスの合作ということでハリウッドにも負けないCGアニメがこうやって出てきたのも嬉しいし、この映画ならではの表現も色々と見受けられたかな。
いい映画だと思うよ」
ちょっとだけ下町感の漂うフェリシーの魅力が本作を盛り上げる
CG技術について
カエル「本作の作画的魅力というとどういうところにあるの?」
主「世界観の大きさなどはやはりディズニー・ピクサーの方が大きいよなぁ、という印象を抱いた。高いところから見下ろす街並みなどはかなりいいけれど、どうしても作り込み具合はディズニー・ピクサーの方がいい印象を受ける。
ただ、本作はキャラクターの表情の演技がすごくいいんだよね」
カエル「CGというと少し作画的な演技は表情が硬い印象があるけれど……」
主「例えば涙を流したり、?マークを頭を出したりするというのは記号的表現として感情を表すのにすごくやりやすい。漫画や、アニメでもギャグ描写ではよく用いられる表現だよね。
これは表情で感情表現を行うのが難しい場合に、補助的に記号でわかりやすく表現しているわけだ。
他にもアニメでは『聲の形』のようにあえて顔を映さないという手法もある。これによって演出的にも深みが出るし、色々な想像する余地を与えてくれる」
カエル「でも本作はそういった記号的な表現もなかったし、しっかりと表情を見せながら演技をしていたけれど……」
主「ほんのちょっとした表情の揺らめきなどで、その状況のキャラクターがどのような心情なのか表しているんだよ。
本作は粗もあるよ。語られていない部分も多い。だけれど、それをカバーするように表情の作画が丁寧で、わずかな思いの揺らぎや安心感なども伝わりようにできている。
感情表現はそこまでオーバーなものでもないんだけれど……もっとオーバーな作品もあるけれど、CGでここまで高質感を与えずに感情表現をしっかりできることに驚いたね」
カエル「あと好きなシーンというと、中盤に入るあたりにある止め絵のシーンかなぁ」
主「ちょっとギャグシーンでもあるけれど、そのシーンであえて止めて魅せるという選択をしたこと自体も素晴らしいけれど、その絵の奥行き……物語性とでもいうかな、それが素晴らしく良かった。
こういう見せ方もあるんだなぁ、と勉強になったよ」
ヴィクターもまた、本作を盛り上げる重要な登場人物
キャストについて
カエル「では吹き替え版のキャストについて語っていこうか」
主「う〜ん……自分は字幕版で見たかった」
カエル「え〜? そんなに悪くはないよ?」
主「いや、そうじゃなくてさ。演技とか声優とかそういう以前の根本的な問題。
本作はバレエのシーンなどには音楽が用いられるわけだけれど、それが当たり前だけれど洋楽なんだよね。これはしょうがない部分でもあるけれど……それまでの日本語で語られていたフェリシーの声や物語と、この洋楽の音楽が合っていないような気がした。
それだけ音楽がすごくいいの」
カエル「サントラも欲しくなるほど良かったよね」
主「その洋楽の良さと日本語の演技がミスマッチだったような気がする。馴染みがあるものと、そうじゃないものの差が大きかったというか……」
カエル「直前に押井さんの記事を読んだこともあって、余計に意識しちゃったかもね。『日本語と英語の違いの方が声優や役者などの問題よりも大きい』って奴」
主「実際その通りだからね。吹き替え版と字幕版で印象が全く違うというのは当たり前だし、映画ファンなら吹き替えは邪道! という考え方も根強いし。それはもう根本的な問題だからしょうがない」
カエル「それは一旦置いておいて、声優について語ろうか」
主「フェリシー役の土屋太鳳は思っていたよりも良かった。相手役が花江夏樹などの人気声優だけれど、相手にしても劣っているとは思わなかった。
あとは芸能人声優では夏木マリがすごく良かったね。
悪役の女性の役だけれど、この手の役をやらせると見事。さすがは夏木マリだと思った。
ちょっと怪しかったのは……黒木瞳かなぁ。厳しくもあり、優しくもありという難しい役だったけれどね」
カエル「今回の配役ではバレエダンサーの熊川哲也を起用するなど、結構こだわっている印象があるよね」
主「熊川哲也も演技自体は怪しいところがあるけれど、でもバレエの先生という役での起用は確かに納得のいくものだった。声優と役の一致という意味では今作はレベル高いよね。
土屋太鳳もバレエなどの舞踊関連を多く経験しているし、黒木瞳も当然舞台出身の女優だし。花江夏樹はああいう純朴な少年役が多くてそれがハマる役だったし、あとは落合福嗣なども役と本人の個性が一致していたと思うよ」
カエル「海外版もエル・ファニングが主人公の声優を務めているけれど、最近『田舎町の娘が一流に上り詰める』という作品にも出ているよね
『ネオン・デーモン』とか」
主「テイストが180度違う気がする……
声優に関しては字幕版も吹き替え版もかなり意識しているんじゃないかな?
