カエルくん(以下カエル)
「ちはやふる-結び-のレビュー第2弾です。
こちらはより作品世界に踏み込んだ、考察の記事となっています」
主
「今回もまたそれなりに長い記事になっています」
カエル「久々だよねぇ、この2記事に分けて語るって。語りたいことが沢山ある映画じゃないとできないし」
主「ちなみに今回はガッツリとネタバレしていきますので、それはご容赦ください。
それと単なるネタバレ抜きのレビューが見たい方はこちらの感想の記事をご覧ください。こちらはだいぶネタバレ少なめの記事になっています」
カエル「というわけで『ちはやふる結び』のネタバレ考察記事のスタートです!」
1 序盤について
カエル「では、まずは順序通りスタートから語っていきましょうか」
主「まず、最初に語っておくことは『本作はどのような人をターゲットにしているだろうか?』ということだ。
前作の劇場版を観ていることや、原作、特別に配信されている繋ぐという物語を観ている人であれば問題ないような作りにはなっている。
その代わり、正直に言えばシリーズ初見の人には大分わかりづらい物語になってしまっているのもまた事実なんだよ」
カエル「競技かるたのルールも知らない人がこの映画を観てどう思うのか? というのは難しい部分だよね……流行っているから観に行こう! という若い人もそれなりに多いはずだし」
主「もちろん原作が大ヒットしているけれど、ちはやふるの累計発行部数は2000万部は超えている。まだ3000万部は超えていないようだけれど……これって考えてみると確かに爆発的大ヒットではあるけれど、原作が40巻近いことを考えると実は1巻あたり100万部は売れていない。もちろん、今はTSUTAYA等のレンタル屋友達との貸借りもあるからなんとも言えないし、それでも大ヒット作品であることは疑いようがないけれどね。
つまり、何が言いたいかというと『劇場版過去作を鑑賞している人』であったり『原作を読んでいる人』を対象にしてしまうと、鑑賞する人を制限してしまう」
カエル「これってシリーズ物の強みであるファン層の根強さがある一方で、また欠点であるシリーズ初見者に対する配慮が求められていたりして、結構難しい問題なんだよね。
海外だとマーベル映画やディズニー/ピクサー映画などはうまくやっているようだけれど……」
主「母体となる作品のファンの数が桁違いだからね。
他にもアニメ映画であるポケモン、コナン、ドラえもんのように人気のキャラクターを出すだけ出して、どこから鑑賞してもいいように単独の物語になっているものもあるけれど、これは大元のキャラクターが成長しないことが決定しているからこそできる表現でもある。
説明描写が多いとファンは萎えるし、少ないと初見は理解不能……では、その難題をちはやふるはどのように描いたのか? ということがまず重要なわけ。
感想の記事でも書いたけれど、ちはやふるって2つの戦いの魅力がある作品である。1つは団体戦、もう1つは個人戦だ。もちろん、千早の最終目標はクイーンになることだし、ラスボスはもちろんクイーンである。
だけれど、今回はそちらを描くことはしなかった……
その代わりに、序盤で個人戦を全て描ききってしまったんだよね」
脚本や演出のメリハリ
カエル「序盤から漂う脚本や演出のメリハリについてのお話ということだけれど……」
主「もう最初からクライマックスの状態で映画が始まることを選択しているんだよね。
それを効果的に見せるために、前作でも使われた技法を多く使っている。その1つがスローモーション演出であるけれど……本作はそのメリハリがとてもうまい。スローモーションでの役者の所作の美しさと、競技かるたの激しさという2面性をいきなりスタートから最大限効果的に魅せるように工夫している。
他にも、今作はどのように始まるのか? というと、真っ暗な画面に広瀬すずの『誰も息をしないで……』という声からこの映画は始まる。
これって競技かるたというものがどういうものなのか? ということを説明していると共に、観客を引き込む効果があるんだけれど……重要なのは『声』つまりは『音』だけで始まる映画だということだ。
つまりさ、本作って『音』の映画なんだよね」
カエル「1つのテーマとしても音はとても重要な意味を持っている映画だよね」
主「序盤はものすごく派手に、しかもスピーディーな展開をもたせながらも、繋ぐの物語のクライマックスとしてのシーンを選択している。キャラクターの説明に関してはアナウンサーや解説者に任せて、なるべく説明臭くなりすぎないようにはしている……まあ、知っている人には説明くさいんだけれどね」
