カエルくん(以下カエル)
「今週は大規模映画を避けているような気がするね」
亀爺(以下亀)
「『金メダル男』などもあるが、どうにも気が進まんでの。来週以降、見たい映画がたくさんあるから、今週はいつもより少なめになるかもしれんな」
カエル「……世間的には給料日前だしね」
亀「いやいやいや……それは関係ないじゃろう。亀料金じゃから、結構な割引が効くんじゃよ」
カエル「亀爺限定の特別料金があるの!?」
亀「当たり前じゃろう。しかも、長生きしておるからさらに少し安くなるからの。おすすめじゃぞ、タートルカード」
カエル「……カエルカードっていうのはないかな?」
亀「お主はまだ学生料金じゃろう、それで我慢したらどうじゃ! 全く、最近の若いもんは自分のことしか頭になくて……」
カエル「……なんで怒られてるの?」
あらすじ
1914年のインドで生まれたラマヌジャン(デヴ・パテル)は、妻と母を養うために仕事を探していた。
就職先で趣味でつけていた数学のノートを見せると『君はもっとレベルの高い場所へ行くべきだ』と諭される。
そしてイギリスにて数学者としてケンブリッジ大学で生徒を教えているG・H・ハーディ(ジェレミー・アイアンズ)にインドから手紙を送る。初めは半信半疑だったものの、その発見に着目してイギリスへ呼び寄せ、大学に招き教鞭を振るうハーディ。
しかしラマヌジャンに差別や戦争、そして大きな試練が襲いかかる……
1 ネタバレなしの感想
カエル「それじゃあ、ここからは真面目な感想だけど……まず、この話って実話なんだよね」
亀「アインシュタインと並ぶ天才と称されておるラマヌジャンと、イギリスの学者であるハーディの交流を描いておるな。なので、1914年というのが大きな意味を持ってくるの」
カエル「ちょうど第一次世界大戦前だもんね。色々と激動の時代だったし、それこそイギリスとインドの関係といえば、宗主国と植民地の関係に、カーストやら人種差別が入ってくるから、複雑な時代だよ」
亀「この作品ではカーストに関してはそこまでガッツリと触れられておらんが、差別や偏見に関しては触れられておったの。イギリス人からしたらインド人など、教育の遅れた国という認識であったであろうから、学問の中心地であるケンブリッジ大学では余計に差別を助長させたかもしれんな」
カエル「登場人物も実在の人物なんだよね」
亀「そうじゃの。この作品で、一般層にも有名というと……パートランド・ラッセルが登場するといえばわかるかの?」
カエル「……誰?」
亀「この作品では数学者として登場するが、わしからすると哲学者の印象が強くて、論理学者でもある。ノーベル文学賞も受賞しておる、20世紀を代表する学者の1人じゃな」
カエル「へぇ……だから結構出ていたんだね」
亀「日本では馴染みがあまりないかもしれんが、イギリスでは有名人なのじゃろうな。世界情勢などにも意見があり、行動したことから獄中に入れられたこともあるし、戦争と平和の流れについて考える上でも重要な人物じゃな。
しかし……ノーベル文学賞受賞が戦後の話じゃから、この1914年に大学で教鞭をとっていたというのは、少し驚いたの。いや、年齢を考えればおかしくはないのじゃが、97歳で亡くなってるということに、改めて恐れ入ったわい」
カエル「この時代で100歳近いのはすごいね……ストレスも多そうな人生なのに」
キャスト・スタッフについて
カエル「まずはキャストでいうと主演のデヴ・パテルは『スラムドッグ$ミリオネア』で主演をした人だよね。インド系の俳優っていうと、この人ってイメージがあるかな。相方の教授役のジェレミー・アイアンズは、最近でいうと『ある天文学者の恋文 』でも教授役をやっていたよね」
亀「やはり、それだけ老齢の渋さと、大学教授のような落ち着きや知性を感じさせる役者なのじゃろうな。
2人ともよかったの。海外映画ではあまり棒演技というのも見ない……というか、英語がわからんから、棒演技か否かがわからんのじゃろうが、今作においても疑問になるところはなかったの」
カエル「監督のマシューブラウンは調べても出てこないけれど、この作品が初監督作品なのかな?」
亀「そうとは思えないくらい、しっかりとした作りだったの。よほど実力のある監督なのか、スタッフが優秀なのか……どちらにしろ、デビューでこの作品であれば、十分な出来ではないか?」
