亀爺(以下亀)
「それでは、今回は天才とも称されるグザヴィエ・ドランの新作の感想記事になるが……」
ブログ主(以下主)
「自分、ドランって初めて名前聞いたんだよね」
亀「主はこういうブログをやっているとは思えないほど映画について無知だし、監督やスタッフ、役者についても理解が浅いからの」
主「基本的にはアニメ専門の観客だったからね。このブログを初めて『映画ってこんなに面白いんだ!』って思っているような人間だし。
演出論やその監督がどのような意図を持ってその作品を作ったのかを調べて、過去作も全てとまでは言わないけれど、主要作品なども調べてから語るというのが本来の批評なんだろうけれど……」
亀「この似非批評家が! 恥を知れ!」
主「うるさい!
まあ、演出論とかは少し勉強したり、アニメが好きだから……アニメって偶然が入り込まない映像表現なのね。例えばそこに花が描かれていれば、誰かが意図を持って描いたわけだ。実写ならば偶然咲いていました、というものかもしれないけれど、アニメは全てレイアウトから何から作り込まれている。
そういう経験が少しは生きているなぁって印象」
亀「今回このような話からスタートしたのは、一言で語れば『ドランって何者?』という状態からのスタートということを伝えたかったということじゃの」
主「初ドランで、天才と呼ばれているから楽しみにして行ったけれど……さて、その感想は? と言うと……」
亀「ちなみに主にとっての『現役天才監督』とは誰じゃと思う?」
主「う〜ん……パッと思い浮かぶのは、やっぱり『セッション』や『ラ・ラ・ランド』のデミアン・チャゼル。あとはやっぱりアニメ業界だと『聲の形』などの山田尚子かな?
この辺りは若いながらも実績があるし、天才だなぁって感心する部分もある。物語に愛される人っているんだよね。悔しいけれど」
亀「……よくわからん若干の恨み節も交えながらのスタートじゃな」
登場人物紹介
ルイ(キャスパー・ウリエル)
(C)Shayne Laverdiere, Sons of Manual
本作の主人公。
死を目前に突然家に帰ってくることにより、家族は大きな転換点を迎える。セリフがほとんどなく、基本的にずっと聞いている立場。
カトリーヌ(マリオン・コティヤール)
ルイの兄、アントワーヌの奥さん。
色々と複雑な事情を抱えている。ルイとは初対面。
アントワーヌ(ヴァンサン・カッセル)
ルイの兄。映画だと老け過ぎていて、兄というよりは父か叔父のように見えてしまった……
ルイに対して複雑な感情を抱いている
左がカトリーヌ、右がアントワーヌ。
兄弟というには少しルイと年が離れているようにも見える……
(C)Shayne Laverdiere, Sons of Manual
シュザンヌ(レア・セドゥ)
ルイの妹。まだ小さい頃にルイが家を飛び出したので、面識はそこまであるわけではない。不良少女。
マルティーヌ(ナタリー・パイ)
ルイの母であり、3兄弟の実の母。
同じ話を繰り返すなど、少し年齢的にも心配になる行動もあるが、明るいおちゃめな性格をしている。
左がシュザンヌ 、右がマルティーヌ
(C)Shayne Laverdiere, Sons of Manual
1 ネタバレなしの感想
亀「まずは、公開当初のこのTweetを見て欲しいの。
#たかが世界の終わり 短評
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2017年2月21日
今は呆然としている。如何にもヨーロッパ映画らしいタッチに戸惑い、鑑賞直後はこの映画を賞賛する人に疑問すら抱いた。
だが少しづつ、なんとなくぼんやりと私の中で輪郭を持ちはじめている。映画って、家族って、愛って実はこんなものなのかもしれない。
この論調は、決して褒めておらんの」
