カエルくん(以下カエル)
「今回は最終巻も発売された『少女終末旅行』の感想記事になります!」
主
「ここ最近、好きな作品が次々終了していくんだよねぇ。
記事にはしやすい分、ちょっと寂しい部分もあるかなぁ」
カエル「特にアニメ化されたばかりということもあり、このタイミングで終わるのはちょっと意外でもあったけれど……でも物語としてはこれ以上ないタイミングだから、仕方ないのかな」
主「2期とかがあっても残り話数からすると難しそうだよねぇ。
ちなみに今回はアニメ版についても語っていこうと思っています」
カエル「シンプルな絵柄の中で見所のある面白い漫画だと思います!
では、感想記事のスタート!」
1 アニメ版の感想
カエル「では、いきなり趣旨から離れるかもしれないけれどアニメ版の感想から始めます。
2017年の秋アニメでNo1の評価を下していたよね。
記事にはしていないけれど、とても深く印象に残ったって……」
主「近年のアニメの中でも独特の位置に存在する作品だよね。
じゃあ、何がそこまで強く響いたのか? というと……それは『アニメって何だ?』という話になるわけだ」
カエル「……小難しい話?」
主「いや、そこまで難しい話にはならないと思うよ。
この作品の異例な部分が、ほぼユーリとチトの2人旅であって、キャストがそれ以外でてくる回が多くない。
出てきても1話、2話くらいで退場してしまうゲストキャラクターなわけだよね。
これほどまでに登場人物の少ないアニメがかつてあっただろうか? という話で……いや、1話限定だったらあるよ? 『四畳半神話体系』のある話などは主人公の浅沼晋太郎の独り喋りだったとかはあるけれど……1クールのアニメでここまでキャストが少ないのは驚異的だと言っていい」
カエル「アニメってキャラクターの人気が凄く大きくて、どのアニメも魅力的なキャラクターをたくさん登場させてファンを獲得しようという作品が多いもんね。
それこそ『ポプテピピック』を観れば分かるけれど、今は声優人気も高くて……魅力的な声優たちを多く起用すると声優のファンが診てくれるからファンが獲得しやすいというのもある中で、水瀬いのりと久保ユリカの若手の中では確かに人気も実績もあるけれど……
それでもこの2人のお芝居だけで物語を構築しようというのはかなりの賭けだよね」
主「ゲストキャラクターも豪華声優ではあるけれど、でもそういう人気はあくまでも副次的なものであり、基本として『アニメ』の魅力で勝負しようという気概が見て取れる。
じゃあ、その『アニメ』の魅力ってなんなんだ? という話なんだよ」
根源的なアニメーションの魅力とは?
カエル「ここは多くの人の中で議論が巻き起こるだろうけれど……その中でも自分が思う『アニメの魅力』について語っていきましょうか」
主「アメリカのアニメーション作家でドン・ハーツフェルトという人がいる。
世界のアニメーションに強く興味を持たないと知らないかもしれないけれど、アカデミー賞にもノミネートされたことのある、注目を集めるアニメーション作家だ。
この人の最大の魅力は……論より証拠、この絵柄を見てもらうと分かり易い」
カエル「これはハーツフェルトの最新作である『明日の世界』のポスターだけれど、キャラクター造形が凄く独特だよね……丸とほぼ棒人間で構成されているという」
主「このキャラクターたちが動き回るんだけれど、不思議なことにこのキャラクターたちに感情移入してくる部分もある。さらに背景は前衛的で凝っていたり、かなり演出として他のアニメと違う部分もあるけれど……自分はハーツフェルトのアニメーションというのは、最も根源的なアニメーションの魅力に迫っているものだと思っている」
カエル「なんていうか……アニメの語源である『Anima』つまり絵に魂を込めるということができている作品ということだね」
主「アニメーションというのは原理として『仮現運動』によって成り立っている。つまり、止まっているはずの絵が連続して表示されることによって動いて見えるという……簡単に言えばパラパラ漫画の原理だ。
どうしてもアニメーションというと新海誠のような背景の美しさや、京アニのような絵の綺麗さ、シャフトのような先進性、ufotableのような派手な映像が思い浮かぶかもしれない。
でも、アニメの根源的な魅力というのはそこだけではなくて、もっと単純な世界に……それこそお笑い芸人の鉄拳のパラパラ漫画というアニメにあるんじゃないか? ということだ。