余談だけれどモブで人気アイドル声優の佐倉綾音が演じているけれど『あ、佐倉綾音だ』とわかってしまった時はちょっと愕然としたなぁ……」
カエル「……なんで愕然としているのかもよくわからないけれど、次行こう!」
以下ネタバレあり
2 序盤について
カエル「では、ここからはネタバレありで語っていこうとしようか」
主「まず、序盤については文句がほとんどなかったかな。
今作はメタファーもたくさん散りばめられていて、それが1番発揮されたのが序盤だったように思う。
もちろん最初でフェリシーとヴィクターのキャラクター性を説明したり、ダンスやそれぞれの夢であったり、ドタバタ劇で迫力のあるシーンを入れて観客を魅了したことも評価が高いよ」
カエル「観客を飽きさせないためのドタバタなどの工夫が多かったということだね」
主「自分が本作に引き込まれたのは、螺旋階段を登るシーンなんだよね。
自分はアニメーターじゃないし、絵も描けないからあれだけれど……螺旋階段って相当難しいらしんだよ。奥行きを見せなければいけないしさ。本作ではカメラを上に登らせていくことによって奥行きを出していたけれど……なんでわざわざ面倒くさい螺旋階段を登らせたと思う?」
カエル「え? まあ、階段なら普通の階段でもいいし、逃げるのも屋上に行く必要はないもんね……
やはり作画的な派手さとか?」
主「もちろんそれもある。
だけれど、この作品は『螺旋階段を登る』というのが非常に重要で……それはまだうまく回転しながら飛ぶことのできないフェリシー達が、それでも夢に向かって一直線に走っていくことを意味している。
演出技法の基本として階段を登るというのは希望のある、夢に向かって走るというプラスの意味合いが強い演出なんだよ。
そこを螺旋階段にすることによって、バレリーナの回転しながら上に跳ぶことも意識しているわけだ」
カエル「きれいに、そして高く跳ぼうとする意思かぁ……」
このシーンも『飛ぶ(跳ぶ)』ということを意識した部分の1つ
映画を象徴する『鳥』
主「そのメタファーを最も強く出しているのが鳥であって……最初がニワトリ、その次が鳩に変化している。
これは最初のニワトリの段階において、彼らが『飛ぼうとしても飛べない』ということを意味しているわけだ」
カエル「だから空を飛ぶことなく落ちていったわけだね……」
主「その後にパリにたどり着いた時『鳩の都でもあるね』というセリフがあるけれど、この鳩というのは空を飛ぶことができる……つまり『夢を叶えた人(夢追い人)の都』でもあるという意味がある。
そう考えるとフェリシーの特訓シーンで鳩が見守っているというというのも、象徴的でしょ? 鳥が夢への希望だとしたら、その特訓の先に夢への希望があるということだ。」
カエル「ふむふむ……」
主「他にもあの学園1の男子生徒がダチョウの話をするけれど、ダチョウは羽が美しくて優雅な鳥なんだよね。だからこそあの場においてダチョウの話をしている。
裏を読めばさ、ダチョウは後ろから見るとそこまで美しい鳥ではない。美しいのは表面だけ……表だけなんだよ。だからこそ、見せかけの美しさを象徴するような存在としても受け取れるわけだ」
カエル「鳥1つとっても色々なメタファーに溢れているんだね」
主「他にもヴィクターの夢が発明家だけれど、従事している仕事が凱旋門の建設であったり、自由の女神の建造である。これはどちらも『高い仕事』だよね。彼の夢の大きさ、その志の高さを表している。
そして空を飛ぶというのもフェリシーのバレリーナと……飛ぶと跳ぶの2種類の跳躍について表しているわけだ。
これは相当考え抜かれた演出だと思うよ」
3 一方の欠点として……
カエル「だけれど、減点法で見ると色々と思うところがあるんだよね?」
主「そうね。
やはり1番目につくのがカミーユのキャラクター性で……別に彼女ってそこまで悪い子ではないと思うんだよ。夢に向かって努力しているし、コネを使うけれど自分に与えられた環境を最大限に発揮しようとしている。自分は結構好感を持ったね。
だけれど、序盤で意地悪な行動をしてしまったり……やはり悪役としての役割を無理やり演じさせられているような印象を受けた」
カエル「カミーユのキャラクター性に関しては、やはり賛否があるみたいだね」
