物語る亀

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物語愛好者の雑文

『この世界の片隅に』を人に薦めたくなる理由と、ヒットの要因について考察、解説してみた

カエルくん(以下カエル)

「このせか旋風止まらず、だね」

 

ブログ主(以下主)

「シンゴジラ旋風、君の名は。旋風の次はこのせか旋風か。オタク文化の象徴だったはずのアニメ、特撮がここまで支持されるなんて、一昔前は考えられなかっただろうな。

 というか、略称は『このせか』で良いのかね?」

 

カエル「正式名称は少し長いしねぇ……

 今年売れた映画は特殊な売れ方をしてきた映画ばかりだしね。ジブリブランドとか、スターウォーズの新作とか、元々人気のあるブランドが予想通りの人気を博したわけではないし」

主「ゴジラは元々人気があったけれど、ブランドイメージが抜群に良かったわけでもないしなぁ……本当にゴジラ自身が人気のあるコンテンツなら、ファイナルウォーズとかもあそこまで悩みはしないわけだし。知名度はあるけれどね」

カエル「この世界の片隅に、のブームメントもすごいよね。本来、ほとんど注目を集めることのない公開規模の作品なのに、先週比で観客動員も右肩上がり、ファンが勝手に宣伝してくれるという、不思議な作品になったよね

 

主「もちろん、名作なのは変わらないけれど、これもまた異常な光景だよなぁ……ということで、今回は『この世界の片隅に』がここまでヒットした理由と、人が応援したくなる構造について考えてみたよ」

カエル「じゃあ、記事を始めようか」

 

 

 

 ネタバレありの批評記事はこちら

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1 個人的な『違和感』

 

カエル「いきなり個人的な話から始めるんだね」

主「そう。この作品って個人的にはどことなく違和感がある作品なんだよ。いや、それは作品クオリティが、とかじゃなくて、この映画を取り巻く状況が、というのかな

カエル「クオリティの高さ自体は主も大絶賛しているし、年間ベスト級だという評価で固まっているもんね」

 

主「今年の年間ベストを決めるのは大変そうだなぁ……と思いながらも、まあそれはいいとして……

 例えば上記の『シン・ゴジラ』にしろ『君の名は。』にしろ、あとは個人的に年間ベスト級の『聲の形』にしろ、やはり賛の声も多く聞く一方で、批判の声も多く聞こえるわけだ。

 それがより作品世界の深堀となり、色々と議論をされて、話題になるという構造だったよね。それだけ多くの人が多くの意見を持っていたというわけだ」

カエル「考察記事にも人がいっぱいきたしね」

 

主「だけど……『この世界の片隅に』はさ、悪い意見を一切聞かないんだよね。それこそ、皆無というくらい。

 もちろんどうしようもない罵詈雑言はあるよ。だけど、中身の伴ったしっかりとした不満は……調べても出てこないんだよ。それは一般人レベルだけじゃなくて、辛口だったり、捻くれたような映画評論家……町山智浩とかさ、宇多丸とか岡田斗司夫とか、それからTwitterで流れてきた評論家勢も大体絶賛しているんだよね」

カエル「これはいいことなんじゃないの? 主も同じ意見なんでしょ?」

 

主「いや、同じ意見だよ? だけど、みんなが絶賛というのも中々に……気持ち悪いというか、これでいいのかな? って気になるんだよね。

 人の好みは様々で、しかも政治的な意味合いも少なからず入ってくる映画じゃない。右も左も関係なく、ここまで広く深く受け入れられることに……片渕須直監督の偉大性が出ている一方で、戸惑いもあるんだよね……」

カエル「ただの観客が戸惑うっていうのも、おかしな話だよね……」

  

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原作の知名度

 

カエル「これはやっぱり原作の知名度もあるのかな?」

主「かもしれない。こう言っちゃなんだけど、この映画を見に行く人の多くは原作を頭に入れないで行くと思うんだよ。名作だけど、知る人ぞ知るというイメージだったし。

 だからいきなり……映画として2時間強の短い時間で、あの作品に触れた時の衝撃というのは非常に大きかったんじゃないかな?

