ブログ主(以下主)
「今週も新作映画が公開されているわけだが……誰が映画を見張るのか……」
亀爺(以下亀)
「スキンヘッドの映画評論もするラッパーのような出だしじゃの。いよいよネタに困って盗作を始めたか」
主「ここまではただの挨拶だ! 盗作も何も、あの人が批評をする前にアップしているんだから、似ていたらむしろあっちが盗んでいるんだよ!」
亀「そんな馬鹿な話があるわけないがの。
今回は吉田大八の新作の話をするが、意外とこのブログは吉田大八の記事が比較的多めというの。新作映画が中心で旧作の記事をアップすることは少ないのじゃが、大八作品は『桐島、部活やめるってよ』と『紙の月』の2作の記事を書いておる」
主「偶然みたいなところはあるけれどね。特に紙の月は話題になったから見て、面白かったから記事にしたけれど、その時点では吉田大八であるという意識は全くしていなかったし。
後々調べてみてびっくりだよ。ああ、あれって桐島の監督なんだ、そりゃ面白いわな、って」
亀「メッセージのときに『監督名だけで映画館に行くレベル』という話もしたが、吉田大八もその中の1人かの?」
主「そうだね。あとはパッと思い浮かぶのが大根仁とか大友啓史とかになるのかなぁ、実写邦画だと」
亀「娯楽作品寄りの監督ばかりじゃの」
主「基本的に娯楽好きだしね。アニメだともっとたくさんいるけれど……
というわけで、注目を集めてる吉田大八の新作の感想記事をいってみようか」
1 ざっくりとした感想
亀「ではまずはざっくりとネタバレなしで感想を書いていくが……中々に難しい話であったの」
主「『他の映画とは違う』と言いたくなる映画はは毎月1、2作くらい出てくるんだけど……今月ならば『メッセージ』とかね、この映画もその中に入ってくると思う。
特定の宗教団体が映画を作る場合があるじゃない? 何も知らないでこの映画を見たり『新興宗教団体が製作したんだよ』って言われたら信じるかもしれない。それくらいカルトな作品であるのは間違いない」
亀「なかなか理解が難しい作品であるの。
これもよく言われることじゃが『見た人によって感想や考察が異なる映画』であるのは間違いないじゃろう」
主「観客による共通の評価ができないタイプの映画なんじゃないかな? 結局この映画は面白いんですか? と問われると、観てもらわないとわからない、という回答になる。
意地悪とかではなくて、本当にこの映画は見た人によって印象が変わるから。その意味ではオススメもできないけれど、観るべきじゃないよ! とも言えないなぁ」
亀「つまらないわけではないし、カルト的ではあっても深いものを感じさせる作品ではあるしの」
主「これがカルト映画やバカ映画だったらゲラゲラ笑ってはいおしまい、なんだけれど、本作はそうじゃない。バカバカしさ、リアリティの薄い、全く日常と関係ない描写の中に意味がある。だからこそ、本作は映画として成立している。
だけど、この作品を『クッソつまらん!』と言われてもそりゃそうだよな、と思うのも事実で……」
亀「人による、というのは全ての映画がそうであるかもしれんが、今作はその性質がさらに強くなったかもしれんの」
吉田監督作品の過去作レビューはこちら
原作について
亀「では、ここで三島由紀夫の原作について軽く触れておくとするかの」
主「三島由紀夫自体は説明不要だよね? 誰もが知っている大文豪であり、昭和を代表する作家である。
イメージとしては純文学を多く書いているから、この手のSFを書いていたということを初めて知った人もそれなりに多いんじゃないかな?」
亀「主は読んだことがあるのかの?」
主「家にはあるんだけどね……積ん読状態かなぁ。興味はあるけれど、この映画を機会に読もうかな? と思っているぐらい。
何せ、今『もやしもん』を読み返すのに忙しくて! 文字数が多いから結構時間を取られるんだよ、あの漫画」
亀「……その話は後にするとしようかの」
主「だけどちらっとパラパラ読んで、奥野健男の解説は読んだよ。奥野健男は太宰治、三島由紀夫の評論文を多く手がけた人で、大体太宰、三島関連の本だと名前を見かける印象がある。
自分は坂口安吾ファンだから、この2人よりも安吾について語っている評論家という印象があるけれどね。
で、その奥野健男の解説によると『純文学にSFを混ぜなければ表現できないことを描いた』と書かれていて……なるほどなぁ、と納得した」
