亀爺(以下亀)
「まさか、ここで全国でも数館しか公開していない上に期間限定上映の映画を語るとはの」
ブログ主(以下主)
「いや、わかるよ……一応映画ブロガーだし、しかもアニメ記事を中心にやっているんだからモアナは早く語らないといけないよ。それに、先週お嬢さんもやったから、コクソンも早く記事を書きたい。
だけど……自分は本作を語らなければいけないんだよ!」
亀「そこまで熱弁するとは……」
主「はっきり言うけれど、この作品を語らなければ今まで映画を語ってきた意味がすべてなくなるよ!
なんというか……この衝撃度は今年No,1で、単純に『よかった!』とか『名作!』とか軽々しく言えないレベルなんだよね。
すべてが完璧な上に自分の心に深く沁み入ってきて……終演後に立ち上がることができなかった。
それくらいの衝撃作なんだよ。そんな作品を語らないで、他に何を語れというのか!?」
亀「わかったわかった。
では、感想記事を始めていくかの」
(C)2008 RP POLYTECHNIQUE PRODUCTIONS INC.
作品紹介
2017年アカデミー賞で8部門にノミネート(音響編集賞受賞)などで注目を集める『メッセージ』を製作したドゥニ・ヴィルヌーヴ監督作品。
本作は監督の長編では3作品目にあたり、カナダでは2009年に公開された模様。
(クレジットは2008年になっていて、情報が少なくて調べきれませんでした)
全編白黒映画、さらに会話も極端に少なく、上映時間も77分と長編としては短いなど異色な作品であるが、カナダにおいてアカデミー賞に該当するジニー賞にて作品賞、監督賞など史上最多9部門受賞している。
1989年12月6日。カナダ、モントリオール理工学校で女子大生ばかりが狙われ、犠牲者14人、負傷者14人の被害が出た銃乱射事件を基に製作されている。
なお、冒頭に字幕で説明されるが、登場人物は架空のものである。
【映画 予告編】 静かなる叫び(未体験ゾーンの映画たち2017)
1 引き算の上に成立した映画
亀「さて、ここまで簡単にこの作品について説明したが……いったい何がそんなにすごい映画なのじゃ?」
主「端的に言うと『映画の持つ力とは?』ということなんだよね。
本作は予告編を見てもわかるように、白黒映画なんだよ。カラーになる瞬間は一瞬たりとも無い。現代において白黒で描かれた映画というと、アカデミー賞に輝いた『アーティスト』を連想するけれど、この映画の技術や力はあの作品のさらに上をいくものだと思う」
亀「白黒映画というと情報量が少なくなって色々とわかりづらくなる印象もあるが……」
主「そうだね。さらに本作は会話も少ない。いつも言うけれど、会話って補助線でもあって……つまり現在の状況や人物同士の関係性、それから物語がどのようには動いているのか、観客にわかりやすく説明するという効果もある。
もちろん、スタッフが込めたメッセージなどもその1つ。
だけど、本作は色、会話という情報を徹底的に少なくして、これ以上ないほどに情報量を制限しているんだけど……だからこそ、本作の持つ映画としての力が一気に引き立った作品になっている」
亀「それだけ聞くと万人受けするエンタメではなさそうじゃな」
主「そうかも。物語自体も実際の事件をモチーフとしているように社会派ドラマだし、誰もが笑って楽しめるドラマではないことは間違いない。
だけど……具体的にはわからなくても多くの人に伝わりると自分は思っているよ」
本作の重要人物、ヴァレリー(カリーヌ・ヴァヌッス)
1コマ1コマが非常に美しい……
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『色』はなくても『艶』がある
主「本作が素晴らしいのは、この映画って確かにカラーという意味での色はないんだけど、人物の持つ色気、艶というものは確かに存在しているんだよ!
