カエルくん(以下カエル)
「今週も大作邦画が続くねぇ」
ブログ主(以下主)
「……なんだか、ここ最近ずっと語っているけれどさ、今年は本当に邦画大豊作だわ……」
カエル「毎週『年間トップクラス』とか『今年一番』とか言っているような気がしてくるもんね」
主「なんだか『シン・ゴジラ』以降、映画を見る目というか、感受性の鍵が壊れたのかなぁ? 昔からここまで衝撃が続いていたわけじゃないんだけど、明らかにここ最近はレベルが段違いな気がするんだよねぇ」
カエル「ブログを書き始めてから、見方が変化したのかもねぇ。明らかに初期の頃と文章量とかが違うし」
主「こうやってオタク化って進行していくんだろうなぁ……」
カエル「今回は『グッドモーニングショー』を見てからの少女だったけれど……」
主「あまり言及はしないけれど、ある意味ではいい比較になったよ。ちょっとだけ共通する部分もあったりしたし。それで考察が深くなるかというと……それはないかなぁ?」
カエル「それじゃ、感想記事を始めようか」
1 ネタバレなしの感想
賛否は別れる作品
カエル「じゃあ、ざっくりとした感想から始めようか」
主「ネタバレ抜きで書くとなると難しいけれど、人は選ぶ作品になると思う。すでに結構賛否は割れているみたいだしさ、派手な事件が起きたり、エンタメとして優れている描写は……例えば爆発とか、そういうものはない映画だし」
カエル「爆発を求める人はこの映画を見にいかないでしょ」
主「でも、ある種の爆発はあるんだよ。それは物理的な爆発じゃなくて、感情的な爆発がさ。
この映画は『聲の形』のような……青春時代の危うさと緊張感をしっかりと見せてくれる。その代わりに、爽快感や青春のフレッシュさはないよ。なんていうか、真綿で首を絞められている気分」
カエル「次のシーンにどうなるんだろう? って緊張感はすごいよね。特に湊かなえ原作だから、一瞬も気が抜けないというかさ」
主「序盤から息を飲むようなシーンがずっと続いているし、さらに人によって解釈が変わるような映画になっているからさ、好きな人は好きだけど、ダメな人はダメだね」
カエル「特に主みたいな考察好きや、賛否が分かれる映画が好き! っていう人にはたまらないかもね」
主「そうね。雰囲気としては……やっぱり山本美月も出ていた『桐島、部活やめるってよ』とかに近いかなぁ。学校生活の……なんとも言えない絶望感にも溢れた一作になっているよ」
湊かなえの原作
カエル「じゃあ、まずは大雑把な感想だけど……主は湊かなえに対して、どういう印象を持っているの?」
主「う〜ん……結構難しい話でさ『告白』が大ヒットしたのはよくわかるんだよ。全6章で、前半3章、特に1章は完璧な作品だと思った。
あれだけ人間の闇を描ける作家は……しかもエンタメとして昇華できる作家はなかなかいないからさ。評価されるのはわかる。
だけど、一方では……湊かなえは何を読んでも湊かなえだなぁという気もするんだよね」
カエル「作品が似ているんじゃないかってこと?」
主「簡単に言えばそういうこと。それが作者の作家性だから、別に文句があるわけじゃないし、全部の作品を読んだわけじゃないけれど……やっぱり、デビュー作であれだけ評価された作家だからさ、評価基準が告白になってしまうところってあるわけよ。
じゃあ、告白を超えた作品があるのかというと……それはどうなんだろうね?」
カエル「それは個人個人の評価にもなるからね」
主「小説を書いていくという難しさがあると思う。デビュー作が売れすぎた人は大変だよ。
一方で、実写化すると結構いい作品になるんだよ。だから、やっぱり独特の世界観というのは……特に小説よりも、映像化した時の方が効果的になるのかも。
これはさ、もしかしたら、湊かなえが脚本家出身ということも大きいのかもしれない。絵や音楽などと合わさった時に、一番面白くなるように計算するような作劇をしているのかもしれないね」
