今回はガルパン最終章、第3話の感想記事となります
途中ということもあって、そこまで濃い記事にはならんということは言っておこうかの
カエルくん(以下カエル)
「結構、こういった続きものの記事は難しいんだよねぇ」
亀爺(以下亀)
「その意味では、以前と同じことを語っているかもしれんが……そこはご愛嬌として欲しいところじゃな」
カエル「それでは、早速ですが記事を始めましょう!」
感想
それでは、Twitterの短評からスタートです
3章観た
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2021年3月26日
相変わらずとんでもなく尖っているのにエンタメとして超一級品に面白いのはさすが
ただの萌え軍事モノかと思いきや、世界規模で見てもとても大切で大きなテーマを描いている気がしてくるのも凄い
ガルパンの真髄に触れるのはまだまだ先なんだろうなぁ
ガルパンはいいぞ〜
#garupan pic.twitter.com/70JiUl3xYY
相変わらず、ぶっ飛んだ作品じゃな
カエル「まだ作品として完結していないということもあって、語ることは少ないですが……相変わらずエンタメとして超一級品でとてつもなく面白い作品だ! ということは伝えておかないといけないね。
満足度は相当高い作品です!」
亀「よく『ガルパンはいいぞ』と言われるが、わしはまだまだこの作品の何がそこまで面白いのか、その真髄を全く理解し、解釈することができておらん。
ミリタリーにも全く興味がない、世界史も常識レベルしか知らん、戦車の違いなど何一つわからない……そんな人間でも面白いと思えるガルパンの秘密、それがなんなのか……それを探ることが、この作品への向き合い方となるのかもしれん。
その意味では、語ることを重視するわしには、かなり難解な作品と言えるかもしれん」
例えば脚本がいいとか、作画がすごいとか、そういう曖昧な言葉でしか語ることができないってこと?
それもあるが……とても挑戦的な作品じゃな
亀「ガルパンは、特に最終章に入ってから、その戦車道の戦いをメインに描いておる。
劇場版の後編もそうであったが、時には無音で戦車同士の戦いだけで、ぐいぐいと物語を引っ張っていく。わしは戦車の動きには詳しくないが、中には奇抜な、リアルなだけでない動きもあるという。
もちろん、わしのような戦車に興味がない人もいるじゃろう。中にはキャラクターにしか興味がない人もいる。
それでも、物語に引き込む……この力がとても驚異的ということじゃな」
カエル「今作のエンドクレジットを見ても、キャラクター数があまりにも多すぎてびっくりだよね……
もちろん、中にはモブキャラクターに近い存在の人もいるけれど、メインキャラと区別なく存在しているというか。
簡単にまとめると
- 映像を信用した圧倒的な戦闘描写(殺陣)
- 圧倒的に多いキャラクターたちの整理と掛け合い
この2点が驚異的ということだね」
亀「これはガルパンを知ると当たり前のようであるが、とても驚異的である。
ある意味では、大きな実験作品といっても過言ではないかもしれん。
そうじゃな……言うなれば”戦車をキャラクターとした”とでもいうかの」
戦車をキャラクターとしたガルパン
……戦車をキャラクターとした?
キャラクターの定義にもよるがの
カエル「確かに登場人物たちが乗って動き回るという意味では、個性がある存在なのかもしれないけれど……」
亀「例えば、ロボットアニメの場合……この場合はドラえもんなどのように明確な意思を持つロボットではなく、ガンダムなどのようなロボットを指すが、それらの魅力はデザインや戦い方ということになるのじゃろう。
本作はそれと同じように、既存の戦車がロボットアニメにおけるロボットと同じような扱いを受けているわけじゃな」
カエル「ふむふむ……」
亀「それに搭乗者となるキャラクターの意思によって、それらが明確な意図を持って動き回ることができておる。
そこにはみほを中心とした戦略、そしてそこにそれぞれの人間らしい感情が相まって、戦場を所狭しと駆け回る。確かに喋ることも、感情表現をすることもないが、それが意思や一つの明確な感情となることで、1つのキャラクターとして存在することができておる。
その意味では、この作品においては”戦車(無機物・表情などの表現を行わないもの)もキャラクターとなることができる”ということを、証明しているわけじゃな」
まあ、そう言われてみればそんなところなのかなぁ
それと、キャラクターに関しては”モブの不在化”を目指しているようにも思える
カエル「モブの不在化?」
亀「つまりは、メインキャラクターとモブキャラクターの境目をなくすことじゃな。
もちろん、いくら実在感があるといっても、アニメはメインキャラクターとモブキャラクターに分かれる。この作品で言えば主人公は西住みほであり、あんこうチームがメインとなるじゃろう。
各学園もリーダーを中心に、名前付きの注目人物は数人である。
しかし……この3章のラスト見てもわかるように、この最終章ではみほという存在がなくても、どのような行動を各キャラクターが取れるのか?
つまり”メインキャラクター不在の中で、他のキャラクターはいかに立ち回るのか”ということを目指しているようにも感じられる」
カエル「ふむふむ……他の作品ではモブキャラクターになってしまう仲間にも名前を与えることで、よりキャラクターとして明確な存在にしているのかな」
亀「モブキャラクターはあくまでもメインを引き立てるための存在であるが、今作の場合はほぼ全員に名前がある。
そこには明確な意思があり、意図があり、感情がある。
テレビシリーズでは、あくまでもみほの物語であった……劇場版もそうじゃな。
しかし、この最終章はみほ以外のキャラクターにも注目を与えるようになり、みほは……変な言葉に聞こえるかもしれんが”単なる主人公”になった。物語を動かす中心ではあるものの、その比重は減り、物語の絶対無ければいけない中心とまではいかないわけじゃな。
その結果、他のキャラクターにも注目がいく。
そしてそれがより広い世界観を描く、ということにもつながってくるわけじゃな」
"平和な戦争"を描く
そして最後に感じたのが、このパートです
すごくエンタメ寄りながらも、しっかりと社会性を感じる作品でもあるのは、このような描写があるからではないかの
カエル「これもまたすごく変な言葉だけれど……平和な戦争って感じだよね、ガルパンって」
亀「これはガルパンを見るたびに……いや、多くの作品を見るたびに思うのじゃが、大変不謹慎な発言になるが、戦争はエンタメとして楽しいのじゃよ。
平和を愛する人でも、兵器が大好きという人もいる。銃火器や戦車、戦闘機が好きな人が戦争が好きというわけではないのと同じようにの。
それでいうと、とても面白いのは……やはりBC自由学園が優雅に戦いの様子を観戦し、この3章では知波単とアンチィオが仲良く食事をするシーンじゃろう」
カエル「負けた高校が勝者を応援するという、スポーツマンシップに溢れた、とても美しい場面じゃない」
亀「だからすごいわけじゃな。
実弾を使う、そこに設定の粗を指摘する声もある。確かに、色々と破茶滅茶な設定もある作品ではあるの。
しかし、その影には現実の歴史を考えると、なかなか挑戦的な、面白い試みをしているわけじゃな。
それを如実には感じさせない。あくまでもエンタメに徹しながらも、それを匂わせるという作りがまた、この映画の面白さにつながってくるわけじゃろうな」