物語る亀

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物語愛好者の雑文

映画『僕と世界の方程式』感想と批評 この世界は数学に溢れている! 作り込まれた名作!

亀爺(以下亀)

「……まさか、ここまで思うところがあるとは」

 

ブログ主(以下主)

「ああ、このTweetのこと?」

 

 

亀「いきなりこういうのもなんじゃが、そこまでの大絶賛なんじゃな」

主「もうね、この映画のレベルの高さがとんでもないのよ。確かに地味だし、この週は『ドクターストレンジ』『マグニフィセント・セブン』をはじめとした大作映画が多くて、この映画って見向きもされないかもしれないけれど……個人的にはこの作品がNo,1の評価だよ!

 この週はまだ4本くらいしか見ていないけれど!」

亀「……ジャンルが違うからなんとも言えないの。そういう比べ方をあんまりすると、作品ファンから反感を買うぞ」

 

主「やりたいことも違うしねぇ。

 でも、もっと評価して欲しいなぁ……

 こういう映画を広めていきたいよ!

亀「……前々から思っておったが、主はハリウッド大作エンタメに向いておらんな。もっと小規模な公開映画に絞って記事を書いた方がいいのではないか?」

主「やっぱりそう思う? 薄々感づいていたけれど、趣味の問題かなぁ……

 さあ、感想記事を始めるよ!」

亀(ふむ、どうやら思わぬクリティカルヒットで絶賛記事の始め方に迷っておるな……)

 

 

 

 

 

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映画『僕と世界の方程式』予告編

 

1 ネタバレなしの感想

 

亀「では、まずはネタバレなしで語るとするが……まずはざっくりとこの作品の魅力について語っていこうかの

主「この映画の脚本が非常に緻密なんだよね! 

 いい脚本って何? といわれたら、自分はこの作品をあげるかも!

 トンデモナイ構成力だよ!」

 

亀「それだけ激賞する理由をネタバレなしで説明すると、どのようなところにあるわけかの?」

主「確かに地味なんだよ。自閉症の男の子を描いた映画だけど、自閉症でよく描かれる天才性に注目するだけでなく、さらにその先にあるものを描き出している。

 そのラストがなぜ生きるかというと、非常に丁寧に作られた脚本が少しずつ積み重なって、その点と点が全てつながるから! それは単なる脚本の繋がりだけでなく、テーマや演出、この映画が語りたいメッセージ性などが全て1つになった先に見えることなんだよ!」

 

亀「いや、ワシは言いたいことがわかるが、それで伝わっているかの?」

主「1分に1回はジョークが飛び出しているようなものなんだけど……それにもちゃんと意味がある。そして何気ない会話もすごく上手くて、自分は1分も無駄なシーンがないと感じたね

亀「確かにゲラゲラと大笑いする映画ではないかもしれんが、クスリとくる映画ではあったの」

主「『Re:LIFE~リライフ~ 』とかも好きだから、こういう脚本に弱いんだろうな。基本的にヒューマンドラマでありながら、軽くクスリとさせる部分もあるというね。

 相性がすごく良かったよ」

 

 

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音楽映画と手堅い演出

 

亀「この映画はある意味では音楽映画でもあるの

主「数学オリンピックの話でもあるけれど、数学というのがこの世界中に溢れているということも思い出させてくれる映画でさ。

 日本では昨年公開した、インドの天才数学者であるラマヌジャンを扱った映画『奇蹟がくれた数式』もそんな描写があって、ラマヌジャンが数学が得意な理由は『神が教えてくれるから』というものだった。それは実際にいたラマヌジャンが明かしていることだけど、おそらく彼も一種の共感覚者であって、神の声として数学のことを理解していたんだろうね」

 

亀「この映画の主人公も高度自閉症を抱えておるが、共感覚のような優れた感性を持っておるの」

主「作中でも色々な形で数学や共感覚が登場するわけだよ。

 代表的なところでは『音』『色彩』なんだけど、これって映画ではすごく大事なことでさ、物語やテーマと、音の力、色彩などの演出の力が合わさった時に生まれるものが、映画にしかない魅力じゃない?」

 本作は見事に調和していた。だから、結構地味で手堅い演出のように見えるけれど、それがこの映画の魅力を最大限に引き出している!

