……いよいよ男性のプリキュアが誕生したね!
やっぱり、HUGプリはすげえよ
カエルくん(以下カエル)
「Twitterのタイムラインを中心に多くの方が賞賛の声を挙げています」
主
「なんか、今年でプリキュア終わるのか? ってくらい、今までやってこなかったことを詰め込んでいる印象だなぁ」
カエル「えー、うちでは以前から『今の日本で最先端の表現の1つがHUGプリだ!』ということを熱弁してきましたが、今回もその理由を解説するような記事になります!」
主「特に今回の出来事は歴史的に見てもかなり意義があることと言えるだろう。
プリキュアというシリーズのみならず、日本の漫画、アニメ文化の特色を示す事例でもあり、これはアメリカなどとは違うジェンダーフリーの歴史を抱えているからこその動きとも言える。
まあ、そのあたりの歴史的な流れなども考えながら、今回のプリキュアの意義について考えていきましょう。
というわけで、早速記事のスタートです」
アメリカのジェンダーの描き方を表す、2つの作品
まずは、アメリカの映画を通して、ジェンダーの描き方が難しいことを説明するという話だけれど……
ここで1960年前後に公開された、2つの名作映画を紹介しよう
カエル「いきなりHUGプリから脱線するんだね……」
主「この目線が大事なの!
その2作品はこちらです」
カエル「アルフレッド・ヒッチコックの『鳥』と、敬愛するビリー・ワイルダーの『お熱いのがお好き』だね。
どちらも歴史的な巨匠の代表的な作品であり、映画好きならば見たことはなくても名前ぐらいは知っているであろう名作です
まずは『お熱いのがお好き』について軽く説明すると、禁酒法時代でマフィアが大きな力を持つ時代に、マフィアが敵対する組織の人間を虐殺する様子を目撃してしまった2人のバンドマンが、命を守るために女装しながら逃げまわるというラブコメ作品です。
一方で『鳥』は、普通の鳥がいきなり人々を襲い始めて、かなり残酷に食べられてしまうという描写もあるスリラー映画です」
主「なぜこの全く違うと思われる2作品を挙げるのか? と疑問に思う人もいるかもしれないけれど、ジェンダーの視点からするとこの2作品は、実は正反対のことを描いているからなんだ
この2作は発表された歴史も『お熱いのがお好き』が1959年、『鳥』が1963年と比較的近い作品なのも面白いね」
名作映画の描くジェンダー
じゃあ……まずは『鳥』から説明しようか
いろいろな解釈ができる作品だという前置きはしておこう
カエル「色々と謎は残る映画だけれど、なんで鳥が急に人を襲うの?」
主「何度か説明しているけれど鳥というのは”あの世とこの世の境目”にいる動物だとされている。
ほら、天使も悪魔も羽があるでしょ?
人が亡くなった後で天使が空に運ぶ……なんてファンシーな創作物もあるけれど、このイメージにもあるように、死の世界は空の上にあると想像される場合も多い。
そうなると、空を飛ぶ鳥というのは重要な意味を持つわけだ」
カエル「……ちょっと待って、じゃあヒッチコックの鳥って天使や悪魔なの?」
主「そういう見方が多いんじゃないかな?
なぜ人が襲われたのか? と言うと、この作品の主人公である女性のメラニーは性的に奔放というか、自分から男性を誘うようなところがあった。
ヒッチコックは保守派の思想を抱いていたからこそ、それを悪徳だと感じていた。女性を誘うのは男性であるべきだし、女性が男性を誘うのは堕落である、とまで考えたんじゃないかな?
現代ではかなり問題がありそうだけれど、50年以上前の価値観ってそんなものでさ。だからソドムとゴモラじゃないけれど、神から天罰が下り悪徳に満ちた人は襲われるという、当時の保守的なキリスト教の教えに則った映画なわけ。
それをあまり説明しないから、上手い作品でもあるんだけれどね」
カエル「……今だったら考えられないね。
一方で『お熱いのがお好き』の方は?」
主「こちらは真逆で、当時女装を描くのはご法度だったんですよ。
ヘイズコードという表現規制が吹き荒れていて、キリスト教の教義にそぐわぬ表現は規制されていた。
女装などは性倒錯だから、撮っても専門機関の承認がもらえずに公開できない可能性が高かったけれど、ヘイズコードが力を失い始めた時代でもあって、承認なしで強行して公開した結果大ヒット。
結果的にヘイズコードが終わる決定打となったとも言われている」
カエル「ほえ〜……男らしく、女らしくという視点で見ると真反対の作品だね」
主「どちらも映像表現として卓越しているからこそ、今回は象徴として語るけれど、かなり”男らしさ””女らしさ”というのは歴史的に見て偏見の強い難しい問題であることがわかるな」
手塚治虫の『リボンの騎士』
一方では日本ではどんな状況だったの?
