今回は日本で最も語られたアニメコンテンツの1つ『新世紀エヴァンゲリオン』のお話です!
テレビシリーズを中心に語っていくよ
カエルくん(以下カエル)
「この後に旧劇と新劇のお話もしたいので、ちょっとだけ語る余地を残しながらの記事となります!」
主
「……新劇の序とかって、そんなに語ることあるのかなぁ。あれ、ほぼフルリメイクでしょ? 破とかはオリジナル要素てんこ盛りだけれどさ」
カエル「その辺りもこれから観てからだね。
残念ながらコロナもあって、公開は延期されましたが……シンも非常に楽しみにしています!
というわけで、記事のスタート!」
感想
それでは、Twitterの短評からスタートです!
エヴァのテレビシリーズを観た
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2020年4月27日
初見時は14歳…どハマりしたなぁ(リアルタイムではない)
あの頃とは印象が異なるものの、そりゃそうだよなぁ…と理解できる部分も多々ある
にしても、久々に観てここまで突貫工事だったのかと驚愕
動かなくても演出で印象に残る作品にできることを示す好例 pic.twitter.com/Rrvi0aJ7Yq
久々に見直して、色々と感じるものがあったよ
主「初めて観たときは14歳の頃で、リアルタイム世代ではなかったけれど、まだまだ放送当時の雰囲気や熱狂も伝わってくるくらいの時代だったのかなぁ……
もしかしたら、今の14歳の子供が観ても『なんでそんなに熱狂したの? 意味不明なんだけれど』って笑われるかもしれないけれど、でもなんだかリアルに感じた……そんな作品なんだよね」
カエル「年齢的にはシンジくんよりも、とっくにミサトさん達の方が近い年齢になって、改めて見直しても印象は変わらなかったの?」
主「いや、さすがに全然違う。
当時は『すごいアニメだ!』なんて思ったけれど、今見ると止め絵の連続で、予告の絵コンテや台本をそのまま流すのなんて、笑っちゃうよね。
それくらい放送ギリギリまで制作して、全く間に合ってなかったのが伝わってくる。昔は、そんな制作事情なんて一切気にしないからさ、全部演出とか、狙い通りだと思っていたんじゃないかなぁ……そんなことも考えなかった、というのが1番近いのかもしれないけれど。
だけれど、その放送できるギリギリのクオリティ……もしかした、今では作画崩壊と言われるようなレベルでさえも、演出と思わせるような物語・演出のレベルの高さに、やはり舌を巻いた」
伝説になるのには、それだけ理由があるってことだね
アニメは動かしてなんぼ……それは間違いではないけれど、それだけじゃないよね
カエル「それこそ、日本のアニメは手塚治虫の頃から『動かないことが当たり前』みたいな状況だってあったわけじゃない? だからこそOPやEDも含めた、バンクシステムってものができて、さらに出崎統監督のような、止め絵を印象的に見せる人も出てきた歴史があるわけで……
そのある種、究極系と言えるのかも……」
主「多分、アニメーター出身で動かしまくった庵野監督自体は、この出来に不満かもしれないけれど、でも様々な事情で動かすことができない状況下の中で、いかに魅了するのか? という手法は面白かった。
特に伝説となっている24話の第九の中のカヲルくんを握るシーンなんか、勇気のある演出だよ。
ああいうシーンを見ると、惚れ惚れしちゃう部分があるかなぁ」
エヴァンゲリオンという作品をいかに解釈するか?
でもさ、色々と語り口や解釈が多すぎて、難しい作品……
いや、もうすごく単純な作品だと思うんだよねぇ
主「極端なことをいえば、使徒がなんだとか、エヴァとは? ゼーレとは? とかさ、そんなことは考えなくて良い」
カエル「……わお。結構大胆な……」
主「いや、結構、同じこと言う人もいるんじゃないかな?
