亀爺(以下亀)
「さて、いよいよ現代若手では人気ナンバー1作家、朝井リョウの直木賞作品が映画化して出たわけじゃが……」
ブログ主(以下主)
「……そうねぇ、結構、力が入っているみたいだね」
亀「今週公開の映画でも一番公開館数が多いからの。やはり、直木賞効果もあるのじゃろうか?」
主「今時直木賞がどれだけの宣伝効果があるのかわからないけれどね……朝井リョウも、いったいどれだけ人気があるのかもよくわからんしね。今はラノベばかりで、一般文芸ってあまり売れてないんじゃないの?」
亀「わしらのリサーチ不足もあるじゃろうが、20代の小説家というと、あまり浮かばんの……一昔前ならばまだメフィスト三人衆やら、乙一やら綿矢りさやらが騒がれたものじゃが……」
主「今って、若い子は一般文芸を目指さないんじゃない? ラノベばっかりにいっちゃうからさ。これだけラノベが盛況だと、一般文芸の代わりを果たしているのかもしれないね」
亀「……これはチャンスがあるのではないか?」
主「デビューできれば、の話だけど」
1 ネタバレなしの感想
亀「では、まずネタバレなしの感想じゃが……主は朝井リョウは嫌いと公言してきたがの、どうじゃった?」
主「神木隆之介が演じた、オタク高校生のいない『桐島、部活やめるってよ』って印象かな。彼がいないから、相当話の内容は変化しているし、鑑賞後の感想も変わるけれど。
朝井リョウ云々は関係ないとしても、難しい題材だなぁとは思った。いつもいう話だけど、作品のリアリティラインをどこに設定するのかということが、結構重要な部分じゃない?
今作はエンタメよりも、リアルに舵を取りながらも、一部演出で舞台を挟むことで外連味を出しているけれど……このバランスがうまくいっていない印象だな」
亀「舞台のような演出を交えるのはいいと思うが、そのエンタメ重視の演出と、それ以外のリアルな作劇が噛み合っておらんということかの」
主「そう。リアリティって言葉は、必ずしもリアルにつくればいいというものではなくてさ……例えば『シン・ゴジラ』はリアリティがある作品と言われているけれど、ゴジラという圧倒的な嘘の存在があり、しかも描かれるのは官公庁のお偉いさんの会議シーンばかり。
つまり、そのリアルって何? って話でさ、ほとんどの人が体験したことのないリアルを演出しなければいけないわけだよね」
亀「そのリアルがなければゴジラという嘘も、大きな嘘として物語から浮いてしまい観客が酔えないわけじゃな」
主「そうなんだよね……だから、リアルっていうのは難しい演出なんだけど……
今回は外連味のある演出を引き立てるために、通常のパートはリアル感のあるように撮っているけれど……これがうまくいっているかというと、それはどうだろう? 無理じゃないかな?
だけど、それは映画の撮り方以前の問題な気もするんだよね……」
亀「ほお?」
『就活』というリアル
主「今回の話は就活がメインテーマであり、今の大学生の最大の問題というか、関心事であることにピックアップをして、そこに人生の悩みを付け加えることで厚みを出そうとしているわけだ。
だから、就活シーンや大学生の悩みというのは、リアルに作られなければいけない。そうじゃないと、共感が得られないからね」
亀「そりゃあの。共感がないと、単なる『大学生のお悩みファンタジー』になるからの」
主「でもさ……そもそも、現代における就活って、しかもこんな大学生の就活を体験したことがある人ってどれだけいるのかね?」
亀「……というと?」
主「現在は大学進学率は50%を超えている。これは平成初期の30%弱から比べると、すごい成長率だよ。その要因としては、もちろん『大学に行かせる経済的、社会的余裕』という、つまり勉学に励む学生を応援しようという意識が個人、社会の中で根付いてきたということ。
それだけ当たり前になったとしても……逆に言うとまだ50%弱は大学に進学をしないんだよね」
亀「そうじゃの。わしは歳もあるが小卒だし、カエルはまだ大学にも通っておらんしの」
主「……君たちを基準にするとややこしいから置いておくけれど……というか、亀にも学校があるんだ……
それで、話を戻すと、この50%の大学生の中には通称Fランなんて言われるような、レベルの低い学校も含まれている。
じゃあさ、この話に出てくるような大学生って、どのレベルだと思う?