……やっぱり手塚治虫の影響は大きいんじゃないかな
カエル「あー、やはりリボンの騎士?」
主「少女クラブ連載版が1953年と早い時期に連載を開始しているけれど、何がすごいって主人公のサファイア王女(王子)は”男の心を持った女の子”なんだよね。
つまり性倒錯を起こした女の子が主人公なわけ。
ただし、この問題はお家問題……つまり男子優先の継承者問題なども絡んでくるんだけれど、複雑になるのでちょっと割愛」
カエル「でもさ、何で手塚はそんな性倒錯を含む内容の作品を書いていたの?」
主「もともと宝塚が好きだったから、そこをヒントにしていたらしい。
西洋がこの手の描写に対して保守的な面もあったのに対して、日本では……まあ漫画は悪書と呼ばれたこともあったけれど、手塚は性倒錯をモチーフとした作品を発表していたわけだ。
改めて思うのが、手塚は相当物語に対して革新的な表現者だよね。
鉄腕アトムも勧善懲悪の物語ではなく、人と同じように悩む少年を描き深い物語性を獲得。ブラックジャックも生命倫理を兼ね備えた、大人も読める……というかブラックジャックは若干子供には難しい作品に仕上がっている。
日本の漫画、アニメ界は良くも悪くも手塚治虫という存在の偉大さが大きすぎるな」
カエル「やっぱり神様だよねぇ」
主「日本はアメリカと違い、キリスト教などの宗教上の教義が緩かったこともあって、性倒錯などを描く余地があった。まあ、それでも問題はたっっっくさんあるんだけれどね。
話を戻して、少女向け作品はこの後ある2つの流れが主流になっていく。
それは『秘密のアッコちゃん』などをはじめとした、大人への憧れ、”変身したい”という願望を満たす魔法少女系。
そして、今でも少女漫画の主流となっている恋愛作品だ。
これはお家制度もあり、お見合い結婚や、親の決めた相手と結婚することも多かった時代に、自由恋愛こそが女性を解放する運動だという思いがあったことの証明でもある。
最近映画も公開した『はいからさんが通る』なども代表的だよ。
女性の解放の手段として恋愛は欠かせないものになっていく」
女性向けのスイーツ作品が恋愛をモチーフにした作品が多い理由
その流れは現在でも続いているよね
ちょっとこれでいいのか? という思いはありつつも、やはり恋愛作品は人気のジャンルだ
カエル「今は欧米を中心に『女性=恋愛大好き』という偏見の目を改めようという運動が盛んになっていて、2018年に公開した『オーシャンズ8』などは『私たちは男の話なんてしないの』というキャストのコメントがあるように、恋愛幻想から女性を解放する運動の要素もあります」
主「最近発表されたNTTの調査によると、日本で映画館に年に1度でも行く人の割合は35,3%と低く、もっとも映画を見る年代は10代の女性で65,8 %だ。基本的には年齢層が上がるにつれて、このパーセンテージも下がっていく傾向にある。
デートや友達との付き合いで、比較的安価で遊べる映画は都合がいいのだろう。
だからこそ10代、20代の、特に女性向けの作品が多く作られるわけだけれど、その多くが少女漫画を原作とした、恋愛作品である」
カエル「これだけ世界中で『女性の解放を!』と強く叫ばれている中で、未だに女子向けの作品が恋愛ばかり……というか、ほぼ恋愛作品しかないというのが果たしていいことなのか? という疑問はあるのかなぁ。
もちろん、恋愛作品が悪いというわけではないし、欧米がやりすぎている感もあるから、根絶されたらそれはそれで問題だけれど……」
主「だけれど、実際には女児向けのアニメや漫画というのは、かなり多様性があるんだよ。
例えばプリキュアシリーズは『女の子だってヒーローになれる』が基本コンセプトとしてあって、女の子が素手やサブミッションを駆使して戦う姿が大きな話題を呼んでいる。
さらにジェンダーフリーでいうと、90年代以降は特に挑戦的な作品が増えていて『少女革命ウテナ』は直接的な性表現があり、さらに男女にこだわるような描き方をしていない。
また『カードキャプターさくら』はそれこそ異性愛だけでなく、先生と生徒や年齢差のある恋、それから同性愛などの多様性のある愛を描いている面もある。
少女漫画は恋愛をコンセプトとしていたからこそ、実はかなり積極的にジェンダーの問題について触れているんだよね。
だけれど、映画やドラマなどの実写作品を見ていると、多様性が強調されている作品はそんなに多いとは思えない。
