ここ最近、知り合いに高校生の国語の教科書を読ませてもらう機会があった。
教科書に載る作品というと『こころ』を筆頭に古典や文豪の作品ばかりというイメージだが、その中でも意外な作家の作品が収録されているため面白いので、機会があれば読むようにしているのだが、その中で角田光代の『ランドセル』という作品があった。
わずか10ページほどの短編なのだが、これが卓越した技術を持って書かれた作品なので、その感想や感心したポイントを書いていこうと思う。
1 あらすじ
この作品は27歳の『私』という女性が過去を振り返るという形で物語は幕をあける。
まだ小学校に入学すらしていない過去の自分を回想し、幼児でありながらも大人のように周囲に気を使い、悩みを持ち物事を考える幼稚園時代。
そして小学校に入学する際に、おばあちゃんに送ってもらったランドセルを気に入った『私』はその中に宝物をたくさん詰めていった。周囲に笑われるほどのはしゃぎようで喜んでいる。しかし、そのランドセルが傷ついて、小さくなる頃には普通の小学生になっていた。
そしてそこから話は飛び、『私』は27歳になった。
27歳になって過去を振り返ってみれば、あの頃思い浮かべた幸福の形はまだその手中にない。それどころか、どうしようもない失恋をしてしまい、立ち上がる気力すら湧いてこない。
そんな時に母から大きなダンボールを2つ送られてきた。中身を開けると子供の頃の懐かしものがたくさん詰まっている。
その中にはランドセルも入っていた。
かつてこのランドセルに詰め込んだ大切な物は、今ではランドセルに収まらないくらい多くなっていた。失ってばかりの人生のような気もするが、今ではそれだけたくさんの『大切なもの』が私にはある。だから、逃げるわけにはいかない。
そう決心してランドセルを背負うと、ベルトに腕が入らなくなっており、笑うところで物語は幕を閉じる。
2 短編小説としてのうまさ
明確な起承転結
まず何よりも構成としてうまさを感じるのが、このはっきりとした起承転結。
この『私』の一人称で話は続いていくのだが、その時代がバラバラであるため場合によっては混乱を生じることもあるかもしれないが、これを時系列通りに並べることはもちろんのこと、時代ごとによって明確な役割を与えられている。
幼稚園時代……起(子供でありながも大人のように振る舞う私)
小学生時代……承(最も幸せな時代)
27歳の時代(現代の私)……転(大人なのにうまくいかない私)
決意の時代(荷物を受け取る私)……結(決意を新たに生きて行く)
このように短い作品ながらも、明確に起承転結を設けることでわかりやすい物語になっており、その一つ一つに意味を感じることができる。
対偶の文章
本作のスタートは幼児時代の以下の文章から始まる。
『子供というのはどれくらい大人なんだろう。何もわかってなさそうな顔をしているが、しかし、いろんなことをわかっているものだ』
そして転を迎える27歳の書き出しはこちら。
『さて、大人というのはどれくらい子どもなんだろう、なんでもわかったような顔をしているが、そのじつ、なんにもわかってなんかいないのだ』
この2つは明らかに文章として対偶するように書かれている。反語のようでもあるし、子どもから大人に成長するということを考えれば、矛盾しているようにも感じるのだが、それが人生の真理をついているように思えてくる文章の魔術である。
持ち物
他にも過去と現在をつなげるのは、『私』の持ち物である。
小学生入学時
学習机、真新しい体操服、運動靴、お道具箱、教科書、ノート、筆箱、鉛筆。
ランドセルに入れるもの
ぬいぐるみのルル、お気に入りの絵本、色鉛筆、水筒、石ころ、パラソル型のチョコレート、ひみつのアッコちゃんのコンパクト、スヌーピーのハンカチ、缶入りドロップ、水着、水玉の靴下。
送られてきたもの
アルバム数冊、作文帳、絵画に工作、同の箱入りのへその緒。
今の自分の全財産
通帳、ハンコ、化粧ポーチに下着の替え、着替え一揃い、読みさしの本、好きなCD、MD、DVD、マグカップ。それでも入りきらない。
こうしてその物を次々とあげていくことにより、その時代感覚を読者にも共感させることはできる。子どもの頃と大人では同じランドセルに詰め込む宝物も全然違うという部分が対偶性としてうまく機能しており、共感性とともに我々に読者にノスタルジーも与えることに成功している。
3 角田光代のテーマ
私が角田光代の作品を全て読んだというほど読み込んでいるわけではないのだが、『対岸の彼女』『八日目の蝉』『紙の月』などの近年の代表作とされる作品の中には、今を生きる大人の私と、子供の頃の私という対偶する存在を描くことが多い。
角田光代という作家自身が持つテーマ性というものは現在苦境に立たされる女性が、崖っぷちで踏ん張る姿を、この2つの時代を描くことにより表現しようとしているのかな、と見受けられる。
この短編の中でもしっかりとそのテーマが組み込まれており、それが長編作品に勝るとも劣らぬほどのメッセージを持ってこちらに訴えかけてくる。
長編においてこのようなテーマを持ち、しっかりと書き上げるというのはなんとなくわかるのだが、短編においても似たようなテーマを長編と見劣りしない形で書き上げるのは素晴らしい技術力である。
わずか10ページほどしかないにも関わらず、これだけの熱量が込められた作品もあまりないと思うので、角田光代の入門書としてもオススメしたい一作として、今回紹介した。