亀「『純文学とは何か?』というのは難しい問題じゃが、SFなどは弾かれる印象があるの。
すごく簡単に言えば『人間らしさの追求』を純文学とするならば、SFやファンタジーというのは人間らしさというものとは外れた、空想上の物語である、と思う人が多いということでもある」
主「自然主義文学とは対極と言えるから、その意見はわかるよ。現代でも円城塔が芥川賞をとったけれど、SFを純文学と認めるか? というのは議論の余地があるようだし。
特に三島の時代では純文学作家がSFを書くというのは、お遊びぐらいにしか思われていないわけだ。だけど、三島は宇宙人の視点、SFの視点を入れないと描けない人間の業や根幹を描いた、というのが奥野健男の意見。なるほどなぁ、と思うし、それはこの映画にも共通するものかもしれない」
2 吉田大八監督作品として
亀「では、今作の監督である吉田大八について語るとするかの」
主「自分は先にも述べた通り『桐島、部活やめるってよ』と『紙の月』は記事にしているし……あとはほとんど覚えていないけれど『クヒオ大佐』は見た。
全てを見たわけではないけれど、でもこの映画は確かに吉田大八らしさというものがある作品だと思う」
亀「過去作と比べると少しハチャメチャなようでもあるが……」
主「でもさ、桐島も紙の月も結構ハチャメチャな演出などはあって、この作品が決して浮いているとは思わない。
吉田監督はいつも『退屈な日常からの変化』を描いてきた監督とも言えるわけだ。桐島であれば主人公格、みんなの人気者がいなくなって混乱する様子を描いてきたし、紙の月は主婦が不倫と銀行からの横領に走ってしまう様を描いている。
その『いつもの日常』を見せた後に事件が起きて『変化した非日常』を描くという意味では一貫している」
亀「吉田監督は今作に対して並々ならぬ熱意があり、この原作を映画化する際は自分が絶対やる! という強い決意があったようじゃな」
主「そうなんだろうね。監督のやる気がないと、今更三島由紀夫の、しかも代表作でもない異色作の映画化なんて言い出す人はいないだろうし。原作の発売は50年くらい前じゃない?
しかも人気があると言えないし。それを現代に蘇らせるというだけでも、相当好きじゃないとできないものだろうね」
キャストについて
亀「では、ここからはキャストについて語るとするかの。
主演は2016年最も活躍した俳優……と呼んでいいのかは微妙じゃが、存在感を発揮したリリー・フランキーじゃな」
主「当ブログが選んだ2016年助演男優賞に輝いたのがリリーさんで、もちろん自分も大好き!
最近では『SCOOP!』での誰よりも危ない浮浪者のような怪しいおじさんを好演し、さらに『聖の青春』では主人公の師匠役だったりと何かと目を引く独特な演技力を発揮している」
亀「胡散臭いおじさんなんじゃが、じゃからこそ本作に合っているとも言えるの」
主「その胡散臭さに加えて、うだつの上がらないつまらないおじさんなんだけれど、女性関係には手が早い、などのダメ男の魅力がたっぷりと詰まった人だからね。今作の主人公を演じられる人は他にいないんじゃないの?」
怪しさ満点の見事な演技! ……演技だよね?
亀「そしてその娘役には橋本愛が演じておるが……」
主「橋本愛大好きなんだよね!
画面に出てくるだけで歓喜というか!
今作は吉田大八作品だから、というのもあるけれど、リリーさんの演技と橋本愛が観たくて劇場へ急いだ! みたいなところはあるし!」
亀「吉田大八と橋本愛というと、やはり桐島がパッと思い浮かぶの」
主「桐島に出ていた役者はみんな好き、みたいなところはあるかも……神木隆之介、松岡茉優とか。
それはいいとして、桐島もミステリアスな美少女の役を演じていて、その演技で一気にここを射抜かれたね……本作も役所は似たようなもので、やはり美しいけれど一般人とずれた女子大生を演じている。
陽と陰でいうと陰の側の女優だろうけれど、その雰囲気にもあっている」
亀「最近じゃと『PARKS』は等身大の女子大生を演じており、そちらもなかなか良かったの」
主「演技の引き出しが多いとか、そんなうまさがあるとは思わないけれど、でも独特な雰囲気がたまらなく魅力的で……演技の上手い下手以上の独特の雰囲気を持つ女優だよね」
独特の美しさが合って大好きな女優の一人です!
