物語る亀

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物語愛好者の雑文

物語は社会をどのように描いてきたのか〜混迷の95年とエヴァ〜

き~んこ~んか~んこ~ん

 

キリーツ、レイ、チャクセキ

 

はい、ちょっとたるんでいるよ、もう1回やり直そうか?

 

カエルくん(以下カエル)

「……えっと、まだこの流れを続けるの?」

 

「やめる理由がある?」

 

カエル「え? 続ける理由がないと思うんだけれど……押し問答になりそうだからいいや。

 それでは、今回はいよいよ1995年について語ろうということだけれど」

主「もともとさ、この企画を始めたきっかけってエヴァなんだよ。

 エヴァについて語ろうとしたら、どうしても時代背景的に1995年の状況について触れなければいけない。

 だけれど、それだけで1記事は簡単に消費してしまうほど、膨大なことになりそうだったから、どうしようかなぁ……と考えていたわけだ」

 

カエル「はぁ。まあ、でも1995年は日本の文化を読み解く上で1945年の次に重要とまで語っているから、今回はその理由も含めて説明して行きましょう。

 というわけで、記事のスタートです」

 

 

 

 

 

1995年という時代

 

では、まずは何から語ろうか?

 

95年は混迷の時代だったわけだ

 

カエル「バブル経済も崩壊して、さらには阪神淡路大震災やオウム真理教による地下鉄サリン事件もあって……それ以前からも少年Aによる残虐な事件などもあったけれど、いよいよ世紀末に向けて底が抜けたというか、それまでの社会が否定されていくような印象があったかなぁ」

主「昭和から平成に変わって5年過ぎて、昭和の価値観の多くが崩壊した年だ。

 来るべき2000年に向けて、期待もあれば恐れもあった年だろう。『ノストラダムスの大予言』だったり、98年公開だけれどディザスタームービーである『アルマゲドン』も大ヒットを記録した。

 ちょっと日本の状況から話がそれるけれど、アメリカ映画の面白い変化について話をしよう」

 

 

アメリカの映画の変化

 

例えばアメリカのディザスタームービーは、ある変化が90年ごろを境にあるんだ

 

変化?

 

主「それまでのアメリカで描かれていた世界滅亡の理由で多かったのは核兵器による暴発だ。

 『世界が燃え尽きる日』『ターミネーター』であったり、あるいは『博士の異常な愛情』なども核兵器による世界の終焉を想像させるような描写がある。

 一方で東西冷戦が終わり、核戦争の脅威がある程度は減った後のアメリカの映画は『インペンデンス・デイ』『ディープインパクト』『アルマゲドン』『デイ・アフター・トゥモロー』などのように自然災害や宇宙からの脅威(隕石やエイリアン)による地球の破壊を示唆させるような作品が増えていく

 

カエル「もちろんそれ以前からもこの手の自然災害やエイリアンを扱った映画はあるけれど、この辺りを契機に増えていったんだね……」

主「アメリカ人をはじめとしたキリスト教の敬虔な信者の中には、いまだに終末思想がある人も多い。2050年には地球は滅んでいると本気で信じている人はそれなりにいるんだよ。もちろん、科学的な理由ではなく、宗教上の教義からの思いだ。

 2000年という節目もあり、東西冷戦も終わったけれど、この先どうなるのか全くわからない時代……それが90年代の機運だった

 

 

 

90年代の文化

 

では、話を日本に戻そうか

 

90年代に流行したのは、オカルトや自己啓発の時代だったと思うんだよ

 

カエル「大槻教授などが出ていたり、あとは眉をひそめる所ではオウム真理教がテレビなどに出演して、まるでスターのように扱われた時代だよね。もちろんそれ以前からでもオカルトブームはあったけれど……」

 

主「なんでこの記事を書く前に1960年や80年代を説明したのかというと、理由はここにある。

 これらに時代は大人や社会がしっかりとしていた時代なんだよ。

 つまり、高度経済成長があり、自民党を中心とした政権が問題はありながらも支持を集めていた。大人や社会はある目標に向かって一致団結していて、だからこそ、若者は政治的な反抗や、倫理における反抗を行うことができた。

