カエルくん(以下カエル)
「では、スターウォーズEP8のネタバレ付きの考察記事になります。
ちなみに、本記事は感想記事とはまた別の記事です。分けた理由は長くなるからです」
ブログ主(以下主)
「そういや、昔はこうやって2つに記事を分けていたんだよねぇ。最近はめっぽうやらなくなったけれど」
カエル「ブログ業界の裏事情を少しだけ話すと、やはりGoogleさんに高く評価されるコツとしては、長文で読み応えのある記事を書くこと、というのが1つの鉄則になっているからね。
だから近年の映画ブログ業界もかなりの長文化が進んでいるのが現状です」
主「でもさ、ぶっちゃけ、長文記事は読みづらいだろうなって思っていたのよ。
今思えば『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』とか『ブレードランナー2049』は分けた方が良かったね。長文化が過ぎるとも思う」
カエル「というわけで、スターウォーズも2記事になります。
ちなみに、今回の語り口はちょっと特殊で、他のEPも含めてキリスト教とスターウォーズという観点から語っていきます。
なお、過去のEPは基本的にすべて、EP8に関してもネタバレ記事になるので、そこはご承知おきください。
また、そんな考察はいいから単純にスターウォーズとしての感想記事を読みたい! という人は以下の記事を読んでください」
主「多分、この視点から語っている人はEP8に関しては、日本でも初になるんじゃないかな?」
カエル「多くの人に納得してもらえるといいね。
では考察、批評記事のスタートです!」
1 映画とキリスト教の関係
カエル「では、まず最初に語るけれど……このブログでは映画とキリスト教について語ることが多いけれど、それはなぜ?」
主「なぜというか、なんでみんな宗教的なことについて調べないの? という疑問があるくらいなんだけれど……ハリウッド映画はもちろん、アメリカ文化はキリスト教と切っても離れない関係にある。
例えば、世界で1番最初に制作された初の物語形式の映画というのは『オーバーアマガウの受難劇』という話もあって、これはキリストを描いた映画である。(諸説あります)
それから、1930年ごろから映画の表現を取り締まってきた『ヘイズコード』と呼ばれる表現規制は、カトリック教の信者の主導で行われており、不倫や婚前交渉……まあそう言った性的に奔放な様子は描写が許されなかったんだ」
カエル「以前に述べたところでは『お熱いのがお好き』という映画において、キスシーンは3秒以上扱えないということを逆手にとって、チャック・レモンの爆笑のコメディシーンが生まれたんだよね」
主「もちろん、そう言った表現規制は現代ではなくなってはいるけれど、でもキリスト教などの影響はかなり根強くある。
その意識があるのとないのとでは、かなり映画の見方そのものが変わってくる。自分もそんなに詳しいわけではないけれどね」
カエル「映画を製作する上での裏側について知ろう、ということだね」
主「そしてそれは当然スターウォーズにも出ているんだよ。
むしろ、その視点があればこの物語はまた違うものとして映る。今回は、その宗教的な視点から語っていくことにするよ」
割れる評価
カエル「今作は本国のアメリカでも評価が割れているみたいだね……」
主「ロッテントマトという批評サイトがあって、日本だと映画ドットコムなどに該当するのかな?
このサイトの画期的な部分は批評家の点数と一般観客の点数が分かれているところ。つまり、批評家評価が高くて一般評価が低いと玄人受けするけれど一般受けはしない作品、逆は大衆的で楽しめるけれど玄人が見るとボロボロな作品と言える」
カエル「この両者が高ければ傑作だし、低ければ駄作ということだね」
主「では、スターウォーズEP8は? というと、現在のところ批評家評が93パーセント、一般評が53パーセントとはっきり分かれている。
エンタメ大作でこの評価は珍しいよね。逆ならよくわかるけれど」
カエル「つまり……どういうこと?」
主「楽しむためには考察を必要とする作品である言える。
多分、これから語ることも影響しているんじゃないかなぁ?
ある種の見方をしないと、かなりボロボロな……というとあれだけれど、やはりいいポイントと悪いポイントが混在している作品に仕上がっているということだろう」
カエル「ふ〜ん……
これも『スターウォーズらしさってなんだろう?』ということなのかな?」
主「単純な娯楽傑作を期待していたら、多分ボロボロになる。だけれど、その裏にある……スターウォーズが表現してきたことも考えると、意義があると言えるかもしれないね」
2 スターウォーズはなぜ流行ったのか?