まあ、自分がオタクだからサンプルが偏っているかもしれないけれど、実は少女漫画の方が多様な愛を描いている可能性は高いわけだ」
カエル「だからこそ
”女性がヒーローとなる”
”ジェンダーフリーに触れている(同性愛を思わせる描写もある)”
”母親の解放運動”
などを積極的に行っているHUGプリが、今の日本で最先端の物語ではないか? という論調になるわけだね」
”男の子がプリキュアになれる”ことの重要性
そして、いよいよ男の子がプリキュアになる意義について語りましょう
これは本当に偉大な、大事件だろう
カエル「今年のプリキュア映画も本当に素晴らしくて、うちは今年トップクラスの作品として大絶賛をしています」
主「今年の映画には敵のミデンを様々な読み取り方ができるけれど、自分は”プリキュアが好きだった男の子”を応援するという意味合いも含まれていると感じた。
男の子がプリキュアになることは難しい。
これは女児向け作品だから当然という思いもあるけれど、逆に考えてみると……例えば『ウルトラマン』や『仮面ライダー』も女性が変身するケースはないわけではないけれど、基本的には男性が変身するケースが非常に多いわけだ」
カエル「どうしてもオモチャを売るための作品でもあるから、男の子向け、女の子向けの枠に囚われてしまうし、あまり冒険はできにくいのかなぁ。
ビックタイトルになればなるほど、保守的になっていくのはしょうがないよねぇ」
主「だけれど、今はたくさんの人が子供向け作品でも愛している。
子供向け作品が劇場公開された時、劇場には大人がすごくたくさんいるんだよ。
それは子供たちも同じで、男の子だからプリキュアが好き、女の子だからウルトラマンやガンダムが好き、というのはおかしいという流れは多様性のない社会になってしまう」
カエル「その好きな気持ちを否定して欲しくはないよねぇ」
主「だからこそ、今作で”男の子もプリキュアになれる”をしっかりと描いたのはとても大きい。
プリキュアは今や、女児向けアニメの代表格だしね。
プリキュアは恋愛を積極的に描かなかったりと、女児向け作品のアンチテーゼがなされていたけれど、今作は15周年らしくかなり多くの描写が攻めの姿勢であり多くの配慮もされていて、本当に素晴らしい作品だと思うよ」
はなのキャラクターデザインについて
最後に、ちょっと触れておきたいことがあるのでここで書いておきます
やっぱりさ、はなのキャラクターデザインがものすごく素晴らしいと思うんですよ
カエル「そこははな限定なんだね」
主「他の4人は夢を持ったり、大きな長所を抱えたある種の優等生的な人物である。フィギュアスケートの有名人、母親が女優で自分も子役、歌で芸能界進出していく4人に比べれると、はなはとても平凡な子に描かれている。
それはキャラクターデザインでも現れていて、その象徴が”切りすぎた前髪”なんだ」
カエル「1話冒頭でもはな自身が失敗として語っていたよね」
主「キャラクターデザインとしてはとても可愛らしさを残しつつ、だけれど、どこか不完全な様子がある。
作中でもそこそこの時間が過ぎているから、もう前髪くらいは伸びてもいいはずだけれど、でも頑ななまでに髪の毛を伸ばさない。
まあ、キャラクターデザインの変更が難しいという大人の事情もあるとは思うけれどさ。
そこがはなという存在だよね。
彼女自身が完璧な存在ではないからこそ、挫折した人に寄り添うことができる。
前髪がうまくいかなかったからこそ、わかる気持ちがある。
今後、この前髪が伸びるのか、それともそのままなのか? そこも注目してみると、新しい視点ができて面白いかもね」
まとめ
ではこの記事のまとめです!
- アメリカでも意見が割れるジェンダーフリーの問題
- 日本の少女向け作品は”変身”と”恋愛が主流”
- その要素を取り込みつつ、多様性のある物語を描くHUG プリ
本当に偉大な大事件ですよ
カエル「さて、いよいよクライマックスが近づいてきて、来週はほまれの恋模様に決着がつきそうだね。
タイトルに句点(。)がつくのは初のことらしいけれど……」
主「句点は区切りを示すから、まあそういうことなんだろうね。
今後の展開としては……答えの出ないもっとも重い問題である”死”を扱う可能性がかなり高い。ジョージ・クライの深い絶望を、クライアス社の面々の深い絶望に対してどのように寄り添うのか……それが気になるかなぁ。
でもHUGプリはやってくれると思います!
それだけの高いハードルをいくつも乗り越えてきたので!」
カエル「今後にも期待大です!」