この夏に新海誠の最新作『君の名は』が公開されるので、それに向けて少しずつレビューを書いていっている。
『君の名は』の予告編を見ると進研ゼミや大成建設のCMの影響もあったのか、王道のコメディータッチな物語が展開されそうな雰囲気が漂っており、娯楽作品として非常に面白そうなので期待値を高くして楽しみにしているところだ。
まずは一言感想から
大きく話を動かしてきた!!
1 秒速5センチメートルの姉妹編
今作は新海誠の代表作である『秒速5センチメートル』とセットで鑑賞するべき作品となっている。
他の作品との違いを挙げていくと『ほしのこえ』『雲のむこう、約束の場所』は世界観が特殊なSF作品であり、『星を追う子ども』はファンタジー作品に分類されるのだが、本来ならばスタジオジブリなどの例を挙げるまでもなく、娯楽作品として成立しやすい王道のジャンルであるにもかかわらず、新海監督特有の特殊な世界観や叙情的なセリフが醸し出す雰囲気によって少しとっつきにくい印象がある。
新海誠は絵の美しさ、台詞回し、音楽などの雰囲気で『叙情的に魅せる』(共感させる)タイプの監督なので、設定や展開など『物語性によって魅せる』ことの多いSFやファンタジーのようなジャンルが向いているかと言われると、私は少し疑問に思うのだ。
今作は『秒速5センチメートル』や『彼女と彼女の猫』と同じ現代劇であり、こちらの方が叙情的な雰囲気などの美しさがより分かりやすく、リアル感をもって観客に伝わるだろう。
(特に雪野の生活感であったり、だらしないけれど追い詰められた様子を部屋の荒れ具合や割れたファンデーションで表現するということは非常にうまいし、目の付け所がいい。男性が割れたファンデーションに着目することに、驚きすらある)
恋物語
"愛"よりも昔、"孤悲(こい)"のものがたり。
キャッチコピーは上記のとおりであるが、今作は新海誠で初の恋物語ということでもあった。では秒速5センチメートルは何だったのかという思いもあるのだが、それはとりあえず置いといて、恋という漢字を語源から紐解くと以下のようになる。
恋の旧字体は戀であり、これを分解すると糸、言、糸、心となる。これは糸がもつれて絡み合い、解けない様を表している。つまり、心にいいたいことがるのだが、それがもつれてしまってうまく表せない様子を示した言葉でもある。(ちなみに恋は乞いと同じ語源とする説もある)
古典から歌を引用したりと古語が一つのキーワードになっているが、本作の魅力を掻き立てる要因として、古い大和言葉時代が大きな役割を果たしている。
2 圧倒的な絵の美しさ
本作の魅力を語る際に、やはり新海誠作品特有の絵の美しさというのは欠かせない。
舞台になった新宿御苑は私も行ったことがあるが、季節の問題もあるのかもしれないが本作で描かれた情景の方が実物よりも美しく見えた。特に水の描写というのはどの作品よりも美しく、反射する光すらも映像にしっかりと捉えられている。
スタートにおいて圧倒的な絵の美しさを見せながらも、ポエムのようなセリフ回しによって観客を一気に引き込むのは映像作品としてもうまい手法であり、これほどアニメーションという技法を使って実物以上に美しく魅せるということに拘った作品もあまりないだろう。
何よりも驚愕するのは、やはり靴の採寸を測るシーンだろう。
足の描き方にただならぬフェチズムを感じさせるし、画面を通してこちらに色気を醸し出していて孝雄が雪野に惹かれていく様子やその理由が、何も言わないでもこちらに伝わってくる。
このように絵だけで説明できるほどの情報量に溢れているし、音声を消して画面をただ眺めるだけであっても面白い作品だ。
一部の場面において新宿御苑の実際の採寸や、遠近感から考えても違和感がある場面もあるのだが、そこは映画的手法による『物語の嘘』としてみるべきだろう。そう言った嘘をつけるのもアニメーションの魅力である。
また監督が第三の登場人物と語る雨の描写が多く、6月の長雨の時期という一年の中でも独特な雰囲気を持つ時期を選択し、それがこの話を描き出す上で欠かせない大切な要素になっている。このような雰囲気を作り出すために細心の注意を払っていることが画面からも伝わってくる。
細部にわたるこだわり
追記
上記の記事にもあるように、その登場人物がどのような本を読むかということによって、人物の性格というのをより強く表すことができる。細かいことで、もしかしたら誰も気がつかないようなことかもしれないが、こういった工夫の一つ一つが作品の質を高めていくことにつながっていくのである。
ちなみに押井守は『スカイクロラ』において輪転機を回して、実際に作品中に出てくる新聞を刷って、記事まで再現し、それを参考にして作画をしたと語っている。(だから読売新聞が協賛)わずかなインクのシミや紙の質感などが、想像で書くよりも説得力が出てくるためだ。
新海誠の最大の売りは絵の美しさもさることながら、このように作り込まれた細部にわたる演出だと私は思う。
3 物語の展開
私感ではあるが、新海誠作品から小説や物語というよりも、詩やアートグラフィティーのような美しさを感じる作品が多かったように思う。物語としてきっちりと起承転結を作り、伏線を張って展開を意識して……などという物語の要素よりも、ポエムのような台詞回しと一枚の絵から生まれる、独立した短いお話が連なって出来る連作短編のような印象を受けていたのだ。
新海作品で代表作に上がる秒速5センチメートルなどは3つの短編の連なりからできた連作短編であるし、個人作業という労力の問題もあるものの、ほしのこえなどのいわゆる代表作と呼ばれる作品は短い作品が多い。本作も1時間を超えない短編映画である。
一方、長編作品である雲のむこう、約束の場所だったり、星を追う子どもというのはやはり評価としては一段下がってしまう印象がある。星を追う子どもに関してはジブリっぽいという呪いにも似た視聴者意識があるので(別にファンタジーはジブリの専売特許ではないし、ジブリ自体がファンタジーの王道を多く取り入れている)少しばかり不利な点があるのだが、それでも新海誠にしか描けない魅力があるとは思えない。