カエル「そうだね。全体的にはよくまとまった作品だったもんね。大きな疑問点はないし、近くにいた女性は涙をハンカチで拭っていたよ」
亀「泣ける映画でもあるかもしれんの。わしなどは『真理の追求』の仕事とロマンに目がいってしまうから、泣く作品はなかったが……」
カエル「色々な見方ができるよね。それこそ差別や歴史についても学べるし、師弟ものでもあり、家族愛もあり、教育の面もあり、学術的な面もあるしね」
以下ネタバレあり
2 序盤から中盤にかけて
カエル「じゃあ、ここからネタバレありで書いていくけれど、まずはラッセルの言葉から始まるわけじゃない?」
亀「『正しく見れば数学は完璧な美をも宿す』みたいな言葉じゃったな。学者としての面と、芸術家としての面を両方併せ持つラマヌジャンを説明するのに、最も適した言葉であった。
まず、ここで注目して欲しいのはほぼファーストカットだった。ラマヌジャンがお祈りをして、そこに神の像があるという絵じゃな。それが後々にも効いてくることになるから、覚えておいて欲しいの」
カエル「はい、了解。
そしてそのあとは仕事を探すラマヌジャンだけど……何よりも運がいいのは、ここで見つけて仕事の上司が先見の明があるというか、ラマヌジャンのノートの重要性をはっきりとわかっていたことだよね」
亀「ここで阿呆な上司であれば、ノートを捨てたり『仕事をしろ!』と怒鳴りつけるだけじゃからな。そうやって消えていってしまった才能というのも、この世にはたくさんあるのであろう」
カエル「やっぱりインドって数学に強いんだね。ITとかもすごいし……」
亀「インドがITに強いのは、カースト制度の影響とされておるな。カースト制ではそのランクによって職業も制限されてしまうが、ここ最近できた IT業界というのはカーストの影響を受けない。
じゃから、カーストで下のランクに位置してしまう優秀な人材でも就ける職として、人気や注目が一気に集まっておることもあるようじゃ」
カエル「へぇ……この作品ではあまりカーストについてはがっつりと触れていなかったよね」
亀「さすがにインドの差別までは扱うつもりはなかったんじゃろうな。監督などにもよくわからん話かもしれんし、何よりも舞台の多くがイギリスじゃから、インドは故郷という以上に意味はない。その判断は正しいと思うの。
しかし、ラマヌジャンが数学に強い理由というのは……少なくとも映画の中では、カースト関係なく、はっきりと描かれておったの」
イギリスに行って以降
カエル「そして見込まれてイギリスに渡った後も大変な苦労をするわけだ。食事は合わないし、インド人同士ならわかることが通じないから、ラードを使っていたり、差別があったりさ。
まあ、時代が時代だから仕方ないのかもしれないけれど……」
亀「ひどい話じゃったの。あれでも、当時のことを考えたらだいぶマシかもしれん。リベラルな人達が集まるであろう大学だから、教授のように能力で人を見るという人物もそれなりにいたと思うが……」
カエル「しかも、試練が次から次へとやってくるしね」
亀「この中盤にかけて注目したいのは、ケンブリッジ大学内部の造形と、しっかりと練られた数学要素じゃろうな。
先にあげた作品で最近公開した映画だと『ある天文学者の恋文』という作品があったが、あちらは天文学の話であるが、そちらに説得力があまりないように感じた。
しかし、こちらは数式であったり、理論について考えている様子をしっかりと映すことにより、説得力が生まれておったように思うの」
カエル「数学要素がこの作品のキモだからね。そこが甘いと話し自体が浮いてしまうよね」
3 二人の交流と性格
カエル「これは……さっきあげた、ラマヌジャンが数学に強い理由に関係してくる話?」
亀「そうじゃの。作中では、なぜラマヌジャンが数学に強いのか、明確に理由が明かされておらんかったように思うが……もちろん、ひらめきや天才というのもあるが……教育レベルが全然違う中で、それだけの理論を構築できた理由とはなんじゃ?」
カエル「え〜? やっぱり天才だからじゃないの?」
亀「いやいや、それももちろんあるし、史実だからと言われたらそれでおしまいじゃが……この作品で多く触れられておったのは『神』の話じゃな。もちろん、2人が信仰しておる神は全然違うが……
敬虔なラマヌジャンと、無神論者のハーディという対比は何度も行われてきた。つまり、ここが重要なロジックになってくるわけじゃな」