エヴァンゲリオンとは”碇シンジと言う少年の成長譚”でしかないんだよ。
そして、シンジを中心とした……レイはちょっと難しいけれど、アスカとミサトがどう変化するか? と言う物語になっていく。
ぶっちゃけさ、ゼーレとか死海文書なんでどうでも良い。
それはあくまでも設定の話であり、パッケージというか、外側の話だから。
明らかに尺がたりてないし、どこまで密な設定があるのかも謎だし」
それを解説する謎本が、めっちゃ流行ったのに……
自分もいくつか読んだけれど、結局は『ボクの考えたエヴァンゲリオン』の領域を出ないんだよね
カエル「……それを言い出すと、このブログも大概なような……」
主「ある種の二次創作というか、解説・評論なんて、そういう性質と隣り合わせのものだから。もちろん、きっちりと調べた一流の解説などもあるのだろうけれど。
で、自分の解釈では……やっぱり”碇シンジが他者と家族にいかに向き合うか”という、ただそれだけの物語。
そう考えると、とてもシンプルでしょ?」
カエル「多種多様な解釈ができる懐の深さがあるからこそ、面白い作品でもあるんだろうけれどね」
主「その辺りも含めて、自分なりの解釈をこの先やっていきましょう」
社会派作品としてのエヴァンゲリオン
1995年という時代
この作品を語る切り口はいくらでもあるだろうけれど、まずはどこから語るの?
何と言っても時代背景、特に95年という時代はとても重要だろう
主「これは日本の近現代史も絡んでくる話だけれどさ。日本の近代というのが一世一元の制が制定された1868年、明治元年と共に始まったという認識が一般的だと思う。
そして……近代と現代を分けるのも難しいけれど、日本の現代史、あるいは現在に続く大きな変化というのは1945年の終戦を境に発生し、それまでの価値観と一変した。
終戦を迎えた1945年が、日本の近現代で最も重要な年の1つであることは疑いようがない」
カエル「……あんまり語りすぎると、学のなさがバレるから気をつけてね」
主「はいはい。
で、これは自分の感覚だけれど、じゃあ1945年以降の現代史の中でも、重要な年は? と訊かれると……やはり1995年だと考えている。
2011年、もしかしたら2020年も同じくらい重要な変化を迎える年になるかもしれないけれど、自分の中では95年が1番かな」
オウム真理教の一連の事件・阪神淡路大震災と日本の根底が崩れていく年でもあるね…
この年にエヴァが生まれたというのが、とても重要な現象ではないだろうか
カエル「変わりゆく……過激な言葉を使えば、崩壊する社会を反映した作品でもあるわけだね……」
主「まず、この作品を読み解く時にノストラダムスの大予言の影響はある。
1999年7月に世界が崩壊するという予言が、まことしやかに囁かれていた。もちろん、今にしてみれば笑い話だけれど、日本に限らず熱心に宗教を信仰している人たちにすれば笑い話ではない。
例えば『アウトブレイク』『アルマゲドン』『ディープ・インパクト』などは、超自然的な現象によって、地球や文化が崩壊する様とそれに抗う人間ドラマを描いてヒットしている。見方を変えれば『タイタニック』だって、タイタニック号を小さな地球の縮図と考えれば、パニックムービーの要素もあるわけだ。
1999年の当時は子供だったけれど『本当に世界は崩壊するのかな?』なんて話をしていたんだよ」
カエル「ちょっとだけ、信憑性がある話ではあるわけだね……」
主「同時にオウム真理教をメディアが担ぎ上げていたり、あるいは今ではマジシャンとして認知されているミスターマリックも、超能力者のように紹介されていたりもした。
悩みを抱えた若者が宗教に走ったり……まあ、そういう時代でもあったわけ。
そんな中でキリスト教をモチーフにしながら、自分探しを行うエヴァンゲリオンがヒットしたわけだ」
思春期の悩みを反映しながらも、謎を語る
でもさ、なんでエヴァだったの?
言葉が過ぎるかもしれないけれど、やっぱりエヴァを楽しむならば14歳の頃に見る以外ないんじゃないかな?
カエル「そういえば、以前に朝のワイドショーで、小倉智昭が『ボクもエヴァを観たけれど大したことがなかった』と語っていたっけなぁ」
主「自分と同じ、熱狂的な西武ライオンズファンの小倉智昭だから擁護するわけではないけれど……いや、マジでね。
エヴァにハマらなかった感覚もわかる。
というか、今の自分が観てもそこまではハマらないかもしれない。
思春期の頃の悩みって、大人になると大したことなかったりするじゃない?」
カエル「あ〜確かに、ボクも足が生えた時は大騒ぎしたけれど、両親は気にもしなかったなぁ」
主「……その例えは俺にはわからんけれど、まあでもそういうこと。
本当にどうでも良いようなことに一喜一憂してさ。
小さな世界だから、小さな出来事に傷ついていたり。
でもさ、それは笑えないんだよ。思春期の子供にすると、本当に真剣な悩みだから。
だから14歳の頃に”共感”して欲しいのね」
……自分は運よく、14歳の頃に観れたから言っているだけじゃ?
