映画『サウスポー』を鑑賞したのでその感想を上げていく。
ここ最近、日本においてもボクシング人気が再燃しているようだが、相撲、プロレス、ボクシングは格闘技の中でも古くから楽しまれているためファンも特別多い印象がある。
一時期は総合やK-1に客を取られていた印象もあるものの、そちらが衰退すると再び人が戻ってきている。特にボクシングは世界チャンピオンも多いし、井上や村田のようなスター性のある選手も増えていることから、さらに人気は増していくのだろう。
またこの映画が日本で公開された直後に偉大なるモハメド・アリが逝去したというのも、誰も意図していないものであるが映画をより印象的にするだろう。私も『レスラー』公開直後に三沢光晴が事故で亡くなり、よりこの映画を深く愛するようになってしまった。
それではまずは一言感想から
粗は多いが熱い映画だった
1 幸せな家族像
私はもともとスポーツ映画は好きな方であるが、このような格闘技映画、特に主人公が落ちぶれたロートルという『ロッキー 』系と言うのは大好きである。人生でいちばん好きな映画を訊かれたらミッキー・ローク主演の『レスラー』を上げるほどに、馬鹿で負け犬なんだけれども、まだ立ち上がってリングに立ち続ける男像というのは大好きなのである。
私は本作をポスターとちょっとしたあらすじだけでしか知らなかったので、ボクシングを諦めた男が奥さんの助けによってチャンピオンを目指すものだと思っていた。その過程で浮気やらイザコザがあり、離婚危機がありながらも家族の助けを借りてリングに返り咲くものだろうと。
だが幕が上がってみればスタートからアメリカスポーツの聖地『マディソン・スクエア・ガーデン』での試合で、しかもタイトルマッチという大きな試合であることに観客は度肝を抜かれた。その試合も迫力満点で、まるで本当のボクシングを鑑賞しに行っているかのような熱量がそこにあった。
タイトル戦にも勝ち王座防衛、美しい奥さんもいて、かわいい娘もいる。家は大豪邸、出身は施設ということで話題性やヒーロー性も抜群、友人やトレーナーなどにも恵まれて『勝ち組』としての順風満帆な生活を送り続けていた。私の見立ては大きく外れたわけである(調べないで行ったから当たり前だが)
ただ映画などの物語に見慣れた人であるほど、幸せな始まり方は怖がるものかもしれない。なぜならば幸せであればあるほどに、その先に待つ不幸によって起こる事件による喪失感と絶望感が強まってしまうからである。
そしてその予感は当たり、映画はジェットコースターのように転げ落ちていく様を描き出していく。
2 話の粗は多いストーリー(以下ネタバレ)
正直なところ、話の粗はそれなりに多くて細かいストーリー展開には少し目を瞑らなければならない部分がある。
まず主人公の戦い方だが、あれだけガードをしない打ちあうスタイルでありながら43戦無敗(だったはず)のチャンピオンになるというのには大分無理があるだろう。もちろん無敗であることにもその後にカラクリがあったことは暴露されるのだが、それでもあのファイトスタイルで無敗で勝ち続けるのは違和感がある。
(メイウェザーだって守備がうまいから無敗なわけだし)
それから奥さんの亡くなる事件であるが確かにあの件は明確な殺意があったわけではないし、事故として処理されるかもしれないが、いくらなんでもあれだけの目撃者がいて死者が発生している事件に対して警察も無能すぎるのではないだろうか? 捜査が難航しているとか、凶器が見つからないというのならばわかるものの、全容がつかめていないというのでは完全犯罪を目論むサスペンスドラマの犯人も羨ましがるだろう。
他にも親子間の仲が急速に悪くなりすぎだし、少しエピソードを入れるだけでも思いれが違うのにな、というシーンが散見されている。
最大の粗(というよりも勿体無い)のは元々主人公についていたプロモーターが審判を買収してまで勝ちに行く男という話がありながらも、現チャンピオンの時は買収していないという部分であろう。
「これでは判定になってしまいますよ」
「判定で負けはない」
というような会話があってKO勝利であったり、判定にもつれ込んでの勝利であればより感動も引き立った。そういった卑怯な設定が生かされていないということが勿体なくて、脚本の粗として目立ってしまう結果となった。
3 何よりも熱量が多い
だが、そんな粗なんてどうでもいいと思わせる熱さがこの映画には存在している。
一度栄華を極めた男が落ちぶれた後に、凄腕のロートルトレーナーと出会って再生するという弄りようのない王道のストーリーに我々は魂を焦がすのである。
また、ボクシングという競技自体がこの主人公のような不良という設定と相性が良くて、他のスポーツ以上にダメ男感が増しているのである。多分これほどダメ男感が出る競技というのもプロレスとボクシングぐらいしかないのでは?
落ちぶれる過程では親も子供も一緒にいたいと願うのにもかかわらず、裁判所に引き離されてしまうという悲劇……さらに面倒を見ていた子供も母親を庇い父親に殺されてしまい、悲壮感が漂う結果に……
この辺りは若干のご都合主義のような気もしないでもないがここで落ちれば落ちるほどにその後の盛り上がり方が熱量を増していくものである。
あと気になったのは試合中のカメラワークで、スタート直後のタイトルマッチは演出なのか会場の問題なのかはわからないが、リアル寄りのカメラワークになっていたのが印象的だった。テレビで放映されている時にふっとチャンネルを回したら、「あ、ボクシングのタイトルマッチがやってるんだ」と思うぐらいにリアリティに溢れている。
それも後半の試合になってくるとやはり映画的な演出の多い、独特のカメラワーク(一人称だったり)も増えてくるのだが、その演出も面白かった。
何よりも役者の身体の作り方やパンチの繰り出し方などが堂に入って、もうボクサーにしか見えてこない。特にファイトスタイルが技術やスピードよりもパワーで圧倒するタイプだから、ほとんど強烈な打ち合いになっていて顔の腫れや出血がリアルなこともあり、本当にボクシングの試合を見ている気分になってくる。
この辺りはレスラーにおいてもミッキー・ロークの試合シーンでも思ったことなのだが、アメリカの俳優の根性や役作りの入れ込みようは素晴らしい。これが日本でやったら演出でカバーはするものの、ボクシングに見えないお遊びになるだろう。
全体的に粗はあるし、取り立てて語ることも多くはないのであるが、この手の映画おなじみの展開や面白さは保証できるので、こういった『ダメ男映画』が好きな人は是非劇場に足を運んだほうがいい。