カエル「改めて思い返すと序盤は詰め込みすぎってくらい詰め込んでいるよね。あの新が思いを告げるシーンも最序盤でやってしまうとは全く思っていなかったし……」
主「つまりさ、そこで個人戦をはじめとした1つの物語はここで一区切りしたわけ。そしてここから『団体戦』の物語がスタートしていく」
新入生説明会
カエル「その後は新入部員を募集するために新入生に説明を始めるわけだけれど、ここが『ルールを知らない初心者のために説明する』という描写が、そのまんま観客に対するメッセージ性に繋がっているんだよね」
主「ここでそれぞれのキャラクターの個性も出ていたよね。カルタ大好きの残念美人である千早、誰からも信頼される太一、説明役になる奏、コミカルでありながらも太一不在の時に中心になる肉まんくんという、重要な瑞沢メンバーの紹介も一気に終えてしまった。
ただし、その弊害……というとあれだけれど、この序盤にはかなりの違和感が生じてしまったのもまた事実」
カエル「あれだよね、感想記事でもあげたけれど、名人戦中の周防名人のあくびとか……あれだとせっかくの原田先生がただの噛ませ犬になってしまうし。ほんのすこしの差だけれど、その差が大きいという描写ならばよく分かるけれどね」
主「それから競技かるたを取材する記者が多すぎたり、また千早の進路の悩みを説明するために先生と話すのはいいけれど、関係ない太一の個人情報や進路をペラペラ話してしまうというのはかなりのチョンボだよ。
外連味を優先したというのもあるけれど、でもそれが却って変な描写になってしまったこともある」
カエル「でもさ、外連味優先の演出も結構良かったよね。
今回、劇場内で笑い声が響くほどのコミカルさだって、その外連味が効果的に発揮されていたからだし……
主「序盤では新入生との対決で指先や畳で印象的な演出を、さらにゴリゴリのロックサウンドの音で強烈に印象つける。そしてその直後に太一と新の……言葉すら発さない、無言のLINE演出などが鋭く突き刺さる。
強烈な音の後の無音だから、そのメリハリがついて印象がとても強く残る。
ここで熱さと冷静さを両立させて、物語にメリハリを生み、さらに千早のかるたに賭ける情熱とともに、この物語は太一と新の静かなる闘志の物語であることをも印象づけている」
カエル「この演出がとても良く効いていたねぇ」
畳の縁は2人の境界線を示しているのかなぁ……
静の演出
カエル「もちろん、この映画って動の演出……例えばアニメーションであったり、スローモーションなどを多用したり、札が光輝いたりするような競技かるた演出なども魅力ではあるけれど、一方で静の演出もまた魅力的だったよね」
主「例えば菫の話によって太一が千早と新の話を知った時の演出。
ここでは太一の首から上は全く映すことなく、菫が話している。ここで太一がどのような反応をしたのかわからないように、観客の想像に委ねている、というのもある。
そして注目してほしいのはその位置で……偶然朝に出会った太一と菫は同じ学校に一緒に向かっているわけだ。普通に考えたらその位置関係は横並びだけれど、この映画では太一は菫の先を行き背を向けている。
つまり、菫は顔を見てもいないし向き合っていない、ただ太一の背中を見ることしかできていないという2人の距離感を見事に演出している」
カエル「ふむふむ……」
主「他にも太一が大きな決断をした後に、電車の踏切で千早が待っていると太一と出会う。そして千早が太一を責める描写があるけれど、ここではカメラの焦点は千早のみにあたっていて、太一の姿は全く映っていない。ここで『千早は太一のことを見ていない、自分やかるたのことしか考えることができない』という描写にも受け取られるわけだ」
カエル「この2人に決定的な差が生まれているのを、カメラの焦点や揺れで表現しているんだよね。基本かもしれないけれど、とても大きな意味があったなぁ」
主「他にも……これはさすが天才松岡茉優の魅力が詰まった描写だけれど、最後の方で『全部が得意札です』と笑いながら答えるシーンがある。ほんの一言だけれど、ここで今回コミカルな印象ばかり与えるクイーンがかるたに対してどれほど本気なのか、それをたった1カットで全て表現してしまった。
このような演出でも見事な作品だと言えるわけだ」
今回も松岡茉優が美しい……スローモーションでも美しいのはさすがです!
