亀爺(以下亀)
「ふう……最近は寒暖の差が激しいの……さすがに冬眠と錯覚するほどではないが、これほど差があると体を壊してしまいそうじゃ……」
カエル君(以下カエル)
「亀爺、亀爺!」
亀「なんじゃなんじゃ……雨が続くからカエルも元気なんかの……主はどうした?」
カエル「何だか『デレステの新イベントの曲もMVもすっげえいいし、まゆが来たから走るわ』って言ってどっか行っちゃった」
亀「……まあ、それは置いておこう。で、その手にあるそれは……まさか!」
カエル「吉田大八監督の映画『桐島、部活やめるってよ』だよ!!」
亀「だからわしは朝井リョウはやらんといったじゃろう!!」
カエル(……ああ、めんどくさいなぁ)
1 原作と映画
カエル「まあ、それはそれとしてさ……亀爺だってこの劇場版はすごく面白いって唸っていたじゃない?」
亀「……まあ、そうじゃな。原作の方でも触れたが、わしが桐島という作品には『完成度よりも可能性』を感じさせられた。連作短編における桐島を描かない構成であったり、共感性を呼ぶ小物の使い方であったりな。現に直木賞も受賞しておるから、小説すばる新人賞からしても大成功の作家ということじゃろう。
そんな原作をどう料理するかというのは、案外難しいものじゃ。文章で表現する共感性と、映像で表現する共感性とはまた違うからの。
映画監督やアニメ監督は原作付きの作品を映像化する機会が多いから、どうしてもアレンジャーとしての能力も求められる。小説や漫画をそのまま映像化することはできないし、どこを切り取ってどこを採用するか、考えねばならん。
吉田大八監督からはアレンジャーとしても優れた能力を感じたの」
カエル「だけど、結構賛否両論の作品だよね」
亀「そうじゃな。それもまた当然じゃ。詳しくは後ほど話そうと思っておるが、この作品は原作と似たような構成になっておる。その構造がどのようなものになっておるか、わしも原作を読んで、さらに記事にしたから知っておるが、いきなり本作を見せられても意味がわからんかったかもしれんの」
役者について
亀「役者に関しては完璧じゃの」
カエル「まず神木隆之介、橋本愛、山本美月、東出昌大、松岡茉優などの今をときめく俳優、女優陣が出演していて、しかもそれが若手として高いレベルの演技力を発揮しているよね。演技がリアルで、アドリブかと思った」
亀「それについては監督が語っておったが、脚本を役者の感性で少しづつ変えていき、より高校生が話すような口調にしていったらしいの」
カエル「特に松岡茉優なんて演技に全く思えなくてさ、本当に嫌な女になりきっていたよね! それから何と言っても橋本愛の美しさがヤバかった!」
亀「映画においてヒロインは世界一の美女(美少女)に撮るのが大切じゃが、あの世界において橋本愛は世界一の美少女になっておったわ。まあ、綺麗な黒髮ロングの妖しさ溢れる美女という、主の好みなだけかもしれんがの」
カエル「栗山千明とか市川紗椰とか好きだもんね」
亀「好みの問題を置いといても、この作品の役者のうまさは特別際立っておる。東出昌大も『なんでもできるモテモテ高校生』を見事に演じきったし、神木隆之介も映画オタク男子を熱演しておった。あのキョロキョロした動き方や視線、それから子供の喧嘩みたいな下手くそな交渉術なんかは、いかにもコミュニケーション能力が低いオタクらしかったの」
カエル「学生時代のあるあるとか、余裕のない感じとかうまく伝わってくるよね」
以下ネタバレ
2 構造的問題〜なぜこの作品は賛否両論なのか〜
亀「さて、ではここからはこの作品がなぜ賛否両論なのか語っていこうと思うが、カエル、それはなぜだと思う?」
カエル「え? それは……桐島の存在?」
亀「そうじゃ。この作品において本来登場しなければならないのが桐島という存在じゃ。
これは映画に限らず、暗黙の了解としてあるのが、タイトルで名前がある人物は主人公、ないしはそれに近しい人物というものがある。例えば『ドラえもん』『天才バカボン』などはまさしくそうじゃし、映画でも『ハンニバル』『フォレスト・ガンプ』『椿三十郎』などがそうじゃの。
つまり、この映画を見る観客は無意識的に本作を、桐島が部活をやめる理由を探る話であったり、それによる青春劇を想像しておるということじゃ。
カエル「ああ、それは正解だけど間違っているような、面倒くさい話だね……」
亀「言うまでもなく、本作における桐島は一切……まあ、ほとんどといった方が正確かの、とにかく出て来ることはあまりない。むしろ、桐島が部活をやめることによって、その周囲の人生が少しずつ変化していくというのがこの作品の魅力じゃ。
