それでは、今回は問題作と名高い『新世紀エヴァンゲリオン 劇場版 Air/まごころを、君に』の記事となります!
……どう語っても荒れるよね
カエルくん(以下カエル)
「エヴァファンは熱すぎて怖い人も多いからねぇ。
ちなみに、当たり前のようにこの記事も1万文字超えましたので、大変読み応えがあるk記事となっております」
主
「……止まらないよねぇ。
ここまで長くなるとは思わなかったわ。
ちなみに、当たり前ですが個人的な解釈になりますので、正解とかではないです。ご了承ください」
カエル「それでは、早速ですが記事のスタートです!」
感想
それでは、Twitterの短評からスタートです!
Air/まごころを君に
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2020年4月27日
壮大な実験作にして偉大なる問題作
十数年ぶりに鑑賞してここまで素晴らしい作品だったか! とようやく腑におちて驚愕している
人類や生きることへの絶望感と、それでも屈さぬ讃歌
そして何よりも「アニメ、映像とは何か?」という根源に迫る
庵野さん、スゲェよ!(今更) pic.twitter.com/olNy2tDxAo
十数年ぶりに鑑賞し、その真価を堪能できたように感じます
カエル「難解な作品ではあるけれど、人々の心に深く残る作品だよねぇ。
もちろん、賛否は当然あるけれど、逆に言えば賛否が起こらないような作品には絶対にしないという、覚悟が見えたというか」
主「この映画が苦手って言う人は、まあわかる。
万人受けしないし、また壮大な実験作でもあるし。
だけれど、その実験結果が……自分は失敗だと思うけれど、でも価値は大いにあると感じるんだよね。
それについても後述するけれど」
カエル「あとは、単純にこれだけ動き回るエヴァが見れただけでも、良かったのかなぁ」
主「作画的には厳しいところもあったからね。
それでも庵野監督の攻めた演出は多く見受けられるしね。
……まあ、内容はえげつないけれどさ」
ちなみに、こんなツイートもしているよね?
…あ、いまエヴァを観ていてわかった気がする
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2020年4月26日
セーラームーンと繋がった
というわけで? セーラームーン1期だけでも全話観るかなぁ
な〜んも詰まっていない所感だけれどね
主「端的に言えば……セーラームーンのムーブメントと、エヴァンゲリオンのムーブメントは似ているのではないか? と言う話かな」
カエル「どちらも平成初期を代表するコンテンツには違いないけれど……どう言う点で?」
主「セーラームーンは佐藤順一、幾原邦彦などの手によって、女性解放運動の一種でもあったと思うわけですよ。
じゃあ、エヴァは? と言うと……その逆、男性(男の子)解放運動。
いわゆるロボットアニメの典型であった形を覆し、その根底にあったマッチョイズムというか、熱血系の流れを否定したというか。
女の子はバリバリと闘うようになり、男は内向的に入っていくというのも、時代感覚を反映しているし、現にそんな世の中になっていく。性の開放を描くとともに、社会の流れを予見した作品、というべきかなぁ。
まあ、あんまり煮詰まっていないので、この辺りにしておきます」
作画的な解放
それにしても……特にAirの方は、迫力がとても凄かったねぇ
本当にやりたかったことが、枷が外れてたくさんできるようになっていた印象だな
カエル「いやー、ようやくミリオタの庵野監督&ガイナスタッフの本領発揮! というシーンの連続で……ヘリと2号機の対決シーンとか、多分爆発エフェクトが書きたかっただけなんじゃないの? と邪推したくなるようなシーンもたくさんあったしねぇ」
主「あのヘリの残骸が落ちるところとかさ、細かい部分の作り込みが最高なんだよ。
この映画における快楽シーンの多くが、この前半のAirに詰まっていた。もしかしたら、本来のEVAというか、観客が庵野秀明作品に望む要素がたくさん詰まっていたと言えるのではないだろうか?