だから本作を見たときに一気に人物に引き込まれていく。
例えば、犯人の青年が画面に映るけれど……彼の瞳、ちょっとした表情の変化、そういったものに注視していると様々な感情がこちらにも伝わってくる。その人物に雄弁な物語が生まれてくる」
亀「それは被害者側も同じで、主人公格の女子大生のヴァレリーなどは、ドキリとするほどに美しい女性であった」
主「最初に着替えのシーンがあるんだけど……別に胸やお尻などを箇所をさらしているわけではないんだよ。ただ足のすね毛を剃って、ストッキングを履く……それだけのシーンなんだけど、すごく艶かしい。
これも色という情報をカットすることによって、その流線美などをカメラが捉えているからだ。
この映画って確かに残虐なシーンもあるんだけど、その多くが美学に溢れている。ただ単に『観客を驚かせてやろう』とか『こんな描写をしたら恐ろしいだろう』という意識だけで撮られていないんだよね」
亀「それが『映画の登場人物』という枠を超えて『実際にいる人間』のように思えてくるわけじゃな」
主「さらにこの艶が本作にはすごく重要で……それがあるからこそ残虐な描写もすごく引き立つという構図になっているわけだ」
2 艶と狂気
亀「よくこういった『死』を扱う映画において、生の象徴である『性』ないしは『食』の描写が多くなる作品もあるが、本作は『性と死』をしっかりと描ききっているの」
主「人間の狂気の極致である大量殺人について、一般人が理解できることなんてそんなに多くない。だけど、そこをどのように映画として捉えるか、ということが重要になってくるんだけど……
ここでは艶かしいほどの『性』が映しだされたからこそ、その『死』がより強調されてしまう。その対比が強烈だからこそ、より事件や恐怖は現実感を増し生々しさを獲得する」
亀「その『性と死』の対比が見事だったということかの」
主「さらにいうとこの作品を貫くテーマって『男女の性差』に関するものなんだよ。実際の事件と動機は同じで、犯人が手紙に残した動機は『女は権利を主張し、男からそれを取り上げていく』というものだった。
反フェミニズム運動から生じた犯罪なんだ」
亀「その行為はともあれ、日本人でも少しは同意する者もおるかもしれんの」
主「先ほどからあげているように本作には色はなくても艶があるからこそ、女性陣は眩しいほどに光を放っている。生の実感に溢れている。
そこには未来があり、希望があり、将来がある。
一方の犯人にはそれがあまり感じられないわけ。あるのは怒りや恨みばかりで……それは銃を持っているからとか、犯人だからということではなくて、彼は『性』を徹底的に否定しているからだよ。
だからこそ本作は『被害者の女性=生』であり『犯人の青年=死』という図式が成立している。それだけで単なるパニックサスペンスなどとはレベルが完全に違ってしまいることがわかるんじゃないかな?」
3 引き算の中に宿る『物語』
亀「なぜ主が本作をこれほどまでに絶賛するのか、その理由をこれから説明するとするかの」
主「多くの物語……特に最近の物語というのは情報を詰め込むことによって煌びやかに、豪勢に、わかりやすくすることを目的としている。例えば色使いを派手にしたり、刺激的な展開にしたり、歌と踊りで感情を表現したり、台詞で説明したりね。
それは多くの人に伝わりやすくするための配慮ではあるんだけど……その『足し算』では失われてしまうものも実に多い。
じゃあ、何が失われるのかというと、それは『物語』なんだよ」
亀「これは別の記事でも以前語ったが、基本的に本は『読む』ものじゃ。では『見る、観る』という行為と『読む』という行為の差には何があるのか? ということじゃの」
主「自分は映画も漫画もアニメも小説も、物語というのは基本的に『読む』ものだと思っている。
じゃあ読むって何? というと、作品の表現と表現の間にあるものを想像し、創造することなんだよ。
よく『本は行間を読む』ということを言うじゃない? その言葉の意味って書かれた言葉と言葉の間にある登場人物の心理であったり、作者の意図を読み取ることにある。だから、書いてある言葉を頭に入れて暗記するとか、そういうことだけではまだ不十分で……その言葉の裏にある『思いを読み取る』ということがすごく大事になってくる」
亀「日本には『間の美学』というものがある。行間、時間、空間、人間……このように『間』という文字がつく言葉が多い。
これは『行と行の間』『時と時の間』『空と空の間』『人と人の間』にあるものこそが、行間であり、時間であり、空間であり、人間なのである、という意味じゃとわしは解釈しておる」
今作の犯人の青年(マキシム・ゴーデット)
その目力が語る物語とは?
(C)2008 RP POLYTECHNIQUE PRODUCTIONS INC.