 

カエル「それはあるかもね。原作からして素晴らしい出来なのは、疑いようがないだろうし、その原作の情報量を増していき驚愕としか言いようがない映画に仕上がっているし」

主「そういう映画って、普通は原作ファンとの軋轢が生まれるんだよ。ほら、聲の形もそうだったけれど『原作のここが省かれている』とかね。漫画という表現の形式と、映画の表現だと1作にかかる時間や長さが全然違うから、どうしても改変がある。

 だから原作ファンこそ、原作との採点をするように見てしまうんだよね。だけど、本作は全3巻と長さも映画化に丁度良いし、テンポよくうまいこと物語の切り取っているよね

 

カエル「また、片渕監督の作風ともピッタリはまったよね。戦争や兵器などにも詳しいし、自然描写などの細かい描写に対して力を注ぐ監督だし、これ以上の原作と監督の組み合わせもなかなかないかも」

主「自分はさ、この映画を観る前に原作も読んでいたし、直前に読み返したから……やっぱり、どこかで採点するように見ていた部分もあったと思うのよ。

 だからさ、これから映画を見ようかな? と思っている人は原作未読の方が楽しめると思う。映画は情報量が多いから、それからじっくりと原作を読んだ方が、色々と楽しめるんじゃないかな?」

 

 

 

 

2 万人向けの作品

 

カエル「この映画がこれほど多くの人に支持される理由として、やっぱり万人向けだから、というのはあるかもね」

主「……カエルは、どういうところが万人向けだと思う?」

カエル「え? 歴史的な事実をモチーフにして、誰もが理解しやすい悲劇性とか、それでもそれに負けない人間の強さを描いたところとか……

 あとは単純に、すずさんが可愛いというのもあるよね」

 

主「……まあ、もちろんそう言った面もあると思う。この映画を語る際に『戦争』というキーワードは絶対に必要だし、それは間違いなく重要なものである。呉の町や広島に起きた悲劇性というのは歴史的な事実だし……その不条理な不幸というのは、ある意味では東日本大震災や阪神淡路大震災などの自然災害を多く経験してきた日本人にとって、身にしみている事実でもある。

 だけど、それだけではないと思うんだよね。

 この映画は『観客のレベルに合わせて、作品のレベルが変わる』という作品でもある」

 

カエル「……というと?」

主「いつもは『万人向け』という作品は、少し作品の知的レベルというか、暗喩のようなものを減らすわけだよ。

 わかりやすく言うと『説明台詞』を多くして、心理描写やそこに至るまでの背景を懇切丁寧に説明して……汚い言葉に変えると『馬鹿でもわかる作品』に仕上げるわけだ。

 それが一番うまく機能したのが『君のは。』であるわけでさ。自分はあれだけのエンタメ性と、それまでの新海誠の集大成としての作家性、そしてある意味で日本アニメ界のオールスターのような作品となって、それが見事に結実したことが素晴らしいと評価するけれども、中には『エンタメ寄りすぎる』と批判の声もあるわけだ」

 

カエル「江川達也や岡田斗司夫も批判気味だったし、あとは是枝裕和も『これだけ売れる要素をつぎ込んでいいのかな? 女子高生との入れ替わりは(キャッチーすぎて安易になりやすいから)考えた方がいい』みたいなことを語っていたよね」

主「だけど、君の名は。のエンタメ性としての優秀さはもう疑いようがない。それは売り上げ、海外の評価、賞レースを見ても明らかだよね。

『この世界の片隅に』の話に戻すと、そこが見事なバランスによって成り立っている

 

 

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知識レベル、見識によって変わる見方

 

カエル「つまり、それってどういうことなのさ?」

主「この映画は相当にレベルが高いことをしているんだよ。それは歴史考証もそうだし、アニメーションレベルも、メッセージ性も、戦争映画としての先進性も、挑戦する試みに関しても、ケチのつけようがないくらい素晴らしい作品に仕上がっている。

 だから玄人やプロの作家や、批評家などの『見る目が肥えている人たち』が見ても満足できる作品に仕上がっている。

 そういう作品は表現するもののレベルが高すぎて、一般の観客……例えば年に1作しか映画を見ないような、あまり映画などに慣れていない人たちが理解することがむずかしくなる傾向にあるわけだ」

 

カエル「俗にいう『評論家受けする、賞レース向けの作品になる』ということだね」

主「エンタメとして振り切ることで、収益を上げることも大事だしね。そこのバランスをどう取るかが難しいけれど……それは別のお話。

 だけど、この映画は普段映画やアニメを見ない人でも『日常系作品』として誰でも理解出来るレベルになっている。

 すずが日々を送る生活というのは我々の生活と時代こそ違えど、あまり変わらないものだし、すごく一般性がある。

 そこに戦争というわかりやすい悲劇があるわけでさ……脳内で単純化して泣いている可能性もあるわけだよ。

 多分、評価するポイントって言葉にすると似ているけれど、実はひとりひとり違う部分かもしれないな」

 

カエル「基本的に物語の受け取り方は自由だけど、その自由の幅が非常に広いわけだね」

主「そう。このエンタメ性と作家性とか、評論家受けする部分を両立させることって非常に難しいわけだよ。

 それができた映画監督というと……黒澤明とか、チャップリンとか、宮崎駿とかのそれこそ『大監督』と呼ばれる人しかいないんじゃないかな?

