亀爺(以下亀)
「では、少しマイナーな海外のアニメーション映画について今回は語るとするかの」
ブログ主(以下主)
「これを書いているのは2017年の8月なんだけれどさ……7月がアニメ映画が隆盛だったことに比べると、8月は洋画などのヒーロー映画がたくさん公開されるんだよね」
亀「夏休み目当ての子供むけアニメ映画がひと段落してくる頃合いじゃからな。ここからは少し対象年齢を上げた作品がたくさん公開されるの」
主「夏は何かと忙しいからなぁ……
それでも8月の夏にもアニメ映画は公開されて、色々な作品があるけれど……本作のような作品はやはり日の目を浴びにくいという印象があるな」
亀「どうしても公開数が少なくなってしまうし、子供むけということも難しいからの。本作も『夜明け告げるルーのうた』のようにアヌシー章で最高賞のクリスタルを獲得したが、多くの人はそんなことを知らんしの」
主「いつも語るけれど『アニメ』と『アニメーション』の差ってすごく大きいと思うよ。
みんなブランドのある会社が作ったアニメ映画や、キャラクターの確立した作品であれば鑑賞するけれど、本作のような作品はどうしても日陰者になってしまう。アニメ表現に無限の可能性を感じさせてくれる、偉大な作品も多いんだけれどね」
亀「そんなことを言ってもしょうがないがの。
そもそもそんな作品があるということすら知られておらんかもしれんし、意識高い人以外には興味がない作品というのは、小説における純文学であったり、芸術における前衛芸術であったりと他にもあるかもしれん。
じゃからこそ、このようなブログで個人個人が紹介していくのがとても大事なのじゃろうな」
主「というわけで、今回はブラジルが生み出したアニメーション映画の感想です」
作品紹介
ブラジルのアニメ監督アレ・アブレウ監督の初長編アニメーション作品。
本作は『レッドタートル』のように全編セリフなしであり、とても可愛らしいキャラクターデザインや、暖かみのある色使いを駆使しておりながらも、それ以上に深いブラジルの現状を表現したテーマ性が内包されている。
『夜明け告げるルーのうた』が最高賞のクリスタル、『この世界の片隅に』が審査員特別賞を受賞した、世界で最も古いアニメーション映画祭であるアヌシー賞にてクリスタル賞と観客賞の2つを受賞した。
少年は地方の農村で両親と暮らしていたが、ある日父親は出稼ぎに出て行ってしまった。少年は父親を見つけ出して連れ戻すことを決意するのだが、その旅先で見たのはブラジルの現実だった……
感想
亀「では、感想といくかの」
主「まあさ、公開されたのが2016年の3月で、今更こうやって記事にすることでもわかると思うけれど……この作品は名作です。
2016年はアニメ映画の1年だったと何度も言ってきて、もちろん主役は3Kアニメ(君の名は。聲の形、この世界の片隅に)だったけれど、それ以外にも『ズートピア』などの名作も次々と出ていたわけだ。
その中で本作を鑑賞していなかったのは、痛恨のミスだった!
この映画を見ていたら、他のアニメ映画の評価も若干変わったかもしれない」
亀「全国でもそこまで多くない上映期間だったのもあるし、話題にはならないタイプの映画ではあるがの」
主「今回DVDレンタルが開始されていて良かったぁ……そういうところで目につかないと手に取らないタイプの映画だしね。ネットレンタルだと探さないと見つからないことも多いし。
本作は紹介でも書いたけれど、アヌシー賞にて高い評価を受けているわけだ。なぜそれほど高い評価を受けたかというと、1つは『台詞のないアニメーション』ということもある」
亀「セリフのないアニメーションというと、やはり『レッドタートル』を思い出すの」
主「……やっぱりさ、この作品を見て確信したけれど、レッドタートルはそこまでいい作品じゃない。同じようにセリフのないアニメーションであっても、絵で魅せる力が全然違うと思う。
確かに会話による説明がなかったりすることにより、誰にでも通用する娯楽性は失われているかもしれない。
だけれど、だからこそ伝わってくる絵の圧倒的な力というものがあるんだよ」
こんなに可愛らしい男の子が主人公
鮮やかな色使いとキャラクターデザイン
亀「では本作の魅力について語っていこうかの」
主「まず目につくのは可愛らしいキャラクターデザインだよね。
日本のアニメのキャラクターデザインは、どちらかというと現実に近いものもの多かったり、人間らしい『萌え』を意識したキャラクターデザインの作品も多い。しかし、本作はアニメ表現の魅力を最大限に発揮してデフォルメの効いたデザインになっている」
亀「基本的なパーツはすごく単純じゃの。手足に関してはほぼ棒人間だし、顔も輪郭などはほぼ真円に近く、目も縦に2つというものじゃ。髪の毛も頭に3つだけと、まるで波平を思わせるものになっておるの」
主「大人はスラリとした長身だけれど、基本的には変わらない。デフォルメ化されたキャラクターデザインだけれど、でも魅力は十分に……十分以上に伝わってくるようになっている。
やはり、この少年も含めてキャラクターが可愛らしいよね。だからこそ彼の一挙手一投足に感情移入するし、ほっこりとした気持ちになる。
ただし、こういったキャラクターデザインには欠点もあって……それは表情がつけにくいということだ。これは情報量が減ることになってしまい、しかも本作はセリフがほぼカットされているから、今少年がどのような感情を抱いているのか伝ってこない可能性もある。
しかし、そこを鮮やかな色使いなどで、別の情報を増すことによってカバーしているんだ」