本作の描き出したもの
主「じゃあ、一体この作品が描き出しのもの……わざわざ色を落とし、台詞を最低限にして情報量を削った末に生まれたものって何? というお話となるんだろうけれど、それは紛れもなく『人間』であり『時間』であり、一言で表すと『物語』なんだよ」
亀「これだけだと意味がわからんじゃろうから、少しネタバレになるかもしれんが作中の描写を交えながら話していくぞ」
主「本作の主要人物に男子生徒のジャンがいる。見た目からは到底大学生に見えない歳なんだけれど、彼はヴァレリーからノートを借りて、コピーをたくさん取るんだよ。
で、後ろで待つ女子大生から『長くかかる?』と訊かれて、少し目を泳がせながら『いや、もう終わるよ』と話してコピー機を譲るわけだ。
だけどヴァレリーには『まだコピーを取り終えてない』って話すんだよね。
これだけで物語は成立している」
亀「つまり、わしの解釈だとジャンはヴァレリーに気があるのだが、どのように声をかけていいのかわからないから、それを考えるためにとりあえずノートをコピーしているということでもあるの」
主「それもひとつの解釈だけど、他にも見方はある。
ヴァレリーには女友達もいる。最初の凶行にあった部屋にジャンもヴァレリーも女友達もいたけれど、犯人の目的は女性のみの殺害だからジャンなどの男は追い出された。
事件が発生した後、救急車で運ばれていくヴァレリーの女友達に、ジャンは『やはりあの場を離れるべきではなかった』ということを語っている。
では、なぜヴァレリーではなく彼女にそれを語ったのか? それは本当の本丸、つまり好きな相手は彼女だったからではないか? そのダシにヴァレリーを使ったのではないか? という想像もできるわけだ。
それならジャンの選択も理解できるよね」
亀「他にもヴィルヌーヴの作品ということを考えたら、男性として女性には優しくしよう、女性優先にしようという、レディファースト精神にあふれているが故の行動であるという解釈もある。
むしろ、この作品の場合はそちらが正しいかもしれん。
だからジャンがあのような道を選んでしまったのも、女性を守るために行動しようとしたのに……ということも言えるわけじゃな」
主「その幅こそが『語られざる物語』として機能するわけだ」
本作の重要人物ジャン(セバスチャン・ユベルドー)
彼の表情が物語る思いとは……
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生きている登場人物
亀「これはもちろんジャン1人だけではない。例えば、犯人の青年だって彼の過去や育ちなどをは一切明かされておらんが、それがなんとなく想像できるようになっておる。
それはもちろんヴァレリーも、それからコピー機を貸した少女も同じで……登場人物の1人に過去や未来という『時間』や、性格や人間関係などの『人間』を全て含めた物語がある」
主「結局のところ、観客の中に大量殺人犯なんて絶対にいないし、そういった犯罪被害者になった人もほとんどいない。その気持ちなんて万の言葉を重ねても理解できないと思うかもしれない。
だけど、そのような人物が観客である自分の心と出会った瞬間に、登場人物達は確かに観客の中で生き始めるんだよ!
そこに想像と創造が始まって理解が始まり、彼らの苦しみ、悩み、喜び、悲しみ、そういった全ての感情に寄り添い、そしてその体験を追体験することになる。
だから、犯人の彼の気持ちも、被害者の彼女の気持ちもなんとなく連想できるようになっていく」
亀「難しいことを語っているようじゃが、これは誰でもやっていることとわしは思う。例えば『〇〇というキャラクターかっこいい!(かわいい)』という気持ちは、観客である自分の心の中でそのキャラクターが理想の姿として存在し始めることじゃ。
感情移入ができない、ということがよく言われるが、それは観客の中でその登場人物が生まれなかったということであり……それを如何にして観客の中に登場させるのかというのが、物語の技法の問題になってくるのじゃろうな」
4 普遍的な物語
主「結構こういう『行間で語る物語』って実は少なくなんだよ。少なくないんだけど、その多くが記号論に終始しちゃうところがあってさ……
自分は物語を読み解くときに記号論を多く用いるんだけど、それは例えばシャツの色、メタファー、花言葉などかな。
蝶が出てきた=死者の魂のモチーフ。
30枚の銀貨の話=キリストがテーマ。
青い服を着ている=落ち込んでいる。
タンポポの花言葉は『真心の愛』=愛のお話。
そういった記号論で物語を語ることがすごく多い。上記の言葉は全て過去の記事で語ったことだよ」
亀「本作は色も言葉も少なくして最低限のものにすることによって、情報量を圧倒的に減らしている。さらに上映時間すらも77分と映画として……長編と言っていいのか迷うくらいに短くして、語ることを極力減らし記号的表現すらも排除している」
主「ではその結果何を獲得したのかのというと……それは人間が本来持つ『性、生』と『死』そのものなんだよ。
人間の肉体の美、視線、眼、口調……そうしたものを映し出すことによって、人間本来が持つ感情、美意識、そういったものを見事に切り取って描き切った。
だからこの作品は観察力さえあれば誰でも理解できるし、おそらく国や時代を超えた普遍性を獲得しているはずだよ。なぜならば、人間の肉体の美や感情というのは不変のものであるはずだから」
亀「引き算の上に成り立つパーフェクトな映画じゃの」
彼女は一体どうなったのか……そこは語られない
(C)2008 RP POLYTECHNIQUE PRODUCTIONS INC.
