カエルくん(以下カエル)
「こりゃまた、今回も賛否が分かれそうな、荒れそうな話題をやるんだね」
ブログ主(以下主)
「自分から好き好んで地雷を踏みに行くスタイルだな」
カエル「まあ、確かにネット上で色々と語られているところだし、物語論として、これからの障害者を描く物語を考える上でも必要な議論だけど、それにしてもわざわざ自分から踏みに行く必要はないんじゃないの?」
主「でも、聲の形の考察記事とかも書いたからなぁ。これから先の……障害者だけでなく、世間的に弱者とされる人たちの描き方も左右する問題だから、書いておきたいんだよね」
カエル「……じゃあ、炎上しない範囲でお願いするよ」
主「大丈夫! 炎上するほど閲覧数が多くなるとは思えないから!」
カエル「……むしろ炎上希望か?」
主「そんなわけないだろうが!! それじゃ、考察を始めようか」
1 聲の形は障害者ポルノなのだろうか?
カエル「いきなり結論から述べていくスタイルなわけね」
主「まあ、ぶっちゃけた話をすると、聲の形で『障害者差別だ! いじめ問題を簡単に使っている』という意見は、シンゴジラで政治を語るようなものだと思うわけですよ。
あれだけ両作品を絶賛する記事を書いた身からすると、Twitterでも話題になっていたけれど『物語と現実を絡めるなんてけしからん!! もっと物語を物語として楽しめ!!』といいたいのが本音であるけれどねぇ」
カエル「物語と現実を絡めるのが評論家の仕事だったりするわけだからねぇ。そこを否定しちゃうとただの絵空事になっちゃうし」
主「でも、シンゴジラで政治を語るように、聲の形で社会問題を語るということは、それだけでこの作品がどれだけ『現実と隣り合わせなのか』という意味になるわけだよ。
本来、特撮とかアニメって現実とは縁遠い表現のわけじゃない? だけど、この作品は、物語を超えて現実についても議論されている。つまり、そこには我々の生活のすぐ横にあるものを連想させる、圧倒的なリアリティがあるわけだよ。そうじゃなかったら、それこそ単なる絵空事と受け取る。
『ご都合主義だね』とか言ってさ」
カエル「ふぅ〜ん……じゃあ、この作品が社会問題として語られるということそのものが、作品クオリティの高さを証明しているってことなんだ」
主「普通はこんな風に語られにくいからね。聲の形もシンゴジラも、語りたくなる何かを持っている作品ということ、つまり、それだけ影響力のある作品だということだね」
カエル「じゃあ、ここで本題だけど聲の形は感動ポルノなの?」
主「……そうね。じゃあ、はっきりと言わせてもらおうか」
カエル「お! いいね、ガツンと言ってやってよ!」
主「聲の形は感動ポルノだよ」
カエル「……え? そっち?」
2 物語の構造と弱者
カエル「嘘!? 主はあれだけ聲の形を絶賛していたから『感動ポルノではない!!』っていうと思っていたのに!?」
主「いや、絶賛しようが酷評しようが感動ポルノであることには違いないよ。感動ポルノそのものが悪いわけではなく、いい感動ポルノもあるって話でさ」
カエル「……いい感動ポルノ?」
主「物語の構造として、弱者が頑張る姿に感情移入して、涙を流すというのは王道中の王道だよ。
例えば、その典型例が『病気もの』であるわけだ。難病を抱えた主人公が、それでも懸命に生き、最後は愛されながら目的を果たして亡くなっていく……そんな作品はいくらでもあるわけじゃない?
それこそ古典的名作だと黒澤明の『生きる』もそうだし、つい最近公開された映画だと『四月は君の嘘 』やこれから公開の映画だと『世界一キライなあなたに』という海外の映画や『湯を沸かすほど熱い愛』も病気ものだ。
こうした病弱な患者というものが懸命に生きる姿を描き、その最後に感動する……これも広義的には感動ポルノではないの?」
カエル「……元々の意味では障害者を対象とした感動を煽る表現という意味だと思うけれど……」
主「なんとなく意味はわかるけれど、厳密に定義された言葉じゃないよね。
そしてこの『弱者が頑張る』というのは童話においてもよくある話だよ。
例えば『フランダースの犬』とかさ『マッチ売りの少女』は純粋無垢な子供だから成立した話でさ。あれが……例えば生き残るために盗みを働いたり、民生委員みたいな人に訴えるような物語だとしたら、感動にはならない。
そして何よりも子供であることが大事。マッチ売りの少女やネロが40過ぎの毛むくじゃらのおっさんだとしたら『他の仕事しろよ』って話になるでしょ? あれは弱者である子供を題材にしなければ成立しない話なんだよ」
カエル「それはそれで面白いものが作れそうだけどね」
主「この通り、世間的に弱者とされる存在が頑張ることそのものが、物語として王道のストーリーなわけだよ。
個人的にはだよ? 子供が頑張りましたという『初めてのおつかい』とも感動の構造は何も変わらないと思っている。普通の大人がおつかいをしてもそこに感動なんか生まれるはずもない。
大人に比べて劣っているとされる子供が頑張るからこそ、生まれる感動だよね? それは障害者が頑張って物事を成し遂げたというのと同じ種類の感動だと思うんだよ。
そしてそれは『病気を我慢して頑張った』とかとも同じ。違いがあるとすれば、誰でも子供時代はあるけれど、障害を抱えたことはないという点くらいじゃない?