カエル「今回語る上で大事だということで、スターウォーズがなぜここまで流行ったのか? というのを2つの側面から考察していくということだけれど、まずは当然面白いということは欠かせないのは当然として、それ以外の理由は?」
主「まずは社会情勢から考えよう。
EP4がつくられた時代は東西冷戦の真っ最中であり、アメリカの相手であるソ連は強大な力を有していた。ハリウッド映画はアメリカ政府との結びつきが強い時もあって、政府の広報として機能している時もある。
そして今作で描かれている帝国軍は紛れもなくソ連である」
カエル「ナチスドイツの制服を着ているけれど、その実はソ連なんだ」
主「あのストームトルーパーなんてそうじゃない?
全員同じ格好、全員同じ装備を手にして戦う姿は紛れもなく共産主義そのものである。そしてその巨大な存在に対して戦う存在がレジスタンス活動家たちであるレイア姫たちである。
このあたりの時代から強大な敵に対してレジスタンスとして参加し、活躍する姿を描いたハリウッド映画が登場するわけだ」
カエル「この共産主義云々っていうのがそんなに大事なの?」
主「そうだね。それはこの次の論考にもつながっていく」
帝国軍はソ連やナチスなどのアメリカの敵国のイメージがとても強い
宗教的観点からのスターウォーズ
カエル「そして今回のメインのお話だけれど、宗教的観点って?」
主「共産主義と言うのはアメリカにとって非常に脅威であって、一時期はハリウッドでも赤狩りの嵐が吹き荒れた。それに巻き込まれたのがエリア・カザンであったり、チャップリンであったり、ハリウッド10と呼ばれるダルトン・トランボなどの映画関係者などである。まぁ映画だけではないけれど。
では、なぜそこまで共産主義が嫌われたのか? と言うと、それは共産主義が神を否定する考え方だったからだ」
カエル「ふむふむ」
主「元々アメリカ映画界の有名な映画スタジオというのはユダヤ系が多かった。そしてヘイズコードと呼ばれる表現規制が始まり、それを管理したのはキリスト教カトリック系だった。
でも、元々アメリカはプロテスタントが多くて、1956年にはユダヤ教徒3%、カトリック教徒25%、プロテスタントが71%と合計99%がキリスト・ユダヤ系の信者だった。そのような国が神の否定から始まる社会制度に対して、排他的になるのは仕方ないんだよ。もちろん、そんなに簡単な話じゃないけれどね。
スターウォーズに話を戻すと、もちろん本作はジョージ・ルーカスが明かしたように日本の考え方、仏教を取り入れているところがある。フォースやジェダイマスターの考え方は東洋的だよね。
でも、もちろんその根本にあるのはキリスト教やユダヤ教の考え方なんだよ」
オビワンの風貌からはキリストなどのキリスト系修練者のような雰囲気が感じられる
スターウォーズとキリスト教
主「あのローブをまとったオビワンの姿はどことなくキリストなどを連想させるじゃない?
選ばれしもの=救世主が神のない敵を倒して、困っている民を救ってくれる……アメリカ人にはそう見えたのだろう。だからこそ、多くのアメリカ人にわかりやすく、そして壮大なスペースオペラとして描くことで、それこそ『現代における神話』になった。
ほら、スターウォーズの始まりって『遠い昔、遥か彼方の銀河系で……』でしょ?
これはキリストの誕生などの前から、そのような神話があったことを意味している。
スターウォーズの物語中では宗教や神、信仰などの要素はあまり入ってこないけれど、その中でも救世主や祭祀のような扱いを受けているのがジェダイの騎士というわけだ」
カエル「それは他のEPでもそうなの?」
主「もちろん!