個人的には……おそらく六大学レベルと国立大学くらいの、結構レベルの高い大学に通わないと、ここまでのレベルにはならないと思うんだよね」
亀「それはなんとも言えんが……選ぶ企業も結構な大手の話も多かったし、原作者の朝井リョウも監督の三浦大輔も早稲田出身、プロデューサーの川村元気も、上智大学と有名大学の出身じゃな」
主「出版やマスコミに強いと言われている早稲田の出身が原作、監督だしね。東宝のプロデューサーになるほどだから、結構な学歴が必要なのはわかる。だから、この作品を制作した人には『これがリアル』だったのかもしれないけれど……これをリアルとして受け止められる層が果たしてどれだけあるのか?」
亀「難しいところじゃの……じゃが、配偶者の死や、病気、震災、他にも青春ものでいうと小中高の生活などに比べたら、リアルに感じる人は少ないかもしれんの」
SNSと企業
亀「そのリアリティの齟齬が出てしまうのが、SNSと企業の話じゃな」
主「そう。SNSでのやり取りって、どうだろう……ここ10年くらいの話じゃない? 今じゃ当たり前の存在だけど、定着してからそんなに時間が経っていない。
だからSNSがある学生生活を送った層は30ちょっとくらいがギリギリじゃないかな? もちろん、メールや携帯は、ネットはあるだろうから、感覚的にはわかるけれどさ」
亀「この原作も『現代の悩みをSNSを使って表現したこと』が評価された節もあるからの」
主「多分そういうSNSを使う層じゃないと、この感覚は響かない。ちなみに、自分もTwitterはブログと同じ時期に始めたから、そのイザコザも機能もよくわからん。
さらに言えば……就職先の企業も、もちろん仮名だけど大企業ばかりなんだよね」
亀「一番わかりやすいところでは大企業の広告会社が出てくるけれど、おそらくモデルは『電通』じゃの。
これは今、最も炎上するキーワードで、映画は全く関係ないが……電通に就職が決まる、美女就活生と時期も悪いの」
主「それはしょうがないけれど、出てくる企業が大手ばかりでさ、それこそ誰もが知る大企業に、多分総合職狙いなわけ。
これが日常? これがリアル?
リアルに思える層って、どれだけいるのかね?
政治家の語る平均年収うん百万円と同じでさ、平均的な人って、実は相当少ないんじゃないかな?」
亀「その意味ではテーマが共感性を与えるようには向いておらんかもしれんの……」
役者について
亀「それでは役者について語るが……どうじゃろう、有村架純が可愛かったくらいかの?」
主「これもリアリティラインが曖昧だからよくわからなかった。リアルといえばリアルだけどさ、そんな生活送っている大学生ってどれだけいるんだろう? ってリア充の生活にボケ〜っとなった。
この映画ってオタクがいないからさ、自分みたいな人間には理解できない部分が多いんだよなぁ。自分の現実って初期『げんしけん』みたいなものだから。
……げんしけん、実写化しないかな? しないか」
亀「キラキラした大学生! でもなく、夢を追いかけています! でもなく、鬱々と日々を過ごしています! でもないからの。その意味ではリアルじゃ。普通に生活を送って、普通に就職先を選んでというの」
主「これは役者どうこうではなくて、キャラクターの問題だろうけれど、主人公は愚痴ばかりのウダウダ言っているし、相方の男はあまり物を考えてない。そして有村架純は何がしたいのか、全く見えてこない。
二階堂ふみはある意味熱演だったし、岡田将生も何となくわかるタイプだったけれど……どうにも感情移入はできないし、うまいか下手かもリアリティラインの設定がうまくいっていないからわからなかったかな」
亀「さて、ではここからネタバレありになるが……正直、愚痴ばかりじゃの」
主「まあ、ひどい映画!! ってほどではないけれどねぇ……」
以下ネタバレあり
2 働き方を考える
亀「さて、ではここからネタバレありで語っていくが……」
主「個人的に引っかかったのは、就活がまるで終活のように見えたことね。
そりゃ、確かに人生の一大事だよ? だけど、就活なんてスタートラインでしかないわけでさ。大事なのはその後に何十年と続く社会人生活なわけじゃない?