一応言っておくれど、こういった作品構造そのものを否定するつもりはないよ。それが面白い物語を作る基本的構造だし、そういう演出を観客も求めているからさ」
西宮硝子の描きかた
カエル「でもさ、ヒロインの硝子の描きかたが障害者のイメージ像を押しつけているという批判もあるわけだけど、そこはどう思うの?」
主「確かにある種の都合のいいヒロインだけどさ、何回このブログでも書いたけれど硝子って三重の弱者なんだよね。つまり『聴覚障害』『いじめ被害者』『少女』という三重で守らなければいけないとされる弱者。
そういう存在を悪く描けないという点はある。それから、あとは物語において……すごく当たり前の話だけど、物語のヒロインって『可愛くって素直で性格がいい』っていうのは一つのテンプレじゃない? そこを非難するのは少し違うと思う」
カエル「まあね。じゃあ『不細工で性格も悪いひねくれ者』として描いたら、それこそ差別的って言われるし、そんな物語が読みたいかというと、ね?」
主「障害者ってフィルターが入ると、どんな悪い性格とか設定が入っても非難される。例えば同日公開の『怒り』を例にあげるけれど、この中の役の誰かを障害者にしても、非難を浴びることになると思うよ。
風俗嬢で幸せになれないような存在だったり、娘と向き合えない父親だったり、ゲイだったり、冷酷な殺人鬼であったりっていうさ、そういう何らかの問題を組み合わせた瞬間に『差別だ!!』となると思う。
その性格付けっていうのは障害者も健常者も基本的には関係ないと思うけれどね」
カエル「じゃあ、硝子の……あの従順さやすぐに人を許すのは、健常者とか関係ないと?」
主「ないでしょ? いじめ問題一つとっても、誰でもかれでも怒りを覚えて復讐したいと思うわけではない。それは『3月のライオン』でも描かれていたけれど、人によって変わるんだよ。
例えば、最近読んだ記事であったけれど、アルバイトで働いていたシングルマザーの女性が大怪我を負って会社をクビになった。労災だけど非正規社員だから労災認定してくれない、これは問題だと組合が動いたわけだよね。
じゃあ、その女性はなんと語ったかというと『働けなくなったからクビになるのはしょうがない』だって。つまりさ、会社に対する憤りとかもあるかもしれないけれど、それをぶつける対象は結局自分なんだよね。そんな人って、実はたくさんいる」
カエル「会社に冷遇されても頑張ってうつ病になる人とか、そうかもねぇ」
主「そう。自罰的な人間だったり、自分さえ我慢すればって人って結構多いよ。特に我慢を美徳とする日本人には。それまで築き上げたコミュニティを壊してしまったという、自罰的な思いが強いのは、障害者も健常者も関係ないと思うけれどね。
『私は私のことが嫌いです』って中高生なんてザラにいるよ。死にたいって思っている子だってたくさんいる。どんだけ大人たちは中高生がキラキラした存在だと思っているんだ?
それは健常者とか障害者というのは無関係だと思うけれどね」
3 映画の字幕問題
カエル「じゃあ、映画の字幕問題に関しては?」
主「もちろん、公開されるすべての映画に字幕をつけて上映して欲しいという思いはわかるし、賛成する。自分も古い黒澤明の映画だと音声が聞き取りづらかったりして字幕をつけるし、あとはシンゴジラの例だと『海獣』と『怪獣』は同じ音だけど、意味が大きく変わるからこういう間違いも防げるけどね。
あとはTwitterでみたけれど『日本語の勉強がしたいから日本語字幕をつけて欲しい』って外国人も多いらしいね。洋画を英語字幕を見て、勉強するのと同じ感覚らしいよ。
だけど、全ての回を字幕付きにしてくれというのは反対だな」
カエル「字幕付きには限定的賛成ってことね」
主「だって、視覚障害者だったり、2時間じっと座っていられないような人もいるわけじゃない? その人たちに配慮して音声ガイダンスだったり、動き回るのを黙認するというのは、はっきり言うけれど自分は嫌なの。
でも、そういう人にも映画を楽しむ権利はある。だから、機械的に解決できるならそれに越したことはないよ」
カエル「字幕が出る機械とか、音声案内のあるヘットホンがあれば誰も反対しないだろうしね」
主「大事なのは多様性だと思うのね。
字幕付き上映があってもいい、音声ガイダンスがある映画あってもいい。それから、小さな赤ちゃんを連れて入場できる上映があってもいいし、絶叫上映や応援上映があってもいい。
観客には選ぶことができるということが大事だから、選ぶこともできないという、今の問題はわかる。それはおかしいと声を上げることは大事だし、自分も同意する。だけど、全ての回をそうして欲しいとまで言われると、そりゃ違うと言いたくなる。
女性専用車両と同じだよね。その需要はよくわかるし、必要だよ。でもそれをやるなら、男性専用車両も作るべきだし、それを電車の一番前と一番後ろにするという配慮が欲しい。その選択肢こそが大事である、ということだよ」
4 物語で障害者を特別扱いしないということ