ネタバレありの感想を少しだけ
亀「ではここでラスト付近の感想について少しだけ語っていくかの」
主「全てが美しくてさ……最後に犯人がああいうことになるじゃない?
その時に、自分が撃った女性と流れ出た血が重なり合うんだよね。それがさ、なんだか犯人すらも人間愛で内包しているようで……深く印象に残るんだよね。
この作品って性別についてのお話だけど、その男性と女性が結びつく瞬間を、どうしようもなくわかりあえなかった悲劇をこのように美しく撮るというのが衝撃だった。
もしかしたら彼が本当に撃ちたかった相手は彼女1人なのかもしれない」
亀「それでいうとヴァレリーと友人の横たわるシーンも美しいの」
主「悲惨なお話なんだよ、酷い話なんだよ。
だけど、どことなく愛と美が感じられてさ……
この手の映画って喜怒哀楽でいうと怒に分類されるものが多いと思うけれど、この映画は間違いなく哀で……その哀が、愛についても語っているような気がしてさ。これは日本語の言葉遊びだけど」
亀「そしてその犯人にも母親がいるという当たり前のことに気がつくわけじゃな」
主「自分はジャンと犯人が対になる存在だと思っていて……というか、ジャンが一般的な、愛する人に不器用ながらも愛を伝えたり、女性を守る男性像だとすると、犯人はそれができなかった人なんだよね。
愛すること、性に関することが制限された時、人は死に向かう……これはサカキバラ事件を起こした少年Aも同じでさ。このような事件を起こす人は親が性に関して厳しく躾をした結果であることも多い。エド・ゲインなどもそうだし、世界各地の異常犯罪者は幼い頃に虐待やネグレクト、いびつな教育を受けていたことがある。
性って色々と邪なようにも見られがちだけど、性は心が生きると書くように、性=生なんだよね。
そこを制限されてしまった人間は、やはり死に向かうしか道はないようで……なんだか、この犯人にも同情できるようになってしまった」
亀「結局は性と愛の映画でもある。
ただし甘酸っぱいだけの恋愛映画とは一線を画すがな」
主「すごいよね。そこも普遍的だなって思った。
だけど、犯人の苦しみもわかるけれど、被害者はもっと苦しんでいて、生き残ったものには生き残ってしまったという罪悪感や恐怖が残る。
なんか、もう……どこをどうすればいいのか全くわからなくなる。誰かが彼を愛してあげれば、それも止められたのかもしれないけれど……」
最後に
亀「少し前に過剰演出ばかりで賛否がわかれる『チアダン』も絶賛したが、その真逆の本作も絶賛する結果となったの」
主「いや、多分ここ最近の映画界が特に過剰演出で勝負するようになっているからじゃないかな?
派手な歌、派手な演出、派手な脚本、爆発、そういった演出がはやればはやるほど、この作品は輝きを増していく。
もしかしたらこの感想は誤読かもしれないけれど、それでもいいんだよ!
こうして完璧な物語が観客の中に生まれた……それだけで十分なの!」
亀「さて、では次は何について語るかの」
主「そうねぇ……やっぱりコクソンが先かなぁ……
モアナはもう少し後になるかも」
亀「……ディズニーに対する扱いが雑じゃの」