まあ、それもあるけれどさ。でも年齢ってとても大事だよ
主「例えばガンダムだってそう。あれも富野由悠季の独特な感じが効いているけれど、SFでありながらも人間を深く抉り出そうという物語であり、同時にアムロ・レイという少年の思春期の思いを代弁する物語だった。
そして、これは時代を象徴する作品にありがちだけれど、前時代的な要素と、次の時代的な要素が混在している。
つまり90年代前後に大きなブームを迎えていた……まあ、ずっとブームではあったんだけれど、オカルトと、そして後の時代のセカイ系の要素だ」
カエル「と言っても、元々セカイ系って”エヴァっぽい”作品を指していたから、当然といえば当然だけれど……」
主「逆にいえば、それだけ大きな影響を与えているんだから十分じゃない?
まあ、そんなこんなで、95年という時代を象徴・反映する作品でもあるわけだ」
以下テレビシリーズのネタバレあり
エヴァンゲリオンの基本的な構造
シンジの擬似家族体験
では、ここからはテレビシリーズのネタバレ込みの話になります!
先にも語ったように、エヴァとは『シンジが他者と向き合い、自己を確立するまでの物語』だ
カエル「……あれ、さっきと文言変わってない?」
主「良いんだよ、細かいことは!
碇シンジという、親と向き合うことができない、他者と向き合うことができない内向的な少年が、自分の道を見つけるまでの物語、ぐらいの意味合いでしかない。
ただし、基本的なお話が非常に悪質ではある。
で……この作品で1番重要なのは、アスカの存在だ」
カエル「あれ、レイじゃなくて?」
主「レイよりも、ミサトよりもアスカが大事。彼女が最重要人物、あとは、ちょっと重要度が下がる」
カエル「……それって、あなたがアスカ派だからじゃなくて?」
主「いや、まあ確かにレイとアスカなら断然アスカだけれど、それでいったらマヤが1番好きなんだけれど……むしろマリ派?
いや、それはいいの!
すんごく単純にいうとさ……レイってヒロインたりえない印象なんだよなぁ」
綾波レイの役割
あ、全国のレイファンを敵に回した!
う〜ん……やっぱり、基本的にシンジの相手になるのはアスカだけだと思う
カエル「まあ、ミサトさんではないよね〜。29歳だしさ!」
主「……その歳の差を超えた恋愛を描いた『劇場版ラーゼフォン』に喧嘩を売っているのか?
まあ、いいや。
結局さ、綾波レイってどんな存在かというと、シンジの親類ってことじゃない。
母親の遺伝子を内包しており、妹や姉に近い存在である。で、中身は空っぽで、確かにシンジに惹かれているようでもあり、ゲンドウ(旦那・夫)に惚れているようだけれど、基本は感情が薄いっていう。
なんていうのかなぁ……例えるならば『ファイアーエムブレム 聖戦の系譜』のセリスとユリアみたいな関係」
カエル「……また、ごく一部の人にしかわからない例え話を。
聖戦の系譜というゲームは、親子2世代の物語であり、結婚システムがあります。セリスとユリアは第2世代(子世代)の主人公とヒロインですが、2人は異父兄妹であるものの、それを知りません。
また少し特殊なシステムで、本来は関係性が0からスタートし、条件を満たすと少しずつ増えて行き、500に達すると恋人関係になるというシステムです。しかし、この2人だけは490からスタートし、徐々に減っていくというシステムです。
つまり、バグなどを使用しなければ絶対にくっつくない、しかし最初はすごく惹かれあっているカップルという設定です」
兄と妹だから、当然といえば当然のシステムだけれど……でも、そこは加賀さんが関わったFEだから、近親なんてありうるわけで……ベルサガの時も義理とはいえ妹と……
いいからエヴァの話をしろ!
主「つまり、そういうことなんですよ。
2人はすごく惹かれ合うけれど、でもそれは徐々に好感度は減っていく。
恋愛関係から、また別の関係へと変わっていく。それが家族関係なのか、仲間なのか、それはわからないけれど。
結局、シンジにとってレイとは母や女家族の象徴にすぎない。
アスカとレイの対立っていうのは、ある種の嫁VS姑・小姑対決みたいなものなんだよ。旦那は嫁の方に振り向いてくれず、自分の家族ばっかり見てムキー! みたいな話。
そしてアスカが最も不幸なのは、レイの存在の意味を知らないことなんじゃないかな」
アスカの役割と不幸
ということは、アスカの役割って……シンジの奥さんってことなの?