また……これは描写的には良いと言いづらいものだけれど、自分はミリオタではないからあれだけれど、戦車やミサイル、ヘリの造形、あるいは虐殺シーンで使われた兵器などのこだわりも感じられるものだった。
ミサトがシンジを迎えるために銃を準備するシーンとか、そのギミックなんかも楽しんで描いているんだろうな、というのが伝わってきたし」
カエル「止め絵の連続だったテレビシリーズとは打って変わり、動きと迫力の快楽性で魅せてくれる作品だったね。
だけれど、虐殺シーンなどがあるから……純粋に素晴らしいとは、なかなか言いづらい部分があるけれど……」
主「ただ、あのシーンは必要は必要で……よく言われる『結局、1番恐ろしいのは人間』というのもそうだけれど、それと同じくらい重要なことが今回見直して見つかったんだよねぇ」
量産型EVAとデビルマン
そういえば、こんなツイートもしているね
十数年ぶり?くらいに旧劇エヴァのAirを観て驚愕した
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2020年4月27日
ラスト、完全にデビルマンじゃん
この発見は大きい
いや、確かにデビルマンオマージュはたくさんあるって聞いたことがあるけれど、Airのラストとか、まさにそのまんまじゃん……
カエル「あのアスカがボロボロになりながらも2号機で戦い、勝利したと思いきや、まさかの展開が訪れてしまいます。
量産型EVAに食われてしまい、シンジが目にしたその姿……それがデビルマンの伝説的な衝撃シーンの1つである、牧村美樹の虐殺シーンだね……」
主「いや、今更かよ! って言われるかもしれなけれど、デビルマンの詳細を知ったのもここ数年なので……ね。
ほら、子供の頃ってそんなにオマージュとか気にしないし!
という言い訳は置いておくとしても、よく言われる”EVAの基本形はデビルマン”というのも納得した。この、意地の悪い物語形式の源流がわかったかな。
では、あの描写・さらに量産型EVAとはなんだったのか? という疑問に行き着くだろう」
量産型EVAの正体?
すんごく単純に、天使だよね
主「なんで9体なのかが、ちょっとわからないけれど……黙示録のラッパが吹いて、という聖書の一説を参考にしている。
物語ではよくあるものだけれど、羽が生えるというのは、やはり彼らが最後の天使ということを示しているのだろう。
初号機に羽が生えるにもかかわらず、2号機に羽が生えないのも恣意的。
結局、”残酷な天使”になれるのは選ばれた存在であるシンジ&初号機であり、アスカ&2号機ではない、ということ。
逆にいえば、やっぱりアスカは最後までヒロインなんだよ。
ただし、救われるお姫様ではなくて、牧村美樹なんだけれど」
各キャラクターたちについて
碇シンジの性の目覚め
では、各キャラクターについて語っていくけれど……最初のあの衝撃の自慰シーンって、なんだったの?
最悪なつかみでもあるけれど、観客に衝撃を与えることは成功している
カエル「あのシーン、初見の時は固まるよね……あんなことをする主人公なんて観たことないし、存在するとも思わないし……」
主「でもさ、あのシーンは非常に重要な気がする。
これって完全に想像の部分であるから、もしかしたら明確に否定できるシーンを忘れているかもしれないけれど……シンジって、あれが初めての自慰だったんじゃないの?」
カエル「……え? それってどういうこと?」
主「シンジにとって、初恋の相手に近いのが綾波レイだろう。
自身の周辺には女性が……まあ、いないことはないんだろうけれど、でも他人に興味がない子供だから、女性に興味を持てなかった。母親もいないしね。
それまでミサトもいたし、レイやアスカの裸も観ているんだけれど、それって『親戚のお姉ちゃんの裸をみちゃった! ドキドキ!』みたいなものでさ、性の感覚とはまた違うのではないか? という印象がある。
だから、あの時って初めて生の性の感覚の目覚めなのではないか? という解釈なわけ」
……ちょっと、ご婦人や子供さんには聞かせづらい話になっていきます
でもさ、初めての自慰ってあんな感じなんじゃないかなぁ
主「野郎には通じるけれど、賢者モードっていうかさ。
普通の男性の場合、初めての精通っておそらく夢精・あるいはポルノ作品を見ての自慰だろう。
だけれど、シンジの場合は同じ家に暮らしたこともある、同い年の女の子であるわけだ。
しかも性的には相当潔癖なシンジくんだよ。
状況も状況だし。
そんな時に、性の興奮や目覚めが始まってしまった後の感覚って……『やっちまった……』とならざるを得ないのではないかねぇ」
カエル「ちょっと、ボクがどうこう言えることはないです……」
主「お前みたいなウブっ子みたいな存在だからさ、シンジ君は。
ほら、男が1番集中している瞬間ってレンタルショップのアダルトコーナーじゃん? 何万本とある中から、自分に最適な1本を探し出す、絶対に損をしない覚悟を持って事に挑むわけだから。
でも、終えた後には賢者モードが訪れるっと」
……え、何、今日は下ネタの日なの?
