亀爺(以下亀)
「とうとう話題の芥川賞に手を出したか! もう少し早い段階で読んで、書評を書いても良かったのではないかの?」
ブログ主(以下主)
「……まあ、ね。そりゃ、ね」
亀「何か煮え切らないの? どうした、何かあったのかの?」
主「……元々さ、そんなに芥川賞に興味がないんだよね」
亀「何と!! 天下の芥川賞に文句があるというのか!」
主「文句ってほどでもないけれどさ、今回これを読んだのも友人と呑みに行く予定だったのね? それが仕事で上司に捕まったとかで、予定よりも遅れることになったのよ。それで暇だからさ、ブックオフに行ったら、この本が並べられていたから時間つぶしに読んでいたら、意外と読み終えてしまったというわけ。
だから村田沙耶香が語っていたけれど、『本(芥川賞作品)を読むぞ!!』なんて意気込みは全くなくて、『適当に、なんとなく』読んだ読者なの。
そういう人の意見も大事でしょ?」
亀「なるほどの……できれば買ってあげるべきじゃろうが、それでは書評を始めるとするかの」
1 面白いって何?
亀「では、いきなり核心に迫るがこの作品は『面白い』のか?」
主「……まあまあ『面白く』もあるし、『つまらない』作品でもあるよ」
亀「??? また天邪鬼かの?」
主「……純文学をそこまで好きじゃない理由にも繋がってくるんだけど、そもそもさ、純文学における『面白い』ってなによ?
それがさ『キャラクターがいい』とか、『驚きのある展開』ではないというのは、理解してもらえるかな?」
亀「そういった『物語の面白さ』ではないとするならば、では一体何が面白いんじゃ?」
主「純文学って何かと問われたら、個人的には『小説でしか出来ないことを追求する運動』と答えるけれどさ、じゃあそれって何よって話になる。それがさ、文体とか、テーマ性とかの話になってくるわけ。
少し前に書評家が番組に出て芥川賞の予想と作品解説をしていたんだけど、アナウンサーが作品のあらすじを紹介しているのね。数もあるからさ、これだけで時間を使うわけよ。その書評家はこう言った。
『スジなんて意味がないから、紹介するのやめたら?』
この言葉にアナウンサーは絶句したけれど、自分はこの書評家を支持する。だって意味ないから。あらすじとか、『物語性』とか、そういうのも求めるなら『直木賞』とか『本屋大賞』のような一般大衆向けの賞に目を向けるべきでさ、純文学の面白さってそこにはないの。
さっきあげたように純文学の定義を『小説でしかできないことの追求』とするならば、映画化とか、ドラマ化が成功した瞬間に純文学の意味がなくなってくる。」
『物語』と『小説』の面白さは違う
亀「……まあ、言い方はなんじゃが、そうかもしれんの」
主「映画だってさ、例えばゴダールなんて物語として面白いから巨匠って言われているわけではなくて、『映画でしか出来ない演出、カメラワーク』などを追求したから巨匠なんだよね。漫画なら……そうだな、西島大介あたりがそうじゃない? ガロ系作家とかさ。
面白ければいいと思うけれど、求める面白さの質が全く違うのね。
自分は小説に限らず、アニメも好きだし、漫画も映画も人一倍好きだよ。それはこのブログを見て貰えば納得すると思う。でもそれは『物語』的な面白さであって、『純文学』的な面白さはあまり求めていないんだよね。
亀「……アニメにおいては純文学のような……そうじゃな、純アニメ的な面白さを求めているような節もあるがの」
主「結局、好きな人じゃないとわからない表現ってあるからね。
同じ芥川賞でなら『abさんご』はその典型でさ、あれは物語性はないし、理解できる文章ではないけれど、でも『小説でしかできないこと』を追求している。最近流行した又吉直樹の『火花』も純文学としての評価が割れたのも、物語としては面白いけれど、文体などの『純文学らしい実験的精神がない』からだしね。三島賞を落ちたのもそれが原因だろうし」
亀「純文学はわかりづらいからの」
主「『文体』とかさ、『テーマ性』とか、そんなの言われても小説に読み慣れていない普通の読者は全くわからない。
それでわかりやすい物語性を求めるから、余計に『なんで評価されるんだろう?』って思いになるよ。