亀「本作は序盤の森の中にいるパートなどは、基本的に色彩が豊かで背景も白いものが多い。この背景の白は書き込みをしない、手抜きのように思われるかもしれんが、それは太陽がたっぷりと当たって燦々と輝く世界を表しておる。
一方、ブラジルの社会の闇を揶揄するシーンでは黒であったり、暗色の背景などを活用しており……見ているこちらまでがどんよりとしてきそうなものであるな」
主「そういったところで本作は表情や感情の少なさという情報量の少なさをカバーしているわけだ。
はっきりと言ってしまえばキャラクターデザインが全員同じで、見分けがつかないこともある。だけれど、そんなことが気にならないような、見ていて楽しい作品に仕上がっているんだね。
こういった社会派の作品は暗い色彩だけで全編作ってしまうこともあって、退屈になったりもするけれど、本作は色彩によってメリハリをつけることにより、物語の山、谷を表現している」
少年が駆ける野山には『色』がいっぱい
手書きの味
亀「ここが本作の1番の味かもしれんの。
ここ最近はデジタル化が進み、ハリウッドのようなCGアニメーションはもちろん、日本のアニメもほぼデジタルで出来上がっておる。もちろん手書きでは書いておるが、その絵をパソコンに取り込んで、彩色もちょいちょいと仕上げておる。
しかし、本作は手書きで全編が出来上がっており、色鉛筆や絵の具などの味がそのまま残っておる」
主「もちろんデジタル化は悪いことではないよ。それによって色ムラなどが減って、均一なものができるよになってきたし、スピードアップにもつながっている。
本作は例えば線のムラであったり、色の塗りムラがはっきりと出ているわけだけど、それがいい味につながっているんだよ」
亀「日本でも『セルにはデジタルにない暖かみがある』という人もおるが、その暖かみとは何かというと『手作り感』のことじゃろう。では、その手作り感とは何か? と言われると、例えば絵の具の色ムラであり、人によって若干変わってしまう動きやデザインであったり……そういった均一化できないムラのことじゃな」
主「本来、それらの要素は絵としてはムラ=ノイズになってしまう。だけれど、それが却って味になって、観客側に伝わってくるんだよね。
例えるならおばあちゃんとか田舎で作る商品みたいなもので、ラベルが少し曲がっているとか、そういう品質とは関係ないところにあるムラ……それこそが味につながっている」
亀「本作でないと味わえない、アニメーションの魅力もたくさん詰まっておるの」
主「自分は鉛筆の味が大好きなんだよね。例えば『木を植えた男』という高畑勲に大きな影響を与えたと言われる、フレデリック・パックの歴史的な名作があるけれど、この作品は全て鉛筆で描かれている。
だからこそムラはあるけれど、圧倒されるアニメ表現になっている。
近年ならば『つみきのいえ』がそうだよね。あれもナレーションはあるけれど、会話がない。だけれど、その手書きの味が最大限に出た作品になっている」
つみきのいえ (pieces of love Vol.1) [DVD]
- 出版社/メーカー: 東宝
- 発売日: 2008/10/24
- メディア: DVD
- 購入: 24人 クリック: 752回
- この商品を含むブログ (108件) を見る
元の画材が持つ色ムラなどが味を持つ
近年のアニメーション文化の世界的発展
亀「ここからは少し作品世界と離れて語ることになるが、公式サイトの解説にもあるように近年はアニメーション文化が世界各地で面白い現象を生み出しておる」
主「本作はブラジルで生まれたアニメーションだけれど、誰もがブラジルのアニメーションって想像もしたことがないと思う。近年は世界各地でアニメーションを作ろうという機運が高まっていて……それは日本のアニメや、ハリウッドのアニメ映画などのビジネスとはまた違う作品が次々と生まれている。
アメリカでも芸術としてのアニメーション表現を追求する人がいて、例えば『きっと全て大丈夫』という作品を作ったドン・ハーツフェルトは自分はアニメーション文化について興味がある人は必見だと思っている。
ドン・ハーツフェルトの作品も本作と同じように、アニメーション表現の新たなる一面を追求していて……ある意味では反則なんだけれど、2次元を飛び越えるような表現を次々と考えている、天才と言ってもいい」
亀「他にも現在公開中の『ブレンダンとケルズの書』のトム・ムーアであったり、過酷な戦場の現実を描いた『戦場にワルツを』のアリ・ファルマンなども注目を集めておるの」
主「もちろん、そのアニメーション表現の技術や芸術性も素晴らしいけれど、注目してほしいのはその国特有の問題を扱っていたり、その国だからこそのアニメーションを作り上げている点だ。
社会問題なども時に暗喩として、時に直喩としてテーマに組み込むことによって、その国が抱える問題を如実に語っている」
亀「日本でいうと昨年の『聲の形』と『この世界の片隅に』がそうであるかもしれんな。特に『この世界の片隅に』は、アニメーションの力……想像させるメディアということもあって、まるで現実の物語……ドキュメンタリーのような力を発揮した」
主「日本的なアニメとしてすごくレベルが高い、先進的な作品でもあるよね。そして何よりも被爆国である日本だからこそ、語ることができる作品に仕上がっている。
それから、ある意味では『ズートピア』もそう言えるだろう。アメリカが抱える多様な民族主義と偏見、差別という問題に直視したアニメーションだし」
亀「その国の抱える問題点を鮮やかに描くのと同時に、アニメーションとしての先進性なども追求しておる……これはトンデモナイことであるな」
もちろん音にもこだわっていて、自分はこのシーンが大好き!