そしてそれをテレビアニメで表現してみたのが本作だと自分は考えている」
EDと雨だれの歌
カエル「それを象徴するのがEDであり、そして雨だれの歌だということだけれど……まず、この作品がとてつもないのがテレビアニメのEDを原作者自ら手がけたことだよね」
主「色も付いていないような、とてもシンプルなEDだったけれど……これが却ってこの作品の味になっている。もちろん、歌と合わせた編集の妙などもあるけれど、アニメというものが持つとてもシンプルな魅力というものを突きつけたね。
雨だれの歌にしてもそうでさ……じゃあ音楽の根本的なものは何だ? ということだとやはり人間の口だけで歌うアカペラであったり、自然音で奏でる音楽というわけだよ。
もちろんコーラスなどを入れて現代のアニメや音楽として魅力のあるものに仕上がっているけれど、基本は雨音と歌声のみ。
このシンプルゆえの音楽の魅力というものが楽しめる作品だ」
カエル「それでいながらちゃんとキャラクターの魅力……いわゆる萌え要素を獲得していることもあるよね」
主「線の1つ1つや描かれるものに大きな意味があるよね。
世界を見るとこの手のアニメーション作品がないわけではないけれど、でもやはり芸術寄りの、手法を見せつけるような作品が多い印象がある。
だけれど、本作はエンタメ作品であり、商業作品なんだよ。そのバランス感覚を持ってここまで表現してしまったこと……これが自分が絶賛する理由でもある。
じゃあ、なぜそのような手法をとったのか? それによって見えてくるものは何か?
それがこの作品の持つ味であり、最も深いメッセージ性である」
2 漫画版の感想
カエル「では、ここから漫画版の感想を始めますが……まずは本作が描いたことって何?」
主「やはり『終末に向かう人類がどのように生きるのだろうか?』という哲学的な内容を避けることはできないだろう。
少女終末旅行の最大の特徴は、この世界が終末を迎えることが確定しているところである。しかも、自然に作られた木々や動物などは一切登場することなく、都市という人工物の中での物語となっている。
そして人類の滅亡が間近ということもあり、ほぼこの世界が終わることは確定的なものとなっている」
カエル「終末世界が終わることを回避しよう! というお話ではないんだよね。結局、終末することは変えられないし、それを回避する力はユーリとチトには備わっていない」
主「これが男女のコンビのお話だったらまたちょっと違う物語になるかもしれない。アダムとイブとなり、新たな子孫を生み出して2人は人類再興の祖となれる可能性がある。だけれど、この物語はそういうものではないんだよ。
女の子2人ではどうあがいても子供が生まれることもなく、そしていつかは滅亡するしかない。
そこは本作の中で徹底して描かれている部分だ」
カエル「作中でもカナザワは女性と一緒にいたのに、ユーリたちと会った時はすでに1人になっていたという描写で……あっ、と気がつくものがあるよね」
主「少女週末旅行という作品は徹底的に男女のペアを作らないようにしている節がある。
他にもイシイにしろ、他のロボットやぬこたちにしても、子孫繁栄することなく滅亡することが確定していると何度も描いている、ディストピア作品ともいうことできる」
死に向かう物語
カエル「それでもユーリたちはただただ最上階へと向かっていくわけだけれど……」
主「う〜ん……あのラストがさ、とてもつもない余韻を残してくれるんだよね。
考えてみればこの終末に向かう物語というのは、そこまでおかしな話ではないと思うんだよ。というのは、我々一般人だって同じなんだ」
カエル「……同じ?」
主「そう。我々だっていつか死にゆくことは誰もが知っている。そのことを疑う人はいないし、明日……いや、今日急に亡くなってしまってもおかしくはないんだよ。そんなことはいくらでもある。
でも、そういった人生の中でどのように我々は生きるのであろうか? という哲学的難問を突きつけてくる。
そのためには、このシンプルな絵であり、ある種の空虚な描き方がとても重要になってくるんだ」
カエル「ふむふむ……」
主「例えばさ、これが可愛い女の子がたくさん出てくるようなハーレム漫画だったり、アクション豊富な作品だとこの哲学性が失われてしまう。物語性が強すぎて、メッセージ性が薄れてしまうんだよ。