言っとくけれどさ、川端康成とか、志賀直哉とか、あの辺りの文豪って文章が綺麗とかの『小説の独自性』を含む要素は素晴らしいけれど、物語が面白いわけじゃないからね? 読書感想文とかで中、高校生に読ませようとするけれど、わかるわけがないと思う。よっぽど小説が読み慣れてからようやくわかる、面白みがあるんだよ。
もちろん、物語性と文章のうまさが両立している文豪もいるけれどね」
2 『面白い』けれど『つまらない』小説
亀「……主は小説となると辛口になる傾向があるとはいえ、中々突っ込んだ小タイトルじゃの」
主「何度か語っているけれど、小説って読者の感性に頼るところが大きいから賛否が分かれるよ。賛否が分かれるほどいい小説だし。
それで、この作品について語るとすると、ある意味では『普通』で『異常』な物語なんだよね」
亀「そこがややこしいから丁寧に話すとするかの」
主「つまりさ、この作品って登場人物たちは異常性があるのよ。物語の作り方として『異常な世界に正常な主人公』か、『正常な世界に異常な主人公』という構造が作りやすいと言われているけれど、この作品は明らかに後者だよね。
だから主人公は『とても異常』なんだよ。感情がないし、やりたいこともないし。
だけど、それを取り巻く世界は『とても普通』なわけだ。
自分は『普通』というのは、表現においては『無個性でつまらない』と思っているので、面白くもあり、つまらないと思う。
それが『面白いけれどつまらない』第1の理由」
亀「第1ということは他にもあるのかの?」
主「これは純文学だよ? そんな単純な話なわけないじゃない。
じゃあ『物語という箱』ないしは『小説という箱』から見ると、実はこの手の主人公像というのは、まあ、ままにある。もっとエキセントリックな主人公もいれば、もっと異常な世界を描く作家もいる。
例えば娯楽作家だけど『となり町戦争』などを書く三崎亜紀なんかは、異常な世界を書くよね。それが日常として乖離していないところに生々しさがあってさ、それが面白いけれど。
新人作家とベテラン作家を比べるのはよくないけれど、やっぱり小説としての『異常性』は低いように思えるな。
これが第2の理由」
直木賞作品の感想はこちら
普通であり、異常な『文体』
亀「さらにあるのか!?」
主「最後に文体の話なんだけど、個人的には特に特徴のない文章に感じた。
よく言えば軽くて読みやすい、悪く言えば個性のあまりない文章。その意味では『普通』なんだよ、もっと異常な作品もいくらでもあるからさ。
だけど、この作品って要は『普通って何よ?』っていう作品でしょ?
だからこの文体も狙って書いたのだとしたら、すごく意味がある。
この作品全体が『コンビニ』なんだよね。普通であることを教えてくれる、普通であることを強要してくれる。その『普通な世界』を『普通の文体』で書き上げたところに『異常な主人公』や作品に『異常な意味』が生じてくるんだよね。
わかるかな?」
亀「……わしはわかるが、伝わっているかの?」
主「そうね……例えば、ラーメンの品評会でさ、みんながとんこつラーメンだったり、味噌ラーメン、魚介系、つけ麺、油そばと色々な趣向のラーメンを発表している中で、ひとりだけ色も味も匂いも昔ながらの中華そば、普通のラーメンを出したとする。
その品評会ではその『普通のラーメン』は浮くよね? 『普通のラーメン』なのに、『異常なラーメン』に思えてくる。その先にあるのが『ラーメンとは何か?』という根源的な問いなんだよ。それと同じ
だからこの作品は根源的に『普通とは何か?』と語りかけてくる作品になっている。そこが面白いよね。
これが第3の理由」
亀「いつも食べ物で例えるの」
3 個人的疑問点
亀「しかし、それでいながらも『つまらない』と評するのじゃろ?」
主「文体論をそのまま使うのであれば、個人的にはもっとはっちゃけて欲しかったなぁ。例えばさ、コンビニを辞めた時に文体が少しずつ崩壊していき、そして最後においてまた戻るとかがあれば、演出効果としてすごく意義があると思う。
だけど、結局そのままの文体で最後までいったからさ、ここはもっと爆発させて欲しかった。そうすればもっと『面白い』作品になったと思うよ」
亀「村田沙耶香という作家が、この文体をいつも使っているのか、今回は意図的に変えたのかよくわからんからな」