主「褒めてないよ。映画を見終わった直後は『これのどこが天才なの?』って隣にいるおじさんに聞きたいくらいだったし。まあ、そのおじさんも上映中に高いびきだったんだけどさ。
やっぱりしっくりこない映画だな、って思ったし、そういう印象の観客も多いと思う」
亀「そこから少し置いた、今の印象はどうじゃ?」
主「……実は、上映直後よりも今の方が印象に残っている。
実はこの作品はとんでもない傑作だったんじゃないか? というような思いすらある。
まあ、そこまでは言わないけれど……鑑賞直後は『凡作』という評価だったのが、今となっては『佳作』ぐらいの評価になっている」
亀「ちなみにこのブログでの評価順位は『名作』『(大)傑作』『佳作』『良作』『凡作』『駄作』じゃな。まあ、このその時々の気分で簡単に付け替えるために、そこまで信憑性があるわけではないがの」
主「美しい作品だったよ。
この映画って色々な解釈があると思う。その中でも、ちょっと自分の解釈で書いていこうかな?」
見終えた後に『残る作品』
亀「時々そういう作品の話があるの」
主「映画でとんでもない作品って、見終わった後に色々な感情が沸いてくるもんだけどさ、例えば2016年だと『シン・ゴジラ』なんかは鑑賞直後のテンションマックスで、これ以上ないだろうと思われるほどの作品なんだよ。
だけど、そういう作品ばかりじゃなくて……それこそ『聲の形』なんかは何度も鑑賞して、何度も考えることによって、より味わいを増していく映画なわけだ。
この作品は明らかに後者。その意味では、確かにこういう味わいを残せるというのは、天才的所業と言えるのかもしれないね」
亀「ふむ……そうやって色々と考えてきて、見えてくるものがあったのかの?」
主「実は相当のメッセージというか、監督の込めた思いが奥深い演出など、この映画で語られているこということがわかった。
ただ、それがどれだけの人に伝わるかというと、少し難しい部分もあるけれどね。そこをどう捉えるかによって、評価が一変する映画でもある。
ある意味では……『観客を試す映画』でもあると思う。それはその人がどれだけ注意深いかとか、美的感覚を備えているかというような批評精神なんて単純なものではなくて……もっと深い『愛』や『家族』『死』についてどう考えているか、あぶり出すリトマス試験紙みたいな作品だよ」
亀「中々に深い話になってきたの」
主「今回は登場人物紹介も入れたのは……まあ、本来はこれくらいは他の記事でも入れていくべきなのかもしれないけれど、その関係性が重要な意味を持つからなんだよね。
そんなに表面的な話じゃない」
亀「ふ〜む……ではそう分析する理由なども交えながら語っていくかの」
2 不親切な脚本
亀「まず、本作で気になるのはこの『不親切な脚本』じゃの」
主「基本的に今作の脚本って非常に不親切。前にも語ったと思うけれど、会話って『補助線』なんだよね。例えばそれは説明台詞やナレーションで舞台や状況について語ることもできるし、家族の関係性もそれでなんとなくわかる。
例えば『やあ、兄さん』という会話が1つ入るだけで、この2人が兄弟関係だということがわかる。だけど、この作品は……そういったような、補助線になるような台詞が最初にないんだよね」
亀「もちろん後々に色々と語られることによって状況は整理されていくのじゃが、最初はそれすらも理解できないような作品じゃの」
主「最初は兄のアントワーヌが老け過ぎていて、父親だと思ったからね。しかもその奥さんがカトリーヌだけど、字幕では『妹』と出てくるわけだ。
兄嫁なんだから姉が普通のような気もするけれど、年下なのかな? そういうこともあって、色々とこんがらがってしまったんだよね」
亀「状況がわからんからの。分かっておるのは『ルイが死にそう』というくらいじゃ」
主「しかも、その割にはこの映画って会話が多いんだよ! 一般的な映画よりも会話が多いし、マシンガンのように連射してくる!