役者について
カエル「それじゃあ、役者について語っていくけれど、今回はどうだった?」
主「若い役者を使う時って、どうしても演技力って2の次になるわけだ。そりゃそうだよ、だって『若いこと』『美しいこと(男女を問わず)』が求められているわけだからさ、いくら演技力があってもおっさんだったり、ブサイクだとコメディになってしまいかねない。
演技力って経験とセンスによるところが大きいだろうし」
カエル「まあねぇ。渡辺謙が学生服を着ていたら、学園ドラマにはならないしね」
主「だから若い役者の使い方って相当難しいと思うけれど……今作はそれがうまくいっているんだよね。
その要因は、リアルな作劇をしていないから。下手にリアルな演出だったり、リアルな芝居をさせようとすると、オーバーリアクションだったり、新品できれいな制服と、違和感が出てきてしまうけれど、この作品は一貫してリアルさを演出で求めていないんだよ。
いうなれば、舞台演劇と同じかな。だから、現実的に考えると違和感のある登場人物もいるんだけど、それが違和感が働かないようにうまく演出されている」
カエル「じゃあ、主演クラスの本田翼と山本美月はどうだった?」
主「素晴らしいよね。映画における主演やヒロインというのは……特にこの手の作品は『世界一の美少女』になることがすごく大事なわけだ。
今作は2人とも世界一の美少女になっていたよ。どっちが良かったというのは個人の趣味というのがあると思うけれど、山本美月は素晴らしかった!」
カエル「……主は髪の綺麗な女性好きだもんねぇ。
橋本愛とか、栗山千明とか、ああいうタイプの美しさがある女性像だったね。それでいながら、健康的な溌剌とした雰囲気と、過去などからの後ろ暗い雰囲気なども含めて、目を引く存在だったよねぇ」
主「本田翼はどうだったのかというと、結構エキセントリックな役だし、魅力を出すのは難しいと思うんだよ。それでも不意の笑顔とかもかわいらしくて、すごく良かったね。彼女のファンも喜ぶし、ファンも一気に増えるんじゃないの?」
カエル「他の人たちというと、話題なのがアンジャッシュの児島だけど……」
主「なんというか、演技自体が抜群にうまいわけではないよね。芸人って役者と同じく『舞台で面白く演じる』ことが求められる職業だから、演技力が高い人が多い傾向にある。
それでも本職の役者と比べると、というのもあるけれどさ、でもこの役は上手い下手じゃないから」
カエル「児島にしかできない役だったね」
主「そう。あの嫌われ者っぷりとか、小物ぷりとかさ。まさしくアンジャッシュの児島! って役だった」
カエル「あとは……稲垣吾郎は触れておかなければいけないかな?」
主「吾郎ちゃんも裏表のある役だったけれど、いい演技だったねぇ。難しいと思うよ、色々な面を見せなければいけないからさ。それでもきっちりと演じきったのは、すごく良かったと思う」
カエル「……それじゃ、ここからネタバレありの考察記事になりますよ」
以下ネタバレあり
2 冒頭の演出
カエル「まずは何から語ろうか?」
主「そうね……やっぱり出だしから語ろうか。
まず、いきなり演劇調の舞台のような演出から始まるわけだけど、ここが『いい始まりだなぁ』と感心したよ」
カエル「『統一された作品の雰囲気』というやつだね」
主「そう。ここの演出でリアリティを失わせて、作品の世界観に没入させるわけだ。ここで少しでもリアリティを出そうとすると、一気にこの世界観が壊れることになってしまうから、オーバーなくらいでいい。
そして水に飛び込んで沈んでいくけれど……この作品において『水』が重要な意味を持つんだよね」
カエル「それはまた後で話すとして……そこから学校へと話が飛ぶね」
主「可愛い女の子がたくさんいてさ、その中でも特別な美少女としてあの2人がいるわけだ。そこで名前を呼んで『この2人が重要人物だよ』とメタ的に教えてもらった後で、学校の描写になる。
