物語る亀

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物語愛好者の雑文

映画『光(2017 河瀬直美監督)』感想 知られざる音声ガイドの世界を描いた心に刻まれる1作

カエルくん(以下カエル)

「さて、実はこの映画を見に行った日は5作ほど映画を見たわけだけど……」

 

ブログ主(以下主)

「さすがに5作も映画を見るのはきつかったなぁ。時間の計算をして、移動も考慮しながらだから相当疲れちゃった」

 

カエル「お金は前売り券やポイントカードを駆使したりすればなんとかなるけれど、移動などの時間はどうしようもないからねぇ」

主「とは言っても1800円×5だとしても1万円いかないわけだし、ずっとパチンコしているよりは有意義だと思えばね。実際はそんなに使わないけれど」

カエル「この日見たのは洋画『夜に生きる』

アニメ映画『バイオハザード』

韓国映画『あの日、兄貴が灯した光』

香港映画『おじいちゃんはデブゴン』

そして邦画『光』とバラエティ豊かで……その中でもこの映画が邦画代表になったわけだけど

 

主「邦画も洋画も大規模公開か小規模公開かによって変わるけれど、この日みた映画はどれも日本では大規模とは言い難い公開規模で……本国での扱いはわからないけれど、だからこそ各国の違いがよく出ていた。ジャンルもいろいろだけどね。アクションからホラーから、統一感ないラインナップだな……

 どれも結構好きなタイプの作品だから見に行ってよかったよ

 

カエル「では、今回はその中の1作『光』について語るとしようか。

 感想記事のスタートです」

主「今回も長いです」

 

 

 

 

 

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(C)2017 “RADIANCE”FILM PARTNERS/KINOSHITA、COMME DES CINEMAS、Kumie

 

あらすじ

 

 視覚障害者のための映画の音声ガイドを制作している尾崎美佐子(水崎綾女)は弱視のカメラマン中村雅哉(永瀬正敏)と音声ガイドの意見交換の会で知り合う。厳しい言葉を送る中村に憤りを持つ尾崎であるが、ある日町を歩いていると中村がカメラを持って公園で子供を撮っている姿を見て印象が変わる。

 届け物をするために中村の家に向かった尾崎は、お茶を飲みに家に通されてそこで見た夕日の写真に心を奪われる……

 

 視覚障害者のための音声ガイドの制作過程を丹念に描きながら、表現とは何か? 映画とは何か? 人間とは何か? ということを訴えかけてくる1作

 


河瀬直美監督×永瀬正敏主演!映画『光』予告編

 

1 感想

 

カエル「ではまずは感想からだけど……」

主「上記の5作品の中で一番衝撃的な映画だった!

 というか、今年見た邦画の中でもトップクラスの映画で……河瀬直美監督は前作の『あん』が気になっていはいるけれど見ていなくて、実はこれが初めましてなんだけれど、もうかなりの衝撃で!

 終始涙が出ているような状態だったよ!

 

カエル「結構このブログでは『発達障害』とか『身体障害』を抱える映画が高評価を受ける印象があるんだけど、この映画も視覚障害が重要なテーマの映画だもんね」

主「実は酷評が多いのもこの手のジャンルなんだけれどねぇ。

 でもこの映画はそれだけではなくて実はこの映画は『映画とは何か?』ということも語っているし、さらに言えば『表現者とは何か?』ということも語っている。

 もしかしたら、自分がスッゴク刺さっただけであって、多くの人には『どうでもいいや』って思われてしまうタイプの映画かもしれない。

 だけど一部の人、特に『映画について語ること』を趣味でもやっている人にとっては、すごく刺さる映画で……とても重要な映画になってくると思う

 

カエル「結構アート的って言われがちなタイプの映画だよね」

主「う〜ん……『アート映画』って言葉自体が嫌いなんだけれどね。

 でもそう言いたくなる気持ちもわかるよ。この映画って今月公開の映画だと『マンチェスター・バイ・ザ・シー』と同じタイプの映画である。あの映画もケイシー・アフレックをはじめとした役者の名演技があって、多種多様な受け取り方ができるようにできている。

 映画の『間』が大きい映画で、それを卓越した脚本や演出で色々と語っていた。

 本作も似たようなもので、観客の想像力をフルに使うことを要求してくる。そのための『間』がとてつもなく大きい。

 大作邦画って『説明しすぎだよね』という不満を持つ人が多いだろうけれど、この映画はそんな不満を持つ人にスッゴク刺さるはず」

 