セリフって……決めセリフとか、重要なセリフの時は演出や役者の演技でキメてくるものが多いのね。だいたいの映画は鑑賞していると『これがキーワードだな』ということがわかる。それを手がかりに色々と考えてると見えてくるものが多いわけだけど……
本作はそのセリフのメリハリがほとんどない。もちろん、皆無ではないけれどね」
亀「説明台詞なのか、状況をつなげるためのものなのか、メッセージなのかがわかりづらいのじゃな」
主「それって押井守も同じなんだけど……あの人もセリフにメリハリをつけさせないから。これって、やっぱり『物語』とか『脚本』とかで素晴らしさを語るのではなくて、『演出』で……あくまでも映画的なもので語りたい作家に多い現象なんだよね。
その意味では正しく映画的だと思うし、天才と称されるのも納得がいったよ」
ルイなどの役者の顔1つ1つに意味がある
(C)Shayne Laverdiere, Sons of Manual
語る演出
亀「ではその演出自体も冴えていたのかというと……これは難しいの」
主「はっきりとわかるようなすごい演出はあまりしていないからね。
この映画ってドラマティックに作ってはダメなんだよ、きっと。多くの映画のように『ここが泣き所ですよ』とか、そういうことじゃない。
あとは色々とメッセージがあるんだけど、わかりづらい部分もあるかな」
亀「この映画を語るということは、ある意味ではその人の人間性を語ると言っておったが、それも演出が理由の1つなのかの?」
主「それは間違いなくあるよ。
この映画って表層的に見ると、やっぱりただの家族喧嘩だし、見ていて楽しいものじゃない。だけど、この映画が撮りたかったことって、そういう『普通の家族』の姿なんだよね。
映画だと……物語だとすると、本当は特殊な事情があったほうがもっと面白くなる。例えば、殺人事件が発生するとかさ、あとは不倫だ、実は隠し子がいた……とかさ。だけど……色々と過去にはあったかもしれないけれど、この作中では事件という事件は起こらない。
いや、逆か。ずっと起こっているというべきかもしれないけれど」
亀「ふむ……そういうことも含めて、ここから先は語っていくかの」
主「今回は批評になると思うし、批評にならざるを得ないだろうね」
以下ネタバレあり
3 演出が語りかけるもの
亀「では、まずこの作品について気になった部分から語っていくかの」
主「最初に気がついたのは車の車窓から街を眺めていて、そこに普通に暮らす人々を撮った場面なんだよね。
ここでこの物語が語りたいことがなんとなくわかった。つまり『市井の人々の生活』が撮りたいわけであり、さらに言えば『日常』が撮りたいんだよ」
亀「劇的なドラマが発生しない、映画にあってしかるべき山や谷がほとんどなくお話が進行するのも、そういったドラマが持つ力を排除したかったからかもしれんの」
主「多分ね。
この映画と近いことをやっているのが……実は先日語った『攻殻機動隊』の記事でもチョロリと語ったけれど、スカイクロラだと思うんだよ。あの作品って『特別な状況下における日常』を描いた作品だから。
だから、物語自体はすごく単調で退屈。
面白くないよ、だってそれが日常なんだもん」
亀「お祭りや事件がないからこその日常じゃしな」
主「今日1日の出来事を振り返ってみるとさ、そりゃ面白いことが全くの0ってことはないだろうけれど、だけど映画にはならないようなことに溢れている。それが当たり前の日常なんだよね。
だからつまらなくて当たり前で、むしろそれが正解。ただ、それをやっちゃうことがすごいけれど」
亀「そんな日常を描いたのが本作ということじゃな」
顔のアップ
亀「そして本作ではルイが帰ってくるわけじゃが……」
主「ここも恣意的な演出だよね。
亀爺ならこの場面、どう撮る?」
亀「どう?
そうじゃな……家族5人の集合した場面であるから、基本的にはカメラを引いて5人をカメラの中に収めながら、1対1の会話の時は役者を動かしてその2人だけを抜き出して……などかの?」
主「普通はそうすると思う。会話の場面で一々カットを切って、それを何回も何回もザッピングするかのように切り替えることはしない。
だけど、本作はそういう風な演出をしているということは、これってつまりさ『彼ら1人1人がバラバラである』ということの証明でもあるわけだ。
家族だったり、1つのフレームの中に収まってお話をするということは、それだけである程度まとまった家族というものを象徴している。だけど、ここでわざとそうしなかったことによって、家族のバラバラさを描いたんだよね」
亀「ふむ……なるほどの」
主「すっごい仲が悪いようにも見えるけれど……それはそうだけど、色々と理由があるんだよ。それをこれから考えていくよ」
4 それぞれのキャラクターの思い
本作におけるルイの立ち位置
亀「ではまずは主人公であるルイについて語るかの」
主「ルイはほとんどセリフがないんだよね。基本的には聞き役でさ……物語って普通は主人公の成長とか、変化を描くためのものだよ? だけど、今作ではそうなっていない。
だからより退屈度合いが増しているんだけど、この意味を考えてみると、実は色々と見えてくる」
亀「ほう……それは?」
主「ルイの役割は『ゴジラ』と一緒なんだよ」
亀「ゴジラと!?」
主「そう。そこに存在するだけで迷惑であって、トラブルになってしまう。それまでの日常が一気に崩壊し、それぞれの抱えていたものが溢れ出してしまう。
誰もが彼に注目してしまうけれど、だけど無下に扱うことができない存在だね」
亀「ふむ……」
主「だからなんでルイがほとんど喋らないかというと、それは彼は単なるトラブルの象徴にすぎないからだよ。ゴジラだってただ移動しているだけで迷惑になるでしょ?