例えば、EP1においてアナキンの父親に関しては『父親はいない』と言われていた。つまり、処女懐胎だよね。もちろんこれはキリストをモチーフとしている。
このように、聖書の救世主=ジェダイの騎士という構図は何度も使われてきたんだよ。
ただし、それはあまり日本の観客には届いていないのかもしれないけれど」
カエル「それがキリスト教徒やアメリカを始めとする西洋諸国に受けるのは、まあわかるけれどね」
主「もちろん、他にもうまい脚本構成などだったり『父と子』という伝統的な物語であったりと複合的に入り混じってはいる。
特にEP4の脚本は今や教科書だよ。
この作品を下敷きに作られている物語も多い。
でも、それ以上にスターウォーズはまさしく『現代の神話』であることが大事なんだよ。
そして、その視点でEP8を語っていこうか」
3 EP8と聖書
カエル「では、ここからは先ほど述べた宗教上のウンタラカンタラなども含めて考えていきましょう!」
主「うんたらって……
本作のラストって何ですか? と言われると、おそらくあれはモーゼの奇跡だよね。出エジプト記にあるように、海を割るという奇跡を起こし、そして追ってくる敵から逃げて約束の地へとたどり着く……それがモーゼの奇跡である。
今作のレイは新たなる救世主=ジェダイの騎士になったことを、こうやって聖書を交えながら語っているんじゃないかな?」
カエル「ふむふむ……では、あのラストのルークについてはどうなの?」
主「この作品の中で大事なのは『塩の大地』ということだ。なぜあの大地が塩なのか? それは疑問だった。わざわざセリフで説明までしてくれてね。
だけれど、調べてみたらすごくよくわかった。そしてこれが、アメリカで批評家の評価と一般評価が食い違っている理由かも」
カエル「また聖書の話?」
主「そう。
今回引き合いに出すのは『マタイによる福音書』だ」
主「この話はイエス・キリストがなぜ神聖な存在なのか? そして彼が旧約聖書にもあるように、モーセが言い表した預言者であるということかの説明になっている。キリスト教徒には聖書の中でも大切な話だね。
そしてここで引き合いに出すのは第5章を上げていこう。すごく有名で、しかも一般常識としても知っておいたほうがいい部分になります」
ファントムメナスのアナキンの出生も宗教的
本作の最後の戦いの意味について
カエル「この5章というのは簡単に言うとどういう話なの?」
主「民衆を引き連れたキリストが、山の上に登って多くの民たちに言葉を授けるシーンでもある。そして、今や世界的に常識となったある言葉も、ここから数章に渡って出てくる。
では、その中から一部抜粋していきます」
12 喜び、よろこべ、天においてあなたがたの受ける報いは大きい。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。
13 あなたがたは、地の塩である。もし塩のききめがなくなったら、何によってその味が取りもどされようか。もはや、なんの役にも立たず、ただ外に捨てられて、人々にふみつけられるだけである。
14 あなたがたは、世の光である。山の上にある町は隠れることができない。
15 また、あかりをつけて、それを枡(ます)の下におく者はいない。むしろ燭台(しょくだい)の上において、家の中のすべてのものを照させるのである。
カエル「地の塩が出てきたね……」
主「あの戦いの後に、レジスタンスたちは言うでしょ?
『ルークは生きろって言っているんじゃないのか?』って。別にルークは何も語っていないよ。だけれど、その意図をレジスタンスたちが勝手に受け取って、それを解釈しているだけだ。
だけれど、言っていることはこの章とほとんど同じだよね」
カエル「つまり、あそこのいる反乱軍は苦悩のど真ん中にいるけれど、世の光でもあるってことなんだね……」
主「……なんか、この話題で『主』と表記していると中々不遜な気がしてくるけれど、そういう意味ではないと言っておきます。
あくまでもブログ主の略称なんで」
カエル「一応、念のためにですが、不遜な気持ちは特にないです」
本作の元になっており、模倣している箇所も多い
赤い大地とユダ
主「では、話を続けよう。
この後マタイによる福音書はある有名な言葉を投げかける。それがこちら」
38 『目には目を、歯には歯を』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。
39 しかし、わたしはあなたがたに言う。悪人に手向かうな。もし、だれかがあなたの右の頬(ほお)を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい。
40 あなたを訴えて、下着を取ろうとする者には、上着をも与えなさい。
41 もし、だれかが、あなたをしいて一マイル行かせようとするなら、その人と共に二マイル行きなさい。
42 求める者には与え、借りようとする者を断るな。
