では……久々に小規模公開映画のお話をするとしようかの
最近は大きい映画が中心だったからね
亀爺(以下亀)
「W杯で大きな映画があまり公開されづらいという事情もあるらしいがの」
主
「映画ブロガーとしては泣き所ですな」
亀「世間でも話題になった『万引き家族』も、その出来がどうこうよりも賞レースや発言などが話題になった印象じゃしの。6月は『デットプール2』と『ハン・ソロ』強しになるのかもしれんの。
まあ、大まかな予想通りではあるが……」
主「じゃあ、感想記事を始めていきますか」
映画『ブリグズビー・ベア(BrigsbyBear trailer)』予告動画
感想の前に
では……感想の前にこの映画に対する世間の評価を語っておこうかの
察しがいい人はこれだけでどんな感想かわかるよね……
亀「フィルマークスでは4,0点の平均点がついておるが、これは他の映画と比べても高い水準にある映画と言えるじゃろう。だいたい3,6くらいが平均的、3,8あれば期待してもいいという数字である印象じゃの。
ちなみにYahoo!映画レビューでは3,7じゃが、映画ドットコムでは4,1とこちらも軒並み高評価じゃ」
主「そしてアメリカの大手映画レビューサイトのロッテントマトも批評家評が81パーセントの満足度、一般観客も86パーセントの満足度を誇っている。
これはとても高い満足度だと言えるし、その評価自体にはとても大きくうなづくところがあるかな」
亀「つまり、多くの人が賞賛する、誰にでオススメしたい作品ということじゃな」
主「特に時間も97分と短いし、公開規模こそ少ないけれど……そろそろみんながつけるであろう上半期ベスト10にも入ってくる人もいるんじゃないかな?
小規模映画なのが惜しいということもわかるくらいの良作であるのは間違いないね」
『オタクは辛いよ』系映画
亀「今作はどのような作品か? と問われたら、一言で語るならば『オタクは辛いよ』系+『クリエイター賛歌』の映画と言えるじゃろうな」
主「自分はオタク系の恋愛映画の場合はアニメ化も果たした有名漫画にかけて『オタクに恋は難しい』系の映画と呼んでいたりするけれどね。
ブリグズビーベアは恋愛作品ではないけれど。
例えば『har 世界で1つだけの彼女』『ラースとその彼女』『好きにならずにいられない』などがパッと浮かぶかな。オタクであるからこそ直面する、社会的な常識が欠けておりコミュニケーション能力が低かったり、世間と違う恋愛に走ってしまう姿を描いている作品たちだ」
亀「……こう考えると基本的には男が主人公なんじゃな」
主「ある意味では『勝手にふるえてろ』もこの系統の映画だよね。これは珍しく女性オタクが主人公だけれど……あとは『海月姫』などもそうか。
で、自分はこの手の映画を見ていると毎回連想するのが『桃井はるこ』なのね」
亀「今の若い人は知らんかもしれんが、アキバの女王とも称されるアーティストじゃな」
主「『萌えはロックだ』を合言葉に、世間の逆風やオタクがまだ市民権を得ていない時代からオタクを代表し『好きなものを好きで何が悪い!』というような歌詞などを発表してきている、まさしくクイーンというべき存在。
好きなものを貫くというのはものすごく難しい話であって……特にオタクはいつも市民権があったわけではなく、それこそ犯罪者予備軍と呼ばれて気持ち悪がられる時代もあった。今でもその風潮は若干残っているけれど、その比じゃない」
亀「『好きなものを好きと言えない(言いづらい)』というのは本作とも共通する部分じゃの」
主「で、この映画の個人的な評価はここが重要になってくるわけだ。
多分……この映画を取り巻く論評としては、珍しい意見になるとは思うよ」
オタク賛歌の映画を見るたびにいつも思い出すのがこの曲……
感想
さて、では感想といくかの
プリグズビー・ベア
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2018年6月24日
うーん……いい作品だけどモヤモヤするなぁ
テンションをどこに合わせればいいのかわからなかった部分も……いや、とてもいい作品ですよ?