特にお気に入りのシーン
カエル「その中でも特筆して語りたいのが、やはり原田先生と太一の2人で病院で話すシーンだよね」
主「はっきり言おう、上の句での野村周平の演技は上手くなかった。
これが他の若手キャストと組んでいる時はそこまで目立たないけれど、名優國村隼と1対1になってしまった時、キャリアの差がはっきりと出てしまった。まあ、國村隼と張り合える10代から20代前半の役者ってそんなにいないとは思うけれどね。
で、再び2年が過ぎてこの再びこの2人が同じカメラに収まるシーンが生まれた時……この2つの作品を見比べると、はっきりと違いがわかるよね」
カエル「かなり國村隼の演技から浮かないようにと、細心の演技をしていたのが伝わってくるよねぇ」
主「自分がこのシーンを推すのには2つの意味がある。
1つは位置関係。
この2人は同じように病院で座っているけれど、その時の目線がほぼ同じなんだよね。
つまり、師匠と弟子の関係性ではあるものの、この時点では競技を続けるもの同士、しかもA級で立場は同じなんだ。
ここで膝が悪くて座る原田先生に対して、立っている太一という構図もできた。だけれど、それを目線の位置を合わせたりすることでこの2人が対等であるということを表しているんだよね」
カエル「これも静の演出の魅力だよね」
主「そして2つ目の意味……これはメタのお話になるけれど、師匠と弟子であった存在……ちはやふるで言えば野村周平と國村隼だって、演技の師匠と弟子みたいなものだった。かつてはその差は歴然だったけれど、今は……これは賛否があるかもしれないけれど、でも同じ画面に収まっても決して負けないように、浮かないようにと演技している。
つまり同じ役者として似たような目線に立っているわけです。
ここが役と俳優が一致した瞬間であり、自分は強烈にインパクトに残った」
カエル「メタ的な視点かもしれないけれど、この手の感動が実はとても大きい映画なんだよねぇ」
競技かるたのいくつもの要素
カエル「実写映画公開前に漫画版のちはやふるがなぜ面白いのか? という記事を書いた時に、漫画として、そして物語として競技かるたが向いている理由を書いた記事もあったね」
主「簡単に言えばルールが単純明確で初心者でもわかりやすく、目標もはっきりしている、そして動きも単純でありながらも躍動感があり、百人一首自体は日本人ならば誰でも知っているというアドバンテージがあるんだけれど……
この映画を観て、とても大事な要素を思い出した」
カエル「大事な要素?」
主「百人一首ってさ、あくまでも『文化的なもの』なんだよね。
本来、その札を取り合う競技かるたのために生まれたわけじゃない。あくまでも一種のお遊びであり、その価値は和歌に込められた意味や、音の美しさにある。
明治以降に各地域でバラバラだったかるたのルールを統一して生まれたのが競技かるただけれど、それを考えると正式に生まれてから歴史はまだそこまで深くないわけだ」
カエル「昔はちょっとしたお遊びだったんだろうね」
主「ちはやふるを読んでいると競技かるたの物語だから、その和歌の意味を失念することがある。ちはを如何に早くとるか……とかに視点が集まってしまう。
だけれど、本作は『和歌の持つ意味』にも注目し、スポーツとしての競技かるたのみならず、文化としての百人一首にも注目している。
何が驚愕って、これだけの色々なことを詰め込みながらもそれを2時間強にうまくまとめていることだよ!