いや、この視点って大事なんだよ
主「つまり”性的なものは気持ち悪い”という感覚って、多かれ少なかれあると思う。
例えば、ポルノ作品自体には偏見が少ない人がいるとしても、おじさんが電車の中とかでスポーツ新聞の風俗欄を読んでいたら、眉を潜めるだろう。
だけれど、スポーツ新聞の野球欄とか、あるいはより人間の根源的な欲求という事でグルメ欄なんてものを読んでいると仮定しても、何も思わない。
つまり”性的なモノ”に対する、潔癖とも言える視点がある。
その汚さを直視してしまったのがあのシンジだけれど……でも、それって人類が存続する上では、絶対必要ではあるよね。
その視点を描いたのがあのシーンだ。
ミサトでもレイでもない、アスカで自慰をした、性的な興味を抱いた……これが、アスカがヒロインであるということの最大の理由と言えるのではないだろうか」
アスカの覚醒
一方で、アスカについてはどう思うの?
女であることを受け入れて、覚醒している状態だな
カエル「えっと……前回の記事でテレビシリーズでは”騎士志望だけれど、本質的にはお姫様のジレンマに苦しむヒロイン像”ということだったよね?
今回は騎士として活躍できているよね」
主「騎士というよりは、戦士の方が近いのかなぁ。
その部分はどうでもいいとしても、やはりエヴァ2号機に乗って、母と間接的に接触を試みたということが大きいだろう。
彼女は初めて母に守られて育つ子供の感覚を知る。
そして同時に、自分の中の女を受け入れると解釈できる。
だけれど、どこまで行ってもアスカはアスカであり、残酷な物語構造の果てには”お姫様を強要される存在”にならざるをえない、という宿命もあるわけだ」
カエル「ここで重要なのは、その充足感が与えられたということなのかな?」
主「そうだね。
戦士であり、母の思いを知る子供であり、女である事を受け入れる事でアスカは覚醒した。
それでも、天使たりえない地上の存在である彼女には悲惨な結末しかない。
生きながらにして、おそらく神経接続された上で身体中を食べられるという悪夢が待っている。
結局、戦士としての彼女は、選ばれし騎士の復活のための生贄のような存在でしかなかった。
だけれど……まだ、最後の役割が残っている、というのは、後述する」
赤木リツコの苦悩
ここで語るのがリツコなんだ
ゲンドウとシンジ、アスカと母などの感覚をつなぐ存在だからね
カエル「でも、リツコってどういう役割なの?」
主「シンゴジラでいうところの赤坂みたいな存在かな。
作中で最もといっていいほど理知的であり、主人公とは真逆のことを語り、しかもそれが一見正しいように思える。だけれど、状況は予想・解説といつも真逆に進行してしまうことで、結果的にはいつも驚いたり、あるいは嘘をついている事になってしまうような存在。
そして、何よりもミサトの親友だよね。
エヴァって基本的に男1、女2のトリオ関係で物語が進む。
シンジ・レイ・アスカを基本として、ミサト・リツコ・梶もそうだし、ゲンドウ・ユイ・赤木ナオコもそう。
脇役組は例外的だけれどね。マコト・シゲル・マヤのオペレーター3人組、あるいはトウジ・ヒカリ・ケンスケとかさ」
それでも、基本はトリオなんだね
トリオの関係性って、物語的には作りやすいんだよ
カエル「コンビだとボケとツッコミ、みたいに固定化してしまって、物語や関係性を広げづらいけれど、トリオだとボケ・ボケ・ツッコミなどの他にも色々な関係性を作りやすいって話だね。