そのための最適な絵柄であり、アニメ版で言えば演出をしていたと言える」
カエル「派手に面白いことの弊害ということもあるんだねぇ」
漫画としての単行本構成のうまさ
カエル「漫画としての強みとなるとどこにあると思う?」
主「この作品の基本となる物語はユーリとチトがただただ旅をする……それだけなんだ。途中途中で人類の過去や遺産、文化に触れて、それらを知らない新しい目でそれをどのように感じるのか……ただそれだけの物語だと言える。
そして各巻の最後になるお話においてとても重要なことを描いている」
カエル「1巻ではカナザワ、2巻でイシイ、3巻ではヌコ、4巻では機械、5巻ではホログラムとの出会いと別れを描いているね」
主「ここで描かれている出会いと別れ……ある種の希望と絶望の描き方が抜群にうまい。
例えば地図を作るカナザワがそれを失った後でどのように生きるのか、イシイが飛行機を失った後のどのように生きるのか……それを考えさせてくれるんだよね。
これを我々の実生活に例えるならば地図というのは人生プランだろうし、飛行機(乗り物)はそこに目的に至るまでの手段……つまり経験だとか、お金とか、技術とか……そいうものだとも言える。
で、それを失くした時に人はどう生きるのだろうか? ということを問いかけてくるんだよ」
カエル「壊れゆくことがわかっていながらもそこに執着するロボットの人生ってなんだろう? ということをじっと考えてしまうよね」
主「ここは漫画としてのうまさでもあって、それぞれ各巻の読後感に強い余韻が残っているんだよ。
この余韻の描きかたは文学作品に匹敵するだろう。
このような構成にしたこと、それが本作の強みの1つでもある」
人生を描ききる
カエル「あんまり直接的にネタバレするのもなんだから、濁して語るわけだけれど……結局ユーリたちは最後にああいうことになるわけじゃない? それについてはどのように考えているの?」
主「う〜ん……自分は別に人生を長く生きたわけでもなければ、世間的にはまだまだこれからの人と言われるような年齢でもあるんだけれど……でもさ、人生ってあんなものだと思うんだよね。
何があるかもわからないけれど、どこにどんな道があるのか試しに行ってみたりさ……とても遠いところだと思った目的地にたどり着いてみたら、そこは別に大したことでもないというのは……よくわかる気がする」
カエル「あのラストってものすごく思わせぶりで、いろいろな考察ができると思うけれど、単純にハッピーエンドかバットエンドの2択だとしたら、どちらだと考える?」
主「間違いなくハッピーエンドだよ。
自分の考えるハッピーエンドの条件って『主人公が納得しているか?』なんだよね。例えば家族に囲まれて物質的に豊かで誰の目にも幸せな生活を送っていたとしても、当の本人がそこに納得していなければそれはバットエンドである。
逆にどんなに過酷な環境で、しかも醜い最期を遂げたとしても本人が納得していればそれはハッピーエンドである。
あの見開きで語られた『生きるのは最高だったね』という言葉を言える人がどれほどいるのだろうか?」
カエル「……ジョブズなども語っていたけれど、朝になって鏡の前で『今日自分が死んだ時、今日の予定は悔いのないものだろうか?』という質問に対して、素直にイエスと言える人ってそうそういないと思うんだよね」
主「人生や人間の生死を描くということは、多くの表現者が試みたことだろう。だけれど、それが実際にできた人はそんなに多くない。
この作品はエンタメとして人生と生死というものを漫画の魅力溢れる形で描ききった……まさしく純文学ならぬ、純漫画の作品と言えるだろうね」
最後に
カエル「というわけで、最後になります」
主「実はアニメ版を見たときにもう1つの作品とセットで語ろうと思っていて……それが『ポプテピピック』が大ヒットしている神風動画の短編アニメ映画で『COCOLORS』という作品がある。
こちらも終末世界を描いた作品だけれど、ギャグ要素は一切なく見応えのある作品になっていてオススメでもあります」
カエル「小規模公開だから見に行きづらい人も多いかもしれないけれど、機会があれば是非見てほしいね」
主「本作はその物語に込められた余韻がとても大きい作品であって、今回の記事もかなりざっくりとした感想になっているので、是非直接読んで色々と考察などを深めていってほしいね」