 でも、その社会が揺れ動いてしまったのが90年代。

 日本はバルブも崩壊するし、自民党は政権を失うし、東西冷戦は終わる、それまで当然のように思えた常識が、一気に崩壊してしまったのがこの時代だ」

 

カエル「今思い返すと高度経済成長期って大地震がなくて……もちろん天災はたくさんあるし、戦争という大きな被害を被ったけれど、阪神淡路やら東日本大震災やらが多くの震災が襲った平成と比べると、驚くべきことかも」

主「それまでは反抗するべき相手がいた。

 不満を抱えているのは、特定の大人たちのせいにできて、そこに反抗することができた。

 だが、この時代になるとそもそも大人が目標を失ってしまい、どう行動すればいいのかわからなくなる。

 そこで隆盛を迎えたのがオカルトブームや自己啓発のブームである」

 

 

 

 

ホラー映画から見る社会情勢

 

カエル「なんでオカルトが流行って行ったのか、という話だけれど……」

主「オウムの信者になった若者たちの多くは高学歴な学生が多かった。これを不思議に思う人がいるかもしれないけれど、古今東西、革命や自己変革を志す若者というのは高学歴であることが多い。安保闘争、日本赤軍などもそうだったでしょ。

 これはずっと語っているけれど、頭がいいけれど社会に対して不満があるからこそ、革命や変化を求めて行動する。

 しかし、その敵対する相手がいない時、人はオカルトや宗教に走る傾向がある

 

カエル「ふむふむ……」

主「例えばアメリカで60年代に流行ったヒッピーブームは『キリスト教に対する反抗である』と言われている。もちろん、ドラックやフリーセックスの流行などは、伝統的キリスト教の教えに反抗する、若者の『道徳への反抗』だった。

 だけれど、同時にジーザスムーブメントが発生する。

 ジーザスとは、いうまでもなくイエス・キリストのことだ。

 宗教家が作り上げたキリスト教のキリストではなく、一人の救世主としてのキリストを讃えるような運動である」

 

カエル「一説ではヒッピー文化の長髪や長い髭はイエスキリストを真似しているという話もあるよね……」

主「そして1970年代にはホラー映画ブームが訪れる。これはそれまで神の国アメリカVS神を否定する共産主義者』の構図だったものが変化していき、神に反する悪魔はアメリカ国内にも静かに入り込んでいるという啓蒙も含めている。

 例えば1973年に公開された『エクソシスト』は単なるホラーではなく、思春期の少女の不安定さを悪魔憑きと捉えた映画でもあり、同時に悪魔は家の中に入り込んでいると啓蒙する映画とも受け取れるわけだ。

 1970年代の『ヘルハウス』『オーメン』などを含めたオカルト映画ブームは、ベトナム戦争後の不安定な社会に対する反応であり、またヒッピー文化の後の宗教的に傾倒する若者の流れを受けたブームと捉えることができる。

 そして、それと同じことが90年代の日本でも起きたんだよ」

 

 

この時代を象徴するエヴァ

 

それでは、ようやくこの時代を象徴する作品の紹介ですが、もちろんこの作品です

 

 

 

そう、エヴァンゲリオンの登場

 

カエル「いやー、結局エヴァについて語りたくてこの連載を始めたようなものだけれど、長かったねぇ」

主「もちろん多種多様な受け取り方ができる作品ではあるけれど、この作品の1つの軸が『親世代VS子世代』の話だ。碇ゲンドウなどの父親を否定するシンジだが、決して最後までゲンドウに明確に勝つシーンはない。

 そして、ゲンドウもシンジを一方的に押さえつけるだけで、対話もコミュニケーションもあったものじゃない。

 これが旧世代の物語であれば、ゲンドウなどの大人を敵として、それを倒す=革命を起こすということが勝利条件だったかもしれない。

 だけれど、エヴァってそんな簡単な物語ではない」

 

カエル「そもそも、エヴァの勝利条件ってなんなの? いや、使徒を倒すことだとは思うけれどさ……」

主「勝利条件なんて存在しないんだよ。

 そもそもなぜ使徒と戦っているのかも含めて、なんの意味もわからない。

 なぜ? なぜ? と問うても、誰も答えを出さず、物語自体も明確な回答を用意しない。それは庵野秀明の一流のペテンであるけれど、これはとても社会情勢と合致した」

カエル「……社会情勢と?」

 