亀「他の役者でいうと亀梨和也や中嶋朋子、佐々木蔵之介などが出演しおるが……」
主「その中だと佐々木蔵之介が抜群に良かった。
いろいろな顔をもつ上にミステリアスな役どころだけど、その存在感がこの映画を引き締めていた。
他の役者たちも違和感を与えるような部分は一切なくて、亀梨和也の……多分25歳くらいだけど一皮剥けていない感じとか、中嶋朋子の普通の主婦だけどだからこそああいうことにハマってしまうという俗っぽいところも良かったね。
役者に関しては文句なしでしょう」
以下作中言及あり
3 冒頭のカット
亀「ではここからは作中に言及しながら感想を書いていこうかの」
主「最初にこの映画がいいなぁ、と思ったのが、冒頭の食事会のシーン。ここって亀梨和也演じる一雄以外の家族は揃っているんだけど、でもやっぱりバラバラで……ということを示す部分でもある。
そのシーンにおいて1つの画面に3人を映すことをせず、1人1人バラバラに撮っているんだよね。このカメラワークで『家族がバラバラですよ』ということを示すのは中々良かったと思う」
亀「最近じゃと『たかが世界の終わり』においてドランがやっていた手法じゃの」
主「この演出1つで家族の関係性などもわかるし、映画的な演出になっていてわかりやすくて面白いよね。
そこで遅刻してくる一雄とか、電話に行くリリーフランキー演じる重一郎の姿も良かったし、主役がいないところでバースデーケーキが運ばれてしまうのも面白かった。
この冒頭で結構引き込まれたけれど……だからこそ、ちょっと不満もあって」
亀「不満?」
主「自分が気がついていないのかもしれないけれど、このうまさが後半に見られなかった。この冒頭で全てを吐き出したようでいて、あとは割と普通のカットが多かった印象かなぁ。
結構カメラの使い方なども冒険をしている映画のようにも思うけれど、それが効果的だな、と思う箇所は自分はなかったように思う。そこが少し残念」
亀「後半は会話劇がメインになってしまうから、仕方ない面もあるがの」
胡散臭くもあり、腹の底で何を考えているのか全くわからない佐々木蔵之介の演技は圧巻
水の考え方
亀「水? ここで語りたいのがあの水に関することなのか?」
主「あの水ってこの映画の中でも特に重要な意味を持っていると思うんだよ。
それはネットワークビジネス云々というだけではなくてさ……似非科学をどこまで信じるか、ということも含めての象徴的なアイテムだったんじゃないかな?」
亀「綺麗な水を飲むと、というのは現代ではすでに使い古されたようなネットワークビジネスの方法でもあるが……」
主「大体さ、美しい水ってなんだ? って話で。水として純度が高すぎると純粋な水は溶解度が高すぎるから体の必要なものまで溶かしてしまって、逆に腹痛などを起こすという話もあるのに……」
亀「実際はコップや口内に付着している不純物が溶けるから、そこまで溶解度は上がらないという話もあるがの。
それから『結晶が違う』という話も………10年くらい前かの? 少しだけ流行ったネタじゃの」
主「綺麗な言葉を浴びせると、水を凍らせた時に綺麗な結晶ができる。逆に汚い言葉ばかり使うと水の結晶も汚くなる、というトンデモ科学でさ。実際は凍らせる条件の違いなだけなのに、あたかも『言葉』によって変化するかのように見せかけている。
バカみたいに思うかもしれないけれど、こんなことを本当に信じる人がいたんだよ」
亀「現代でいうと『水素水』などが近いかもしれんの」
主「だけど、これってすごく重要なことを指し占めているんじゃないかな?」
4 それぞれの思想性
亀「ではここからが本作の核心に迫るということになるんじゃろうが……」
主「この作品で面白いのが『それぞれの考え方の差による現実感の有無』にある。言葉が難しいけれど……父の重一郎は自分を火星人だと信じていて、娘の暁子は金星人で処女受胎したと信じている。
それは確かにトンデモのように感じられるし、佐々木蔵之介演じる黒木も水星人などと言っていて、全く意味がわからない。
そこがコメディのようになっているけれど……」
亀「一方で母親の伊奈子はそんな家族のことは信じておらんし、一雄は自分が水星人であるということは信じておるような、疑っておるような、曖昧な態度をしておる。信じておっても奇行とまで言える行動は……起こしておらんのではないかの?」
主「あのエレベーターの説明が難しいけれどね。
重一郎が主に議題に上げるのが地球温暖化であり、今となってはあまり騒がれなくなって久しい話題だけど、結構色々と言われることが多いじゃない? 極端な人はもう引き返せないと言うし、さらにはただの地球規模の気候変動だから心配する必要はない、といういう人もいる」
亀「原発事故以降すっかり話題はそちらに変わり、地球温暖化については語られることはなくなったが、重要な問題ではあるの」
主「重一郎が言っていることって確かに大事なことであり、地球温暖化が問題だ! と言っている人からすると全部真実なのかもしれない。
だけど一般的な観客からすると、火星人だなんだと言い始めたから、その全ての言動が異常なものに見えてくる。
この価値観のブレを楽しむべき作品とも言える」
この2人の奇行が示すものとは?