この学校の描写がまた秀逸で『ごきげんよう』なんて守衛と挨拶を交わしているわけじゃない? こんな学校、世の中にどれだけあるのか知らないけれど、一般的な女子校ともまた違うわけだ。
ここでもリアリティを喪失させて、物語性をより強めているんだよね」
リアリティの喪失の演出
カエル「それはこの先も続くよね」
主「そう。山本美月演じる敦子が足が悪いという描写でも少しこちらもドキリとするけれど、ある瞬間にスローモーションと共に元気に歩き出すんだよね。そこも非常に映画的な演出で、物語性を強めていた。
ここまでの描写でこの作品の方向性が……リアリティを喪失させた物語性というのがしっかりと描かれているし、ここでノれなければ、多分ずっとノれないかもね。
自分みたいな人間には『足の怪我を偽っている』ということがすごく重要な意味になるから、面白いね」
カエル「その意味でも考察好きには受ける作品だよねぇ。
さらにいうとさ、この後で小説を書いている場面では音楽が流れるけれど、了が書かれた瞬間に音楽が止まる、というのも映画の、作劇の演出による心理効果をしっかりと生んでいるよね」
主「そう。序盤は特にそうで、あの円になって踊る謎のダンスだったりと、一見するとよくわからない場面が続く。
突っ込もうとすれば突っ込めるよ?
『小説を無くしたけれど、あれだけ探しても見つからなければ家に忘れたと思うんじゃないの?』とかさ
『たった1人が手放しただけで、あんなものが倒れるか?』とか。でも、それでいいの。そういう演出が大事なんだから」
カエル「あくまでもノレるか否かって問題だもんね。あの手放しなんて『私はいじめに加担しません宣言』だし」
主「そう。それはさ、あの教師のパソコンに危ない動画があった場面でもそうなんだけど、あんな内容の動画を学校のパソコンに入れておくか? という疑問はある。その意味ではある種のご都合とも取れる部分があるから、ここまででリアリティを出してしまうと、一気に足を引っ張ったかもね」
3 中盤の考察
カエル「結構考察が時系列がグチャグチャになりそうだから、先に考えておこうか。なんで敦子はそこまで足が治っていないということにしたのかな?」
主「もしかしたら原作小説に詳しく書いてあるかもしれないけれど……もちろん、剣道部に戻りたくないっていうのもあると思う。思うけれど、この作品において……由紀と敦子は深い友情を超えて……ある種の同性愛関係なんだよね。
つまり、この映画において何度も強調されて行われるのは『由紀と敦子の同一化』なんだよ。それが繋がりといってもいい」
カエル「手をつなぐシーンとか何度も描かれたもんね」
主「そう。つまり、大好きだった剣道を絶った要因は何か? そこを考えると、由紀は手の傷だったわけだ。そして敦子は足の……おそらくアキレス腱の断裂だった。この2人は怪我という形において……怪我によって剣道を諦めたということによって、同一の存在になったんだよね。
序盤においては2人はすごく強い繋がりがあるんだけど、傍目からみるとそこまで仲が良さそうではない。
そこに入ってきたのが紫織という存在だったわけだ」
紫織の登場
カエル「色々と大変な存在だよね」
主「この作品におけるもう1人の主人公……というか、裏主人公なのがこの紫織だろうけれど、この子が由紀と敦子の間に入ってきた描写で……あの守衛のいる門から出た直後の描写が象徴的で、そこで敦子は足が悪いから少し急いで後を追うんだけど、由紀と紫織は先に行ってしまうんだよ。
ここはこの2人の関係性が変わったことを意味しているわけだ」
カエル「なるほどね。それだけの関係性だからこそ……この2人の唯一の絆である、怪我を重要視したわけだ」
主「多分ね。自衛のためというだけなら、由紀と一緒にいるときにもその足を引きずる必要はないけれど、それでもずっと足を引きずっているのは、そういう理由もあるんじゃないかな?」