それこそシンジの親友としてのトウジ、トウジへのツッコミ役としてのケンスケ、アスカの親友としてのヒカリとか。トウジとヒカリの恋愛関係も描けるし」
主「リツコは、ミサトと梶ができているから、その間で冷静にツッコミをいれる存在だ。
同時にゲンドウ・ナオコ・リツコのトリオの関係性も成立する。どうだろう……大学時代は、それなりに性に潔癖な方だと思うから、奔放……といっても梶との関係ぐらいだけれど、ミサトと対になる存在でもあるよね。
女であることを否定せず、だけれど母に縛られ続けた人生……その苦境を象徴する存在である」
カエル「最後は”女としてのナオコ”に反対されるわけだもんね……」
主「それこそ、女の業に振り回されていると言えるかもしれない。
最後の対立の場面では、結局のところ、何1つとして為すことはできず、絶望の中に沈むしかなかった。その前に親友のミサトはシンジを救い、梶の名前を呼びながら逝ったけれど、トリオの一人としては、なんとも無常なラストだった。
この無常感こそが……自分の心に深く印象に残ったな」
碇ゲンドウの思惑
そして、ラスボスとも言えるゲンドウとは何者だったのか? という話だけれど……
結局は、言っている通りだよね。息子が怖かったというさ
カエル「……なんか、それってすごく情けないような」
主「情けないよ。
最近、まとめサイトかな? それで観たけれど『俺の愛する女に無条件に愛されるこいつはなんだ?』という理由で、子供に対して憎い感情が生まれてくるという話があったんだよね。
自分としては……そもそも子供どころか、結婚もしてないからなんとも言えないけれど、でも、まあありうる話なのかなぁ、とは思う」
カエル「う〜ん……人間の心情としては、全くありえないとは言い切れないのかな」
主「同時に、男の子にとって……特に一人っ子、ないしは兄弟が歳が離れていると、父親というのは最初のライバルになるだろう。
様々な意味合いでの障害となっており、いつかは父をどんな意味かはあるだろうけれど、乗り越えることが求められる。
そして同時に、父親としては子供が怖いという感覚も、あるいは生まれるのではないだろうか?
この辺りは……なんとなくだけれど、庵野さんの心理が出ているのかもしれない」
庵野監督は結婚しているけれど、お子さんはいないはずだよね。また男兄弟はいなかったような……
だからこそ、父と息子という関係性をすごく考えたのかもしれない
主「結局のところ、この親子はすごく似たモノ同士なんだよ。
違いがあるとすれば、怖いことを隠さないシンジと、怖いことを隠す無表情のゲンドウという関係でさ。
それでも逃げちゃダメだと自分を鼓舞する……まあ、それがいいのか? と言われると自分も首を縦に振れないけれどさ、それでも誰かと立ち向かう気はあるシンジと、何でもかんでも逃げて、娘のようなレイと愛しい奥さんの幻想を追いかけるだけの人生を歩むゲンドウの差かな」
カエル「あのラストにおいて、ゲンドウはユイさんには会えなかったよね……」
主「でもさ、あれはあれでゲンドウにとっては救いだったのと思うよ。
自罰的な部分もゲンドウはあったと、自分は受け止めている。
自分の愛したユイの分身である初号機に食べられるということで、全て解決したんじゃないの?
