物語る亀

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物語愛好者の雑文

映画『マジカル・ガール』 感想 オタク的見地から考察してみる

 今週はバットマン VSスーパーマンや岩井俊二の最新作などもあったのだが、いかんせん上映時間が非常に長かったために敢え無く断念。岩井俊二の作品なんて180分だよ!? 私が鑑賞した映画館での最長上映時間が大脱走の160分くらいで、あれほどの大名作でアクション多めの作品ですら疲れたのに、3時間も映画館にいるのは私には無理。

 なので上映時間が長い作品は家で見ることにして、代わりにマジカルガールを見たのでそのレビューを書いていく。

 以下ネタバレあり。

 

 まずは一言感想から

 誰にもオススメできない、ひっそりと楽しみたい映画かな

 今回長めです。(5000文字突破) 

 

 

 1 スタートから約15分ほどは今年1番の作品

 私はこの作品を劇場の予告で知ったわけだが、それ以上の知識は入れないで見に行ってみた。なので、監督が日本大好きとか、まどか☆マギカに影響されて作り上げたということは、見終わって少し調べた後に知ったことだ。

 園子温やら多くの監督や映画評論家が絶賛しているが、それは納得。特に園子温はこの世界観が絶対好きだよなぁ。

 

 まずスタートの学校での1幕を表すロングショットが印象的だった。

 『ナポレオンがスペインに侵攻してきても2+2=4だ』という教師と、その教師の前に呼ばれて立つ女の子。その女の子の手の中には、授業中にも関わらず生徒たちが回していたメモがあり、それを読み上げると先生の悪口が書かれていた。

 そのメモを渡すように告げると、「無理です」と答える。「だって、もうないですから」の言葉とともに広げられた手の中から、メモは消え去っていた……

 

 この描写中、カットはわずかに4つ、しかも種類にして真横から撮った先生と生徒を写した図と、2人の手のやり取りを上から写した図の2つだけ。正味2つのカットで構成されている。

 2人のやりとりが非常に印象に残る上に、暗転してタイトルが出た直後に流れるザ・80年代歌謡曲の「春はSA-RA SA-RA」が大音量で流れて、坊主頭の白人系の少女が踊っているというシュールな光景に、さらに急に電池が切れたように崩れ落ちる姿に一気に引き込まれてしまった。

 

 厳しそうに見える父親は「甘やかさないぞ」みたいなことを言いながらも、白血病で短い命の娘のために全てを投げ打ってでも夢を叶えてあげたいと思っている人情家の一面がある。そんな父が娘の願いを知るために読んだ日記帳の3つ目の願い、『13歳になる』という点において、私は非常に感動してしまった。本当に少し泣いてしまったほどだ。

 それまではゴテゴテと絵を描いて、いかにも魔法少女が大好きな12歳の女の子の願いであったのにも関わらず、最後の3つ目の願いだけは簡潔に言葉だけで表されているのがどれほど強い思いで、本気なのかが伝わってくるのだ。

 

 娘の望む有名デザイナーの1点ものドレスのために、90万円という大金を集めなければならない父親。これが日本であれば90万円はそれなりの家であればすぐに集まるだろうが、ここが失業大国スペインであり、やはり父親も無職という中でそれだけのお金は集められない。

 そのために大切な本も売り払って、お金を作るが全然足りないわけだ。

 これは個人的なことだが、私は『大切にしていた本を売る』という描写に涙が出てくるのだ。他人から見たら大したものではないだろうが、その人にとってはそれは場合によっては命よも大切な、何よりもかけがいのないお宝であり、それを売ってでも叶えたい夢がある。その純粋性と思いに感動してしまう。

 

 しかし、それでも娘が望んだのは、ラジオのパーソナリティが読み上げてくれた手紙に書いてあったように『お父さんと一緒にいること』だった……

 

 この出だしの映画的な手法をフルに活用した、すれ違いとお互いの思いというものは、非常に深く引き込まれてしまった。

 

 

2 中盤から疑問符の連続

 中盤になると話は白血病の娘と父親から、精神疾患? を抱える女性へと話は変わる。彼女は夫と暮らしているのだが、その言動は非常に危ういもので、社会生活をまともに送ることはできていなかった。

