最近不倫問題がいろいろ世間を賑わせているが、今回もまた不倫騒動が発生してしまった。
しかしトンデモなく意外な方向から来たものだから、ここ最近の話題の中でも結構びっくりしている。清原逮捕は「まあ、納得」てもんだったし、ゲスの話であってもバンドマンだからモテるんだろうなぁというのはわかるが、まさか乙武洋匡とはね。
ちなみに私は乙武氏を擁護するわけではありません。あと、不倫は当事者夫婦の問題で他人がとやかく言う問題ではないとは思うけれども、乙武氏の場合は議員に立候補するという話もあったので、一般の私人とは違うと考えています。
障害(欠損)の話をするので閲覧注意かも。
寺山修司の本によれば、「フランスの四肢が欠損した娼婦は一生食っていける」という言葉があるようだ。
これは失われた手足というものに、フェチズムが刺激されていることが挙げられる。いわゆる欠損フェチである。
これに似た話が中国の纏足であり、あれも無理やり奇形に見せることによってより色気を増すという考え方の美容方法である。「纏足の甘みというのは中国人にしかわからない」という人もおり、今でもそれなりに魅了されている人もいるらしい。
それからミロのヴィーナスというのは世界一の彫刻という話もあるが、あの彫刻は手足が失われていることが想像力を掻き立てるなどの意味もあるらしい。
さらに今でも続く奇形というと、首長族や唇に皿を入れる民族が有名である。首が長ければ長いほど、唇に入る皿が大きければ大きいほど美しいとされている。
日本でいうとファッションではないが、かつて爪はぎ、指切りというのが横行していた。これはそれだけ強い気持ちをあなたに抱いていますよ、という意味であり、吉原の花魁などは死体や別人の指を切ってお得意様に送り、「あなたのことを思っているわ」なんていうアピールに使ったとされている。
ちなみに今でも約束の際にいう『指切りげんまん』というのは、二人が誓いを立てる際に指を絡ませて約束し、それを破ったらゲンコツ万回、針を千本飲ますと誓いを立てて、最後に本当に指を切るという意味である。
これを言うと非常に叩かれそうで怖いのだが、今、日本人が当たり前のようにしているピアスなども耳に穴を開けて飾り立てることを考えれば、一種の軽い欠損と言えなくもない。刺青など、体を弄るのは世界中のオシャレとしてよくある形だ。
物語文化に目を向けると95年に制作されたEVAの第1話において包帯にぐるぐる巻きにされた綾波が登場した瞬間、日本において包帯フェチが生まれたという話もある。さらに車椅子の少女などの障害を抱えた女の子というのは一部ではあるが萌えの対象として扱われている。
坂口安吾の白痴などは知能障害を抱える女性の話であるが、そこには明らかな好意がある。私は坂口安吾のファンで、全集を持つほどの人間だが、坂口安吾は間違いなく知能障害を抱える女性を愛していたと言っていい。
このように世界に目を向けると欠損や障害というのは一部のフェチズムを持つ人間にしてみると、とんでもなく甘い印象を受けるのだ。
ちなみに探してみると下のような記事も見つけたので、閲覧注意かもしれないが見て欲しい。
さて、乙武氏の話になるが、私は障害というのは多数の人に愛されるようなものではないかもしれないが、少数の人に深く愛さられる要素になり得ると思っている。
さらに障害に負けないほどのバイタリティ、積極性があり、1つの職に留まらず様々な部分に挑戦するチャレンジ精神、顔立ちもそれなりに整っている。障害を抱える以外はモテる男そのものではないだろうか?
近年草食系男子が叫ばれていて、さらに絶食系男子まで現れてきた現代において、このような積極的な男性というのはモテる一方だろう。
乙武氏と寝る女性が信じられないという人は、あまりにも障害というものに偏見があるのではないだろうか? 身体的障害はそれをフェチズムとして機能するし、そこを魅力として受け止める人は実は世の中にはいるのである。
身体的特徴を除けばその精神性というのはまさしく肉食系男子そのものであり、そもそも大学で今の夫人を捕まえたのだ。
障害は決してマイナスばかりではない。
それをこんな形であるが、証明したのもまた乙武氏であるというのは、皮肉である。