カエル「そうなると、1人のときにも足を引きずるのは?」
主「う〜ん……正直、難しいけれど、やはりそういう『見えない絆』に拘ったと解釈したいかなぁ」
牧瀬光の登場
カエル「そして牧瀬が登場するわけだけど……」
主「彼は由紀の対になる男だけど、この彼の描き方も相当に面白い。
最初はただの興味本位だったんだよ。だけど、徐々に由紀の考え方に傾倒していった。それがこの作品において、重要な意味をもたらすわけだ」
カエル「あのベットでなぜ由紀を抱かなかったのか、とか?」
主「そう。そこは明らかに強調された演出だよね。
じゃあ、そういう象徴的な演出について考えていこうか」
4 象徴的な演出
カエル「まずは……最初に挙げた『水』について考えていこうか」
主「これはある程度分かりやすい。ほぼ、直訳なんだよ。つまり、死を意識している時というのは、水の描写が結構多いんだよね。最初に水に沈むシーンだったり、紫織の親友が死んだ時もバスタブに水があったり、あとは海の描写、子供2人が水槽を眺めていたり……何よりもラストの川とかね。
水があるシーンというのはそのまま『死』という意味になる」
カエル「三途の川とかと似たようなものだ」
主「そうそう。そして、海のシーンで考えてみるけれど、あのシーンにおいて由紀は半分沈んでいるけれど、顔は水面から浮いている。これはね『死についてどっぷりと考えているけれど、まだ顔だけは生について考えている状態』という意味だと解釈する」
カエル「濡れたブラウスがエロチックだったねぇ……」
主「そう! そこが大事で……実は死と対になるものがあるわけだ」
エロチックな描写
カエル「これはあれだよね。『暴力シーンの前にはエロティックなシーンが多い』理論。ある種の緊張と緩和だけど……」
主「いつもならばそういう演出論で解釈するんだけど、この作品においてはそれは違う。じゃあなぜ真剣佑が……光が彼女を抱かなかったのかというと、それは『死に魅入られていたから』なんだよね」
カエル「……死に?」
主「そう。これは武田鉄矢も語っていたことだけど、あの世代の……思春期の少年少女というのは、エロチックなものに興味を持つはずだ。彼氏が欲しいとかね。
だけど、そこに興味を持たなかった場合、もしくは極度に規制されていた場合に興味を持つのが『死』だと言われている。残虐な少年犯罪の加害者は、やりすぎたというのもあるけれど……一部のサイコパスのような加害者は、性に対して興味がなかった、もしくは厳しく管理されていたという話があるんだ」
カエル「性に興味を持てないと死に興味を持つんだ……」
主「そう。あのホテルの時の光はすでに死に魅入られていたから、性に対して興味がなかった。だから抱くつもりもなかった。
逆に、病院に行った後の由紀は……死から生に興味の対象を移すんだよね。そして生きるためにお父さんを探すと、途端に『性』に目をつけられる。
つまり、本作において『生きること=性』であり、それと対になるものとして『死』があるという考え方だ。
だから由紀は、担任のあんな行為を見てもそっちをばら撒かなかったんだろうね。死の人間に、性は意味がないから」
カエル「なるほどねぇ……性と死かぁ」
主「個人的には病院の描写の『命を大事にしましょう』の紙芝居が面白かったけれどね。それって、すごく大事なことだけど言葉にすればするほど軽くなるんだよ。死に興味を抱いている人間には意味を成さない言葉だ。
グットモーニングショーと比較すると面白いよ。『命』の重みが全然違うから」
カエル「はいはい、他作品はいいから、先に考察を進めましょうね」
主「あとは紫織についても語りたいけれど、彼女については最後にまとめて語るので、ここでは置いておくよ」
5 因果応報
カエル「この作品で何度も連呼されていたね。因果応報、因果応報って」