 ある日、オーバードラッグによる吐き気に襲われて2階から吐き戻した時、その下で宝石強盗をしようとしていた父親にかかり、2人は出会い、そして一夜だけの不倫関係? になり、父親はそれをネタに女性に金を作るように脅迫する。

 

 そこからは主人公は交代して、その女性がいかにお金を作るのか、という点に話は移ってしまうために、それまでに感情移入してきた親子から視点が変わってしまうのは非常に残念な点ではある。そこまで非常に感動していて、今年1番の映画を見ている気分だったのに、それがリセットされてしまった。

 話は一気に変わるのだが、本作は基本的に説明が一切ない。彼らの過去に何があったのか、彼女が金を稼いだ『トカゲの部屋』とは一体何なのか、旦那との不思議な関係性や、数学教師と女性がどのような関係なのか、一切わからないのだ。

 

 説明しない代わりに何があるのかというと、演出や回りくどい台詞でわかりづらいなりに考察する余地が非常に大きく与えられている。

 私はいつも『物語の面白さは深さ(真理)と広さ(共感性)にある』と言っているが、本作は説明という『共感性』は捨てて、考察の余地を非常に強く残しながら『奥深い』物語にしている。だから○ベェばりに「わけがわからないよ」とつぶやくこと必至なのだが、『理解することができないし、考察する余地もない』という映画になっていない。

 

 この辺りのメリハリのつけ方というのはこの映画の特長的な部分であって、例えばスタートはロングカットで多分3分ほど? を4カットで魅せたのに対して、途中のあるシーンでは1秒間に1カットなんじゃないの? というほどの早いカメラの切り替えを見せつけられる。

 また、そのメリハリが最も効果的に使われているのが音楽であり、本作は基本的に BGMがないのだが、だからこそ『恋はSA-RA SA-RA』がより際立って聞こえてくる。さすがに現代のアニメファンが聴いたら苦笑もののザ・80年代アイドルソングではあるが、それだからこそこの作品のテイストに非常にマッチしていると思う。

 ちなみにyahooレビューであるが、このレビューがなかなかいい考察をしていたので貼っておきたい。

http://movies.yahoo.co.jp/movie/マジカル・ガール/354728/review/疑問がいっぱい/31/?c=6&sort=lrf

 町山智浩の論評はこちら

mini-theater.com

 あとは監督の語っているページもあったので貼っておく。

kai-you.net

 

3 オタクから見たこの映画の考察

 これが今回の私が語りたかったことであり、この記事の主題になる。

 この映画を語っている8割は当然のように映画ファンであろうが、私はどちらかというとアニメの方が好きなオタクであり、おそらくこの監督といくらでも話が合うような気がしている。

 そんな人間がまどか☆マギカに影響を受けたというこの作品を、アニメ的視点から考えていきたい。

 以下の記事を参照にしてほしい。

 

blog.monogatarukame.net

  まず、冒頭にて明らかにされたように、白血病を抱える少女のあだ名は『ユキコ』である。その友達は『マコト』と『サクラ』である。

 このサクラの由来はアニメ好きならば一発でわかる。魔法少女でサクラといえば、『カードキャプターさくら』で間違い無いだろう。数々の女子を魅了し、そして多くの男子を萌えの洪水に貶めた、大名作少女アニメだ(ちなみに私は少女漫画が苦手なので見ていなかった。当時はアニメ自体がそこまで好きではなかったのもある)

 ではマコトはというと、おそらくこれはプリキュアの剣崎真琴からとったのかなと予想できる。(ちなみに、マコトはさすがにわからなかったので私も検索して調べた)

 

 ユキコという名前は現代の魔法少女では古風な名前であるが、スペインで公開することが前提だから分かりやすい女性の名前にしたこともあるのだろうが、音楽とも合うような名前にしたのだろう。

 

 これは上記の記事でも書いたことではあるが、魔法少女ものの歴史というのは、如何にして魔法少女とその他の要素を組み合わせるかというものでできている。

 

 キューティーハニー=魔法少女×戦闘

 セーラームーン=魔法少女×戦隊モノ

 プリキュア=魔法少女×ドラゴンボール(肉弾戦)

 

 という組み合わせで作られている。これは魔法少女という媒体自体のイメージが非常に固定化されているのに、そのイメージが強すぎるせいか使われていない組み合わせというものがたくさんある。