日本のアニメファンにこそオススメしたい
主「自分が日本のアニメファンにこそ、この映画を見て欲しいと思っていて……
日本のアニメ表現というのは確かに素晴らしいよ。それは自分もアニメオタクだからもちろん納得する。だけれど、アニメ表現というのはもっと幅が広いものであるわけだ。
『日本アニメ(ーター)見本市』という庵野秀明の所属するスタジオカラーが行っている、短編アニメーションの発表の場で『おチビちゃん』というアニメが発表された。
この作品が本当に素晴らしい! 落ち葉やお弁当を使ってアニメーションを表現しているけれど使う画材にマッチした、春夏秋冬を感じられる作品でもある。
日本のアニメを見ていると、萌えを意識したキャラクターであったり、爆発やダンスなどの派手な描写に目がいって……それも素晴らしいし、すごいけれどもっともっと他の方法でアニメーションの可能性を広げることもできるんだよ」
亀「以前はスタジオジブリが海外の名作アニメーションを紹介する役割を担っておって、例えば『べルヴィル・ランデブー』などはジブリの紹介付きで日本では発売されておる。
当然のようにジブリは高畑勲、宮崎駿などの作品が注目を集めるが、そればかりではない。『レッドタートル』の公開に『ジブリらしくない』と言われたものじゃが、海外の名作アニメーションを紹介するという意味では、まさしくジブリらしい試みじゃったということじゃろう」
主「そのジブリもどうなるか先行き不透明だからねぇ……
ジブリのクオリティの高さは、こう言った世界の名作アニメーションを見ていることもあるでしょう。それは日本のアニメとはまた根本から違う快感に満ちたものだからね。
このまま世界のアニメーションを知らずに、日本のアニメだけを賞賛するとまたガラパゴス化して、いつの間にか置いてけぼりになる気配すらある。
湯浅政明がアヌシー賞などで世界的に評価されているのは、彼のアニメが日本のアニメの文脈を受けながらも、それに囚われずにアニメーションの魅力を最大限に引き出した作品だからだと思う。こんな作家が当たり前にでてくるようにならない限り……日本のアニメ界も沈むだけかもしれないよ。
そしてそれはクリエイターだけでなくて、ファンもそう言った作品があることを知る必要があるんじゃないかな?」
最後に
亀「以前にも語った気がするが、日本のアニメ界は『ポスト宮崎駿』を一生懸命探しておる。しかし、実は一番必要なのは『ポスト押井守』であり『ポスト今敏』なのかもしれんな」
主「アニメ映画は好きだし、今年も『SAO』とか『ノーゲームノーライフ・ゼロ』などのような絶賛するオタクアニメももちろんあった。それに湯浅政明だって2作品公開しているし、『物語シリーズ』などのアニメの力を最大限に発揮した作品もある。
だけど……やっぱり日本のアニメは少し定型的なところがあるというか、確かに技術レベルは非常に高くて面白いけれど、どれもこれも似たようなものになっているという懸念があるんだよね」
亀「もちろん『まどかマギカ』などは劇団イヌカレーの作画などで先進的な表現もしておるが……大筋では同じような作品が続いているという気がするの」
主「『けものフレンズ』とか『ユーリ on ice』などの尖った部分を持った作品も出ているけれど、もっと……根本的な革命を促す作品が出てこないかなぁ? と思う贅沢でわがままなファン心理があるんだよね。
もちろん、表現である以上にビジネスだから難しいかもしれないけれど……
押井守や今敏はそれまでのアニメ映画の技法や常識から逸脱した人だった。だけれど、押井さんは次作るかわからないし、今敏は亡くなってしまって……個性を感じる作家が減ってきたのかな? という印象もある。
『メアリ』の米林監督などが語っているけれど『子供向けアニメの伝統を守る』という志は立派だし、非常に大事なことだ。一方で『アニメーションの魅力を最大限に発揮して、根本的に新しい表現を模索する』という作品には……勉強不足もあるだろうけれど、最近、あまり出会えてない気がする」
亀「それだけ日本アニメ界の技法がある程度の完成度を迎えておるということでもあるのじゃろうがな。色々な工夫は見られるがの……
日本アニメ界がガラパゴス化はまだしていないように思うが、今後もわからんからの。そのためにも、根源的な『アニメーション』の魅力を持った作品と出会いたいものじゃな」