これは新海作品の魅力とは絵の美しさや台詞回しだったり、リアル感のある細い作画によって引き出される『共感性』に頼ったものだからと推察することができる。なので新海作品というのは『合うか合わないか』という点が他の監督や作家と比べて致命的なほどに大きく、誰にでもお勧めできる作品とはなっていない。
(登場人物たちの心情や行動が理解できなければ、非常につまらない美しいだけの作品になってしまう)
そういったことを回避するために必要なのが『物語の面白さ』である。
これまでの新海作品というのは叙情的な雰囲気に頼っていたこともあって、その物語性が薄かったように思う。(それがひとつの味ではあったのだが)
だが、言の葉の庭では一味違っていた。
展開させた物語
それまでの作品あれば設定や理由はあったのだろうが、二人の関係性だったり話を展開される時に、説明的な描写というものはあまりなかった。
例えば秒速において何で別れたのか、なぜ会いに行かなかったのか、ということを尋ねたところで作品世界には答えがないので、結局は「人生ってそんなものでしょ」などの個人の考察に委ねる場面が多かった。
他にもSF、ファンタジー作品でいうと、きちんとした設定はあるのだろうが、なぜそうなったか、そうなるとどうなるのかということで、物語を成立させるために大切な要件すらも開示されないので観客は戸惑うわけだ。(ほしのこえでいうと、何と戦っているのかよく分からない)
それが悪いとまでは言わないのだが、その辺りが新海作品が人を選ぶ原因になっていたのだろう。
だが言の葉の庭ではそれが大きく展開されていて、それまでただの心に病を抱えるOLだと思われていた雪野が、実は自分の学校の教師だったという展開になる。
私はこのシーンで息をのんだ。それはこのシーンが衝撃的だったからではない。
新海誠がこのような展開方法をさせたことに驚いたのである。
全体(45分)の大体半分のところでこの展開が行われているのだが、それまでは単なる15歳の夢を追う高校生と、27歳のOL? の話であったのが、この展開によって教師と生徒という別の軸ができることによって、視点が変換されるのだ。
また前半の約25分ほども半分を前半を主人公、後半をヒロインの雪野を描写することにより、計画的な作品作りをしていると考察できる。
今までの新海作品からはこのように全体から一貫した計算された展開ということは感じることはなかった。
スタートから終わりまで登場人物の関係性などはあまり変化をしなかったし、変化しても一気に成長したり、作中時間では数年かかっているので、その変化はまた別な要因によるもの(例えば加齢のよる成長など)に思えた。
それがたった一瞬で変化したのだ。
だから本作は、それまでの詩的な世界とは違って、物語性を獲得しているのである。
4 物語としての言の葉の庭
では物語としてみたときに本作品をどう評価するかというと正直辛い評価になってしまう。
(というよりも、新海作品において物語性というものを、私はあまり求めていないということもある)
リアルな生活感のある絵作りや、それが伝える登場人物の切実な感情が伝わってくるか否かということが重要なので、物語として面白いか、うまくできているかというのは評価の対象外だった。
それで良かったのである。
しかしこうした物語性を獲得すると、気になってしまうのはやはりラストで、あのような展開にするには強引な気がしてしまった。例えば、雪野が住むマンションはそれなりの高さがあるようだし、おそらくエレベーターくらいは付いていそうな建物だったが、二人が話し合ったのは緊急避難用らしき外階段だった。
この辺りは雨を効果的に使いたいという意図はわかるのだが、疑問符が浮かんでしまうし、そこに至るまでの過程がやはり強引だったように思う。
しかし、ラストの「嫌いでした」という告白は私は良かったのかな、と思う。これは孤悲の話なので、二人が別れるところまではセットなのだろう。それならばあのラストは(追記 ED後のオーラスも含めて)ハッピーエンドともバットエンドともとれる余韻のあるものとなっていた。
(この辺りの間の作り方はさすが)
あとはやはり靴というモチーフだろう。
人を歩き出す手助けをするための靴職人を目指す孝雄に会いに行くために、裸足で走り出したというのが、一つの象徴的なエピソードになるのではないだろうか。このようなモチーフの持たせ方が上手いと思う。
ラストの解釈について
コメントにもあったので、ラストに関する解釈について書いていきたい。
『君の名は。』の大ヒットもあって、新海誠も色々な評論をされているが、その中に今作に関する言及があった。
少し乱暴な言葉だが『言の葉の庭はこの後、あの先生に喰われているだろうけれど、そこを描かないのがうまいよね』という意見を見つけた。言葉はともかくとして『あの後2人は結ばれた』と解釈する人が多いのかもしれない。
だが、私はその意見にちょっと待ってくれ、と言いたい。
姉妹編となる秒速5センチメートルのラストを思い出して欲しい。
君の名は。のラストがああなり、秒速のラストがああいうものだったことを考えれば、その中間としてこの映画は成り立っていると思われる。
よく言う『男は別ファイルに保存、女は上書き保存』の論理で行くと、この映画が必ずしもハッピーエンドとは限らないのではないか?
私にはこの映画は秒速5センチメートルの第1章と同じような作品ではないか? という思いすらある。(状況だけでいったら結構似ているし)
色々と個人個人によって、意見が割れるのはいい映画である証拠だろう。
それだけ観客の想像力を信じているということでもあるのだろう。
(その割には結構説明が多い部分もあるけれど)
このような変化を遂げた後に作られた新作が、どのような作品になるのか楽しみである。
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