 だからそれぞれの視点に、それぞれの基準に合格するように作られた作品だと思うよ」

 

 

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 3 アニメーションのリアル

 

カエル「特にこの作品はリアリティがすごく高い作品と評判だよね」

主「もちろん、片渕監督の練りに練られた、時代考証に基づいた絵作りというのがその要因としてある。

 よくこの作品を語る際に言及されるのが、このアニメは『中抜き』がされていないんだよね。

 詳しくはこの岡田斗司夫が語った以下の記事を読んで欲しい」

 

ネタバレなし!『この世界の片隅に』がすごすぎるわけ - FREEexなう。

 

主「こういった技術的なところはさすがに素人でもわかりずらいところがあるけれど……これらの工夫はアニメだからできることだと思うんだよね」

カエル「この作品を実写でやろうとしても難しいかもね」

 

主「そもそも当時のまま現存している場所なんてどこにもないからさ、実写で作ろうとするとCGなどを駆使しなければいけないし、街並みも当時よりは綺麗になるだろうね。

 服や人の顔も悲壮感は出てこないわけ。現代日本でたらふく食べている人と、当時の人じゃ顔つき、目つき、雰囲気も変わるだろうし。

 そういう部分が『物語の嘘』になって、違和感が出てきてしまう。これから公開される『海賊と呼ばれた男』も予告を見る限りでは、当時に近づけよとしているけれど、やっぱりどこか物語然としたものになってしまうだろうし」

 

カエル「それは実写でやる以上仕方ないよね」

主「だけど、アニメは作画をすれば表現できる。今回はさすがにずば抜けているけれど、例えば戦艦だとか、航空機とか、あとは生活様式とか……そういったことが資料があって、描く技術があれば表現できるわけだ。

 アニメは『描く』ということのハードルの高さはあるけれど、描ければ表現できるものは非常に多いからね

カエル「その描くことが難しいから、みんな悩むわけだけどね……」

 

『絵』のリアリティ

 

カエル「これは前から何度か語っているよね」

主「アニメや漫画ってその表現自体が『リアリティレベルが低い』表現なんだよ。どういう意味かというと、実写映画とアニメ映画の場合『どちらがリアルか』と問われたら、当然実写映画なわけだ。現実に存在している人が、現実に存在している場所で、現実に演技をしている様子を撮っているわけだからね。

 だけど、アニメは絵が動くという方式だから、リアリティは当然一段落ちる。だけど、表現ではそれが強みになるケースもあると思う」

 

カエル「つまり、絵が動くことによってその状況で行なわれていることを脳が補完するわけだね

主「例えば……萌えアニメとかの可愛らしい女の子に熱中する、いわゆる『萌オタク』というのがいるわけだけど……なぜ現実の女性ではなく、絵の女性に……まあ、女性だけじゃないけれど、熱中するのかというとそれは脳内で補完しているからだと言われている。

 アニメや漫画、絵画とかは脳内の補完で成り立つ部分って大きいわけだ

 

カエル「それがリアリティに関与してくるの?」

主「これは『君の名は。』の時にも書いたけれど、アニメの場合ってある種のご都合主義だったり、違和感のある演出などもある程度ならカバーできるんだよね。

 すごくリアリティを追求していると、ほんのわずかなご都合でも気になっちゃうものでさ。だけど、アニメという表現自体がリアリティが薄いから、ご都合主義な面は目がいかず、リアルな部分に目がいくようにできているわけだ」

カエル「そして本作はリアルな描写が多いからね」

主「だからより強く『すずが生きている』というような思いを抱くようにできているんじゃないかな?」

 

 

 

4 基本的な構造

 

カエル「じゃあ、この映画の構造の話をしようか」

主「この映画は、ある意味では魔法少女まどか☆マギカとか『KEY系』と呼ばれるアニメ、ゲーム作品と同じ構造をしているよ

カエル「え? でもKeyとかって典型的な萌えアニメじゃない? この映画ってそこまで萌え要素はあるのかな?」

 