カエル「……というと?」
亀「つまり、ラマヌジャンのひらめきというのは、神の言葉を聞く救世主などと同じかもしれん。それが、言葉ではなく、数学であるということがこの作品の特徴じゃの。
じゃからラマヌジャンはそのひらめきの証明に非常に苦戦する。なぜかというと、それは神の言葉と同じであり、なぜそうなるのか、と問われても『そうなるからだ』としか答えようがないんじゃな」
カエル「ああ……じゃあ、ラマヌジャンとハーディというのは、対立する関係なんだね」
亀「いや、実はそうではないんじゃよ」
カエル「……え?」
ラマヌジャンとハーディの絆の正体
亀「確かにラマヌジャンは信仰心が篤いし、ハーディは無神論者じゃ。その意味では、対立しておる。
しかしハーディが家族も持たずに人生の多くを捧げておるものなんじゃ?」
カエル「数学……あ、なるほど!」
亀「そう。この2人の中には、数学という神がおるのじゃよ。
それを神の言葉として、答えをはっきりと理解できるが、証明は出来ないラマヌジャンと、証明などもできるし考え方はわかるが、その言葉を聞けないハーディというのは、いわば預言者と通訳のような関係じゃろうな。
じゃから、途中から仕方ないとはいえ、ラマヌジャンが倒れた後はハーディが発表などを担当する」
カエル「解いたのはラマヌジャンらしいけれどね」
亀「実際のところはわからんがの。ラマヌジャンの考え方をヒントに、ハーディが証明を組み立てたのではないかとわしは睨んでおるが……まあ、それはいいじゃろう。
つまり、この2人の間にあるのは『数学という神』の存在であり、その意味においてはこの2人は同一の存在だということができる。だから、より強くつながりがあったんじゃろうな」
カエル「……なんか、このブログって神様の話が好きだよね。『レヴェナント:蘇えりし者』の時もそうだけど」
亀「だいたい、西洋の作品で神がどうとか言い出したら、それが重要なテーマになっておるからの。キリスト教の文化圏であると痛感するの」
4 作品評価として
カエル「じゃあ、ネタバレ記事で書くのもなんだけど、作品評価としてはどうだった?」
亀「地味な映画ではあるが、ある程度評価もされるじゃろうし、まあまあ面白い映画ではあったの。特に、数字を用いた交流だったり、思い出の共有というのは『博士の愛した数式』でもあったが、ただの手紙や物を共有するよりも、より強く感情がこもるし、ロマンチックに感じるの」
カエル「数学者の絆って感じがするもんね。僕達にとってはただの数字だけど、その人たちにとっては全然違うって、いいよね」
亀「映画としてみると……前回も言ったが、うまくまとまりすぎておるかな、という気がせんでもないかの」
カエル「大きな破綻もないし、完成度も高いけれどってやつね」
亀「実際にあった出来事を描いておるし、色々とあるのもわかる。それで自由な作劇をしろというのも難しいし、その意味ではしっかりと練られて、着地した良作であるが……優等生すぎるきらいもあるかの」
カエル「難しいよね。だからといって、荒々しいのが魅力ってわけでもないし」
亀「ただ、こう評価するということは、地味ながらもある程度の評価は獲得できるし、派手な映画ではないということを了承してみるのであれば、人を選ばずオススメできる作品じゃの」
最後に
カエル「これで最後だけど、このラマヌジャンの気持ちってよくわかるんだよね」
亀「ほお。一体どういうところじゃ?」
カエル「もちろん、レベルは全然違うんだけどさ、昔から算数とか、数学の問題って答えはわかるのよ。だけど、式がわからないんだよね」
亀「……式がわからんで答えが導き出せるものなのか?」
カエル「ある程度はね。例えば、学校で習った範囲で計算することが求められるけれど、文章問題とかって、ちょっと手間はかかるかもしれないけれど、計算方法が一つというわけじゃないよね?」
亀「作中であった、4という数字の導き方は1+1+1+1でもあり、1×4でもあり、2×2でもあるという話じゃな」
カエル「そうそう。それで、かけ算の問題なら2×2を使わなきゃいけないだろうけれど、足し算で計算するようなものだね。
特に学校の宿題とか、試験レベルだったらそれでも解けちゃうから答えはわかるんだけど、教師や出題者が求める式が全然わからないんだよね……」
亀「……天才なのかアホなのか、まるでわからん話じゃの」