もちろん、過不足は観客それぞれにあるかもしれないけれど……それを含めても驚異的にまとめ上げた脚本だと言えるだろう」
主「というわけで、ここまではあくまでも序章です。
ここから先が本当にこの『ちはやふる-結び-』という作品が実に優れているということを語る考察になってきます」
2 3つの和歌について
カエル「今作では特徴的な和歌がたくさんあったけれど、今回特に語りたいのがこの『3つ』の和歌ということだけれど。まずは1つ目が
『ほととぎす 鳴きつる方を 眺むれば
ただ有明(ありあけ)の 月ぞ残れる』
これは現代語訳にすると『ホトトギスが鳴いた方向を向いたら、ただ明け方の月があるだけだった』という意味になるね」
主「この和歌が出てきた時の状況は太一が運んできてくれた畳を千早が触っているシーンだ。そこで太一の幻聴がした気がして振り向いて見ても、そこには姿がない……まさしくこの歌と同じ状況だよね。
ここで出てくる月というのは、とても幻想的なイメージであるけれど……やはり現代人である自分には夏目漱石の『月が綺麗ですね=I LOVE YOU』を強く連想する」
カエル「和歌の意味が後世の別の逸話によって変わるというのも、現代的なアレンジということもできるのかな?」
主「もちろん、ここでは千早は太一のことを恋愛感情として好きかどうかはわからないし、おそらく本人も全く意識していない。だけれど、仲間としてはとても大事な存在であり、千早の中ではとてつもなく大きな存在である。
ふと振りむいた瞬間に太一の声が聴こえた気がする……これだけでとてもロマンチックだし、恋愛描写として静かながらもとても強い意味が込められた1シーンだよね」
この前後のシーンのカメラワークが印象に残る……
『しのぶれど』と『恋すてふ』
主「2つはもちろん
『しのぶれど 色に出でにけり わが恋は
ものや思ふと 人の問ふまで』
『恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり
人知れずこそ 思ひそめしか』
この2つだよね。終盤でも重要な和歌となっている」
カエル「意味合いとしてはしのぶれどが『恋をしていることを隠しているつもりだったけれど、それが人に尋ねられるまで顔に出ていたようだ』という和歌。
恋すてふが『恋していることが噂になってしまった』という和歌だよね。似ているようだけれど、ちょっとだけニュアンスが違う和歌で……」
主「自分はこの2つだったら『しのぶれど』の方が和歌としても意味合いも美しいかなぁ……とは思うけれど、それはどうでもいいや。
この2つの和歌が選ばれたのはもちろん意味がある。
しのぶれど〜の和歌は太一
恋すちょう〜の和歌は新
を表しているというのもある。
だから、太一は運命線において『しのぶれど』を……自分を選択した、ということもできるわけだ」
競技かるたと恋の選択
主「そしてもう1つ重要な意味がある。作中でも語られているように、しのぶ〜はそのまま若宮詩暢の名前につながってくることもあり、クイーンを目指す人たちには重要な意味合いを持つ。
いわば『競技かるたを象徴する和歌』にこの映画内ではなっているわけだ」
カエル「『しのぶを取るのは私だ!』と強く宣言していたもんね」
主「で、考えようによっては……この『しのぶれど』がかるたの象徴的な札ならば、こいしちょうは頭の『こい』が決まり字であり、つまり恋につながる札でもある。
ということはこのシーンは『かるたと恋の2択』ということもできるシーンだ」
カエル「それは……太一には酷な選択だよね」
主「もちろん、千早にしのぶれど=クイーンを取らせたいという意味合いも込められていただろう。でも、最後の最後で……この運命戦において、太一は『かるた』を象徴する和歌を選んだ。
だからこそ、神様はかるたを選んだということもできる」
カエル「ふむふむ……」
主「ここで重要なのは、この描写だけでどれだけの意味が込められているのか? ということなんだよ。
この2つの札はかるたと恋の対比であり、太一と新の対比でもある。だけれど、選ばれたのはしのぶれど……つまり、太一なんだよね。
これは本作の恋愛描写……千早は太一と新のどちらを選ぶのだろうか? ということに対するほのかな答えを想像させるよね」
カエル「深読みのしすぎだと思われるかもしれないけれど……」
