昭和元禄落語心中の12話の感想
私は原作既読派だったので、この結末を初めから知っていたので、感想記事でも少し言葉を選んだ部分があった。
何せこの内容を知っていたら、特にみよ吉に対する印象が未見の人と違うかもしれないから、あまりネタバレにならない範囲で言及しなければならないため、言葉選びが難しい記事になった。
でも内容が深いから感想記事は書きやすいタイプの作品ではあるけどね。
前回の記事はこちら
1 芝浜
何と言っても今回はこの芝浜になぞらえたストーリー展開だろう。かの立川談志は「芝浜も第九みたい扱いの落語になったねぇ」なんて言うほどに、落語界の中でも芝浜という噺は特別なものという風潮があるほどだ。(立川談志枕コレクションより)
芝浜に関しては下の記事が中々面白いのでよければ読んでほしい。
芝浜に限らず日本の物語には怠け者を更生させるために嘘をつくというものが多々あるが、今まで「落語は笑い」という助六の落語論を外れて、最後の落語は人情噺の代表格でもある芝浜であった。
もちろんこれは助六の覚悟を表したものであり、自分の境遇と芝浜の勝五郎を重ねているのは当然だが、助六という人間が人情噺を演じることで、ひとつ落語家として一皮むけたということを示唆する場面でもあるだろう。
では助六が誰に向けて芝浜を演じたかといえば、それは当然みよ吉だろう。だが、当のみよ吉は菊比古の落語を聞くと出ていってしまう。この辺りはいつもみよ吉に振り回される助六の悲しさが滲み出ている。
2心中場面
元々江戸時代での愛の表現というのは現代人の我々の想像よりも多岐にわたり、刺青、指切り、貫肉などといったものもあったが、その最大の表現というのが『心中』であった。
今回の事例は半分事故のようなものではあるが、心中として扱った場合、では助六は何と心中したのであろうか?
もちろんそれはみよ吉と心中したのであるが、私には落語と心中したようにも思えてくるのだ。
役者と乞食は3日やったらやめられないというが、おそらく落語も似たようなものだろう。5話で菊比古が役者として女を演じ、その快感に目覚めるというシーンがあったが、落語家も自分の一挙手一投足に誰もが注目し、世界観に引き込んでいく商売だ。うまく行った時の快感というのは、役者にも劣らない。
確かに助六という人間はどうしものない自堕落で、怠け者ではあったものの、彼が一切働かなかったのは落語家という職業に未練があったということもあるだろう。
しかし、そんな助六もみよ吉と小夏のために落語を捨てる決意をした。だが助六の人生というものは、まさしく落語と共にあった人生であり、それは破門の末、駆け落ちした後でも同じだったはずだ。そうでなければ小夏があれほど落語好きになるはずがない。
助六はみよ吉を選んだと同時に、落語をお供の心中相手として選んだ。
そしてみよ吉である。
確かに子供までいて助六と駆け落ちして、それでも菊比古のことを忘れられないみよ吉というのは、厄病神の毒婦かもしれない。それは私も同感だし、始めにこのシーンを原作で読んだ時は全ての元凶のように思えた。
だが林原めぐみの演じるみよ吉を見ていると、あの時代の女に、しかも芸者上がりの女が、果たしてどのような生き方を選ぶべきだったのかという疑問も湧いてくるのだ。
『女は器量がいいというだけで 幸せの半分を手にしていると』というのはさだまさしのもうひとつの雨宿りの歌詞ではあるが、私は時折これは逆のように思えてくる。みよ吉ほどの女というのは、時に本人が望むと望まざると関係なく、男の人生を狂わせる。それは器量良しということもあるが、何よりもその悪女的な、ファムファタルな『女という箱』のもつ業に自らも焼かれてしまうのだろう。
家族を持たず、男に遊ばれることで生きてきたみよ吉がたった一つ望んだことが、菊比古という男との婚姻であったということは、それほどまでに許されないことだったのだろうか?
みよ吉がどう生きれば良かったのか、私にはその正解がまるで見えてこない。
3圧巻の役者の演技
本作は『声優の演技力』の見本であり、その実力をまざまざと魅せられているような気分になってくる。
当代随一の演技派山寺宏一と、情の籠った演技をする林原めぐみ、そしてこちらも声に艶のある石田彰の3人の演技というのは素晴らしい。
特に心中場面における林原めぐみの演技は圧巻の一言で、鬼気迫るものがあった。久々にとんでもない迫力のまさしく声優という演技で魅了された気がする。
正直画面構成や絵の方はその演技に負けている感もあるのだが、最後の落ちた先でパッと赤く咲いた水玉のシーンなどは叙情的に表現されていて、なかなか良かった。
山ちゃんの芝浜も、声だけの演技という難しい環境下でしっかりと演じていたし、面白いものだった。
さて、いよいよ残すところは後1話である。
4月まで放送時期を延ばすとは思っていなかったが、ここまで丁寧に紡いできた物語がどのように締まるのか、しっかりと見ていきたいと思う。