物語る亀

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物語愛好者の雑文

オリジナル短編小説『あい』

 久々にオリジナル短編小説をアップします。

 これはちょっと異色な作品になっていて、文体などを変えるように注意した覚えがあります。

 また少しずつ書いていかないとなぁ……

 

 

 

 

 ワックスのツヤでピカピカに磨き上げられた木目の床は、日光を取り込むように付けられた大きな窓から差し込む光を反射して、お昼には眩しいくらいに輝いていたのに、この時間になると色あせて薄汚れたシミや汚れを浮き出していた。ワックスを塗る前の掃除が中途半端だったから、ゴミが床にめり込んだまま潰れてしまい、何度も指でこすったけれども、爪が少しずつ削れていくだけ。
 疲れを知らない子供たちがわーわーとはしゃぎながら走り回って、どこかにぶつからないか不安になる。少しくらいの怪我なんて私は気にしないけれど、親からすると全部私のせいらしい。転んだら痛い、ぶつかったら痛い、そんなの当たり前の話なのに。
 もっと若い頃は何でこんな仕事を選んだんだろうと、人生をやり直したい気持ちに駆られた。爪をいっぱい伸ばして月に一度はネイルを塗って、デコデコとしたデコレーション、髪の毛も明るく染めて、少しだけタバコの臭いを纏わせながら、彼に買ってもらった香水をふり、他の男と遊びに行く。そんな生活を送っている彼女たちがたまらなく羨ましくて、だけどそんな自分になれるはずもないと、想像することも否定してしまう自分に、ちょっとだけ自己嫌悪。

 もしも生まれ変わったら、風にそよぐ髪を束ねて、大きな一歩を踏みしめて、胸を張って会いにいこう。

 昔好きだった小説で、主人公の女の子が決意と共に言うセリフ。それに憧れたこともあったけど、それで会いたい人もいない私は、生まれ変わっても同じ人生をやり直すのだろうと、その絶望感と共に、どことなく安堵している自分がたまらなく嫌で、たまらなくかわいい。
 先生、できたよ
 床に座ってクレヨンで画用紙いっぱいに大きく絵を描いていたサクラちゃんが、私に笑顔を向けた。茶色と黒で塗られたそれは、どう見ても精神を病んでいるようにしか見えなくて嫌悪感すらあるけれど、その向けられた笑顔は私は愛されていることを知っていて、それが永遠に続くことを根拠もなく知っている顔だから、そのちぐはぐさに多分きっと、私はうまく笑えている。
 何を書いたの?
 絵を見てそんなことを大人に聞いたらバカにしてるのかと怒られそうだけど、サクラちゃんは私の言葉にリスと力一杯答えた。その声が、笑顔が、小さな体の中に入っているというだけで、眩しくて、羨ましくて、妬ましい。きっとサクラちゃんはピカピカの床を見て笑うことをあったとしても、あんな小さなゴミがその下にあることを気にもしないで、綺麗、綺麗というのだ。
 今日も最後まで残っているのはサクラちゃんで、他の子達は親に連れられて帰って行ってしまって、それでも一人っ子で誰にも構われないことに慣れているのか、特にぐずることもなく一人遊びをしている。その様子に他の先生達はいい子ね、なんていうのだけれど、私にはその小さな体の奥に時折見える女の箱に、恐怖すら覚える。この子はきっと私なんかよりもっと女らしくて、男を狂わせる。その才能に溢れていて、きっと一生その業に身を焼かれる。むしろ、焼かれてしまえ。
 こんなちいさな子供にまで嫉妬する自分が大っ嫌い。
 そのちいさな顔がこちらに向いた時、そこに宿る無邪気さにこちらも心を許してしまって、思わず笑顔を向けているから、きっと私はプロとして誇っていい。

 いつもの通り、時間ギリギリで迎えにきたおばさんは、今日もごめんね、なんて心にもないノイズを吐き出しながら、サクラちゃんに向かって両手を合わせて、毎度変わらない薄っぺらい能面のような笑顔を浮かべた。私たちには何一ついうことないのかよ、なんて胸の奥で叫んだところで、ヒステリックな女だと思われるのは癪だから嫌味の一つも返せない。昔から同い年のおばさんの、高慢ちきで身勝手な態度を彩るための笑顔に何度騙されて、何度これを許してきたか、もう思い出すつもりもない。同じ女であっても渋々ながらも騙されるのだから、バカな男達は次々と手を変え品を変え、繰り出される般若のお面に気がつくこともなく、あっさりとその手のひらの上でクルクル回る。そして真面目な男ほど、忠誠を誓い一生を無駄にするのだ。
 なんてバカで愛らしい存在。だから私は、彼は怨まない。
 ママと大きな声を張り上げて、その胸に抱きついたサクラちゃんは、そのままゆっくりと動きを止めていき、やがてゆっくりと眠りについた。その顔だけを見ていれば、あの時私の隣で寝ていた彼の面影があって、やっぱり可愛いなと心を許す。本来ならば彼の面影をのぞかせる寝顔を眺めているのは私のはずなのに、なんでその役割を演じているのが、目の前のおばさんなのか、いつもわからなくなる。
 ありがとうね。
 小さく謝る気もない頭を下げて、帰っていくおばさんとその胸で眠るサクラちゃんを見送った後、今日も部屋の電気を消して、ペタンと床に座って、ゴミが取れないか爪でカリカリと削っていた。

 

 

 

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