毎週木曜の物語の作り方。
今週は『何を書けばいいの?』をテーマに書いていきたい。
ちなみに先週の記事はこちら。
一つ謝罪をさせていただきます。
先週書いた記事ですが、こちらの不手際によりスター、ブックマークを誤って消してしまいました。わざわざつけていただいたスター等を失わせてしまい、申し訳ありません。
原因はURLの変更でした。日本語 URLにしていたのですが、貼り付けエラーが起きてしまい、日本語 URLから変更した際に、ブクマ、スターが消えてしまいました。
あなたがアマチュアのままでいい、と思っているならば、書くことは特に何でもいい。
日記でもいいし、妄想でもいい。オススメするのは2次創作で、すでに出来上がったキャラクター、設定、舞台を用いるだけで出来上がる、簡単な即席創作物だ。誰かの反応が欲しければ同人誌にすればいいし、そこまでの労力とお金をかけたくないならば、2ちゃんにでもSSとしてあげればいい。そうすると、ほぼ無料で誰かの反応が貰えることになる。
だが、プロになる、お金を稼ごうとしているならば、当然のように2次創作はできないし、むしろそうされるようなものを作らなければならない。
そしてもう1つ注意して欲しいのが、『自分の人生を作品にしない』ということである。
これは私小説を否定しているわけではない。
が、私小説が現代社会において、もはやプロとしてやっていけるほどのポテンシャルがあるとも思っていない。
人は誰でも1つは物語が作れるものだ。なぜならば、自分の人生という他の誰もが経験したことのない物語が、すでに自分の記憶の中にあるからだ。それは当然面白い。文章力はともかくとして、リアリティは満点(むしろリアルだし)キャラクターも共感できる部分も簡単に作れるだろう。
人間20年、30年も生きていれば少なからず苦労はするわけで、全くの山、谷がない人生を歩んでいる人間などどこにもいない。物語としては十分だ。
だが、それを書き上げてしまった場合、2作目はどうする? 3作目は?
結局のところ自分の人生とは1度しかないものだ。そこから先に続くことはない。
いやいや、西村賢太がいるじゃないかと言われるかもしれないが、じゃあ聞くが「あなたはあんな人生がいいですか?」という話だ。
西村賢太に限らず、清原などのスターや芸能人の栄光と転落の人生があれば、私小説はいくらでも書けるかもしれない。1冊に纏めきるのが難しいぐらいだ。
だが、多くの人はあんな人生をおくれないし、おくりたくものないだろう。結局は平々凡々な生活を望む人が多いのではないだろうか。
私小説が流行したのはネットもなければ週刊誌もない時代で、他の誰かが、特に有名人がどんな生活をしているかよく分からない時代に、赤裸々に告白した文章が流行ったからにすぎない。
ネットもあれば週刊誌が毎週、毎日何かを赤裸々に暴いている現代においては、もはやよっぽどの事件の当事者、もしくは文章能力の達者な人間でないと自分の人生を魅力的に描き出すというのは不可能である。
多くの芸能人作家が1作はかけても、2作目、3作目と続かないのは自分の人生を書いてしまっているからにすぎない。
この辺りはブログと同じで、自分の人生を書こうと思えば小出しにして行くしかなく、それが10回ならば続くだろうが、100回、1000回となると非常に厳しいものがあるだろう。
似たことはこの記事でも書いているので参考に。
もちろんこの自分の人生を書くなという私の持論を覆すようなものを書き続けるのも創作であり、この意見を否定されることに私は憤りは感じないだろう。むしろ、よくやったな、新しい手法を見つけたなと感心する。
さて、過去3回にわたって書いてきたこの『物語の作り方』シリーズであるが、大事なことはほぼ書き尽くしたように思う。(来週以降も続けます)
今後は技術論等を書いていこうと思うのだが、そんなものは枝葉末節のことであり、繰り返すが大切なことは過去3回を含めて書き尽くした。
要約すると、
- 読む、観るよりもとにかく書き続けること
- 今できる勉強をし、学問を続けること
- 人の意見に流されず、自分の思うものを書くこと
- 自分の人生や他者の表現はほどほどに
といったところだ。
どうだ、いかにも平凡でありきたりだろう(ドヤッ)
しかしこういったありきたりなことこそが、実は一番大切なことだったりするものである。
短編小説やってます