主「萌え、というと反感はあるだろうけれど、すずが可愛らしい女性だということは誰にでも共感できるでしょ? この映画はある種の『日常系アニメ』にもなるわけだ。ただ、戦時中という特殊な状況における日常系アニメだけどね。

 その中ですずさんが必死に……あるいは呑気に生きる姿に共感して、感動する

カエル「それがなんでまどマギとか、Keyにつながるの?」

 

主「……前にKey作品を語った際に文句が出たから言葉を変えるけれど、この手の作品って『悪い事を思いつかないくらい純粋な人(女性、子供)が、ひどい目にあって、それでも懸命に生きる姿、ないしは傷ついていく様に涙を流す』という構造の上に成り立っているのよ。

 わかりやすい例でいうと『マッチ売りの少女』とか『フランダースの犬』とかでさ。あれも……例えば民生委員みたいな人のところに駆け込んだり、強盗や盗みを働いたりと、手段を選ばなければ生き残る術はあるはずなんだよね。

 だけど、そんな手段を思いつきもしないほどに純粋な……特に弱者とされる少女や子供が傷ついていくことに、涙を流すという構造なわけだ

 

カエル「フランダースの犬で『腹減ったからパトラッシュを食べよう』とか言い出したら誰も泣かないよね。あと、髭もじゃのオジさんでも泣かないかも」

主「倫理とか色々あるにしろ、生き残るためだったらそういう……悪い事をするというのも一つの選択肢なわけだ。

 だけど、この映画もそうだけど、すずとかは本当に純粋でさ……人の悪意に鈍感だし、平々凡々と日々を送っている。だけど、そんな純粋な女性が途中で酷い目に遭うわけだ」

 

 

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純粋な存在が傷つく、ということ

 

カエル「それがまどマギとかと同じ構造だというのね」

主「そう。少女とか、か弱い一般市民が純粋に暮らしている中で、不条理な暴力や不幸が襲ってきて傷つく、というのは古今東西感動ものの基本なんだよ。

 だからこの映画も、すずさんが可愛ければ可愛い程、艶が出てきて、現実に生きているという思いを抱けば抱くほどに……そのあとの展開に傷つき、涙を流すわけだよ。火垂るの墓も同じ構造か」

 

カエル「メリハリがうまくついているよね」

主「この構造は結構普遍性があると思うんだよね。誰にでもわかりやすく、届きやすい。先ほども言ったようにさ。

 そして『戦時中』における『一般市民』『女性』って誰もが思う弱者じゃない? そういう視点から見ると……本当に誰もが応援したくなる、すずに肩入れしたくなる映画なんだよ。

 だけど、その中で過度に悲劇性を強調しないからからこそ……観客はより強く自分との同一化を図るんじゃないかな?」

 

カエル「萌えと悲劇性って最近多い題材だけど、そこからさらに一歩踏み出して……しかも、アニメを見なれない人でも過剰ではなく萌えを感じることができるようになっている上に、悲劇性やドラマ性もあるという、完璧な構造なんだね」

主「考えれば考えるほどに否定のしようがない映画になっているよ」

 

 

 

5 『弱者』の映画

 

カエル「……この項目は何?」

主「この映画って『ファンが盛り上げている映画』でもあるわけだよね。なんでこれだけファンが盛り上がっているのか、というのは……まあ、人間心理の部分も大きいわけだ

カエル「というと?」

 

主「これがさ、君の名は。とかみたいに大資本がたくさんのお金をかけて、200館300館クラスの公開規模だったら、多分受け止めれられ方は違ったものになったと思う。

 大資本の映画ってだけで、みんな少し冷めた目で見るからね。

 だけど、この映画はクラウドファンディングもそうだけど……監督の倹約生活とかさ、映画が公開されない可能性もあったわけだ。少し調べるとそういう話はたくさん出てくるからさ、そういう情報を持ってしまうと……人は必然的に応援したくなるよね」

 

カエル「このブログも、以前『ケンとカズ』もそうだし、小規模公開映画を扱うことがあるけれど、どうしても論調が鈍くなるもんね」

主「『100億円使ってこのクオリティかよ!』は言いやすいけれど『400万円使ってこのクオリティかよ!』はすごく言いづらい。むしろ『400万かぁ……頑張ったなぁ』となるのが常なわけだ。

 そういった情報を知れば知るほどに、この映画は口コミで宣伝したくなるし、応援したくなる。

 さらにクオリティがすごくいいわけだからさ、そりゃこういう……右肩上がりの興行収入も納得だよ

 

カエル「大資本か否かは作品クオリティと関係ないはずなのにね」

主「さらに言えば『タイタニック』などのジェームズ・キャメロンも家を抵当に入れたりとか、相当な大博打をしているわけだけど、そういうことってあまり観客の評価に入らないじゃない?