本人も納得しているようだしさ」
カエル「……なんだかなぁ。
結局は”理解できないことを理解しろ”って物語になるのかなぁ」
エヴァンゲリオンとはなんだったのか?
人類補完計画とはなんだったのか?
じゃあ、こっからはさらに設定にお話だけれど……そもそも、人類補完計画ってなんだったの?
すんごく簡単に言えば、究極の社会主義というか、人類を統一する試みだよ
カエル「……人類を統一?」
主「前回の記事でさ『リリスから生まれたのは、人類かもしれない』って話をして、旧劇でガッツリとその話をしていて、ちょっと赤っ恥って感じだけれど……結局は、そういうこと」
カエル「いや、だからどういうことよ?」
主「それこそ、テレビシリーズの……第20話かなぁ。
シンクロ率が400%を突破して、シンジがいなくなったじゃない。
あの瞬間、シンジはエヴァ初号機と同一化し、ユイと出会っている。
あれを全世界規模でやる計画。
例えるならば、全人類を液状化させてしまい、それを混ぜてしまおうって話」
カエル「そうなると、分離することはできないと……」
主「神道の考え方に近いのかなぁ。
少し政治的な問題になるけれど、戦犯と呼ばれる人たちが靖国神社に祀られている事に疑問を持つ人たちが、簡単に『分けてしまえばいい』というじゃない? だけれど、神道の考え方では一度同じように祀られてしまった魂を分けることはできないとされている。
そうだなぁ……コップに水を5個くらい用意して、バケツに全て注ぐ。その中でコップ1つ分の水を完全に分けなさいと言われも無理でしょ?
コップ1杯分の水を汲み上げても、それは混ざった水であり、混ざる前の水にはなりえない」
ATフィールドを消失させて、形を失くしてしまい、全てを混ぜてしまおうという計画……
それが25、26話であり、人類の究極の進化だ
カエル「え、じゃあレイやリリスはどうなったの?」
主「この計画に大事なのは”全ての母の元に集結する”という考え方だ。
前の記事でも述べたように、レイはシンジにとっての母親であり、女性の親族の象徴だ。
そして全ての人類の母であるリリスを器に、その母の象徴たるレイを魂として入れてしまう事によって、人類補完計画をやってしまおうという話。
アスカは2号機を元に、擬似的に保管されており、あの覚醒は人類補完計画によるもの、と解釈もできる。
ゲンドウの目的は碇ユイ復活計画であり、人類補完計画と重なる部分もあるけれど、ゲンドウの思惑からすると、魂というか、器というものもレイや初号機でなければいけなかった。
全ての母としてのユイ復活を果たした、と解釈できる」
カエル「なんか複雑な話だねぇ。
その前に虐殺までしてやりたかったのが、そんな事なんだ……」
主「もちろん、自分の解釈だから絶対的な正解というつもりはない。
だけれど、あそこで虐殺された人も、ミサトもリツコも体がなくなり、マコトやマヤのを迎え入れていることから、魂の救済たる人類補完計画の一部にはなれたのだろう。
ゲンドウはそこから拒否された……まあ、最後の審判で地獄に落とされたってところかな。
それが人類補完計画だ」
本当に”現実に帰れ”という物語なのか?
え、でもさ、じゃあなんで実写の描写が出てきたの?
……あれって、自分にとっては『オトナ帝国』な描写でもあるんだよなぁ
カエル「え、クレしん?」
主「いや、直接的な意味ではないけれど……あそこで描かれた実写映像って、それこそ90年代そのものじゃない?
なんてことない街の様子を描いてはいるんだけれど、そこが妙に懐かしくて……ああ、90年代ってあんな風景が日常としてあったなぁ……と感じる。EVAという物語が、懐かしく感じるのと同じようにね」
カエル「……うん、まあ、そういう人もいるんだろうね」
主「で、ここでよく語れられているのは『庵野は実写を使って”現実に帰れ”というメッセージを発した』というものだ。まあ、自分が一次ソースを読んだわけではないけれど、そういうインタビュー記事もあると多くの人が語っているし、そういう意図もあるかもしれない。
でもさ、それもなんだかなぁ……と思うんですよ」
基本的にはうちもフィクション大好き、ってタイプだから?