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主演の水崎綾女。彼女の悩みもわかる

(C)2017 “RADIANCE”FILM PARTNERS/KINOSHITA、COMME DES CINEMAS、Kumie

 

『目をつむって』鑑賞する

 

カエル「もしかしたら劇場映画で初かもしれないね。上映中に目をつむって映画を見たい、と思った作品は」

主「映画って当然のように映像と音で楽しむもので、自分は今の所健常者として生活できているから、音と映像を楽しみに行っていた。

 だけどこの映画は『目を瞑る』ことを促してくる映画でもある

カエル「特にガイドのシーンなどは聞いている人の顔のアップも多かったね」

 

主「この映画は音に対するこだわりがすごくて、雑踏の賑わい、木々のせせらぎ、虫や鳥の声、そのほか色々な音が詰め込まれている。それはこの映画のテーマと手法の一致だよね。

 ガイドのシーンなんて特にそうで、水崎綾女の声と言葉に耳をすませて、作中作として流れる藤竜也の演技などに思いを寄せる。すると映画とはまた違う景色が見えてくる。そうやって目をつむって鑑賞することで、新しい映画の楽しみ方も発見できる作品い仕上がっている」

 

カエル「顔のアップが多かったり、逆にセリフや音楽が少ないシーンが多かったなぁ」

主「これは『メッセージ』が絶賛公開中のヴィルヌーヴの『静かなる叫び』の記事でも語ったけれど……静かなる叫びという映画は白黒映画なのね。作られた時代は2008年なんだけどさ。

 そうやって情報量を制御することによって、役者の本来持つ……生きる吐息とか、力強さとか、性の息吹とかを感じられる作品に仕上がっている。

 で、今作もそれは同じ。色はあるけれどセリフや音楽を制御することによって俳優の顔、画面の中の光……この映画の主役でもあるよね、光は。それから先ほども挙げた小さな音……それらが大きな意味を持っている

 情報量を増す、というと説明的なセリフを入れるとかばかりに思い浮かべるけれど、むしろセリフや色を減らしたほうが情報量は増える場合も多い

カエル「色でいうと『マッドマックス 怒りのデス・ロード ブラック&クローム エディション(白黒バージョン)』が顕著かもね。2作あるから見比べてみると面白いよ」

 7

 

 

 

研ぎ澄まされた演技と演出

 

カエル「特に本作では役者の顔や演技が素晴らしいね。主演の永瀬正敏の演技とかはしびれるほどで!」

主「なんで顔のアップが多いのか、というとこの映画って音声ガイドをテーマにしていながら音声ガイド泣かせな映画でもある。その顔に刻まれたシワ、ヒゲや髪のうねり具合、わずかに開いた視線の先……そう言った全てに意味がある。

 だけどそれって言葉にならないんだよ! この奥深さが素晴らしい」

 

カエル「これって『マンチェスター・バイ・ザ・シー』でアカデミー主演男優賞を受賞したケーシー・アフレックの時も触れていたけれど」

主「多分日本の映画賞はこの映画を見なかったことにすると思うから自分が語るけれど、この映画の永瀬正敏をはじめとした役者陣の演技はハリウッドが絶賛した『マンチェスター・バイ・ザ・シー』並です。本当にうまい芝居って何か、よくわかる。

 もしかしたら今年の主演男優賞決定かもしれないね。この演技を超えるほどのものはそうそう出てこないよ」

カエル「……まあ、昨年このブログが選定した主演男優賞はかなりトリッキーなところに行ったけれどね。

 そんな無駄話はいいとして、今作はアドリブのようなシーンも光っていたなぁ

 

主「多分あのガイドの製作シーンと子供との交流のシーンはアドリブだと思う。ガイドのシーンにいた方も役者かどうかはわからないけれど、本当に視覚障害を抱えているようだったし。

 この映画は演技に入ったシーンがすごくわかりやすいんだよ。

『あ、ここから台本があるな』って。逆にそれがないシーンはアドリブ。もちろん、アドリブのシーンのほうが少ないけれど、でもガイドというのがどれほど真剣に作られているのか、その現場をしっかりと見せることでこちらにも伝わって来る作品に仕上がっている。

 すごく誠実な映画でもあるよ

 

 

 

2 音声ガイダンスを映画にするということ

 

カエル「では、いきなり本題に入るけれど……何がそんなに素晴らしいの?」

主「『映画を語る』というのはどういうことなのか? という問題でもあるんだよ。

 例えば自分は物語る亀というブログを書いている。その主な記事は映画やアニメの感想記事だ。映画感想ブログというのは映画ドットコムなどの大きいサイトとは別に、自分たちで好き勝手にその感想を語るわけだ