 

亀「……この評価、2016年も同じようなことを語っていたなぁ、と思ったら『映画 聲の形』じゃの」

主「あの映画も聴覚障害という重いテーマをノイズ混じりの音楽や、様々な演出で表現した名作映画だったけれど、本作も面白さの質は同じかもしれない。違いがあるとしたら、聲の形はどうしようもなくリアリティに溢れて身をえぐってくるけれど、本作はジョークなどもあってわかりやすく暖かい気持ちで見終えることができる、という点かな?」

亀「こちらの方がわかりやすいとは思うの」

 

 

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これからこの映画を見る方へ

 

亀「おや? 過去になかった項目があるの?」

主「ここから先はネタバレありで解説や批評をしていきます。

 この映画はネタバレなしで見た方が楽しめる気がするので、なるべくなら見た後にこの記事を読んで欲しいなぁ……というのが一つ。

 だけど、せっかくなのでこの映画で注目して欲しいところをいくつかピックアップして書いていこうと思います

 

亀「ほお……それはどこじゃ?」

主「まずは『数学の問題に諦めないこと』

 つまり『わからないからといって、見る気をなくさないこと』

 この映画で難点なのが、数学オリンピックの話があるから、出てくる問題が非常に難しい上に専門用語がポンポンと出てくる。それが結構高度なため、おそらく観客の9割以上は理解できない。だけど、これは『理解できなくて正解』である、ということ。

 ここでわからないから嫌い! って思ったら、この映画のメッセージを1つ逃してしまうことになる」

 

亀「そこもネタバレありで解説かの」

主「それから、決して派手な映画ではないかもしれないけれど、セリフの1つ1つ、演出の1つ1つに意味が多く存在する。

 この映画の素晴らしい点は、その演出もまた雄弁に様々なことを語りかけてくれるところであって、物語を追うだけでなく、気になったところは頭の片隅に入れておくと、鑑賞後に点と点が繋がって線になる面白さが出てくる

亀「ふむ……」

 

主「あとは開始5分で既に一気に引き込まれる、うまい出だしになっているので、なるべく情報はシャットダウンして見た方がいい。この映画で素晴らしいのは、その引き込まれるスタートを予告編でもカットしているところで、ここについてはこのブログでも触れないようにする。

 この映画に関わった人の誠意も見えてくる。もっと派手な予告にすることもできたけれど、その誠意をもってして、この映画は名作となったとすら思うね

亀「……ここまでの大絶賛は久々かもしれんの」

 

 

以下ネタバレあり

 

 

 

 

2 練りこまれた脚本

 

亀「さて、では作品解説を始めるとするかの」

主「どこから語ろうかな……この映画をここまで絶賛する理由について語ろうか」

亀「そうじゃの。では出だしからから語るか」

 

主「自分は映画がどの程度の作品か、というのは開始15分以内にはわかると思っている。というか、15分もいらないんだよね。

 なぜならば、魅力的な映画であればあるほどに、スタートの重要性を意識しているから。うまい映画は大体スタートからうまいし、ダメな映画はスタートからダメ。もちろん例外もないことはないけれど……」

亀「その意味ではあのシーンはすごくうまかったの。わしもこうなるとは思っておらんかったから『まさか!』と口をあんぐりさせてしまったわ」

主「ここで何があったかはさすがにネタバレになるので、語ることはしないのでぜひ劇場で!」

 

会話の面白さ

 

亀「これはこの映画を象徴する部分でもあるの。ジョークに溢れた会話というのは、この重くなりがちな映画をポップにしておるの」

主「このジョークがあるかないか、というのは結構評価に関わるけれど、この映画は病気ものでもあるわけだ。

 それは主人公ネイサンの自閉症もそうだけど、その師匠である音楽の先生のマーティンも病気を抱えている。だけど、それを時にはジョークにするんだよね。

『体の柔らかさには定評がある』って笑えないセリフを言うわけだ

 