43 『隣り人を愛し、敵を憎め』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。
44 しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。
カエル「『敵を愛せ』や『右の頬を打つなら、左の頬を……』というキリストのすごく有名な言葉だね……」
主「さて、ここで話をスターウォーズに戻そう。
この話の前後で塩の大地にはあることが行われていた。
それはどういうことだか、覚えている?」
カエル「えっと……何か赤いものを吹きかけていたよね?」
主「そうだね。大地が真っ赤に染まっていた。
これはルカによる使徒行伝の中に書かれていることだけれど、この中の1章を引用する」
17 ユダはわたしたちの問に数えられ、この勤めの分を割り当てられていました。
18 (この男は不義の賃銀で、一つの地所を手に入れましたが、そこに真っ逆さまに落ちて、真ん中で裂け、内臓が全部飛び出てしまいました。
19 このことが、エルサレムの住民すべてに知れわたったので、その地所は彼らの方言でアケルダマ、すなわち『血の畑』と呼ばれるようになりました。
主「これはユダの最後を表しているんだけれど『血の畑』つまり、大地が真っ赤に染まるんだよね。
これは過去の記事でも言及していて『レヴェナント:蘇りし者』や『哭声 コクソン』でも言及している。この知識があるのとないのとでは、作品の理解どころが評価も変わってくるんじゃないかな」
カエル「つまり、あの赤い大地はユダの最後を表しているんだね」
主「本来ならば、あそこでユダが死ぬはずだった。
この場合はもちろん師(キリスト)=ルークであり、弟子(ユダ)=カイロ・レンである。つまり、あそこでルークが勝てば、それでおしまいの物語だったんだよ。だけれど、そうはならなかった。
なぜか? というのがここで重要な観点だ」
カエル「それが……もしかして、前述のことにかぶってくるの?」
主「そう。ルークはその力を使って、『汝、敵を愛せ』を実行したんだよ。自分の弟子であり、シスに堕ちていったもののために祈り、そしてそれを赦した。
だからあの時、攻撃を受けたんだ。その敵の攻撃を受ける……それはその前の描写も全部そうだよね。
あそこでカイロ・レンが倒れたら……ないしは、ルークが体を真っ二つにしたら、それはユダだということになる。だけれど、そうはならなかった。2人ともユダにはならなかった。
これが大事」
カエル「シスである、カイロ・レンへの救いの道を残したんだ……」
主「本作においてシスとしてどうしようもないところまで堕ちてしまった印象もあるカイロ・レンだけれど、この先もまだ道が戻る可能性もある。
それを考える上で大事なのがEP4である」
4 EP4の名シーンと本作の類似性
カエル「もちろんオビワンVSダースベイダーの戦いだよね」
主「あの時、オビワンは戦う気をなくしていたんだよ。その意味は色々と受け取れて、新たなる希望であるルークの姿を見て未来を託したとも言える。
だけれど、この聖書を引用すると、やはり一度受けようと思った。
だから、ダースベイダーがシスから戻ってきたのがなぜすごいのか? と言うと、彼がユダだからだよ。
ユダが……罪を重ねてしまった存在が、それでも最期は改心して救世主側に戻ってきた。それはなぜか? 息子への愛によってだ。
聖書を参考にするとスターウォーズという話の偉大性って分かりやすくなると思う。そのためにはオビワンの犠牲は絶対必要だったし、それを見越した行為だった。
そして、同じことをルークはしたんじゃないのかな?」
カエル「……それは師としてであり、そして救世主として?」
主「そしてジェダイの騎士としてだね。
そして新たなジェダイの騎士=救世主として、モーゼの奇跡を再現したレイが登場する。この先は新たなる奇跡を見せてくれるであろうし、その中継として、そして新たなる神話の創造として、非常に素晴らしいものになった、という評価もできる。
マタイによる福音書はさらに続き、第7章にてこの言葉がある。
これを意識すると、ルークがカイロ・レンにどのようなメッセージを残したのか、そして今作を評価する人の気持ちもちょっとはわかるかもしれない」
7 求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。
8 すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。
主「一言で表すならばさ……『拗ねるな、諦めるな、悩め、求め続けろよ』ってことなんだろうね。
で、ここまで『選ばれしもの』の物語を見せておいて、でもあの本当のラストで起こる奇跡……それが実は『選ばれしもの』は特別な存在ではないことを、少年と星空と箒で表現する。
この手腕や絵としての美しさも際立っていたね」
カイロ・レンはかなり魅力的な悪役で、個人的には好きなキャラクターです
作品としての評価