『キャメロン監督はそこまでしてこの映画を撮ったんだ!』って目で見ている観客は少ないでしょ? それは、やっぱり大資本ってだけでどこか『面白くて当たり前』とかいう意識があるんだよね。

 やっていることは片渕監督と規模は違うけれど、そこまで変わらないと思うけれど……」

 

 

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『のん』の起用

 

カエル「『応援したい!』って気持ちに一役買っているのはのんの存在かもね

主「そうね。

 みんな絶賛するし、自分も感想記事で書いたけれど、のんの演技自体はそう……高くないよ。普段色々いわれる、ジブリ声優など芸能人声優の演技だと思う。ラジオとかでCMを聞くと『あれ?』って思うし。

 だけど片渕監督の演出とか、他の出演者との演技バランスが見事だからこそ、その……演技というか、素朴な声が見事にマッチしたわけ。

 だから感想記事でも書いたけれど、上手い下手だけで語ることはできない魅力を持った声と称したわけだ」

 

カエル「主はドラマを見ないからのんだったり、能年玲奈時代に思い入れがないけれど『あまちゃん』の印象が強い人も多いだろうしね

主「元々すずのイメージにぴったりの人だったし、さらに言えばさ……事務所のゴタゴタ問題があるわけじゃない?

 個人的には『この世界の片隅に』と、のんの事務所問題は分けて語るべきだと思うよ。なんだか、シンゴジラで政治を語るのと同じような違和感がある。

 だけど、やっぱりそういった……『強大な力、圧力に翻弄される少女』というのんの姿が、すずと一致しちゃったんだよね。

 特に能年玲奈やこの問題に関心がある人ほど強くね。これは本職の声優とか、他の芸能人声優だと出てこない味というか、意味だよね」

 

カエル「時々そういう映画ってあるんだよね。主の大好きなところでいうと、映画『レスラー』と主演のミッキー・ロークの関係とか、あとは同性愛もテーマに含んでいる『ハンズ・オブ・ラヴ』で、同性愛者のエレン・ペイジが演じているとかね」

主「確かに芸能界の事務所問題とかも歪だな、と思うけれどさ……それと『この世界の片隅に』は分けて語って欲しいなぁ」

 

 

 

最後に

 

カエル「じゃあ、最後になるけれど……」

主「やっぱり稀代の傑作だと思うし、戦争物のアニメとして100年先にも語られる映画になったよ。それは間違いない。

 だけど、最初に述べたようにここまで熱狂していることに違和感があるのも事実で……シンゴジラとかはすごくその波に乗ったけれど、今回はうまく乗れないなぁ」

 

カエル「原作は後から読んだ方が楽しめるもんね」

主「個人的には……あくまでも個人的には、原作にある『戦争への哀しみ』だったり、ある種の諦観というのかな……もっと、戦争に対する怒りは静かなものだったように思うのね。

 だけど、映画版はそれがより強く、感情的に……怒りになっていたように思う。

 そこが戸惑いの理由のひとつかな? 原作のこの世界の片隅に、が個人的にはまったポイントって『怒りや哀しみを過剰に演出しない表現』だったからさ、すずの怒りの演技で少し違和感があった。

 だけど、その方が多くの人に伝わりやすいし、歴史考証からしても、映画版として良い改変だとも思うけれどね」

 

カエル「原作が好きだからこそ、の違和感だね」

 

主「あとはさ……宣伝が少ないとか、色々圧力が? というのも、陰謀論みたいで嫌だなぁ……

 それこそ聲の形とか、今年見た映画でも地味ながらも良い映画っていっぱいあったのよ。それこそ最近だと『ハンズ・オブ・ラブ』とかさ、もっと宣伝して欲しいけれど……これだけマイナーだとね。公開館数が100は超えないと、メディアも扱ってくれないよ。間何本の映画があると思っているのか?

 そして実写に比べて注目度の低いアニメだから余計だよね……」

 

カエル「当たり前だけど、良作だからメディアが宣伝するわけじゃないしねぇ」

主「そこいら辺も、なんだか映画と離れちゃっているような気がしてなぁ……

 作品自体がいいだけにね」

 

 

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