成長などの人間の変化を描くのが映画なのだとしたら、桐島という画面には存在しない人物の変化を通して、登場人物の変化を表すという画期的な作品じゃの」
映画に求めるもの
カエル「でも、これって映画という物語としてはどうなの? よく亀爺も主も『主人公の目的がないと』とか言っているじゃない」
亀「……ではカエルよ、『映画』とは何じゃ?」
カエル「え? ……面白い物語とか、魅力的な主人公とか?」
亀「それもまた一つの答えであるな。じゃが、わしはその質問には主人公や作り手の思いを汲み取る、もしくは感じること、と答えるかの。
例えば物語として理路整然とされており、主人公たちの行動原理もわかり、特に疑問もないのに伝わってこない、いわゆるつまらない作品もある。
逆に、意味もわからないし物語として破綻しているし、疑問点も多いのに伝わって来る作品というのも時にはあるもんじゃ。映画ではゴダールがそれに近いじゃろうし、小説では芥川賞に輝いたabさんごなんかがそれにあたるかの。
どちらの方がより優れた表現かというと、わしは後者じゃと思う」
カエル「まあ、それも人それぞれだけどね」
亀「本作はその意味において、非常に特徴的な作品となっておるが、それが故に伝えきれない思いを伝えてくれた作品になっておるの。だから、桐島が何者か、なぜ部活をやめるのかということが気になる人には低評価になりがちじゃろうが、それではこの作品はこれほど輝かなかったじゃろうな。
あとは金曜日が続くお話とかも、わかりづらくしておる要因ではあるの。
ただ、本気でこの映画の意味がわからんという人はラストの高橋優の『陽はまた昇る』を聞いて、その歌詞をじっくりと噛みしめてほしい。ネタバレしすぎというほどに、すべて詰め込んでおる」
3 桐島とは何者か?
カエル「そこまで言うなら、亀爺にとっての桐島って何?」
亀「そうじゃな……色々な意見があったんじゃが、先ほどの回答を引用するならば、物語における主人公といったところかの」
カエル「……主人公?」
亀「そうじゃ。この作品における桐島とは、恋人であり、キャプテンであり、親友であり、頼れる存在じゃった。まさしく物語において周囲を引っ張っていく主人公のように。
じゃが、ある日その主人公が消えてしまったんじゃ。だからみんな戸惑っておる。物語において最も重要なはずの主人公がいなくなり、脇役だけ残されてしまったからじゃ」
カエル「……確かにそんな舞台があったら、慌てふためくだろうね」
亀「だから主人公不在の現状に驚き、あれだけの不安がっておる。その不安は本来桐島と直接関係ない人間にまで影響を与えるほどにの……」
カエル「でも映画部や吹奏楽部には元々桐島は関係ないよね?」
亀「そう。じゃから、彼らはいつも通りの日常を歩んであるのじゃ。本来、桐島という人間が存在する物語において、映画部や吹奏楽部というのはいわばモブ、そこいらを歩く生徒Aでしかなかった。桐島という存在を失った後、このモブであった存在は主役級の活躍を見せる。
物語におけるカーストの最下位である、モブという存在がの」
4 スクールカーストと桐島
カエル「この作品はスクールカーストを描いた作品としても有名だよね」
亀「……まあ、そうじゃの。じゃが、これも桐島の不在によって大きな転換を迎えておる。
確かに桐島という存在がおったならば、宏樹たちのカースト上位の人生と、前田のようなカースト下位の人生というのは決して交わることはなかったじゃろうな。そのカーストの存在を強く表しているのがサッカーの場面じゃ」
カエル「そうだよね。学校の体育におけるサッカーって、みんなが同時にインプレーしているからこそ生まれる、うまい人と下手な人の格差ってあるもんね。これが陸上とかの個人競技だったら、その格差も気にならないんだけど……」
亀「そうじゃの。その格差が桐島という存在を起点とし、その存在を求める脇役たちによって一斉に全員屋上に集った時、一つの革命が起こる。
あの瞬間においてそれまでのカーストは崩壊してしまい、物語として本来はモブであり、駆逐されるはずのモブが主役級の脇役たちを次々と食べてしまうという大逆転劇をここで果たすのじゃ。
わしは映画に限らず、表現というのはこの『一瞬で起こる関係性の変化』というのは快感として非常に強いものだと思っておる。それがこの屋上の場面では最高にぐちゃぐちゃな形で革命されて、描かれておると思う」
なぜゾンビなのか?