ここ最近話題になっている誘拐と物語の関係性について触れているが、誘拐要素が若干弱くも感じたかなぁ
う〜ん……モヤモヤしたなぁ
亀「今作では誘拐の要素と、前述したようなオタクの辛さなどをミックスしたような映画になっており、それが売りだとも言えるのじゃが……」
主「いやー、もうモヤモヤするなぁ、というのはさ、この映画に誘拐要素いる? と思って……
これ、オタクあるあるじゃない?
主人公は『ブリグズビーベア』という子供向けの教育番組のようなお話を大人になっても愛好しているけれど、これって大人になってもプリキュアやドラえもんに熱中しているようなものでさ。
特に自分みたいな人間には超刺さりまくりなわけですよ」
亀「何らかのオタクであれば主人公のジェームスの気持ちはよくわかるじゃろうからの」
主「でもさ、誘拐要素には何一つ感情が揺さぶられなくて……
まあさ、個人的に『物語と誘拐』というアレな案件があったから、色々思うところもあったけれど……鑑賞中は、この要素がめちゃくちゃノイズになってしまった印象がある」
亀「個人的な信条からくる違和感かもしれんの。まあ、それがこの映画を他のオタク賞賛映画とは違うものにしているのは間違いないが……」
主「そのオタクとしての自分はこの物語にとても感動している一方で、誘拐描写についてはこの作品を全く理解することができないという、テンションがよく分からないことになってしまった。
というわけで、微妙な評価になっています。
その詳しい理由は……ここから先はネタバレありで語りましょうか」
以下ネタバレあり
作品考察
好きなもを好きと言う難しさ
では、最初からはっきり聞こうかの。何がそんなにダメだったのじゃ?
いや、本人が好きならそのまま好きでいいじゃんっていうさ
主「オタクってさ……まあこれは日本のオタクだけれど、本当は大好きだけれど世間に大好きと言えないものってたくさんあるんだよ。
いい歳した大人がプリキュアやドラえもん、クレヨンしんちゃんを好きだとは大ぴらに言えない風潮がある。言っときますが、プリキュアやドラえもん以上に優れた映像コンテンツって、大人向けとか日本、海外問わず、そんなに多くないよ?
あとは……美少女フィギュア、遊戯王などのカードゲーム、テレビゲーム、トミカなどをはじめとしたおもちゃなどもそうでしょう」
亀「いい歳して……と言われることは多いかもしれんの。
『いつ卒業するの?』 と親や配偶者に言われるという話はよく聞くの」
主「そうなると、ブリグズビー・ベアだっていい歳した大人が子供向け番組を愛好しているという点では、否定されることでしょう。明らかに大人があの番組を愛好しているのは異常じゃない?
そうなると、この映画において誘拐要素ってそもそも必要だったのだろうか? という違和感が生じてきたんだよね。
引き込もりなど、色々ある中でもなぜ誘拐だったのか?
いや、まあキャッチーで他の作品と差別化はできているけれど……
その要素があるせいで……子供むけ番組のファンが主人公ということもあるのだろうけれど、この映画自体が『教育番組っぽいご都合主義』が垣間見えてしまった瞬間もある」
教育番組のような映画?
亀「ふむ……? そこまではご都合主義ではないと思うが……」
主「例えば、ジェームズは空気は読めないけれどかなりの社交的でコミュニケーション能力も高い男性なんだよね。もちろん、そのコミュニケーションのやり方は独特なところがあるけれど、それは単なる経験不足なだけ。
だってさ、初めてのパーティだよ?
それで偽の両親以外と話すことのしたことない男が、他の人に話しかけることができるって、それだけで満点でしょ」
亀「女性に誘われてもそのまま逃げるのが満点?」
主「満点だよ!
オタクというのは隣に裸の異性がいて『触っていいよ』て言われて初めて異性に触れる生き物なんだよ!
