前回において物語の勉強法を学び、ではこれからいよいよ物語を書き上げたとする。
当然のことながら書き上げた物語というのは誰かに見せたくなるものだ。
だが、おそらくその作品を友人や家族に見せたところで、読んでくれるのはどうだろうか、半分くらいだろうか。受け取りはするだろうが、それを読むとは限らない。
そしてさらに、その読んだ感想もまた半分くらいの人は「面白かったよ」「すごいね」なんて具体性のない褒め言葉をくれることだろう。
そんな言葉が欲しいわけではないのにぁ……と少しモヤモヤしながら、もっと色々な言葉が欲しくなる。
だが、ここまではまだいい。具体性のない褒め言葉をくれる人たちは、まだ善良だし、わからないなりに思いを伝えようとしてくれているからだ。
しかし中には「あえて厳しい言葉を伝えることで、叱咤激励をしようという人達」がいる。その人達は決して意地悪なわけではなく、「面白いよ」とかいう中身のない言葉で感想を伝えることは却って悪いと思い、本当に思ったこと、本当に良かったことを全力で伝えようとしてくる。
だが、その人達の基準となるものは世界的名作であったり、すでにそれで食べていっているプロの作品だったりする。
もちろん書き上げたあなたがプロだったら真摯にその意見を聞かなければならない。
だが、本当にプロならばこのページを見ているはずがない。
初めて書き上げた作品を、そんなプロたちと比べられてケチョンケチョンに打ちのめされると心が折れてしまうだろう。また、そんな言葉に答えなければならないと、その悪かった部分を改善しようとしてしまうかもしれない。
だが少し待ってほしい。
あなたが書いた『物語』という世界は常に批判と隣り合わせなのだ。
今、日本で一番人気のある作家、村上春樹であっても爆笑問題の太田のような根強いアンチは非常に多い。太宰治も嫌いな人もいるし、夏目漱石も大したことを書いていないという人もいる。
こんな歴史的一流作家たちですらアンチの人たちがいるのである。それならばあなたの書いた作品も、アンチに思う人がいて当然だと思わないだろうか?
しかも、その人達が不快に思ったところ、修正しなさいといった部分が、非常に強い個性となり、売りになる部分もある。誰の言葉も真に受けて、次々修正していったとしたら、それは誰の心にも響かない、毒にも薬にもならないつまらない作品になるだろう。
悪く言われた部分というのはその人の心を何かしらで抉ったことになる。その傷をつけることが大事なのではないだろうか。
もちろん、それが本当にその作品をダメにしている部分の可能性もあるわけで、その意見はしっかりと聞かなければならない。大事なのは、その指摘をしてくれた人物のいうことが自分にとって合っているのか、自分で判断することだ。それで作品の質が上がっても、下がっても、指摘してくれた人の功績にも責任にもならない。
物語を書く上の上手さや自信というものは非常に簡単に折れてしまう。理路整然として批判をして、「こうした方がいい」と指摘したり、または中身のない罵詈雑言を並べ立てることも自信を折るには十分だろう。
だが、好きであることは否定のしようがない。
それは非常に強い才能になる。
『何も知らなかった頃 自分の力はこーんだけあるんだと思ってた(両手いっぱい)
それが壁に当たると ぎゅーって 小さくなってく
潰れる
でも あるんだよ
ちっさい ちっさい 吹き変えせる芽が
それをプチっと潰すか 育てるか
乗り越え方に正解なんてねぇけれど
確実にあるのは 乗り越えるのは「自分」だってことだ』
ましろのおと 11巻
作品を公開するということは、色々な人の話を聞くということでもある。
そこには潰れてしまうような意見もあるかもしれない。だが、本当に好きであれば、そう簡単に潰れはしない筈である。
だから是非とも、人の言うことを(あまり)聞かずに、自分の作品を育てていってほしい。
- 作者: G.ガルシア=マルケス,木村栄一
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