主「あのお婆ちゃんの鬼気迫るものはすごかったなぁ……この作品の主題なわけじゃない? 因果応報って。
個人的には嫌いな言葉だけどねぇ」
カエル「出た! ひねくれ発言!」
主「……『働かざるもの食うべからず』とかさ『因果応報』『自業自得』とか、、やったことに対して必ず結果がついて回るというのって、そんなわけないじゃんって思うんだよなぁ。それなら、努力した分だけ絶対報われるはずじゃん? だけど、当たり前だけどそんな世の中になっていない。
本来はいいことににも使われる因果応報って言葉だけど、今は悪いことだけにしか使われないのも違和感あるし……」
カエル「主がどう思っているかなんてどうでもいいの! この作品においては重要なロジックなんだからね!」
主「はいはい……
じゃあ話を戻すと、この作品では最終的に3つの道に分かれるけれど……今回は2つに絞る。
それが由紀の病院ルートと、敦子の介護施設ルート。ここがある瞬間を持って、2つが1つに交わるわけだ。
以前に批判したことがあるんだけど、この物語を分ける意味ってここにあるんだよね。由紀の探しているものを持っているのが敦子で、敦子は由紀に連絡したい。この2つが交わることによって、物語に大きな意味が生まれるというのが大事なんだよ」
死を直視した時
カエル「その意味ではそうかもね……」
主「で、その結果……由紀は壮絶な因果応報を迎えるわけだ。全てを裏切られ、しかもトラウマをほじくりだされて……ちょっと前までの死を見ていた由紀だったら、あそこまでパニックにならなかったかもしれないけれど、今では生を見てしまっていたから、死が実際に目の前に来ると混乱してしまう。
そこを救い出したのが敦子なわけだ」
カエル「スローモーションの描写だよね」
主「そう。足の悪かった敦子が、由紀を連れて一緒に走る……ここって、友情や恋愛における、最大のカタルシスシーンになっているんだよね。安っぽい言葉で言うならば『愛の逃避行』というわけでさ。
確かに語り合うことは少なかったかもしれない、だけど、この2人にはそんなものはいらなかったんだっていうことだね」
カエル「そして最後の2人の語り合いになるんだね」
主「この2人の関係性をじっくりと考えると、由紀はずっと死の世界を見つめていたのに対して、敦子は生の世界にいたわけだ。だから紫織に巻き込まれて、あんな冤罪行為をしていた。
ここで生の世界を見つめた由紀が初めて向き合うことによって、2人は同じような目線になったんだよ!
はい、ここでハッピーエンド……とならないのが、この作品の最大の魅力だけどね」
カエル「ラストの大どんでん返しだ」
6 紫織の重要性
カエル「じゃあ、ここでいよいよほっとかれた感もある紫織の重要性について語っていくとするけれど……」
主「そう、さっきあげた3つ目のルート。
まず、紫織という存在は一見するとひどい少女だよ? というか、それはラストでも変わらないけれど……ここではまず、亡くなった親友について考えてみようか」
カエル「描写があまりない親友ね」
主「動機は色々と解釈できるんだよ。例えば、多分紫織のあの犯罪に加担していた罪の意識で……と考えるのが一番わかりやすいかな? そういう思考になっても、おかしくないと思う。
だけど、個人的には……おそらく、自殺した親友は由紀だったんだよ」
カエル「……は?」
主「もちろん、由紀本人ではないけれど、由紀のような性格の子だった。だから死を見つめて、その死に飛び込んで行ってしまった。
そう考えると紫織という存在は敦子と同じような存在となる。つまり、由紀を失った敦子だね。
さっきから性=生と言っていたでしょ? つまり紫織は、ずっと生の世界にいる人だったわけだ。そしてこの作品のロジックである……ある種の不条理である、因果応報を迎える」
因果応報と紫織
カエル「それまで『高校生の娘がいてもエロい目で見る』と言っていたのに、それがラストでああなるわけだ」
