ユニコーンもep3が終わり、ここで全7章のほぼ半分が終わった。元々は全6章だったので、どこでエピソードを1つ追加することをを決定して脚本等を変更したのかまでは知らないが、ep4の詰め込み方を見る限りにおいては、ep3では決定していなかったのだろうか?
ではここでユニコーンを振り返って感想を書いていきたい。
簡単なあらすじ
ネオジオンに囚われたバナージを奪還するために、連邦軍はパラオを急襲し戦闘を開始、バナージの奪還とマリーダの拿捕に成功する。その戦闘の最中、ミネバはリディとともに戦線を離脱し地球へと向かった。
ネェル・アーガマに帰還したバナージであったが、捕まったマリーダの扱いなどに異論を唱えるが、ダグザの脅迫にも似た説得もありユニコーンが示した座標へと向かう。そしてマリーダは地球への移送が決定し、その準備が着々と行われていた。
ユニコーンが示した座標はかつてテロ事件が発生した首相官邸ラプラスの跡地(デブリ)だった。そこにユニコーンの覚醒を狙うフル・フロンタルや、マリーダ奪還を目的とした袖付きの部隊と戦闘することになってしまう。
そしてダグザはバナージに後を託すとユニコーンを降り、戦場でフル・フロンタルの凶刃の前に散ってしまった。
その最期にバナージは怒りに燃えてフル・フロンタルと激闘を繰り広げ、大気圏での戦闘という危険な行為を始めてしまう。絶対の自信を持って放たれた銃弾はパラオにてバナージを迎えてくれたギルボアを貫いてしまう。
散っていくギルボアの姿に呆然としながら、ユニコーンは袖付きとともに地球へと降り立つのだった……
EP3の動き
EP3はラプラスの箱やユニコーンの謎についてはまだまだ明かされることはないのだが(むしろ謎が深まった印象)バナージの行動原理であったミネバの離脱と、理解者であり導き手のマリーダの移送という大きなターニングポイントを迎える。
さらに恩人であるギルボアを自らの手で撃ち、さらにダグザの無残な死を目の前で見てしまうというバナージにはEP1,2に比べると重い試練がのしかかってくることになる。
どちらかというと話を大きく進めるというよりは、この先の伏線張りであったり、キャラクターの魅力や成長を描くことを重要視した印象があるEPである。
キャラクターの魅力
このEPで最も魅力的なのは、何と言ってもダグザだろう。
本来ならば主要登場人物とも言えず、年齢も相当なおっさんだし、しかもモヒカンといういかにもステレオタイプな軍人であるが、その最期にはやはり胸に来るものがある。
ユニコーンのキャラクター表現の素晴らしさを考えると、ダグザにしろギルボアにしろ本来ならばモブとまでは言わないまでも、そこまで注目を浴びる存在ではないオジさんをカッコよく描いているし、さらに視聴者に思い入れができるようにしっかりとキャラクター描写がされている。
バナージやミネバ、マリーダのような少年少女の主要登場人物を、魅力的に見せるための描写が限られた時間の中で多く割かれているのは当然の話であるが、このようなあまり日の目を見る機会の少ないオジさんにまで、スポットライトを当てるところにうまさを感じて、さらに感動を呼ぶのだろう。
今回のうまい描写
もちろんその会話を含めて、いいシーンも多いのだが、今回さらりと表現されている中でうまいと思わせたのは艦長の仕草であった。
例えばダグザと言い合いになるバナージの会話に入ることなく、そっと紅茶を入れ替えてあげることによって、艦長が気配りの人間であるということがわかる。さらに、高圧的な態度もあって堅物の軍人と描かれがちなダグザを、そっとフォローすることによって『説明と感じさせない説明』をさらりと描いている。
さらに副長の意見に論理的に反論し、その様子に驚かれるとそっと帽子で顔を隠すといった細かい描写が、より人間味を増す演出となっている。このような絵で魅せる演出をほんの数秒行うだけで、キャラクターの魅力というのは大きく変わってくるものだ。限られた時間の中で、これだけの描写の取捨選択ができていることに称賛を贈りたい。
大人が子供を育てる
本来であれば、大人が子供を導き育てるということは当然のことであり、そもそも戦場に子供が出てくること自体がおかしいことである。もちろん、この部分はガンダムに限らずロボットアニメの対象年齢が10代の少年となっているため、より共感性を持たせるための措置なのは理解している。
だが、そもそもなぜ戦うのが子供でないといけないのか、という設定の説明は戦争物を扱う上では避けて通れない道である。
それに対する回答として、そのロボットを扱えるのはその少年だけだから、というのはガンダムに限らず他のロボットアニメでもよくある設定ではあるのだが、どうしても子供中心の作品を描いていくうちに大人という存在はないがしろにされてしまうことがある。
例えば1stガンダムにおいても、ホワイトベースに乗っているのはほとんど子供であり、アムロの上官であるブライトもまだ10代の少年である。如何に連邦の人手が足りないか、突発的に巻き込まれたことなのかというのがわかる設定ではあるのだが、残念ながらアムロの導き手になることはできなかった。
Zでは大人はカミーユの反抗するべき相手のようになっているし、ZZに至っては大人が導くどことか、子供が大人に指揮するような作品になってしまっている。
これはガンダムシリーズが、というよりも他のロボットアニメも同じなのだが、少年が主人公の場合における大人の描き方というのは難しいものがある。(テレビシリーズのガンダムだとXくらいしかぱっと思いつかない)
ダグザの『親父感』
ユニコーンに関してはそれぞれの大人たちが、それぞれの立場から、それぞれの方法でバナージを諭し、見守り、成長させようと精一杯努力している姿がある。
バナージ視点からすればダグザは『嫌な親父』だろうが、こうして傍目から見ている分には親身になってくれるいい保護者であり導き手であることは疑いようがない。
(ちなみにダグザとのやりとりを見て、厳格な親父と反目する息子の関係性のようで少しグッときた。おそらく、この話の後に『孝行の したい時分に 親はなし』の心境にバナージは陥るんじゃないかなぁなんて思ったり)
やはりバナージとミネバの関係ばかりが目につくかもしれないが、このように優しい大人たちが一人一人見守ることにより、あのラストに繋がっていくのだろう。
さて、いよいよ物語は後半戦へ。
私はEP4が一番好きなので(砂漠の会話とバーのマスターが大好き)今から心躍らせながら楽しみにしている。