主「それは過去作も読まなきゃわからない。
でも、この文体でいつも書いているのであれば、それを逆手に取ったうまい手法だと思う。思うけれど、冒険心が欲しかったかな」
亀「それだけかの?」
主「いや、それからさ、登場人物に関しても一言あるよ。
主人公は『普通がわからない異常な人間』として描かれている。家族からは異常な扱いを受けているけれど、それがコンビニバイトとして、社会的にまともに扱われているという点が面白みを生んでいる。
一方、もうひとりの相手役である男は『異常なんだけど普通の人間』として描かれている。クズだし、口だけだし、社会的に受け入れられない人間だけど『根っこは普通の人間』なんだよね。それはあのラストでもわかるし、ひとつひとつの反応でわかる。
このふたりが噛み合うと確かに『主人公の異常性』が際立つけれど、このキャラクター設定が……特に男のキャラクターは、小説という箱を考えた場合に割と普通な性格付けな気がするんだよね。
その辺りをもっと発展させて欲しかった。その意味では、まともすぎて『つまらないなぁ』と思っちゃったね」
まとめと個人的な感想
亀「それではこの作品のまとめとしては、このような構図になっているということでいいのじゃな」
異常な主人公⇔普通の社会
異常なキャラクター像⇔普通の物語
異常な小説⇔普通な文体
亀「簡単に言うと、上記のような対立を持つ構造になっておるが、それが効果的に使えているかというと少し疑問があるんじゃな」
主「そうね。
異常な主人公だからこそ普通の社会が際立ち
異常なキャラクター像であるが故に普通の物語になってしまっており
普通の文体だからこそ異常な小説になっている、という意味ね。あ、異常というのは褒め言葉よ。
そして、どうせならもっと異常にしてくれた方が、個人的には楽しめたかなというのが結論」
亀「では、これで論評は終了かの?」
主「あとさ、ひとつだけ言っておくと、多分この作品と自分の相性はすこぶる悪いと思うんだよね」
亀「……ほう、それはなぜじゃ?」
主「この作品は『普通である』ということを『良いこと』という前提のもとに成り立っている作品だよ。だから親も妹も普通であることを求めてくるし、主人公も普通の人になりたそうにしている。
だけど、自分は『普通の人生』とか、『普通の人間』に意味を求めてないんだよね。もっと面白いことがしたいし、面白いことを語る人が好きでさ、それは……暴力性が伴わなければ、異常な方が面白いとすら思う。
『馬鹿みたいなことがしたい』っていうじゃない? 馬鹿みたいなことって、普通という前提に逆らうことで成り立つことなんだよね。だから普通に意味を見出していないんだよ」
亀「最初に語ったように、主は天邪鬼じゃからな」
主「それもあるけれど、普通であるように求められたこともないし、普通に生きたいとも思ったことがない。結果的に普通の人生になっているけれどさ、それでいいの? と問われると嫌だし。
普通が好きならブログもこんな形にしないよ。もっと『面白かった〜!! 普通って何? って考えさせれる、深いテーマでした!』とか、当たり障りのない意見を書いて終わる。
大体、オタクなんてどうあがいても『普通』から遠い存在じゃん。
そんな人間に普通って何? って問いかけれられても、知らんがな、興味もないがなって話になるんだよね」
亀「……村田沙耶香はこんな読者に当たってしまったことを悲しむじゃろうな」
主「有名になるデメリットだよね」
最後に
亀「さて、コンビニ人間の書評も終えたし、次は直木賞作品でも書評をするかの?」
主「あれってそんなに長くないよね? できればまた、ブックオフの立ち読みで読破したいけれど」
亀「そこは買わんか!!」
主「買いたいのは当然なんだけど、今月出費が激しくて……ほら、違法行為でもないしさ、みんなやっていることだし、ね?」
亀「今、『みんながやっていること』『普通のこと』に興味がないと言ったばかりではないか!! 前言撤回が早すぎるわ!!」
主「それはそれ、これはこれ」
亀「ダブルスタンダードとは……ずるい大人になったのぉ……」
記事中で紹介した三崎亜紀の作品もあげておきます
トピック「コンビニ人間」について