主「でもさ、和歌というのは57577の短い語句の中に、どれだけの感性と思いと情景が込められているのか連想するものでもある。それを考えると、この1シーンは色々な想像できるし、その答えも直接的なものではなくて、ふんわりと漂うようなものになっている。
自分はこの一連の描写そのものが、それこそ和歌につながるような味わいがあると思うけれどね」
3 和歌の映画として
カエル「では、なんでこの映画はここまで和歌を多用したのか? という話になっていくわけだけれど……」
主「では、和歌とは……百人一首とはなんですか? という問題だ。
それはもちろん学者先生に訊いてもわからないかもしれないけれど、間違いなく1つ言えるのは『一瞬の情景や気持ちを57577の文字に込める』というものだ。
表現には2種類ある。
それは瞬間の芸術と時間の芸術である。
詩(和歌、短歌、俳句)、絵画、写真などはその瞬間を永遠のものに切り取る表現である。一方の小説、映画、漫画などはそこに込められた時間を永遠のものに切り取る表現である」
カエル「今回は瞬間の芸術を時間の芸術に置き換えているんだね」
主「この映画には和歌と比べても遜色ない、ほんの一瞬のきらめくような描写がたくさん込められている。何せ本当に10代、20代前半の若者たちが、自分の貴重な時間を割いてまでこの映画に賭けた情熱を持って取り組んだ映像になっているからね。
それはもちろん本作だけじゃない。上の句、下の句、繋ぐ……これらにも瞬間瞬間瞬間を重ねてきた、とても貴重な日々が込められている。
上の句と下の句を繋ぎ、結ぶ……ではその結ばれたものはなんなのか? 一体何を結んだのか?
それは『青春』なんだよ」
役者である彼女たちが全力を尽くしてきたリアルな青春の物語でもある
百人一首の物語として
主「自分は感想の記事でも書いたけれど、この映画には恋、挑戦、仲間、友情、挫折、苦悩、未来……本当に色々なものがあるね。そして、中には見返したらほろ苦いものもあるかもしれない。
でも、それらの青春の瞬間、瞬間という和歌をまとめたもの……それをなんというのか?
それは百人一首なんじゃないの?」
カエル「百人一首を映像にする……」
主「この映画の中で象徴的なセリフがある。
『一瞬を永遠にとどめる力があることを忘れないでください』
紙と墨が消えないことによって、和歌は1000年という長い時を超えて現代人にもその思いを届けることができる。もちろん、デジタル媒体の映画がどこまで残るかはわからない。1000年という途方もない時間は保たないかもしれない。
だけれど、監督は間違いなく1000年先にまで届けようとしているし、その力があることを信じている。
1000年前に藤原定家は個々の優れた和歌、そこに込められた思いを編集し、100選にすることによって長い時を超える小倉百人一首を作った。
それと同じように……広瀬すず、野村周平、新田真剣佑、上白石萌音、矢本悠馬、森永悠希、優希美青、佐野勇斗、清原果那、松岡茉優、賀来賢人、清水尋也、坂口涼太郎……
その他の多くのキャストが生み出した『ほんの一瞬のきらめき』や青春を上の句、下の句、繋ぐ、そして結びという形で編集し、1つのちはやふるという物語に編集したんだ。
瞬間を捉え、時間を超える……これは表現としてとてもレベルが高いことである。
だけれど、監督はそれを見事に描ききった。
こんな物語はそうそうないよ」
最後に
カエル「というわけで、長い考察記事の最後になります」
主「いや、本当にこのちはやふる結びという作品は色々な意味で重要な作品になると思う。
もちろん、2010年代でも魅力的な学園ドラマや青春ドラマはいくらでもあった。だけれど、これほど王道の物語で魅力あふれる物語も他にない。
キャストと表現手段と映像と物語が完全に一致する……これは狙ってもできないことである。
自分は大真面目に語るけれど、漫画原作実写映画の最高傑作の1つであり、青春映画の1つの完成系だとすら思うね」
カエル「今年のイマイチ盛り上がりに欠ける邦画勢の中でも、もっともっと盛り上がって欲しい作品だね」
主「これほどの大傑作が劇場で観られる機会はほとんどありません。
ぜひとも、いますぐ劇場へ向かってください!」
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