亀「中々笑えんが、このセリフから見えるのは『決して病気や障害を特別扱いしない』という覚悟すらうかがえるの」

 主「結構勇気ある決断だと思うんだよね。この手の問題ってポリコレもあるけれど、それをさらに自虐とはいえジョークに使うというのは批判される可能性もあるから。

 ネイサンの自閉症は絶対に必要な設定でもあるけれど、マーティンの病気はそこまで必要ない……と言ったら語弊があるけれど、なくても物語は作ることができる。じゃあ、なんでマーティンにも重い病気を背負わせたのか……それがこの映画では重要な意味を持ってくる

 

亀「この会話の裏にあるものもの、映画としての意味も色々と考察できるようになっておって、完璧なセリフでもあるかもしれんの」

主「1回しか見ていないから見過ごしたところもあるだろうけれど、伏線の張り方やこの作品のテーマなども含めて、重要なセリフがすごく多いから、本当に無駄な部分が一切ない脚本だよ。それをこれから説明していくよ」

 

 

 

 

3 ネイサンとマーティン

 

亀「さて、ここからがこの記事の本題じゃの」

主「まず、大事なのはそれぞれの役に与えられた役割がはっきりしていることなんだよね

亀「ふむ……その真意を聞いていくかの」

 

主「まず、ネイサンが自閉症を抱えているのは映画のテーマとして絶対必要なことだけど、なぜその先生であるマーティンがこの重い病気を抱えているのか? という理由を考えていく」

亀「ふむ……まず、マーティンの役割はもう一人の父親ということじゃの」

主「それは間違いなくあるよね。男の子の成長には2人の大人の男が必要って言葉があるんだけど、その意味って父親と違う大人の男像を見せることで、選択肢を増やすことにあるわけだ」

 

亀「父親は立派な大人の男であるが、マーティンは生徒の大麻を見過ごして自分で吸うような、決して品行方正とは言えない男ではある。しかし、数学の才能はずば抜けておるという設定じゃの。

 かつては天才だった、というの」

主「かつて天才だった、というのはすごく大事な設定なんだよ。

 ここでマーティンは2つの役割が与えられる。

 1つは当然師匠格、導き手としての存在だけど……それだけじゃない。」

 

 

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もう1つのマーティンの役割

 

亀「ふむ……もしかして、マーティンという男は『ネイサンと同一化した存在』ということか?」

主「そう! マーティンが病気を抱えているのは、ネイサンが自閉症という病気を抱えているのと同じである。

 自閉症ってうまくコミュニケーションが取れない病気だけど、マーティンが抱える病気はうまく行動することができない病気で……つまり、この意味って『自閉症以外の病気でうまくコミュニケーションが取れない人』って意味もある」

 

亀「それを補完するような演出もたくさんあったの」

主「まず、ネイサンもマーティンも抱える問題は『コミュニケーションが取れない』というものだった。どうしても人前ではうまく話すことができないネイサンと、ジョークで誤魔化してしまうマーティン。

 マーティンの場合はハッキリと『精神の弱さ』だと言われていた。そしてそれは自閉症を抱えているネイサンにこういうことを言うのもなんだけど、ネイサンも同じなんだよね

 

亀「このまま他の人と精神の弱さによってコミュニケーションが取れないようでは、合宿の時点で数学オリンピックを諦めなければいけない、という意味じゃの」

主「そう。この2人の同一化が一番顕著なのは数学オリンピックの合宿の話で、ネイサンは教師に当てられて戸惑いながらも回答を答える。ここが1つの山場であるけれど、その次のシーンではマーティンは嫌がっていた、グループミーティングに参加して自分の今の感情を全て告白するわけだ。

 ここってお互いに『コミュニケーションの壁』を乗り越えた瞬間なんだよね

 