……というか、Airの時点でものすごく楽しんでいるじゃない
主「映画に限らず、物語って最初から最後まで作り込むタイプの作品もあるけれど、中には『これがやりたいんだ!』という思いが前面に出ている作品もある。結果的に、物語の筋は滅茶苦茶になろうとも、それでもやりたいことを優先する作品」
カエル「……あー、トムクルーズの『ミッション・イン・ポッシブル』とか?」
主「そうそう。アニメだって『このシーンがやりたかっただけなんだろうな』って思うような作品もあるよ。特にアニメーター出身監督の場合は、全体ではなく一部シーンのクオリティ目立つ作品もある。
で、エヴァの……特にAirってそういう作品じゃん。
それで現実に帰れと言われても、なんか変だと思うんだよね」
実写演出を取り入れた意味
話が戻るようだけれど、庵野監督はなんで実写を取り入れたの?
意味は2つ。”映像とは何か?”という実験と”観客の人類補完計画”の推進だ
カエル「……確か、テレビシリーズの時は『自分とは何か? という哲学的な問いに対して、アニメとはなにか? という技術論で返答した』と語っていたよね?」
主「それはバッチリと……ハマりすぎなくらいハマった。
そして、劇場版はその先に進んだ。
それが実写化・つまり”映像とは何か?”という、さらなる根元への追求だ。
これもよく語るけれど……現代はCG全盛の時代でさ、アニメと実写映画の垣根がなくなってきている。じゃあ、 CGをガンガン使ったハリウッド超大作って、アニメと何が違うの?
『超実写版!』なんて煽ったライオンキングは、アメリカではアニメーション作品として扱われているじゃん」
カエル「それって、確か最近だと『映像研には手を出すな!』で、外部に書き下ろした記事でも語っていたよね……」
主「そう。
つまり『映像とは何か? アニメと実写の垣根や違いとは何か?』ということの探究。
実際、庵野監督はこのあと実写分野にも進出している。僕たちは簡単に”実写・アニメ”なんて語るけれど、映像としてこの2種は本当に分けられるものなのか?
その壁……つまり、ATフィールドをぶち壊そうとしたのが、この映画でもある。
そしてその実験は……残念ながら大失敗したのかな。
正直、意味がわかりにくいし」
もう1つが”観客の補完計画”ということだけれど……
スクリーンという壁を破壊しようとしたんだよ
カエル「つまり、劇中の人物と同じように補完してもらい、観客も巻き込もうとしたと?」
主「そう。
作り手と観客の融合。
観る者と観られる者の逆転。
昔聞いたのは、前衛芸術の舞台作品では幕が開くと、舞台上の演者がじっと観客を見つめるものもあったという。つまり”観る・観られるの関係の逆転”だよね。
僕たちは映画はスクリーンの先の虚構だと思っている。だけれど、それをぶち壊すことができたら?
碇シンジはアニメの主人公ではなく、現実の登場人物のようになるのではないか?
