- お題 初夏 女 下駄
雲ひとつ無い青空にぽっかりと存在を強く主張する太陽が周囲を焼きつける。まだまだ日差しは弱いというが、暑さは日に日に増していき、すでに長袖はタンスの奥にしまわれて久しい。
アパートを出ると熱気が俺を襲う。一歩足を踏み出すだけで、背中にじんわりと汗が伝う。
いつもならばここまで汗はかかないだろう。しかし、今日は別だった。
新品のパンツとシャツを履き、兄貴にお下がりでもらった勝負服に身を包む。
「やめとけよ」
アパートの一階に降りた直後、階段のそばにいた駒野が声をかける。
「いくらなんでも無謀すぎる。相手を考えろ」
昨日から何度同じ話を繰り返しただろう。いつも冷静で物事を俯瞰し、計算して生きている駒野は、俺の決意を聞くと初めは冗談と思ったのか鼻で笑ったが、やがて本気と信じてくれてからは、何度も何度も考え直すように諭してくれた。
だが、いくら言われようとも、決意はけして揺るがない。
「なあ、駒野よ。男には無理かも知れなくてもいかなけりゃダメな時もあるだろう」
「なんであいつなんだ。無理だよ、俺には夜には部屋で泣いているお前しか想像できない」
いつもこうだったな、とふと思い返す。俺が無謀なことを言って、駒野が反対して、それでも二人で駆け抜けた日々。
それがこの程度で揺らぐとは思わないが、人生はいつもわからない。
「……星の数ほどいる中でも、見つけちまったんだ。これは理屈じゃないよ、感性だ。破れて散ったならそれでいい」
「……」
「それによ、指咥えてじっと見ているのは性分じゃねえな。男ってのは女のケツを追っかけるものさ。違うか?」
そういうと駒野は額に手を当て、ため息を吐きながらも、やれやれとつぶやいた。
「俺は冷静に、考えてから行動するのがモットーだからな、感性だ何だというのは主義に合わん。だが一つだけ言えるのはな……泣きついてくるんじゃねぇぞ」
へ、誰に言ってやがるんだか。
「勝負ってのはな、下駄を履くまでわからないもんだぞ」
「じゃあまた後でな」
駒野はニヤリと笑いながら、こちらに軽く手を振る。だが、俺は振り返らない。男には次も後もない、あるのは今だ。
「さて、天使の口づけをいただきにいきますか」
地鳴りのように響く歓声と罵声の中を夢が駆け抜けていく。
俺の幻想と希望に満ちた未来を、無慈悲な現実が美しく明瞭な響きと共に告げられる。
『一着 アネモネ 二着 クイーンローズ 三着 プリキュアスキー ……』
「まあ、こうなるだろうな」
隣に立つ駒野が告げる。
順位表が告げるエンジェルキッスの順位は十二位と入賞することなく、くしくも散っていった。
「桜花賞とったクイーンローズや、桜花賞は出れなかったけど無敗のアネモネを眼中にないとか言った時点でな」
「……」
「エンジェルキッスは2000m以上は明らかにスタミナがもたない。オークスは距離が長いから、いくら1400mで圧倒的な強さで勝ったからって無謀なんだよ」
「……」
「好きな馬に賭けるのは競馬の醍醐味かもしれんが、いくらオークスとはいえ、生活費使ってまで単勝一点買いは……」
「あーもう! うるせぇ、うるせぇ、うるせぇ!」
くそ、絶対来ると思ったんだけどな……パドックでも毛並みの美しさとかは抜けてたし……
駒野がポンポンと肩を叩く。
手堅くいってこいつは当てたらしい。チマチマ買って何が面白いのかわからん。換金してもチャリンとなるような額しかならないくせに。
このむしゃくしゃした気持ちを晴らすために、手元の馬券を破いて散らす。
どこもかしこも季節外れの桜が乱舞していた。
「次のダービーは絶対当てるからな」
「はいはい」
「で、駒野君。今日の夕飯なんだけど」
「却下。自分でなんとかしなさい」
(こちらは2013年頃に初夏 女 下駄の3題で作ったお話です。3題話のリクエストがあればコメント欄にどうぞ。書くとは限りませんが、なるべく努力いたします。)
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