カエル「さて、ではここまで聖書を参考に今作がやりたかったことを考えてきたけれど……これで主の評価は上昇したの?」
主「わずかには上がった。ああ、なるほどねって納得はする。
だけれど、それでも映画としては粗が多すぎるよね。
例えばさ……ルークのあのやり方はいいとして、結局は行き当たりばったりだったの? ってことはある」
カエル「……まあ、確かにあの場でレイが来なかったらそれでおしまいだったし……いくらビーコンがあるからって、あのタイミングは運だよね」
主「そこまで見越してのルークの行動かもしれないけれど、さすがに奇跡的すぎてもはやご都合主義としか言いようがない。
結局、フォースを万能にしすぎて魔法にすると、こういうことになる。
魔法の物語は死者を蘇らせてはいけないとか、色々と制約がないと滅茶苦茶になってしまうんだよ。だけれど、それがないから本作はおかしなことになっている」
カエル「そもそもさ、本作におけるルークってちょっと情けないもんね。あれだけ色々なことがあって、成長したかと思ったら、結局引きこもりになってしまうし……」
主「そこに関してはあの懐かしのみんな大好きなマスターがフォローしてくれたけれど、ルークはルークなりに必死にやっていたのはわかる。
確かにカイロ・レンを生み出してしまったし、そこから逃げてしまった。
だけれど、彼がやろうとしたこと、そしてこれからやることは、決してジェダイ=救世主たちに対する罪や裏切りではない、ということがここで描かれているとも思う。
でもさ! それでも不満はどうしても残るよねぇ」
こんなほのぼのするスターウォーズもあります
本当、色々と遊べる作品だよねぇ……
アメリカ社会が生んだスターウォーズ
カエル「では、最後に本作がなぜこのような物語になったのか? ということを考察していきましょう」
主「日本人は割と科学と宗教がごっちゃになっているからピンとこないかもしれないけれど、アメリカ人は22パーセントが世界の終末が近いと強く感じる、というロイター通信の記事もある。
『1999年のノストラダムスの大予言』とか『2012年のマヤ文明の予言した終末の時』とかって、日本ではオカルトとして笑い話だけれど、アメリカではそれを信じている人もそれないにいるわけ」
カエル「えっと……それはなんで?」
主「聖書に書いてあるから。
終末の時と、キリストの再臨って。
ほら、『劇場版魔法少女まどか☆マギカ 新編 叛逆の物語』でも冒頭で先生が言っていたじゃない?
『2050年までに何が起こるかといえば……あちらの国では41%の人が後40年もしないで神の子が再臨すると信じているそうです。黙示録のラッパが、鳴っちゃうかもしれないんです』って」
近年のアニメ界を代表する名作!
カエル「えっと……それってギャグ描写だったよね?」
主「だから、日本だとギャグ描写なの。
ただアメリカ人は41%が信じているんだよ?
5人に2人だよ? ディザスタームービーと呼ばれる終末映画も多く制作されているし、あの911はバベルの塔の崩壊を思い描く人も多い。
これは笑い話ではないの。
だから『神の子が再臨する』という今回のスターウォーズというのはかなりアメリカ人の実情を射抜いている」
カエル「……なんかオカルトくさいけれど」
主「初代のスターウォーズが1977年公開だから、少し前の時代になるのかな? ヒッピー文化の時代はジーザスムーブメントなどのキリスト教の動きもあった。
簡単にいえば『キリストって超かっけー!』という運動が若者の中で起こり、長髪や髭を伸ばしてキリストの真似をしているんだよ。そんなキリストみたいな格好をしたジェダイが神の使徒として剣で戦うスペースオペラ……ほら、これだけあれば売れるのも納得じゃない?」
カエル「う〜ん……納得しにくいのは何でだろう?」
主「それだけのキリスト教の要素を兼ね備えた物語をスターウォーズの新作として制作したこと……それは意義があったと言えるんじゃないかな?
ただ、そんな見方をしている人はほとんどいないだろうけれどね」
最後に
カエル「さて、これでどれだけの人が納得したのかはわかないけれど、とりあえずこう言う結論になりました。
結局は、スターウォーズは宗教映画でもあるってことね?」
主「特に今作はその要素がすごく強かったね。
映画としては微妙だけれど、これだけ批評家を中心に支持される理由はよくわかってもらえたと思うよ」
カエル「でも、アメリカでも賛否は別れているんだろうね……」
主「そりゃあね。そういう見方をする人ばかりじゃないし、終末思想があると言っても少数派には違いないからね。
多分、多くの日本人と同じじゃない? いい部分もあれば、悪い部分もあるという……映画としては至極まっとうな評価でさ」
カエル「でもこの祭りはみんな楽しんでいるし、それでいいのかもね」
主「これだけ盛り上がるシリーズも他にないからねぇ……世界一の映画シリーズであることは証明したと思う。
とういうわけで、宗教的視点から観たスターウォーズ評でした」
面白かったらブクマ、tweetなどお願いします