しかもガチガチに緊張して『もうだめだ!』って逃げ出したり、いざことが起ころうとしても臨戦態勢にならなかったり……それがオタクらしいオタクじゃない!」
亀「……偏見丸出しのような気もするが……まあ、いい。
しかし、あの社交力があって、あのまま誘拐されてなければ、オタクではなくもっと別の生き方があったかもしれんとは思う描写じゃの。
この映画の中でも、誘拐の闇をあまり感じさせない描写じゃな」
主「しかも理解のある友達もいて、手助けしてくれる人もいて、すんなりと話も進んでいく。
これほど恵まれた環境にいることが、かえって誘拐要素を入れたことによってノイズになってしまったかなぁ。
彼が知らなかった世界、目を向けてこなかった世界はこれだけ優しいものだよ、という設定でも構わないような気がする」
亀「誘拐されていた男だからみんな優しくしようと考えているだけかもしれんがの。
しかし、あれだけ大きなベアの頭を持って行ってバレなかったり、それが話題になってもあの人は全くお咎めなしなのは、さすがにどうなのか? という思いがある部分もあり、それがご都合主義のようにも感じられたしまったかもしれんの」
犯罪者と表現の問題
亀「さて、ここは一悶着あった部分であるが……当然、うちのスタンスとしてはブリグズビー・ベアは表現としてアリだという方向になるんじゃな?」
主「当たり前じゃない!
作者の人格や行いと作品の評価は全く関係ない。
暴行で逮捕暦のある北野武作品も好きだし、ロリコン野郎のチャップリンやロマン・ポランスキーだって名監督だ。他にも……最近だったらジョン・ラセターだって行為自体は最低だけれど、彼が作ってきた作品は本当に素晴らしいものばかりだ」
亀「……まあ、時代や罪の重さが違うもあるじゃろうが、その4人は映画の歴史に名を残す名監督であるのは間違いないかの」
主「誘拐という行為は犯罪であり、それは裁かれるべきである。
だけれど、ジェームズを心から思ってつくられたブリクズビー・ベアは彼の心をつかんでいる。そして、救出された後もそれは彼の心を離さないし、ネットを介して多くの人に支持される素晴らしいものだ。
だから、ジェームズの周りの人がなぜ反対するのか理解できない気持ち……あれはよくわかるよ。
何度も言うようだけれど、あれはオタクそのものだから。
犯罪者予備軍と罵られ、両親を飽きられさせたり泣かせたりして、時には家庭不和の原因になろうとも趣味に突き進むんでしまう……それがオタクというものだからね」
亀「誘拐があろうとなかろうとジェームズにはオタクの気質があり、バスケなどには興味を示さなかった可能性は十分あるからの」
主「下手したらさ、あの実の父親のようにマッチョ思考がありそうな……アウトドアな趣味やスポーツに興じることが正しい学生の姿だ、と考える人たちの元で暮らしたほうが、オタクとしては悲しい人生になった可能性もあるじゃないかなぁ?
誘拐という悲しい事実はあったけれど、ジェームズ自身はそのことに疑問を抱いていない……むしろ、彼は事件について幸運とも不幸とも考えていないじゃない?
周囲が何と言おうが、本人が幸せならばそれはそれでいいのではないか? というのは……さすがに暴論なのかなぁ」
亀「そういうグルグルとした思考がオタク賛歌に余計なノイズになったということじゃな」
誘拐の意味とラストについて
外の世界を知るために儀式として
ここまでは微妙な話になってしまったが、誘拐の意味について改めて考察するとしよう
外の世界を知るための儀式が必要だったということだよね
亀「あの映画を完成させて、人に見せることによって、ジェームズの世界は多くの人に受け入れられたということじゃからな」
主「創作や表現ってそういうことだから。その人が全力をかけて取り組んだ物事が多くの人に伝わる……これほど嬉しいことはない。
それまでの引きこもりのようだった、外界と手段を持たないジェームズが外の世界を知るために必要な儀式だったわけだよね」
亀「誘拐した偽父親役がマーク・ハミルというのも非常に特徴的じゃな」
主「その配役を考えると……考えようによっては『スターウォーズからの脱却』を描いている作品とも言える。
この映画の誘拐描写は必要なくて、引きこもりでもよかったんじゃないか? というのは何度か語っているけれど……これを書きながらふと思ったけれど、誘拐が機能しているとしたら『スターウォーズ(物語)に息子を取られた親たち』という意味はあるのかなぁ」
マークハミルも出演したスターウォーズも……今後は先行き未定?