亀「それがあるからまた1歩先に進めた、ということじゃの。勝利のロジックが非常にはっきりしておる」

主「作中においてマーティンに与えられた役割で重要なのは『ネイサンと共に歩む者』という意味もあるけれど、それ以上にあるのは『ネイサンが歩むかもしれない未来』ということ。

 だけど、ネイサンが1歩進むことによって、マーティンも1歩進むことができた。

 その変化ってすごく弱いかもしれないけれど、本人たちにとっては大変な1歩であり、すごく尊いことだよ

 

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小さいように見えて、大きな1歩を踏み出した瞬間

[c]ORIGIN PICTURES (X&Y PROD) LIMITED/THE BRITISH FILM INSTITUTE / BRITISH BROADCASTING CORPORATION 2014

 

 

4 もう1人のネイサン

 

亀「この映画ではネイサンと対になる存在がたくさん出てくるが、その1人が台湾合宿のライバルであるルークじゃな

主「ここもさ、色々と考えさせられたんだよねぇ……

 自分なんかは自閉症の辛さはわからないから、やっぱり目につくのはその天才性なんだよ。過去の偉人は実は自閉症だった、とかさ。そういう天才神話ってあるじゃない?

 サヴァン症候群なんていうけれど、自閉症でも天才ならいいんじゃない? って思うときもある」

亀「暴論かもしれんが何の才能もないと思っておる人間ではあれば、そう考えてもおかしくないかもしれんの」

 

主「この映画と公開日が近い作品でいうと『コンサルタント』という映画が自閉症を扱っているけれど……やっぱり天才なんだよ。

 これは物語として仕方ないことでもなる。主人公の特殊性を出したいけれど、その理由が単なる才能でした、というよりは、例えば血縁だとか、そういう脳の構造をしているというのはわかりやすい明確な理由になる

亀「ジャンプ漫画などは血縁によって特別な才能が受け継がれた、という作品も多いの」

 

主「わかりやすいからね。

 だけど、これって実は非常に危ういこともある。本来は『自閉症でも特別な才能がある!』ということ、つまり『自閉症は個性だ!』という発想の元でなんとか世間の理解を得ようと思って苦心したことでもあると思う。

 でもさ、いつの間にか観客や物語の作り手の中で『自閉症=天才』みたいになってきて、さらには『その能力に価値がある』という発想になりかねないわけだよ」

 

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印象に深く残ったルーク(右側)

 [c]ORIGIN PICTURES (X&Y PROD) LIMITED/THE BRITISH FILM INSTITUTE / BRITISH BROADCASTING CORPORATION 2014

 

 

人の価値はどこで決まる?

 

亀「これは一般人に当てはめるとわかりやすいかもしれんの。別に天才的な数学の才能もない、特別なものを持っておらん人というのは、それこそゴマンとおるが、ではその人には生きる価値がないのか? と問われるとそんなことはない。

 しかし、自閉症の人にはそういう発想になってもおかしくない、ということじゃの」

主「正直、自分もこの映画を見ている時は『数学の天才的発想があるなら、それを伸ばせばいいじゃん。それは素晴らしい才能だよ』って思っていた。それは観客の多くが納得するんじゃないかな?

 だけど、その思いが生み出してしまったのがルークという存在なんだよね

 

亀「おそらく両親も自閉症でもできることがあると、ルークを育てる上で社会的に認められるためにその数学の才能を伸ばしてきたが……」

主「これは夢や将来の希望を追う若者には残酷なようだけど、あなたの才能はそう特別なものではないです、と突きつけられる瞬間って多くの人にある。普通の人なら『……夢を諦めて就職でもするか』で終わるかもしれないけれど、それ以外の価値を教えられていない子供はどうすればいいのか?

 自分は自閉症だけど、数学の才能があるから生きる価値があるんだ! って思っていた子は、その数学の才能を否定された時、どうすればいいのか?