そして、彼ら学生にとっても一大事なのはわかるし、人生を左右するものだけど、企業だってそれは同じなの。安くない金額を使って、一生懸命発掘して、精査する。内定を出したって蹴られる可能性もあるわけだ。そうしたら、それまでの苦労が、人件費等が水の泡だよ」
亀「……お主はどの目線で語っておるのか?」
主「だからさ、別に就活がすごく大事なのはわかるけれど、それが全てじゃないじゃん。学生側にもリスクはあるけれど、企業側にもリスクはある。変な奴や、能力の低いやつでも、日本企業の場合はなんだかんだ言って、ずっと雇い続けるから、より精査しなければいけない。
そういう目線でも見ちゃったから、学生の言い分が『勝手だなぁ』って思ったね」
亀「どの視点から見るかによって、物語の意味は変わるからの」
主「さらに言えば、この映画において『就職か、夢を追いかけるか』の2択だったけれど、就職しながら夢を追いかけるって手もあるわけじゃない?
作中で明らかに新海誠と思わせる人物の話題をしていたけれど、その新海誠だって脱サラ組だよ。作家の多くも脱サラしている。
そういう意識の人間から見ると……『就職ってそこまで拗れるものか?』って意識が働いてしまうね」
亀「……まあ、働いたことのない学生にはそういうものなんじゃろう」
演出の意図
亀「これはあれじゃの、先ほどから語っているリアリティラインの話じゃの」
主「そうそう。この作品は、ある程度リアリティがあるように作られている。けれど、その演出のリアリティが弱いように感じたのね。
多分、その理由ってキャラクター性が立ちすぎていたからじゃないかな?」
亀「確かに、それぞれのキャラクターがしっかりとしていたからの」
主「例えば『即戦力になりたい』とかさ『俺は俺でいたい』とかのノリとか、セリフが大学生としてはリアルかもしれないけれど、映画としては既に過剰なセリフな気もするのね。決め台詞というか、自然にいうには作為的な印象がする。」
亀「うーむ……意識高い系の人の発言は、それだけで作劇的じゃからの。だからこそ、面白くもあったりするが……」
主「作中でもブログの言葉が耳障りのいいパワーワードを連ねているだけって指摘があったけれど、やっぱり意識高い発言って、それだけでリアリティをなくすのかね。
そういう言葉を使うなら、もっと過剰に演出しても良かったんじゃないかなぁって思う。
でも、多分そういったことの演出意識が、あまり感じられなかったかね。
特に気になったのは、1分間で自己紹介スピーチ。あそこで『自分らしさを表現しろ』ってある種の無茶振りに、あらかじめ決めた言葉を話すだけで感情のない学生と、舞台の上で感情豊かに話す役者の対比があったけれどさ……」
亀「おそらく、演出意図としては『建前の就活生と本音の役者』じゃろうな」
主「でも、まず会話や言葉がどちらもお決まりすぎるから、どっちも建前を言っているように見える。
さらに言えば、役者は舞台の上で演技をするんだよ。だから泣きながら語るということは、やろうと思えばできるわけだ。本音を話させたいなら、舞台の上で語っちゃダメだって。その後の演出とかにも響いてくるよ」
亀「これが『実は夢を追う若者も、就活生も違いはないんだよ』という演出意図なら納得じゃが、そういうわけではないからの」
主「多分そうじゃないからなぁ。
あとは単純に詰め込みすぎな気もする。『恋愛』と『就活』と『SNS』と『夢と現実』というものがあるけれど……これが2時間弱に収めるには多すぎた気もするかな。だから軸がぶれた印象がある」
亀「しかしの、もしかしたら、舞台の上が彼の本音だった可能性も……」
主「だとしたらただのバットエンドじゃん。彼は『本当に好きな物』や『本当の自分』のような存在も失って、就活に励むラストでしょ? 本音を捨てて、本当にやりたいことを失ってまでやるのが、就活? あんなにやる気ないのに?