主「これはスポーツものの鉄則だと思うけれど、最高のライバルがいるからこそ最高の決闘になる。相手も本気で取り組んできて、最高の才能を持っているからこそ、その相手を倒した時の感動というのは大きくなる。
その意味ではこの作品はフェリシーのキャラクター性を確立することはできたけれど、ライバルであるカミーユのキャラクター性を確立することができていないと思う。それはカミーユだけではなくて、フェリシーサイドの学友たちもそう」
カエル「それができなかったわけではないと思うんだよね。ヴィクターサイドはすごくいいキャラクター描写ができていたし、マティーなんて出番はそれほど多くないのに魅力に溢れていて……」
主「もちろん、マティと違って体型などでキャラクター性をつけることはできないし、みんなバレリーナという意味では似通ったキャラクター性を持っていることも原因の1つかもしれないけれど……もう少しどうにかできなかったのかな? という思いはある。
これは時間を短くしてしまったことによる、どうしようもない欠点かなぁ。孤児院のおじさんの描き方などを見ても、短時間でキャラクターを魅せる能力はかなり高い作品なんだけれどね」
2人の決闘ももう少しどうにかできたのでは?
全体的に見て
カエル「だけれど、それもまた1つのスタイルなんじゃないかな?
この短い時間にまとめて、これだけの作品を作り上げてというのは、相当にレベルが高いと思うけれど……」
主「そうね。子供向けのアニメは……やはり100分前後がちょうどいい。というか、映画全部が2時間前後が1番いいと思う。
本作のように90分前後ってダレ場があまりないんだよ。ダレ場はダレ場で映画として重要なんだけれど、子供向け作品だと単なる退屈な場面になりかねない。これが2時間を超えてくると、大人でも退屈になってしまう」
カエル「テンポも良くて、ところどころ音楽とダンスの融合もあって、ギャグもあって、シリアスもあって……と考えると構成自体もなかなか良かったんじゃないかな?」
主「もっと盛りあげようはあったし、やり方もあったとは思う。だけれど、多分それは制作スタッフもわかっていたんじゃないかな?
ちょっと子供向けということでご都合主義や、悪役の設定だとか、フェリシーが急成長しすぎだということもあるんだけれど……それも含めてもいい作品だったよ」
カエル「結構深読みしようと思うといくらでもできるんだよね。
例えばオデットとル・オー夫人の関係性は過去に何があったのか? とかさ。それからオデットとフェリシーの関係とか。
だけど、そこを語らなかったのも時間の都合もあるだろうけれど、この作品はあくまでもフェリシーとヴィクターのお話であるということでも当然なのかな」
主「そこは語らざる味になっていると思うけれどね。
それからキーアイテムである母の形見のオルゴール? もヴィクターの助けがないと直らないという構成も良かった。これでこの2人の絆や関係性がすごく際立ったし、ヴィクターがいないといけないということの証明にもなっている。
なかなか面白いアニメーション映画だった」
最後に
カエル「ちょうど隣にいた女性がバレエをやっていたのか知らないけれど、ことある後にうなづいていたんだよね。
『苦しくなってからが成長の時!』というセリフには『マジ、そう……』って思わず言葉になっていたし。会場内の子供の笑い声などもあって、楽しい鑑賞時間だったね」
主「実は、個人的な事情もあって本作を直視することができなかったんだよ……」
カエル「え? 個人的な事情?」
主「この映画を観る前にさ『ダンサー セルゲイ・ボリーニン 世界一優雅な野獣』という天才バレリーナのドキュメンタリー映画を観ていたけれど……セルゲイも子供時代はこういう子供だったのかな?
いつかはフェリシー達もセルゲイのようになってしまうのだろうか? という思いになってしまって……」
カエル「……それはまた妙な映画のセレクションをしてしまったねぇ」
主「どちらもバレエを扱った映画でありながらも、その作り方は真逆だからこそ面白かったけれど……なんだか観ていて複雑な感情になってしまったなぁ」
カエル「いや、他の人から見れば何を言っているんだ? という気分でもあるけれどね」