主「『よくわからないけれど、何かと戦わなければいけない』

 『なぜだかはわからないけれど、大人にそう命令されている』

 『敵がなんなのか、なんのために戦うのか、誰も教えてくれない』

 これらは当時の若者が抱える悩みと深くリンクした。多分、現代の若者もそうかもしれない。

 これが1945年であれば敵は戦前の価値観だった。60年代は安保の敵、自民党(保守勢力)だった。80年代は大人の論理だった。

 でも90年代は戦う相手もわからない。大人もどこを目指しているのかわからない、だけれど大人は価値観を教えてくるし、こういう風に行動しろと命令してくる。

 それに対して反発したくても、何に反発すればいいのかわからない……そんなグチャグチャな感情があったのが、この時代だ

 

 

 

未来に対する否定

 

カエル「この時代の特徴とエヴァに共通するものがあるという話だけれど」

主「それ以前の、昭和の時代では未来というのは何と無く良いものだと信じられていた。

 今日は苦しくても、明日は少し良い社会になる。21世紀はとても素晴らしい時代だろうという、漠然とした憧れがあった。

 だからこそアトムやドラえもんなどは憧れの対象だったし、SF的なガジェットも受け入れられた。

 だけれど、その幻影が失われたんだよ

 

カエル「未来が絶対的にいいものだ、とされなくなってきた時代かぁ。それだけ混迷していたということなのかなぁ」

主「エヴァからも未来に対する希望がないことを示唆する描写がある。

 それは『子の否定』なんだよ。

 アスカは生理痛の際に『子供なんて絶対にいらないのに!』という言葉を発している。自分はちょっとここは衝撃だったんだよ。14歳の女の子が生理痛で苦しむ描写そのものがアニメでは珍しい上に、さらに明るい未来の象徴であるはずの子供まで否定したからね。

 エヴァで子供が好き、あるいは子供が欲しいといったキャラクターって皆無じゃない?

 まあ、委員長とかマヤとかは欲しいかもしれないけれどさ。

 エヴァという作品はゲンドウは奥さんの幻影を追う=過去を追う物語だし、登場キャラクターは過去に囚われて未来を希望があるものとして認識していない」 

 

カエル「だから未来に対して希望がない時代の物語だという考察なんだ」

主「これはまたいつか詳しくやりたいけれど、自分は『エヴァQ』を評価していて、それは最後であの3人で歩き出したから。

 このシーンが見れただけでエヴァを追ってきた価値があったと思うし、旧作とは全く違う作品になったと思うね

 

 

 

戦うものがない時代

 

えっと……それがどうオカルトや自己啓発に繋がってくるの?

 

戦うものがないとき、人は何を革命するのだろうか?

 

カエル「えっと……政治勢力など以外で革命する方法?」

主「それはね、自分を革命するしかないんだよ

カエル「……人間革命? きな臭い話になってきたなぁ」

 

主「『自分が変われば世界が変わる』

 似たような言葉は多くのシーンで、いまでも使われている。社会に不満があるならば、自分を変えればいい。

 『世の中に不満があるなら自分を変えろ。それが嫌ならば耳と目を閉じ、口をつぐんで孤独に暮らせ』

 by草薙素子ですよ」

 

カエル「ここで唐突に攻殻機動隊が……このセリフは出ていないけれど、そういえば押井さんの攻殻の劇場版も95年公開だね」

 

主「何を信じればいいのかわからない『人間とは何か?』という問いをSFで描ければ攻殻になるんだろうな。

 何を信じて生きていけばいいのかわからない。

 それを教えてくれるものは?