カエル「映画ドットコムなどならば多くの人が書き込んだり、評価した平均点が出るけれど、個人のブログだとその人の個性とかも出てくるよね」

 

主「ありがたいことになぜだかgoogleさんは自分のブログをある程度評価してくれているわけだけど……多くのアクセスは検索して適当にクリックしてやってくるわけだ。

 で、当然のお話だけど中には芳しくない評価の映画の記事を書くときもある。みんながバカにするような映画……例えば『進撃の巨人』などであれば、むしろどこがダメななのかをエンタメのように語るという手もある。もちろん、誰もが認める名作ならば褒め称えればそれでいい。

 だけど、ほとんどの映画はその中間、つまり『褒める人もいれば貶す人もいる映画』なんだよね

 

カエル「全部が全部名作、駄作と切り捨てられるわけじゃないし、趣味もあるしねぇ。例えば最近だと『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー リミックス』はファン評価がすごく高いけれど、このブログだと『面白いけれど、そこまで言うほどか?』という部分があるし」

主「それはもちろん逆に、本作のように『そんなに褒める!?』と思われかねない映画もあるわけだよ。

 でも映画感想ブログならそれでいいわけ。読者の評価と合わなかったら『こいつは何もわかってないなぁwww』で他のブログや記事を読めばいい。

 だけど、音声ガイドはそうはいかないんだよ

 

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視覚障害者の役を見事に演じきった永瀬正敏

(C)2017 “RADIANCE”FILM PARTNERS/KINOSHITA、COMME DES CINEMAS、Kumie

 

世界で1つの音声ガイド

 

カエル「確かに音声ガイドの世界って全く知らないから、誤解があったら申し訳ないけれど、基本的には1つの映画に対して1つの音声ガイドしかないと思うんだよね。

『このガイドが気にくわないから交代で!』なんていうことができない」

主「これって本当に怖いことで……自分たち感想ブログがどんなにデタラメを言っても、褒めてもバカにしても『まあ、それも個人の意見だろ?』の一言である程度片付けることができる。

 だけど音声ガイドはそれができないわけ!

 感想ブログや評価はいくつもあるけれど、ガイドは世界で1つしかない。そのガイドが基になって多くの人に映画が届けられるわけだから、必然的に映画の評価が決まってくる。

 これって海外文学の翻訳などもそうだけど、その作品の価値すらも左右しかねない問題なんだよ」

 

カエル「それも端的な言葉で表現しなければいけないし、誰にでもわかる言葉でないとガイドの意味がないし……」

主「だけどここで問題になってくるのが……これは映画感想もそうだけどさ、どこまで語るべきか? という問題なんだよ。

 1から10まであらすじを書いて、監督や役者のバックボーンを書いて、演出や脚本糸を全て紹介して……というブログもあれば、個人の感想をちょこちょこっと書いたブログもある。ブログならば好きなのを選べばいいってことになるけれど、じゃあ『どちらが正解なの?』ということなんだよ」

カエル「『あんまりネタバレしすぎちゃまずいよね』という人もいれば『全部ネタバレする方が読者のためだ』と考える人もいるわけだ」

 

主「著作権云々の問題もあるし、ネタバレ云々に関しては自分もそこまで大上段に振りかぶって偉そうに言えることではないけれど……ブログだったら好きな方を選べばいいってことになるのかな。

 だけど、ガイドだったら?

 『正解なんてない』という言葉が通用しない世界だよ。正解を見つけなければいけない。

 どこまで語るべきか、どこを観客の想像力に委ねるべきか……その境目をしっかりと見極めなければいけない」

 

 

 

 

3 言葉で説明するということ

 

カエル「これって『メッセージ』の時も語ったけれど、言葉ってみんなが思っているほど万能ではないということか」

主「これって普段生活しているとあまり気がつかないけれど、すごく当たり前だけど大事なことなんだよ。

 例えば『りんごが1つ机の上に置かれている』という言葉がある。

 じゃあそのりんごってどんな色? 赤なのか黄色なのか青いのか?

 机って何? ちゃぶ台、食卓、作業デスク、勉強机?

 そのりんごは切られているか、切られていないのか? 切られていたらどんな形なのか? 皮は剥いている?