 ではまどか☆マギカはというと『簡単に人が死ぬシリアスな世界観』を描き出した。本来はおもちゃ会社などの大人の事情もあり、キャラクターが途中退場するのは難しいのだが、それを強行したのがまどか☆マギカである。

 

 ではマジカルガールの話に戻るが、この作品はどのような位置付けにあるかといえば、所詮はキューティーハニーだろうがプリキュアだろうが、まどか☆マギカだろうがそれは表現手段がアニメである以上、それを乗り越えることはできない。

 魔法少女をより現実的に実写で描こうという試みの末に完成した作品がマジカルガールである。

 私は本作を、アニメでなく実写で魔法少女をシリアスに描いたという点で、新しいものだと評価する。だからまどか☆マギカという作品に影響を受けたというのは非常によくわかるし、その抜き取り方も上手いこと出来ていると思う。

 

 

4 現実的な魔法少女物語

 この作品は白血病の娘を救うために、失業大国スペインで仕事がなく、娘を支えながら生きなければいけない父親がその夢を叶えるために用意しなければならないのが、『ドレス』という衣装と、何よりも『ステッキ』という魔法少女の最大の武器である。

 しかし、この作品ではそれを与えてくれるマスコットキャラクターなどどこにも存在せず、その特別なものを与えてくれるのは金という極めて現実的かつ、理解しやすい力である。そして、それは父も、そして娘も持ちえないものだった。

 

 父の「白血病の娘の願いを叶えたい」という思いと娘「愛する存在になりたい」という願いは純粋なもので、それ自体はおそらく世界中の誰もがわかるとうなづくものだ。(娘の本当の願いは「13歳になること」であり「父と共にいること」であるが、そのすれちがいがまた悲しい)

 この作品には分かりやすい倒すべき敵キャラクターや、キュウベエのような存在はどこにもない。だからこそ余計に戸惑い、足掻くわけだ。

 

 では、彼らの純粋性がゆえに狂わせたものは何か?

 

 父が娘も救うために行動した理由は?

 女が夫を裏切ったことをバレないように危険な行為に及んだ理由は?

 元数学教師が女を救うためにした行動の理由は?

 それは『愛』である。

 

 これは劇場版まどか☆マギカでほむらが言及した部分であり、悪である存在すらも超越したものである。アニメであれば愛の力で全てハッピーエンドになり得るし、まどか☆マギカの場合もそれなりに綺麗に終わった。

 だが、重ねて言うがこれは実写であることを、リアルであることを意識した物語で、事はそんな簡単ではない。

 それがどれほど純粋な愛であっても(この愛の中には自己愛も含まれる)その愛が強ければ強いほど盲目的となり、他者を攻撃し、妨害し、時には勘違いや嫉妬を生む。

 全ての戦争の要因は愛であるという話があるが、やはりこの作品というのは愛の持つ身勝手さをリアルに描きとったものでもあるのではないだろうか?

 

 では冒頭の消えたメモとラストの消えた携帯電話は何を意味するのか?

 「あなたはこんな雑音を気にしなくていい」という、いわば過去からの解放である。

 そのためにわざわざ相手に出した上で、それをマジックで消して見せた。

 この題にある『マジカルガール』とは浮気をした女のことであり、さらに言えば、この作品唯一の魔法こそが、過去を消し去るというマジックである。

 そしてそれもまた、愛なのだ。 

 

 あとは、数学教師が正面から撃てないというのも過去の彼女との対比もあるのだろうね。過去の自分を直視しているような気がして目を逸らしたくなるというか。

 

 

 おそらく、この意見に賛同する人もいれば、否定する人もいるだろう。そもそも新劇場版のまどか☆マギカが公開された時に、この映画はすでに製作中だったのかどうかはわからないが、おそらく何らかの作業には入っていたはずだ。

 でも私は肯定も否定もあっていいと思う。これだけ長い文章を書いておいてなんだが、私も映画を見ている最中は疑問符の連続で、過大評価もいいところだなと思っていたし。

 

 この作品というのは非常に深く考えることができるだけの余地を残してくれているし、その答えというのは個人で見つけるものである。

 

 私はこの作品を誰にもオススメはしないが、これほどの深さを作り上げた監督に敬意を表したい。

 

 

 

 

 

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