だったら、スーツを捨てればいいんじゃないのって思うけれどね。
あとはさ、確かにSNSの描写は良かったけれど……ラストのあれは何?」
亀「あれというと……『何者』の正体のことかの」
主「それまで、何者なんてアカウントに触れてこなかったじゃない? 急に『何者の正体は!』なんて言われてもね……それに、あの主人公であったら、意外性も何もないよね? 有村架純が何者だったら、意外性があって面白いけれど、彼が何者であっても『まあ、そうだよね。そんなの事していそうだよね』で終わる気がするけれどなぁ」
3 『桐島』との対比
主「自分は、この映画は『桐島、部活やめるってよ』と同じ構造や、土台の上に成り立つ映画だと思ったんだよね。違いがあるとすればさ、それは神木隆之介が演じたオタク高校生がいないってことで」
亀「以前に、映画評において『桐島は本来主人公であり、その主人公を失ったことによる脇役の蝋梅と、モブの逆転の復讐を描いた』と語っておったの」
主「詳しくはそっちのレビューを読んで欲しいけれど……この映画における桐島ポジションにいるのが『ギンジ』という存在なわけ。だから彼はずっと顔も見せない。
彼に対する憧憬を無意識に抱えている主人公、拓人とギンジというのは鏡面性の関係でもあるわけだ」
亀「過去に組んでおったわけじゃしの」
主「だから、この作品というのは『夢を追いかえているオタク』がいないわけ。演劇だからオタクよりはサブカルか? まあ、それはいいや。
なぜならば、それこそが『桐島』だから。
ギンジの存在が、拓人が憧れるポジションとなっている。
このギンジとの違いが顕著なのが隆良だよね。彼がギンジに似ているか似ていないかというのは、論争にもなるわけで人によって違うし、それによってその人物評も変わるという部分であるけれど……」
亀「この2人は全く違うの。隆良は口だけで何も生み出さんし、行動もほとんどしておらん。言っていることは立派じゃがの。一方のギンジはどんなに叩かれても表現を続けておる存在じゃ。
むしろ隆良は意識だけは高い系の理香と似ているような気がするの。向いている方向性が違うだけで」
主「そうね。だからギンジは夢を追いかけて、今だに就活もしないわけだ。
一方の拓人は人の様子やTwitterばかりを気にして、何というか『ええかっこしい』なわけだ。その心の奥では毒を吐きながら、やっぱりギンジが気になる」
亀「桐山との違いがあるとすれば、ギンジの方向を向いておるのが拓人くらいというくらいじゃの」
社会人と夢
主「個人的に一番受け容られなかったのはこの部分。社会人になると好きなことを諦めなければいけない、バンドも引退しなければいけない、って感じで描かれるじゃない?」
亀「あ〜……主が嫌いそうな話じゃの」
主「追いかければいいじゃん!!
