今期でもトップクラスの注目度を誇るカバネリであるが、そろそろ6月に入り1クールも終わる頃になってきた。
そんな中、カバネリに関して少し気になることがあったので、書いてみようと思っている。
少し厳しめの内容になってしまうので、カバネリが大好きな人は引き返した方がいいかも……
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1 アニメにおける脚本を語る難しさ
今回、カバネリを語る上で私は脚本を中心に語っていこうと思っているのだが、特にアニメに関して脚本を中心に語ることは少し難しいものである。
なぜならば、アニメの面白さと脚本の整合性やうまさというものは、必ずしも一致しないからだ。
例えば『ガールズ&パンツァー』に関して言うと、その人気は絶大なるものの設定は相当穴が多い作品である。
実弾を使用しているのに戦車から顔を出す、誰も死なない、横転しても怪我一つしない、その割にはメガネは割れる、街はいくら破壊しても補助金が出るから問題なし……などといった、ご都合主義にまみれた設定が大量にありそのほとんどが『特殊なカーボン』の一言で片つけられてしまう世界である。
だが、こういうと文句を言っているようであるが、それでも問題なく楽しめるのがガルパンである。こういう様々な問題点を抱えながらも、「そこを気にしたら負けだよ」と言い切ってしまうほどの熱さが内包された作品でもある。
これは例えば実写映画ならば『マッドマックス 怒りのデス・ロード』も同じようなもので、なんであんな世界になって、どのように生計を立てているのかもいまいちよくわからないものの、それでも全く問題がないほどの映像表現に仕上がっている。
他にも宮崎駿作品というのは『ルパン三世 カリオストロの城』は設定やルパン、クラリスたちの言動に矛盾が多々指摘されているし、『千と千尋の神隠し 』はストーリーの構成に大きな問題があり、本来ならば名作と言われない脚本であるのだが、それでも全く問題なく、しかも違和感なく楽しめることが宮崎駿の天才性でありしっかりと演出されたアニメの力というものなのだろう。
アニメを鑑賞する側も整合性のある脚本を求めているのではなく面白い作品を求めているのであり、作り手側も『アニメであること』を追求しているので、描きたいことを描くためにご都合主義的なストーリーになることは多々あることである。
それを理解した上で、私はカバネリの脚本の荒さをこれから指摘していく。
2 ゴールがない作品
私は3話時点の感想においてこんなことを書いていた。
中略
結局のところゾンビを絶滅させるというのは相手が死人である以上難しいと言わざるをえない。基本的には逃げ回るしかなく、ラストの展開までを迷走するから最後はB級となってしまうわけである。
ではカバネリにおける一行のゴールはというと、幕府の要害へと向かっているだけであり、そこに行けばカバネが一掃されるなどのことはない。つまり、カバネとの戦いは現段階において勝ち目がないものになっている。
いかに生駒や無名がカバネを倒そうとも、その数は一向に減ることはなく、焼け石に水の状況である。
そんな中、8話においては美馬が敵となって襲ってくるのだが、この展開というのも私には疑問である。
確かにラスボス感のあるキャラクターではあったものの、1クール作品という限られた話数の中で戦う相手を間違えていないだろうか? みんなが戦うべきはカバネであり、決して人間同士で戦っている場合ではない。
これが人気があれば連載をいくらでも続けられる漫画であればその風呂敷の広げ方もありなのだが、この作品は1クールという短いお話であるアニメ作品である。その中で戦う相手を間違えてしまうと、結局ゴールが見えないまま終わりを告げてしまうことになってしまうだろう。
それから急に現れた美馬の過去がどうなどと回想されても視聴者からしたら途中から参加してきたという印象しかない男である。来栖などの方が思い入れもあるため、その過去を話し始めたら感情移入もできるだろうが、ぽっと出の男がペラペラと話しても「へぇ」としかならないのではないだろうか?
どうせならば、もっと早い段階で合流させた方が視聴者も感情移入させやすかったと思う。
3 キャラクターについて
個人的は本作のキャラクターの動かし方も雑だなぁ、と思っていて、例えば5話や6話が作画的に神回だったことに異論はないが、その話にするために無名の命令無視による単独行動などというのは「なんだかなぁ」といった有様だし、いちいちキャラクターの行動が『脚本のための脚本』(簡単に言えばご都合主義)に縛られたもののように思えてくる。
(この回で言えば来栖の怪我が治るのも早すぎるし)
確かに作画面は素晴らしいし、それが描きたいものなのもわかるのだが、そこに至るまでの流れが割と適当に見えてしまうのが残念なところである。もう少し話の流れにも気をつかってほしいな、と思う。
これだけキャラクター数を多く出しておきながら、それをうまく使えているとは思えないし、あくまでもモブの延長線上にしかいないよな……と思うキャラクターもいる。見た目や役割に個性があるのだが、それぞれに心情や思想性が見えてこないからこそ、より杜撰に見えるのかもしれない。
ただ、これだけいうとつまらないと文句を言っているようだが、決してそれだけの気持ちで書いているのではない。音楽や作画は本当に素晴らしいだけに、脚本の粗というものがより浮き出てしまっている印象があるのだ。
進撃の巨人は原作付きの作品であるが、正直に言うと漫画の方は絵や漫画がうまいとは決して言えないような内容である。それでもこれだけ大ヒットしているのはそのお話の作り方が(設定を含めて)うまいからであり、それを踏襲して大きな改変をしてこなかったからこそ、アニメスタッフの絵のこだわりと原作のストーリーセンスが加わって、あれだけの大ヒットにつながったのだと思う。
だからそこさえうまく作られていれば、今期どころか今年屈指の名作になれたかもしれないだけに、余計に口を出したくなってしまうのである。
最後に
これからまだ話は続くので、もしかしたらあっと言わせるラストが待っているのかもしれない。
こんな記事を書いてしまい申し訳ありませんでした、と訂正するほどの最終回を迎えて欲しいと思いつつ、この記事を終えることにする。