 宗教だ。

 そして、自分を変える手段とは何か? それが自己啓発であり、オカルトであるわけです。

 現代でもそうでしょ? 人生でどうしようもなく困った人に対して手を差し伸べるのは、宗教だと相場がきまっている。運命や前世、守護霊などの話を信じてしまう。もしくは自己啓発にハマって、変なマルチ商法やセミナーに入るわけだ。

 まあ、物語にハマるオタクも似たようなものかもしれないけれど。

 そしてヒッピーブームの後のアメリカと同じように、日本でも90年代後半から00年代の前半にはJホラーブームが訪れる。

 さながら、麻原彰晃はチャールズ・マンソンといったところかな。

 それだけ社会がオカルトを求めていた、あるいは科学などでは解き明かせない、不可思議なものに惹かれるような時代だったんだ」

 

カエル「ああ、でもエヴァって確かにそういう話だもんね……」

主「最後の『おめでとう』自己変革の物語でしょ?

 自分が変われば世界が変わる、それを映像でアニメで、抽象的に描いたのがエヴァという物語だった

 

 

オカルトの否定

 

う~ん……でもさ、オカルトブームって90年代くらいから盛り下がっていったという話も聞くけれど……

 

やはりオウムの事件は大きかったんだろうな

 

カエル「やっぱり、オウム以降で『宗教は怖い』って風潮はすっかりできたよね。あのあと、特に害がないけれど変わった宗教も多くワイドショーで取り上げられて、まるで犯罪者集団のように扱われたところもあったし……」

主「社会は麻原による洗脳、っていうけれど、そもそも宗教ってそういうものだしなぁ。という微妙な問題がある。日本は神道や仏教社会だけれど、過激な一神教の信者からしたら間違った神を信仰していること悪魔の集団だけれど、そんなこと言われてもなぁ、って思わない?

 自分の信じるものを宗教に規定するような行為はとてもリスクがあることが判明した。

 日本は世間体の社会であり『お天道様が見ている』『世間様』の文化だから、世間という曖昧な存在に反する存在は徹底的に淘汰されるからね」

 

カエル「もちろんオウムは大きな問題があるというのは語るまでもないです」

主「ホラー映画もあまり人気がなくなっていき、いまでは劇場公開されるのも珍しくなった。それだけオカルトというものに対して疑問符がついたんだろうし、ノストラダムスの大予言などでおそれられた2000年以降、つまり21世紀が訪れてみると、別に大したことがないというのもあったかもね。

 では、政治闘争も失敗し、ヤンキーになって闘争するのもカッコ悪く、宗教による自己変革も否定された若者はどうなって行くのか?

 その答えが『セカイ系』『日常系』の隆盛につながります」

 

 

 

まとめ

 

では、この記事のまとめです

 

  • 社会が混乱するとオカルトや宗教が脚光をあび、ホラー映画などが流行る
  • 若者は自己変革の手段としてオカルトや宗教に向かう
  • エヴァはそんな空気を持つ若者を強く取り込んだ作品
  • オウム事件以降、オカルトや宗教は少しずつ力を失う

 

そして時代は00年代に入ります

 

カエル「いまでも超能力者みたいな人や占いって人気あるけれど、それについては?」

主「別にいいんじゃない? 自分も好きだし。

 占い大好きだし、美輪明宏とか江原啓之の『オーラの泉』とかも見ていたよ」

カエル「……え? そういう番組が好きなの?」

 

主「昔はね。今はそうでもないけれどさ。

 占いにしろ、オカルトにしろ本人が納得すればそれが正解だから。

 何を価値基準とするのかは人によるんだよ。

 それが科学という人もいれば、世間の常識という人もいる。占いやオカルトで自分の悩みが解決し、納得すればそれはそれでいいんじゃない?」

カエル「う~ん……やっぱりいい印象はないかなぁ」

 

主「前にも語ったけれど『占いはなぜ当たるのか?』って話だよ。自分のことなんて自分でもよくわからない。ものすごく自分勝手な人が『私は繊細だから』ということは良くある話だ。

 結局、占いは当たっていると思うから当たっている。

 オカルトも同じ。前世や運命がそうなっているという話が、当たっていると思えばそれがその人にとっては当たりなの。

 それを部外者がごちゃごちゃいう話じゃないってだけです」

 

カエル「はぁ…… 

 次は00年代のセカイ系と、10年代前半の日常系の隆盛に着目します!

 この長い連載もラストになるので、そちらもぜひ読んでくださいね!」

 

 

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