バンドも、続ければいいじゃん!! そりゃ、毎日集まることはできないかもしれないけれど、週に1日でも集まって練習したり、活動すればいいじゃない。
今時、ネット上であげている人なんていくらでもいるよ。そこに社会人かどうかは関係ない」
亀「それは、社会人にもなって恥ずかしいんじゃろうなぁ」
主「そう言っている奴が一番恥ずかしいの。そんなん言ったら、自分は相当恥ずかしい存在だよ、ネット上に映画の個人感想を載せてさ。
だけど、それでいいじゃん。好きなようにやりなよ、まだまだ出来るんだから。
一流会社の総合職になることが、高収入の仕事に就くことが人生の勝者ではないよ。金を稼ぐ手段や、自己表現の手段なんていくらでもあるんだからさ」
亀「この映画もラストはそのような意味になったようにも思えたがの……」
主「自分が一番理解できるのは、描かれないギンジなんだよね。だから、好きなことを諦めて就活する姿だったり、学校のテストのように模範解答を探して奔走する姿を見るたびにイライラした。
人生に模範解答はないよ。だから、好きに生きるしかないの。自分の人生のツケは自分にしか回ってこないからさ。それはやったことだけじゃなくて、やらなかったツケもまた然り、でね」
亀「この言い方が、意識高い系みたいじゃの……」
米津玄師の起用
主「この映画で唯一、絶賛するとしたらこの米津玄師と中田ヤスタカのコラボレーションと主題歌起用かな」
亀「もともと米津玄師は聞いておったしの」
主「米津玄師って知らない人にも紹介すると、ニコニコ系出身の歌手で、初音ミクに歌わせたりしてニコニコで人気を集め、自分でも歌ってメジャーデビューを果たした存在なわけ。
この映画の主題である『恥ずかしいと思われること』をずっとやってきたアーティストなんだよね。
もちろん、ニコニコ系出身だから、色々言われるよ。今までにない形でもデビューだし、ファンもアンチも元から多いから。だけど、そんな周囲の意見に流されることなく、ここまで突っ走ってきたアーティストだよね」
亀「そのアーティストをこの映画の主題歌に起用したというのは大きいの」
主「しかも中田ヤスタカとのコラボでしょ? これは中々面白いよね。自分は絶賛するよ」
最後に
亀「さて、最後になったがの……」
主「やっぱり自分は『シング・ストリート』だったり『バクマン。』の世界の人間なんだよね。
馬鹿だなんだと罵倒されても『頭のいい』未来のことなんて無視して、突っ走る人が好きだし、応援したい。だから『頭のいい』選択をする人たちがあまり好きではない。
この映画のラストにおいて……主人公がスーツをゴミ箱に捨てて走り出したら、自分はもう少し評価したかもね」
亀「そっちの方がありきたりなラストではあるがの」
主「『青春が終わる』って予告にあったけれど、青春を終わらせるのは時間でも世間でもなくて、自分なんだよ。諦めるのは自分だから」
亀「しかし……『夢を追いかける姿が好き』みたいなことを有村架純が言っておったが、わしはそんなこと言われたことは一度もないの」
主「……人間と亀では価値観が違うんじゃない?」
亀「ちなみに……主は自分が何者か思い悩んだことがあるのかの?」
主「え? ないよ。自分は自分でしかないじゃない。自分探しとかしても無駄。だって、そこにいる自分を育てるしかないんだからさ」
亀「……そういう考え方をしていたら、確かにこの映画とは相性が悪そうじゃな。
しかしのぉ……この分析好きで、夢見がちで、一方で現実主義者を装っている、言葉の多い人間か……わしもひとり心当たりがあるのぉ」
主「え? 亀爺に人間の知り合いが他にいたの?」
亀「……案外、同族嫌悪かもしれんの」

NANIMONO EP/何者(オリジナル・サウンドトラック)
- アーティスト: 中田ヤスタカ
- 出版社/メーカー: ワーナーミュージック・ジャパン
- 発売日: 2016/10/05
- メディア: CD
- この商品を含むブログを見る