言いたいことがあるけれど言えないというのも、結構似ていると思うけれどね」
シュザンヌとマルティーヌ
亀「母親と妹じゃの。この2人はセットで語るのじゃな」
主「この2人の気持ちが象徴的に現れていたシーンがあるけれど、亀爺が1番印象に残った場面はどこ?」
亀「この2人に限って言うならば、昔を懐かしがって踊りだす場面かの」
主「そう! そこがこの映画における非常に重要なシーンなんだよ。
あの時に流れた『恋のマイアヒ』ってさ、陽気でダンスミュージックのようだけど……歌の意味を考えると、実に面白いことがわかる」
亀「この歌はアップテンポで陽気なようにも聞こえる曲じゃが、その真意は違うところにあるの」
主「そうなんだよね。
この歌詞を読んでみると、5月になったけれど、君は俺を残して去っていくんだろ? って歌なんだよ。
ほら、こうやって考えてみると、なぜお母さんがこの曲が好きだったのか、よくわかるでしょ? 実はアップテンポなダンスミュージックだから好きなわけじゃない。
この歌詞に共感しているんだよ。
少なくとも監督はそれを理解した上で使っている。
だからあのシーンで踊るのは母親と妹……つまり作中で『連れて行って欲しい』という妹であり、好きではないけれど愛していると告げる母親であって、踊らないのは兄と兄嫁なんだよ。
母親が過去の話を繰り返すのも、愛するルイがいた時代に戻りたいとか、過去ばかり見ていることの象徴なんだろうね」
亀「それが理解できるとこの映画の捉え方も若干変わってくるの」
妹のシュザンヌが抱えた思いはどうしようもなく重い……
(C)Shayne Laverdiere, Sons of Manual
アントワーヌの思い
主「一方のアントワーヌについて考えてみると、表面的にはケツの穴の小さいクソ兄貴なようにも思える。まあ、それはあながち間違いではないけれど……その立場になって考えてみると、あの態度も理解できなくもない」
亀「母親からは『弟の方が優れている』ような扱いを受け、妹からも軽蔑され、愛する妻は弟に惹かれているようでもある。
その弟は家を飛び出し作家として大成し、自分は家を買って一家の主として振舞っても決して誰からも尊敬を受けることがない……と考えると、ちと可哀想じゃの」
主「過去の家に行きたいという弟の頼みを断固拒否するシーンがあるけれど、あれって過去に対する態度の違いを描いている。
弟は死が近づいて、あまりいい思い出のないボロ屋であってもう1度見てみたいと思うけれど、兄にしてみればやっとの思いで抜け出せた絶望の過去の象徴なんだろうな。
だからあれだけ行きたがらなかった。そして弟に冷たく当たらざると得なかった。
弟が優秀であればあるほど、自分が惨めになっていくのだから……」
カトリーヌについて
亀「そしてカトリーヌじゃの。彼女も罪な女じゃな」
主「カトリーヌは、ルイに1番近いようで、実は1番遠い存在だと思うんだよね。彼女はヒロインだから優しいわけでも、家族に対して暖かいわけでもない」
亀「ほう……なるほどの」
主「多分、あの家族って色々と感づいていると思うんだよ。何か言わなきゃいけないことがあるとか、それがすごく大事なことだということはわかっている。もしかしたら、死期が近いことも……知っているかもしれない。
だけど、それを聞くと間違いなく関係は変わるし、それまでの日常には戻れなくなる。何よりもさ……怖いよね。自分の息子や兄弟が『死期が近いんだ』と宣告することって、想像するだけで恐ろしい」
亀「それがわかっているからこそ、必死に話を逸らすわけじゃな」
主「あのマイアヒの場面で踊らなかったのは、兄とカトリーヌでしょ? 兄は過去を嫌っているからという話ができるし、家に留まりたいと思っているからだけど、カトリーヌはそもそもルイのことをよく知らないんだよ。