亀「実際、大人としての意見となると、わしは学校が出す映画としては先生の言うとおりじゃと思う。ゾンビなんて映画を出しても、評価する側の人たちは高い評価を下さんじゃろう。
それでも彼らはゾンビにこだわった。その理由もなんとなくわかるのじゃ」
カエル「単純に好きだからってのは大きいよね」
亀「そうじゃの。彼らはカッコつけたり、モテたり、体を鍛えたりということを放棄して映画を撮ることを選んだオタクたちじゃ。その本質は『好きだから』の一言で片付いてしまう。
でもその好きという気持ち、それは相当に大きいものじゃろう。彼らの好きという暗い情念、それがニヒリズムや熱くならないことがカッコイイという宏樹たちの世界を一気にぶち壊していく。
つまりゾンビとは彼らの『好き』であり、『蔑まれるもの』であり、『モブというカースト』というものの象徴である。それがカースト上位を喰っていくんじゃ、そりゃ爽快じゃろう。」
カエル「特にかすみを食べるシーンは圧巻だよね」
亀「そうじゃの。高校生らしくチープな作りになっておるが、原作も同じじゃがかすみを如何に撮るかというのがこの作品の肝と言っていい。それがカメラの説明の時もあったけれども、『デジタルにはない魅力』というものをしっかりと絵で魅せてくれたとわしは感激する。
そのシーンを生かすためにはゾンビはとことんチープにして、ギャップを狙うのが正解ではないかの?」
5 ラストシーンについて
カエル「亀爺はラストシーンはどう解釈したの?」
亀「ここもオタクの『好き』という気持ちに突き動かされたと見るのが正解じゃろうな。
ニヒリズムの世界では熱くなること、到底無理と思うことに熱中することというのは恥ずかしいことじゃ。もっとクールにやろうっての。
野球部のキャプテンもドラフトまで頑張るというのは、まだ彼としては衝撃的ではあるものの、理解することができたと思う。宏樹を変えるにはあと一押しが必要じゃった。
だから前田が監督を目指しているとか、監督になれると思っていたら、彼らには分かりやすい話じゃった。そんな無謀な夢に青春をかけている奴らとバカにするか、『すごいね』なんて言って応援してあげればいいだけの話じゃからな。
でも、実際は前田はそんなことを思っておらず、ただ『映画と繋がっているような気がする』という漠然とした気持ちで映画を撮り続けておった。これが効いのじゃな」
カエル「……ニヒリズムを砕く『好き』か」
亀「いつもわしや主が言っておることじゃの。上手いとか、下手とか、プロになれるとかそんなこと以前に好きか嫌いかというのは行動する理由として十分すぎるものだし、その感情の前にはどんな現実も意味を為さない、とな」
最後に
亀「やっぱり、桐島という作品は特別な作品じゃの」
カエル「そうだよね。学生時代のあの頃の切羽詰まった感じとかすべて詰まっていたし、それが凝縮されて画面に現れていた。なんだか懐かしいと同時に怖さを感じたなぁ」
亀「そうじゃの。これだけの作品を作り出した吉田大八監督はもちろん、それだけの余裕を作品にもたせた朝井リョウも素晴らしいストーリーテラーじゃったということかの……」
カエル「あれ? 朝井リョウアレルギー治った?」
亀「それとこれとは話が別じゃ!!」
カエル(……面倒くさいなぁ)
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