スターウォーズからの脱却
亀「……つまり、物語に息子を奪われた(オタクにされた)ということかの?」
主「もちろん、自分も大好きな作品だけれどさ、時々思うんだよ。
『これだけスターウォーズがみんな知っていて当たり前のように扱われているけれど、聖書じゃあるまいしその有効年数は何年だろう?』って。
例えば今から100年後、この映画を見たときに『スターウォーズが元になっているよ!』と言っても、その時代の観客は理解できるのだろうか? という疑問がある。
また、スターウォーズを観たことない人はこの映画をどのように受け止めるのだろうか?
まあ、本作はそこまでスターウォーズ要素が強いわけでもないけれどね。
最近のムーブメントを考えると100年後にはスターウォーズEP50くらい作られていそうなレベルだから、世界的に常識の物語なのかもしれないけれど」
亀「ここ最近見た映画でも『ワンダー』などをはじめとして、スターウォーズを下敷きにしている映画は非常に多いのも事実じゃな」
主「それが健全かどうかというのは、かなり難しい部分で……もう古典的名作という評価が固まっているとも言えるわけだけれど、いつかは終わってしまうムーブメントの可能性だってあるわけだけど……このままミッキーマウスになるのかな?
まあ、いいや。
でもさ、これはとても創作として重要な問題もはらんでいるわけだ」
亀「好きなものを好きでいることの問題点じゃな。
スターウォーズファンにはスターウォーズみたいな作品は作れても、それは劣化コピーにしか過ぎんという問題じゃな」
主「大事なのはその人の物語を語ることであり、スターウォーズを……つまり影響を受けた物語を語ることじゃない。
ジェームズの場合はベアの物語を語り終えることによって、彼のこれまでの人生に一度ピリオドを打つ必要があったし、偽の親から与えられた物語から脱却する必要があった。
それを語り終えたこと、これは素晴らしいことである。
『物語を語り始めるのはたやすいが、終わらせることは難しい』という言葉があるように、例え創作を書き始めてもピリオドが打てる人間は10人に1人や2人くらいしかいないだろう。それくらい、物語を終えるというのは難しいことなんだ」
ここから始まるジェームズの人生
結局はこういうことになるのかもしれんの
ジェームズの人生が始まるのはあのラスト なんだ
主「その意味では本作は本当の意味で扉が開いた瞬間に……それまでと違う人生が始まった瞬間に終わるタイプの映画でもある。
1から10に進歩する作品ではなく、0から1に踏み出す映画だ。
その意味では俯いていた少年が前を向いて歩き出すまでを描いた『聲の形』などと同じような物語と言えるかもしれないね」
亀「創作者としての成長という意味では1から10の物語と言えるし、人生を歩み始めた映画としたら0から1と言えるかもしれん。
その両方を描いていることが、今作が賞賛される理由の1つかもしれんの」
主「その意味では、ここから先が本当に大変だよ。それは誘拐がどうこうだけじゃない。
ベアという物語から脱却し、自分というものに向き合った時、どういう物語があるのか? それを探さなければいけない。
それは砂漠の中を歩き回るような苦しみもあるだろうし、誰にも理解されないこともあるかもしれない。
だけれど、その語るべき物語を見つけた時……初めて彼の『人生』は始まるんだ。
やっぱり、本作はクリエイター賛歌がメイン。
そして、その面については……自分はとても好きな映画だよ
だからこそ……何度も言うように、誘拐描写が自分には余計な味だったかなぁ」
まとめ
では、この記事のまとめに入るとするかの
- オタクやクリエイター賛歌として理解しやすい物語
- 一方で誘拐要素が少しノイズになってしまったような気も……
- ジェームズの人生が本当の意味で始まるまでを描く
いろいろ語ったけれど、評価されるのはよくわかるよ
亀「誘拐要素に関しても個人の心情に関する部分も大きいしの。
多くの人が賞賛しているように、その要素があって初めて意味をなす物語というのも事実じゃろう」
主「物語と現実の関係性にも触れた映画だし、誘拐という描写をあまり暗くならないように描いていた。自分にはそれが逆にノイズになったけれど、そこが感動するという人もいるでしょう。
小規模公開だけれど……とても高く評価されるのも納得の作品でもある。やっぱりうまい作品だよ」
亀「ぜひ観られる人は映画館に向かって欲しい作品じゃな」