端的にいえば、そういうこと
主「”擬似的な家族”という意味では、だけれどね。
エヴァのもう1つの物語構造っていうのが”典型的な姫騎士物語”でもあるんだ。
ドラゴンに襲われた時、お姫様を騎士が助けるという種類の物語。
それでいうと、レイは家族……母や姉・妹のような存在。問答無用で助けるべき相手であり、最も騎士が敬愛する者。
そしてアスカは助けられるお姫様ということができる」
カエル「『強くてかっこいいシンジ様〜』みたいなことだね。
そう考えると、『瞬間、心、重ねて』の回のシンクロとかは、騎士とオテンバお姫様が交流を重ねるシーンだし、キスシーンを経て、後半の展開はシンジがアスカを凌駕する場面が多いと」
主「ただし、アスカの最大の不幸であり、物語上悪質なのは”アスカの自意識は、お姫様ではなく騎士”なんだよ。
そして自分が姫であることを認めない。
そんな未来はいらないと思っている。
アスカは自分の中の女というものを憎んでいる。
それを象徴するのが22話の『女だからってなんでこんな目に合わなきゃいけないのよ、子供なんて絶対にいらないのに』というセリフだ。
初見当時、衝撃だったよ。子供を欲しがらない女性像……しかも少女像を、夕方のアニメで放送するのか? というね。今でも、こんな描写はできないんじゃないかなぁ」
割と序盤の方がシンジとの関係がうまくいったのも、2人が共闘する仲間であったからで、そのバランスが崩れてしまったからこその、後半なのかなぁ……
シンジはそんなアスカを救うほど、自分に余裕がないというのも2人の不幸だね
主「マギシステムの話で『科学者・母・女としての自分を反映している』という話があった。そして最後まで残るのが女である、とも。それは一種の業だよね。
アスカの場合はパイロット・娘・女となるのかなぁ……そして、多分最初に捨てるのが女の部分であり、最も守るのがパイロットの自分。
そしてレイというシンジを縛る同世代の母親にイライラする」
カエル「……なんか、アスカってすごく可哀想な」
主「もしかしたら、作中で1番詰んでいる存在かもね。
アスカとシンジは鏡面的な関係である一方で、補い合うべき相手でもあり、最も嫌悪する相手でもある。
その関係性をなんというのか……自分は”愛”だと思うがね」
カエル「……それ、多分まどマギに引っ張られているでしょ」
ミサトの苦難
じゃあさ、ミサトはどんな役割なの?
シンジとアスカが14歳の性意識ならば、ミサトと梶は29歳の性意識で動くわけだ
主「……エヴァに限らず、庵野作品に共通するものかもしれないけれどさ、生理的なものが気持ち悪いという価値観があるように感じる」
カエル「あ、そういえば庵野さんって、お肉とか魚とかを食べられないベジタリアンで、すんごい偏食なんだよね。気持ち悪いっていう理由だとか」
主「作中のレイの『チャーシュー抜きで』というのもそうだけれどさ。
これって感覚的なものだけれど……SEXって気持ち悪いじゃん?」
カエル「いや、じゃんって言われても」
主「他人と粘膜を交わし合う、それはキスでもなんでもそうだけれど、その行為にある嫌悪感。
そういうのがあるじゃない。
シンジとアスカに限らず、14歳の頃って性に対して潔癖か奔放か、どちらかになると思う。潔癖な人はとことん潔癖。そして、アスカは女である自分を否定しているし、シンジもどちらかといえば潔癖なタイプ。
一方でミサト・梶は年相応には奔放に考えている。多分、普通の感覚なのかなぁ……普通って言いづらい問題だけれど。そういう意味では、お色気担当であると同時に、大人の役割でもある」
でも、ミサトって保護者としての役割を真っ当できていないって、よく言われるよね?