 それが『死んだオウム』の意味だよ」

 

亀「……あまりにも辛い現実じゃな」

主「人の価値ってその能力だけで決まるものではないはずだ、というのは納得してもらえるけれど、その真逆のことをこの手の『天才映画』って言ってしまいそうになる。

 そしてそれが悪意からでなく……周囲の人物の100%の善意から追い詰めることがある、ということがまた辛いよね。

 だからこの映画においてルークはネイサンと対を為す存在であり、ネイサンが辿ったかもしれない可能性として存在している」

 

 

 

 

5 母とチャン・メイ

 

亀「ここも脚本のうまさが出ていたの」

主「この映画におけるこの2人の役割って、ネイサンに対して無償の愛を与える存在だよね。2人ともその才能に惹かれたわけではなく、人間ネイサンを愛した2人である。

 だけど、もちろんそれだけの意味ではない。

 結論から言うと、母(ジュリー)とチャン・メイはマーティンとネイサンのような対偶の存在となっている

 

亀「ほお……その意味とは?」

主「マーティンとジュリーというのはネイサンを支える大人として非常に重要な存在だけど、それはネイサンとチャン・メイの恋愛関係と対偶になるように作られている。

 子供組が微笑ましい恋愛なのに対して、大人組は少しビターな印象を与える恋愛だよね。これは『病気を抱えながら恋愛をする』ということに対する恐怖を描いている。だけど、女性陣がそこを気にしているわけではないんだよ。

 それを気にしているのは男性陣だけ。女性陣はそんな男性陣でも愛しているわけだから」

 

亀「あそこまで仲が進展していて、病気を理由に離れるか? と問われると、それはないじゃろうな」

主「大人組はそれを理解した上で付き合っているわけだよ。

 そこで怯えるマーティンと、人と繋がれないネイサンというのも同一化されているけれど、ここでは母とチャン・メイに関して語るよ」

 

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母とネイサン。少し冷たいけれど、そういうお年頃でもある。

 [c]ORIGIN PICTURES (X&Y PROD) LIMITED/THE BRITISH FILM INSTITUTE / BRITISH BROADCASTING CORPORATION 2014

 

絶対に必要な描写

 

亀「これは、あの母との話し合いの場面じゃの

主「ここで初めてネイサンは自分を無償の愛で包んでくれた女性と向き合うわけだ。それまでの母親との関係性というのは、そこまで順調なものではなかった。

 まあ、自閉症とか関係なく思春期の男の子と母親ってあんなものだけどね。『うるせえ、ババア!!』って思わず言っちゃう男の子も多いし……それはいいか。

 映画として初めてあの場面において、初めて自分を支えてくれた献身的な母に向き合い、そして、その時に彼はチャン・メイへの思いに気がつく」

 

亀「ここは象徴的なシーンじゃが、大事なことを語っておるの。

『誰かがあなたを愛している時、その人はあなたの中の何かを見ている』

『時には孤独になる辛さもある』

などが象徴的かの」

 

主「じゃあ、この発言が何を意味しているかというと……それは『孤独になってしまった女、愛を失ってしまった妻だよね。

 そして、それはチャン・メイの未来の姿かもしれない。

 

 マーティン=ネイサンの未来という図式と

 ジュリー=チャン・メイの未来という図式が成立するわけだ! 

 

 この構成は非常にうまい! 

 それを補完するセリフがその前に話された『君たちは未来だ!』のセリフであって、あれは単なる『子供=未来』なだけではなく、ネイサンの歩む未来は過去のものとは違うものになるはずだ! というメタ的なメッセージでもある。

 素晴らしい脚本だよ!」

 

 

 

 

6 勝利のロジック

 

亀「この勝利のロジックというのは物語には絶対に必要なものである、というのが主の持論であるが……」

主「だって『偶然勝ちました』じゃ誰も納得しないでしょ? 勝利には何らかの理由が絶対あるはずなんだよね。もちろん、映画的には偶然や奇跡かもしれないけれど、物語としては必然である、というロジックが絶対に必要。特にこの映画の中では『運は存在しない』って言っているわけだから、余計にそうだよ。