それは、まさしく”アニメと実写の補完計画”となるのではないだろうか?」
カエル「……某白いやつ風にいうけれど、意味がわからないよ」
主「はい。意味がわかりません。
だから、この試みも大失敗だと思う。
だけれど、その壮大な実験が失敗したからといって、本当に意味がなかったのか? というと……それは違う気がする。碇ユイが語るように『EVAは太陽がなくなった後に残る人類のいきた象徴』となる可能性だってある。多分、庵野さんは、人間の内面を作品に取り入れることで、永遠に輝くものができると、本気で考えている。
その試みの先に実写へ向い、それは『シンゴジラ』で、別の形として1つの結果につながったという捉え方もできる。
その意味でも……本当に、意味不明なほどの意欲作だよね」
”気持ち悪い”の救い
そして、いよいよあの衝撃のラストです
中盤でエンドロールが流れるという、驚愕の演出もあったしね
カエル「全てが終わって、シンジがアスカの首をしめて、そしてその後に『気持ち悪い』で終わる……意味がわかりません。
宮村優子曰く、あの気持ち悪いの言葉の選択は元とは違い、収録現場が難航していた頃にいた監督の質問などが、本当に気持ち悪くて思わず口から出た言葉が、採用されたという話もあります」
主「初見時は意味不明だった。
でも今ならわかる。
あれは、救いだよ」
カエル「……え、救い?」
主「そう。
自分は人類補完計画って、マジで気持ち悪いと思う。
自分自身だって、当然何かが欠けた不完全な人間だと自覚するけれど、だけれどそれを他の人と埋め合わせたいなんて思わない。
そもそも、そんな全体主義は大嫌い。
今の日本の空気も、右向け右、いうこと聞かない奴は晒してしまえの精神も大嫌い。だから、あえて逆のことを叫ぶこともある」
……エヴァ感想によくある、唐突な自分語りだ
でもさ、その”気持ち悪い”って、自分と他者は違う人間だ、という意味だと思わない?
主「人類補完計画のようにすれば、みんなが救われることがあるかもしれない。
それは誰とも意見を違えず、誰もが許しあえる理想郷かもしれない。
でも、そこには個人がない。
自分の存在は否定される。そもそも、全体があるから、個人なんていらないんだ。
シンジは、母と……リリスとユイの両者と決別し、そんな個が存在しない世界を否定する道を選んだ。
全体主義を否定し、個への回帰を果たすわけだ」
カエル「え、でも、その場を選んだあとでアスカの首を締めて、さらに気持ち悪いと否定されるわけじゃない……?」
主「当たり前じゃん!
生きるってことは気持ち悪いんだよ!
僕と違う人間がいる、体がある、そこに個人がいる。それは全員が同じ個体となる人類補完計画の真逆であり、すんごく気持ち悪いことなの!
先ほどから語るように、庵野監督は生理的なものは気持ち悪いと捉えている節がある人だ。
だけれど、気持ち悪いから始まる感情、関係もある。
それが”愛”なんだよ!」
……世界の中心でアイを叫んだ獣……
あれは Iであり、哀であり、愛を叫ぶんだ!
主「そして『まごころを、君に』へと到る。
自分にとっては、このラストは人間賛歌ですよ!
こう、賛歌というと闇雲に『生きるっていいよ! 生きるって楽しいよ! わかり合うって嬉しいよ!』というもののようになりがちだ。
だけれど、EVAは真逆のアプローチから人生を、人間が生きるということを探り出した。
その結果生まれたのが『気持ち悪い』だ。だけれど、その言葉は決してマイナスなだけじゃない。
『僕とあなたは違う人間です』というところからスタートする関係性。
自分と異なる別の人と、相容れない存在と認識することからスタートする関係性。
だけれど、だからこそ、壁を乗り越えていく姿というのは尊いものではないですか!
それが恋愛であり、家族であり、友人であり、絆や人間関係なのではないですか!」
カエル「え、そこまで熱くなるの……?」
主「みんな一緒じゃないんだよ!
みんな違うんだよ!
EVAの、新世界のアダムとイブは……シンジとアスカは『気持ち悪い』から始まるんだよ!
これこそが、混迷の時代であり、庵野監督が悩み、苦しみ抜いた上で見つけた、現代における創世記と言わずになんというのですか!」
まとめ
では、この記事のまとめですが……正直、まとまりません!
今回はここで終わりにしようか
カエル「もう、かなり暴走した感もある記事になったからね……」
主「さ〜て、いよいよ新劇場版に入るとしようか!
どんな物語かなぁ……ワクワクするなぁ。
劇場公開後から見てないからなぁ!」
カエル「……また、いい記事になるといいね」