う〜ん……でも、あんなもんな気もするんだよな
主「じゃあ、今の自分が14歳の……異性だから女子中学生、しかも上司の子供を預かるとして、何ができるだろう? とは考えちゃうかなぁ……
大人と子供というには15歳というのは、歳が近すぎる。
親子としてはねぇ……もちろん、中にはそんな親子関係もあるだろうけれど、流石に一般的ではないよね」
カエル「う〜ん……それでも、もうちょいやりようはあるような気はするんだよねぇ。誰でも良かったのかも、というのもあながち間違いじゃなさそうだし……」
主「29歳のキャリアウーマンだし、95年は今よりも結婚に対する意識は強かったはずだから、アラサーという年齢は考えることも多いんじゃないかね。
それでも、あれだけ面倒を見たのは、立派は立派。ただ、どうしても人間的には未熟だから……と言っても、完璧じゃないから人間らしいし、補完されるべき人間でもあるんだけれどね」
エヴァの設定に関しての考察めいたもの
渚カヲルという最後のシ者
そして、最後に語るのはカヲルくんということですが……
ゲンドウなどに関しては、旧劇版の時に語るとして、カヲルくんは印象深いよねぇ
カエル「1話分しか登場していないことが驚きのキャラクターであるよね。
色々と意味深なことを語っているけれど、あの意味とかはどう解釈するの?」
主「まず、あの白くてデッカいのはアダムではなくリリスだとされている。リリスというのは諸説あるけれど……どうだろう、この場合はアダムと共に生まれた女性、ということではないだろうか。
最初の人類として誕生したアダムとイブではあるけれど、その別の進化の形の源流としてリリスがいる。アダムから生まれし人類、リリスから生まれた使徒、みたいな。
だけれど、人類も使徒と考えると……本来人類の生みの親はイブではなく、リリスなのかもしれない。
つまり、イブとの間に生まれたのが使徒であり、リリスの元に生まれたのが人類、という可能性も捨てきれないね」
……うん、よくわからないや
ただ、渚カヲルというキャラクターは面白い
主「カヲルくんは”人類(シンジ)のことを完全に理解した使徒”として登場する。
彼はシンジに近づき、半ば同性愛のように語りかける。その力は決して大きくないけれど、大事な働きをする。
それは人類を知ろうとしていた使徒たちの試みの先にあるものなのは、間違いないだろう。
使徒とは人類と異なるものではなく、むしろ人類と同化を果たそうとする者なのではないだろうか?」
カエル「……え、何、それはどういうこと?:
主「まあ、ぶっちゃけていえば、物語のあるあるだよ。
”異形のものと戦っていたけれど、高位な存在になるに連れて人間に近づいていき、実は人類と同じ存在でした”みたいな話。
その結果、最後の使徒として、最も人類に近い存在がやってきたという、そんな話。そしてシンジのみならず、視聴者の心も鷲掴みにしたというね。
いや、使徒の勉強能力は素晴らしいね」
25話、26話の衝撃
じゃあさ、今度はあのラスト2話ってどういう意味なの?
え、単なる時間が間に合わなかったから、なんとかしたってだけの話だよ?
カエル「……いや、そういう現実的な話じゃなくて!」
主「ハイハイ。
まあ、物語としては人類補完計画だよね。
なんだかんだ言われているけれど、それって一体なんなのか? って話。ここはちょっと、旧劇版の方の感想に回そうかなって思っている。
で、自分が面白いなと思うのは……どうしようもない状況だからこそ、あえて”アニメとは何か?”ということに言及したことだろう」
カエル「氷川竜介教授も語っていたっけ」
主「確かね。グニャグニャな線から、地面が生まれて天地ができる。だけれど、多種多様な可能性が実はあるって話だ。
そして本来ならば……本来ならば、っていうと変な話だけれどさ。あの学園エヴァのような物語もありえた。
だけれど、それは選択しなかったという、ただそれだけの話でもあるんだよね」
ふむふむ……
物語の世界線はいくらでもありうるんだよ
主「エヴァの26話の素晴らしさは”自分とは何か?”という哲学的な命題に対して”アニメとは何か?”という技術的な命題で答えた部分。
そして、それは大きく間違えてなかった。
これは驚愕だよね。誰もそんなことを考えなかったと思う。急ごしらえかもしれないけれど、超ファインプレーだった。
結局、根元について考えていくことというのは、自分と向き合うことになるのかもしれないね」
カエル「……わかるような、わからないような……」
主「この辺りは旧劇と被る部分もあるから、また改めて話をするよ」
まとめ
では、この記事のまとめです!
- 14歳の思春期の思いを見事に捉えた歴史的な作品
- 1995年という時代に合致した物語に
- シンジ・レイ・アスカ・ミサトのそれぞれの思いに意地悪な展開も?
あとは、旧劇に持ち越しかなぁ
カエル「というわけで、早ければ明日にもアップ予定です!
こうご期待!」
主「それじゃ、次も!
サービスサービス♡
……意外と、この言葉って予告で使ってないんだよね。今回改めて見直してびっくりしたわぁ。
でさ、マヤの可愛さについて語りたいんだけれど、20話の時に猫のクッション持っててさ、その辺りの乙女さが……あれ、カエル? どこいくの? お〜い、マヤの可愛さについて語ろうよ〜」