 そしてこの映画における勝利のロジックは『父の言葉』である」

 

亀「ふむ……確かにの」

主「例えばルークに勝利した要因って何かというと、それは父の語った『君は変わらなくていい』という言葉なんだよ。

 ルークは自閉症ゆえの才能を伸ばすことに尽力した。それが好きでやっていることならばいいけれど、それはわからない。おそらく、自身のアイデンティティ……存在証明のために数学に食らいついていた。

 だけど、ネイサンはそうではなくて『数学を楽しめ!』というもう1人の父親であるマーティンの元で学んだ。父の言葉と師の言葉、それが勝利のロジックとなり、ルークに打ち勝つことができた

 

 

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本当の勝利

 

主「だけどさ、この映画における本当の勝利って何よ!?

亀「……すごく熱くなってきたの」

主「そりゃ熱くもなるよ! この映画の最初に告げられているじゃない!

 自閉症だと診断された子供に、父親はなんて言った!? 

『愛し合うのをやめちゃダメだ』でしょ!?

 もうこの時点でこの映画の勝利条件は開示されている! それは決して数学で誰かに勝つことでも、国の威信をかけて戦うことでもないんだよ!」

 

亀「そしてその勝利条件を思い出したからこその、あの展開になっていくということを考えればうまい脚本じゃな」 

主「この完成度は驚異的だよ! 

 ケチのつけようがない!

 映画においてこれだけ複雑なことをしている物語ってそこまで多くないんじゃない? 少なくとも、今月20本近く見たけれど、これだけの緻密な脚本や演出を持った作品は他にない!」

 

 

 

7 数学映画として

 

亀「この映画は数学映画としても他の作品とまた違ったものになっておるの」

主「すっごくうまいよね。確かに問題は意味がわからないけれど、演出においてこの作品は『数学はどこにでもある』ということを示している。

 例えばエビボールの数とか、注文の番号の素数、12進法と10進法と2進法、そして綺麗に切られたパンケーキもまた然り。

 この映画は非常に多くの『数学』がたくさん出てきた

 

亀「映画として特徴的なのは『音楽は周波数だから、数学なのよ』って場面じゃな。ここで美しいピアノの音色が響くが、これもまさしく数学なわけじゃ」

主「この映画が『音楽映画だ!』っていうのはこの部分であって、数学=音楽という図式をもたらすことによって、映画という映像表現の強みである音の力を最大限に引き出している。

 そして単純に全編にわたって音が綺麗なんだよね。これも『数学の美』を表している。

 実はこの映画は数学にすごくたくさん溢れている。例えばネイサンとチャンを巡り合わせたのも数学だった、とかも含めると数えきれないくらいね。

『この世界の方程式』である数学がどのような形で表現されているか、探してみると面白いと思うよ」

 

 

問題が難しい意味

 

亀「しかし、この映画において問題が非常に難しく、一般の観客には理解ができないというのもなかなか練られた演出じゃの。

 他の数学映画は一般人でも理解できるように、懇切丁寧に数学の考え方を説明するか、もっと簡単な問題を提示すると思うが、そうではない。

 そうではないところに意味がある

 

主「作中の数学が非常にレベルが高いものなんだけど、この意味を考えてみると、実は
『ネイサンにとってのコミュニケーション』『観客にとっての数学』と同じレベルで難しいってことを表していると思うんだよ。

 我々一般人が当たり前にできるようなコミュニケーションがネイサンには難しいように、ネイサンにとって当たり前にできる数学が我々には難しい。

 ここにおいて『テーマ(コミュニケーション)=数学』という図式が成立している。形は違うけれどネイサンの抱える難点と、観客が抱える難点が一致している」

 

亀「その数学の悩みの難点が一気に解決されて、観客と同一化した時に大きな衝撃や感動が生まれるわけじゃな」

主「そうだよ! だからこの映画が『数学がわからない!』とか『馬鹿だから難しそうだなぁ』とって思っている人がいても、是非とも見に行って欲しい!