 葉っぱはあるの? 虫食いはあるの? 形が綺麗なの、歪なの?」

 

カエル「実は『りんご』『机』というだけだと多くの情報がカットされている、という話だね」

主「言葉って実は人によってまったく違うものなんだよ。

 年齢、性別、生まれた環境、地域性、過ごしてきた状況……そういったことの1つ1つを細かく精査していくと、もしかしたら家族ですらも同じ言葉を使っていないんだ。

 自分は言葉で表現するブログという形式で自分の意見を発表しているけれど、実は受け手によっては180度違う感想を抱く可能性もある。

 だから自分は『誤読は読者に与えられた最大の権利である』と言っているのね」

カエル「この『読者』は映画ならば観客だよね」

 

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作中作は来月公開の小規模上映映画『海辺のリア』のような雰囲気かな?

(C)2017 “RADIANCE”FILM PARTNERS/KINOSHITA、COMME DES CINEMAS、Kumie

 

誰の意見を採用すべきか?

 

主「だけどこの誤読が許されないのが音声ガイドという仕事である。

 そして問題になってくるのは……誰の意見を採用すべきか? という問題だ」

カエル「これは当然監督じゃないの?」

主「もちろん監督や作り手の意見はすごく大事。

 だけど、監督や作り手って全てを理解しているように思われるかもしれないけれど、そうじゃないケースもある。言葉で全て説明できるなら、映画を撮らないでしょ? 言葉にならない思いや、映像でしかできないことを漠然と考えて、それをカメラで捉えている場合もあるわけだ。

 映画……表現は観客の中で完成する。そこには先ほど自分が語ったように誤解や誤読もある。だけど、誤解している方が深くて大事なことを指摘している可能性もあるんだよ。それは監督や作者が思いもよらなかった事かもしれない。

 監督や作り手の意見が絶対に正しいのか、と言われると、それもまた難しい

カエル「この作中だと『それはあなたの主観では?』とか『そんな単純な言葉ではないよ』という話になっていたね」

 

主「監督の意図を組むことは求められるけれど、そのまま『はいはい』とやるのが正解とも限らないわけで……もしかしたら作者の方が間違えている可能性もあるから。言葉にすることに慣れているわけではないし」

 

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2人の交流に胸がつぶれそうになる

(C)2017 “RADIANCE”FILM PARTNERS/KINOSHITA、COMME DES CINEMAS、Kumie

 

違うけれど同じものを表現するということ

 

カエル「ここは先ほどのリンゴの話に似てくるかもしれないけれど……」

主「作中で主人公が自分の身の回りの人の行動を言葉にしているけれど、あれって自分も時々やるんだよね。それでその行動を言葉にするとき、どのようなものになるのかな? って試すことがある。

 あとは風景を言葉でスケッチすることがあるけれど、ここで困るのが……例えばこの映画でいうと『光』の言葉の違いだ

カエル「この映画は光がとても印象的に撮られていたね」

 

主「窓の外から差す『光』電気が点いて自分を照らす『光』と、さらに言えば夕日が射したときの『光』があるとする。

 これらの言葉というのは実は同じ光だけど、全く違うもので与える印象も違う。

 そしてさらにいうと、同じ夕日であってもその時の心情や場所が変わるだけで、その夕日が持つ意味というのはぜんぜん違うものになる。

 だけど言葉としては『光』であり『夕日』になりがちなんだよ。特に誰にでもわかる言葉にした時は、より単純化されるから」

カエル「まあねぇ。そんもの自体は同じだしねぇ」

 

主「だけど、ここで求められるのは『最大公約数かつ最大深度の言葉』なの。これって究極の無茶振りでしょ?

 作者だったらまだその伝わらなかったことは自分の責任だからいいけれど、翻訳者やガイドの人は『他人の作品』に触れている。そんな言葉を如何にして探すのか……怖いお話だよねぇ。

 だからこの映画って『言葉』『表現』に興味がある人だったら痛いくらいに伝わってくるお話だよ」

 

 

 

4 人生を賭けたもの

 

カエル「この映画のもう1つのテーマが『人生を賭けたものを捨てる心情』とでもいうのかなぁ?

 予告編にあるから言っちゃうけれど、作中ではカメラマンの中森がカメラを捨てるという、衝撃的なシーンがあるわけだけど……」

主「ここは涙なしでは見ることができなかったなぁ。

 それこそ『人生を賭けて獲得してきたもの』がカメラだったわけじゃない? それは家族を捨ててまで獲得してきたものであって、しかも成功している。自分だってまだそれをやる体力はある、気力もある、やる気もある……ただ、目が見えない。それだけで全てが奪われて手放すわけだよ?