カエル「……結構微妙な問題だから、この記事も荒れるかもしれないね」
主「だけど、こういうのってすごく大事でさ。荒れるのが怖いなら、目と耳を塞いでなかったことにして、思考の隅にでも追いやることもできるわけだ。現に、今までのメディアや表現というのは障害という問題に対してそうしてきた」
カエル「障害者問題を扱いました! って大々的に宣伝されるような作品以外、なかなか障害者が出てこないもんね」
主「障害者を特別扱いしないということ、障害がある光景が日常になるというのがどういうことかといえば、それはミステリーの犯人や被害者、主人公の親友や、隣人、恋人やライバル、風俗嬢に間男などに、普通に障害者が描かれる世界だと思う。
それこそ前にあげたけれど『血界戦線』は理想に近い形だと思う。足の障害に加えて、眼球も取られた妹が出てくるけれど、すごく明るくて可愛らしくて、健常者が受け止められないような障害に関するブラックジョークを話すところとかさ、障害者というテンプレートに縛られない性格なわけだ」
カエル「最近読んだばかりだからこの作品が出たけれど、もっと色々な作品があるかもしれないね」
主「聲の形にしても、評論記事で書いたけれど植野は障害を言い訳にさせていないし、障害を抱える硝子を『1人の少女として、ライバルとして嫌い』と断言しているんだよね。障害者というフィルターを外してみている数少ない存在なんだよ。
『障害者だから優しくしよう』という善意が溢れている中で、そうじゃないだろうって言ったからこそ、聲の形は意義があると思う」
カエル「聲の形という作品で植野と硝子の関係性について熱く語っていたもんね」
主「……さらに言えば、普通の人間として扱ってくださいというのは障害者の方にも負担がある。障害者ポルノという言葉を作ったステラ・ヤングの言葉を借りるならば『車椅子で教壇に登っても驚かれない社会を』というけれど、普通の健常者と同じように扱うということは、他の健常者の先生と同じように『嫌われる可能性』も考慮しなければいけないんだから。
学校の先生なんて嫌われるよ。好かれる先生ばかりじゃない。だけど、それが普通なんだから、その覚悟がありますか? って話でもあると思うけれどね」
物語の可能性
カエル「……他にも思うことはあるの?」
主「大体言い切ったかなぁ。今の日本ってさ、よくもわるくも無意識の『善意』に溢れているんだよね。それが無意識的に物語の幅を狭めていると思う」
カエル「善意が物語の幅を狭めている?」
主「例えば、赤ちゃんが生まれた時に『なんで生まれてきてしまったんだ』と後悔する親とか、年老いた両親に『早く死ねよ』という言葉は描けない。あまりそんな描写はないよね。
だけど、リアルでは普通にありうるわけだよ。子供がいらなかった親も、親に死んでほしい子供も、間違いなく存在する。だけど、そういう存在は描けないんだよね。
非実在青少年とかの問題もそういう善意の配慮から始まるものだし。というか、検閲とか表現規制って初めの一歩目は善意や良識から始まるものだろうな」
カエル「年老いた両親に『早く死ねよ』なんて描写を描けないのは当たり前といえば当たり前だけどね」
主「そして、その善意の配慮をしなければいけない存在として、障害者もその枠組みに入ると思う。確かに差別は防がないなければいけないから、高度なバランス感覚が求められると思うけれどね」
カエル「難しい問題だよね」
主「あとは……これは個人の資質もあるけれど、できれば日本ハムの石井裕也投手だったり、メジャーリーグではアポットのような、障害を抱える選手が一般のプロ競技に進出してきたら最高だよね。
障害を抱える人が健常者の……子供達のスターになった時、本当の意味で差別問題はだいぶ解消されると思うけれどね」
最後に
カエル「今回は荒れそうだなぁ……あまり厳しい意見が続くと凹むよねぇ」
主「だけど本音は本音なんだよね。今の障害者を描かない物語が多いとかって、配慮の結果だったりするからね」
カエル「この問題は相当根が深いし、そんな簡単な話でないのは誰でもわかるからね」
主「だから少し話題が盛り下がったこのタイミングで書いてみたのよ。
だけどさ、最近だと『レインツリーの国』も公開したけれど、公開館数やら規模はレインツリーの方が上なのに、こういう話題にはならなかったような気がするね。それだけ聲の形が語りたくなる、いい作品ということもあるんだろうね」
カエル「この問題に関してはいろいろな意見があるだろうし、主も当事者でもなんでもないからさ、どう反応されるか怖いよね」
主「……お手やわらかにお願いします」
カエル「……記事の文面の変更や、最悪削除の可能性があるとは先に伝えておこうかなぁ」
聲の形 公式ファンブック (KCデラックス 週刊少年マガジン)
- 作者: 大今良時
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2016/09/16
- メディア: コミック
- この商品を含むブログ (3件) を見る