 それはみんな同じだから! それを乗り越えた先に、この作品の大きな感動があるから!」

 

 

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タイトルの意味

 

亀「……長い記事になってきたので、ここいらで最後にタイトルの意味について考えてみようかの」

主「これはもう数学映画だから原題が『X+Y』だと思うけれど、それだけじゃない。これって染色体のことなんだよね。

 XとYの染色体が足されている……ここまで言えばもう、このタイトルが何を表しているか、というのはわかるよね」

 

亀「日本語題の『僕と世界の方程式』=『X+Y』と考えれば、なかなか洒落たタイトルじゃの。色々言われることも多い日本語タイトルじゃが、わしは好きじゃな。

 わかりやすくこの作品を表しているし、その原題までたどり着くとこのタイトルの意味がわかる」

主「さらに言えば『世界中に溢れている数学の完全なる美』というものにも触れている原題でさ、ベスト! 

 タイトルから何からまで全て考え抜かれた、素晴らしい作品だよ!

 

 

 

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この映画を激押しする理由

 

主「最後に個人的なことを言わせてもらうとこの映画を激押しする理由って色々あるんだよね

亀「ここまで語ってきたように『うまい!』というのは当然じゃが、それだけではないの」

 

主「自分の中でこの映画に1番近い映画って、実は数学映画でもなんでもなくて『聲の形』なんだよ。2016年ベスト級の衝撃があったアニメ映画なんだけど。

 聴覚障害を抱える女の子を虐めてしまった男の子との贖罪の物語でさ、テーマと脚本、音楽、演出、演技など様々なものが一致して、トンデモナイ完成度を誇る作品となった。少し地味なところも同じかな」

亀「テーマも障害(病気)とコミュニケーションと考えたら、似たようなものかもしれんの」

 

主「我々が普段自閉症について考えると、やっぱりルークみたいな子供を連想してしまうし『天才であることに意義がある』ような扱いをしてしまう。まるでアインシュタインやダ・ヴィンチのような人間を物語中に登場させてしまう。

 だけど、自閉症だって1人の人間の個性だ、というならその能力なんて関係ないはずなんだよ。そうじゃないと、能力がなければ意味がない、ということになりかねない。

 この映画は自閉症というテーマを扱いながらも、ネイサンを『普通の少年』として描くことに成功している。その意味において、すごく意義が大きい。

 それは聲の形において聴覚障害なんて関係なく、ヒロインを1人の少女として扱ったのと同じことだと思うんだよね」

 

亀「……自閉症や障害は『特別なもの』としてしまう風潮は確かにあるかもしれんの」

主「だけど、この映画は『特別なもの』という思いから抜け出した! 

 だからあのラストって、考えてみれば青春映画としては陳腐でありきたりだと思うかもしれないけれど……でも、その『普通』を描けたことがどれだけ尊いことか!

 この映画は非常に重要な作品であり、推さなければいけない作品だとすら思う」

 

 

 

 

最後に

 

亀「この映画の受け取り方は色々あるの」

主「そうだね。もちろん数学映画としても楽しめるし、青春映画、恋愛映画、それから自閉症を扱った病気ものでもあり、師匠と弟子(父と子)という継承の物語でもあり、さらに言えばオタク映画でもあるわけだ」

亀「それまで特別で変わり者だと思っておったが、実は普通であったということはオタクとしては同志ができたようで嬉しい気持ちもわかるの」

主「みんな好きなようにこの映画を受け取ってほしいね。この映画の幅ってすごく広いから」

 

亀「このブログとしては『あなたは亀に似ている』という言葉も印象的じゃったの……そうか、わしに似ておるのか、とな」

主「いや、ネイサンが亀に似ているだけであって、亀爺に似ているなんて誰も言ってないからな? そもそも2014年にこのブログは存在していない!」

亀「いやいやいや、この映画の緻密性を考えれば、未来のことを思い浮かべておってもおかしくないわい

主「おかしいわ!!