 ここは本当に胸にきた。何かを諦めるとか、そんな軽いものじゃない。それこそ……不謹慎かもしれないけれど、自殺した方がまだ楽かもしれない

 

カエル「本っ当に人生を賭けてきたものだからね……」

主「そしてその痛みを本当に尾崎が理解できるようになったのは、本気で物を作るということ、ガイドを作るということに向き合ったからだとも言える。

 彼女は1つ、1番やってはいけない過ちを犯すんだよ

カエル「『中森さんの想像力が足りないんじゃないですか?』という発言だね」

主「これは表現者が1番いってはいけないことなんだよ。

 確かに想像力が足りないと思う人もいる。趣味が合わなかったり、誤読をして伝えたいものが伝わらない、頓珍漢なことを言う人もいるんだよ。

 だけど、それは表現者側が言ってはいけないことだ

 

カエル「だけどさぁ、尾崎の気持ちは痛いくらい分かるのも事実で……

主「まあ、そうなんだけれどね。あまりにも理不尽とも思える文句が続くとそういうことも言いたくなってくるものだけど……

 だからこの作品は『表現者の微妙な心理状態』を見事に捉えた映画であって、これほどの映画はそうそうないよ」

 

 

 

苦言を少し

 

カエル「じゃあ、ここまでは絶賛意見ばかりだから苦言も少し入れようか」

主「1つは後半が少しダレちゃったかなぁ。劇場公開するためにある程度の尺は必要なのもわかるけれど、後半の一部シーンはなくてもいいかな? という思いがあった。できれば……そうだな、80分くらいがベストだったんじゃないかな?

 もう1つがさ、これは自分の趣味も入るけれど……あの恋愛描写いる?

カエル「特にポスターで使われているようなシーンだね」

 

主「その前でもすごくいい2人が結びついたとわかるシーンがあって……視覚障害の方の愛情の伝え方がダイレクトに伝わってくる名シーン。

 そこで……変な例えに思われるかもしれないけれど、精神的なセックスはもう終わっているんだよ。2人の気持ちは観客に伝わっている。

 ここまで引き算をして、情報量を減らしたのにあのシーンはすごく強烈で……だからこそポスターでも使われるような象徴的なシーンになっているのかもしれないけれど、自分は必要ないね。むしろ余分。このあっさりした映画の中で、濃厚すぎて浮いていたような気もする

 

カエル「恋愛を入れないとスポンサーとかも納得しないとかもあるんじゃない? 今作品は予算もあまりないようだし」

主「それもわかるけれどさ……なんか、勿体ない映画になってしまっていたなぁ」

 

 

 

最後に〜提言も込めて〜

 

カエル「今回は視覚障害者向けのガイドが如何に作られているのか、という意味でもすごく勉強になった作品だね」

主「これ、声は樹木希林だったけれど、健常者にも需要があると思うんだよね。

 特に洋画の吹き替えとかで

カエル「え? どういうこと?」

 

主「自分は洋画のエンタメアクション映画は吹き替えが好きで、何故ならば『アニメ』として鑑賞しているから。CGを使って実写で撮るか、アニメーションで撮るかだけの違いだと思っている。

 アニメのノリで見るから、むしろ声優の吹き替えの方がしっくりとくる。

 で、例えば音声ガイドが早見沙織とか能登麻美子とか、男性なら石田彰とか神谷浩史ならむしろそっちで聞きたいと思わない?

カエル「……オタク的発想」

主「いや、でも一部で議論を巻き起こす芸能人吹き替え問題も吹き替えA,Bと用意すれば好きな方を選べばいいし、しかも『2回見たい!』ってなるでしょ?

 実はこれってすでに一部では実施されていて……ゴッホとゴーギャン展だったかな? そこで杉田智和と中村悠一の2人がガイドを担当しているけれど、人気があったんだって。これを映画でも適用すれば、新しい楽しみ方になる思う」

 

カエル「……聴覚障害者向けのサービスをそんな遊びみたいに」

主「あんまりそういう考え方に縛られる必要もないと思うんだよね。もちろん、ガイドはガイドで真面目な今と変わらないものも必要だよ。それは絶対条件。

 自分は『聲の形』『シンゴジラ』を字幕付き上映でも鑑賞したけれど、わかりやすくて面白かったんだよ。特にシンゴジラなんて脚本のテキスト量が多かったけれど、それでも特に問題がなかった」

カエル「古い映画だと音声が劣化しているから字幕があったほうがわかりやすいしねぇ。黒澤映画とかは字幕が必須だし」

主「全ての映画で字幕を! とは言わない。だけど、そういう映画もあってもいいし、選択できるというのが本当のバリアフリーであり、そして楽しめる映画文化、エンタメ文化を生むと思うけれどね。

 というわけで、最後に提言でした」

 

作中で語った作品の記事はこちら

 

 

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