主「そう。由紀の場合は死の因果応報が巡ってきた。
そしてそこに苦しんでいるところに、生の世界の敦子が連れ出して救ってくれた。死について後悔するわけだ。
じゃあ紫織は? 生の……性の世界にいた紫織はその生の洪水に巻き込まれた挙句に、自分を救ってくれる存在はもうこの世にいない。そして由紀のロジックを使うと……性について、生について後悔するんだよね。
じゃあ、生について後悔した人間のラストってどうなる?」
カエル「……だからあの選択になるんだ」
主「そう。そしてそれに伴うメールが全ての人間に……呪いのように他の生徒へと降りかかるわけだ。
だけど、今は明るい、生者の世界にいる2人には届かない。だからメールを見ることなく終わる。
そこで唐突にラストを迎えるでしょ? さて、これでめでたしめでたし……なのかは、観客の想像に委ねるよという意味だね」
カエル「……なるほどなぁ」
7 全体を振り返って
カエル「じゃあ、ここまでの全てを振り返って総評を始めようか」
主「……思春期の女子ってさ、異常に仲がいいなぁと思う時ってあるじゃない? その理由って知っている?」
カエル「……理由? 仲がいいのに理由があるの?」
主「それは、男性と付き合う前の擬似的な恋愛をしているという説があるんだよね。多分、この話って男性だと成立しなかったんじゃないかなぁ?」
カエル「美少女同士の百合っぽい作品だから、美しく成立したよね。あとは女性の生々しい描写が多かったし」
主「で、個人的に注目したいのは……やっぱりあの小説なんだよね」
カエル「夜の綱渡りね。勝手に発表されちゃった作品」
主「そう。一番感動した部分なんだけどさ……元々、あの作品って由紀が敦子のために、たった1人のために書いた作品じゃない? それが勝手に発表されたからあれだけ怒ったけれど。
これは由紀には知らないことなんだけどさ、それが他の人を救ったのも事実なんだよね」
カエル「それを知るのは敦子だけなんだけどね」
主「だからさ、この作品の……因果応報のロジックの美しい部分を挙げるならば『敦子のために書いた小説が、誰かを救った』からこそ、最後に由紀を救ったんだよね。そこは美しい因果応報だなぁって思った」
カエル「そうね。勝手に発表されたけれど、それが巡り巡って自分の元に帰ってきたんだよね。あの小説がないと由紀を連れて走ろうとしないし」
主「さらに言えばさ……『たった1人のために書いた小説が、他の誰かを救うこともある』という物語でもあるわけだよ。
時には創作なんてオナニーと呼ばれる活動じゃない? 発表しなくてパソコンや机に眠ることになるかもしれないし。それでも、それが誰かを救うかもしれないんだよね。
そしてそれは巡り巡って自分も救うことがある……
これは原作通りなのかは知らないけれど、これだけ殺伐した話でもそんな『祈り』を込めたというところに、湊かなえの……三島有紀子のわずかな願いと光を感じたね」
最後に
カエル「今回も長かった!」
主「分割しようかなぁ……とも思ったけれど、感想の方の記事がすごく手薄になるからやめておいたわ」
カエル「文量も1万文字越えだからねぇ」
主「……いつも思うけれど、よくこれだけ毎日毎日更新しているよなぁ」
カエル「本当にねぇ。これだけ書いていたら、大体1週間もあれば文庫本1冊分の小説が書けるんじゃないの?」
主「そうねぇ……純文とかだと短い作品もあるしねぇ」
カエル「……その情熱を他に使えばいいのに」
主「ほら、隣に敦子がいて『一緒に頑張ろう?』とか言われたら毎日頑張るよ! 2万文字でも、3万文字でも書いちゃう書いちゃう!! そして性の洪水に呑み込まれたいなぁ……あれ? 何か物が飛んできたよ!!」
カエル「……因果応報だぁ! バカやろう!! 山本美月ファンにやられちまえ!!」
主「あ、ハサミはダメ! 包丁もダメだって!! おーい、謝るからさぁ!!」