だからルイの死期のことがわかった、とも受け取れるけれど……それを『軽々しく』口にできたわけだよね」
亀「ふむ……」
主「だから、実は最も近いようで遠い、やっぱり初対面な他人ということだと思うよ」
5 兄の葛藤
主「その視点でみるとさ、あの兄の態度も理解できなくはないんだよ。
さっき『ルイはゴジラと同じだ』と語ったじゃない? それは天災やトラブルの象徴としての存在ということもある。それをなんとか追い出すのが、ゴジラだと自衛隊だけど、本作では兄なんだよ」
亀「トラブルの追い出し方か」
主「兄は結局家族の平穏を守りたい、日常を守りたい。そこに急に帰ってきたルイは、やっぱり邪魔だよ。
逆の立場になって考えるとさ、もう10年以上も前に家を飛び出していった家族が『俺は死ぬんだ』って言いに帰ってくるんだよ? そんなの、理解できる?
『今更帰ってくるんじゃねぇ!』というのも、それはそれで自然な反応だと思うけれどね」
亀「まあ、そうじゃの。悲しくも辛い現実のようじゃが、家族だからこそ毅然とした対応をとれねればならない時もある」
主「だからなんとかしてこのトラブルを避けたいけれど、そのやり方があのようなものになってしまうというところに、兄の葛藤と悲しさが滲んでいるよね」
鳩時計
亀「では、ラストの鳩時計の意味とは何じゃったのかの?」
主「やっぱり1つは死期の時間を表していると思う。もう時間切れ、タイムオーバーだから帰ってね、という演出。
そしてもう1つは……動かなくなった鳩の幻でさ、鳩は平和の象徴じゃない? それが壊れ果てたということが……やっぱり平和をぶち壊してしまったということを表しているんじゃないかな?」
亀「いろいろな意味が隠された作品じゃったの」
主「なんというかさ……この映画が抜き出したことって、実はとても大切なことなような気がしていて……それは映画として、ということじゃなくて、物語の1つの本質的な部分なのかもしれない。
結局、人生ってこういうことの繰り返しな気もするんだよね」
亀「人生とはまた大きく出たの」
主「だけどさ、人生って……やっぱりルイのように言いたいことが言えるばかりのことではないと思う。一念発起して、覚悟を決めたはずなのに実際目の前に立つと怖気づいたり、何もできないことってすごく多い。
例えば、恋愛における告白とか、謝罪とか、感謝を伝えたり……そういうことが簡単にできる人たちばかりではないよね。
後悔することってすごく多い。だから、この映画を観た後に色々と思い返して、あれはああっだったんじゃなか? というように回想するということ……それ自体が人生であって、この映画はその思いを見事に描き出したのかもしれない。
その意味では、鳩時計に合わせるように語ると……この映画は『家族』と『愛』と、そして『時間』を描き出した。
その時間って言葉を変えると日常でもあって……だから、この映画って退屈なんじゃないかな?」
最後に
亀「さて、色々と語ってきたが、これでおしまいにするかの」
主「確かに天才と称されるのがわかった気がする。日に日に思いが強くなっていくし、この映画が描き出したものを撮れ、と言われたらそれは難しい。
単純なお話ではないし……素晴らしいよね」
亀「エンタメではないが、評価される理由わかるの。中々難しい作品でもあるが、このドラマのない日常を描いたということが面白い」
主「やっぱり佳作という評価は変わらないけれど……見る意義があると思う。ただ『楽しい』を求める人には薦められないけれど……小規模公開って感じだよね。
まあ、この映画を好きだと言ってしまえる自分が嫌いな映画でもあるんだけど!」
亀「……また色々と面倒くさいことを言いだしそうだじゃから、ここで終わりにするかの」