金星人の変化
亀「ここでいう変化とは妊娠のことであるの。当初、暁子は妊娠を処女受胎であり、そういう行為は行われていないと思っておった。じゃが、地球人の母親はそんな馬鹿な話はないと産婦人科へと連れて行くわけじゃ」
主「ここでは『金星人は処女受胎をする』と思っていることも面白いけれど、やはり人間の価値観ではセックスをしないと子供は妊娠しないという、常識の差を描いているんだよね。
金星人と地球人という極端な差を作ることによって、子供の妊娠過程に対する意識の差を描き出した、とでも言おうかな?」
亀「結局は『男が寝ている間に乱暴したんだ』ということでみんな……観客も納得することになるがの」
主「だけど、ここって今思うと不思議で、重一郎がその象徴だけど、火星人や水星人などの他の星の人間の行動って地球人には奇異にしか見えないわけだ。そして重一郎は男には実際に会っておらず、地球人の発言を信じるしかなかった。
ということはだよ? 本当に男が金星人で、暁子も金星人で処女受胎をした可能性だって0じゃない。だけど、自分が火星人だと信じていた重一郎も、金星人だと信じていた暁子も簡単にその事実は忘れて『地球の常識』であるセックスによる妊娠を信じており、男は酷いやつだったと思っている」
亀「ふむ……ということは、妊娠の経緯は本当に金星人特有の性行為であるという可能性も?」
主「あると思う。
たくさんの女性に……というけれど、それが金星人の性交を地球人の常識に合うように解釈しただけかもしれない。
この映画って『何を信じるのか?』ということを問うていると思うんだよね。地球人の常識からすると火星人や水星人、金星人の言い分なんてちゃんちゃら可笑しいけれど、でもそれを信じる人からするとその理屈は正解なんだよ」
水が示すもの
亀「ではここで水の話に戻るとするかの」
主「その象徴が水であって……この水ってさ、明らかにネットワークビジネスだって観客はわかるし、騙されているけれど伊奈子は信じてしまう。だけど騙される理由も火星人などの話と比べると分かりやすい。
なぜならば伊奈子の過ちというのは『地球人の常識に合っている』からだ。こういうことは起こりうる、と常識的に知っている。
だけど金星人や火星人のお話を全く信じないのは『地球人の常識に合っていない』からである。こういうことは起こりえないと思っている」
亀「ネットワークビジネスは身近で遭遇する可能性があるが、処女受胎は遭遇する可能性がない、ということじゃな」
主「この映画を見ているとその常識が揺らぐ場面がある。
黒木と重一郎が会話をする場面があるけれど、ここって結構理解しやすいと思うんだよ。でも、彼らの大元の思想……火性人や水星人の思想であることは変化していない。地球人からすると突飛な話だけど、それがなぜだか常識的なものに感じてしまう。
多分これが『SFでないと表現できない人間らしさ』なんじゃないのかな?」
亀「その意識、常識の差異を描いた作品、ということかの」
最後に
亀「わしからすると地球温暖化にしたことによって少しぬるいお話になってしまったようにも思うの」
主「ぬるい?」
亀「原作は原爆などの核の脅威のお話じゃろ? だったら、この作品も原発などの核のお話にするべきじゃと思うんじゃがな。まあ、そこまで行くと観客の思想性に大きく左右されてしまい、冷静に受け止めてもらえない映画になるかもしれんか」
主「それは今の政治状況を見ても得策ではないかもね。特に直接的に原発などの賛否を問う映画になってしまうし。
あのスイッチも原爆の発射スイッチだけど、そうとはわからないように描いていたし」
亀「結構意識してマイルドにした結果なのかもしれんな。何せ50年以上前の原作じゃからの、現代にマッチするように改変するだけで大変じゃろう」
主「でもそこまで賛否が分かれた方が面白いかもしれないけれどね」