そして今週公開作品ではヴィルヌーヴに続き、大好きな監督の新作公開第2弾のお話をするよ!
湯浅政明ワールド全開だ! 注目のアニメが来たぞぉ!!
カエルくん(以下カエル)
「いやー、これだけ好きな監督の新作が連続で公開されると嬉しいけれど大変だよね。特に今週は見たい映画が多いし……」
主
「鋼鉄ジーグなどもあるからね。あ、先に言っておくと『皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ』も結構面白かったよ! 一見の価値あり!
それは後々記事にするとして……今回は湯浅政明作品のお話だよ!」
カエル「つい先月に『夜は短し歩けよ乙女』があって、その次の月にこの作品だからね。湯浅監督も相当力を入れてきているなぁ。
しかもオリジナルは初らしいし」
主「『湯浅マジック』は定期的に見たいから、これだけコンスタントにやってくれるのは非常に嬉しいねぇ」
カエル「じゃあ、今回も長くなりそうなので前説はここまでとして、感想記事を始めるよ!
ちなみに今回はここまでの流れで分かるとおり、湯浅政明監督ファンの意見になりますのでよろしくお願いします!」
感想
では、まずは恒例のネタバレなしのざっくりとした感想だけど……
2017年でこれまでに公開されたアニメ映画で1番好きだね!
カエル「一ヶ月もするとブレるようなNo. 1だけど……でも、それだけお気に入りってことだ」
主「今年も様々な傑作アニメが出てきて『SING』などは相当なお気に入りなんだけれど、自分はこの映画が1番好きだなぁ。
もちろん、鑑賞直後というのもあるし、湯浅政明監督のファンという贔屓目もあるというのは間違いない」
カエル「湯浅監督というと結構人を選ぶイメージがあるよね。それこそ……『夜は短し』はちょっと置いておくとして、その前作の映画である『マインドゲーム』は好き嫌いが激しいし」
主「湯浅作品の記事を書こうと思ったこともあるけれど、結局それはやめにしているんだよ。
なぜならば『マインドゲーム』は言葉にならないから。
この映画を見たことない人に簡単に説明すると『アニメでしかできない表現を詰め込んだ感覚的な作品』なんだ。理屈で理解することは難しい。自分の技量ではこのアニメ映画は言葉にすることができない。
途中でお話もガラリと変わってしまうし、原色多様の色彩なども含めて非常に独特な印象がある。
だけどやっぱり面白いんだよ!
中盤でミュージカルのようなシーンがあるけれど、このシーンは一見の価値あり! だけど、じゃあそれが何の意味を持つのか? と言われると……よく分からない」
カエル「一応『感じたことを考えて理屈にして、言葉にする』というのがこのブログのコンセプト……というか全てのブログ、文字表現はそういうものだと思うけれど、湯浅監督は言葉にならないなぁ」
主「ちびまる子ちゃんの初期のEDとか素晴らしいけれど、何が? と言われると言葉にならない。
そんな難しさがある監督でもある。だけど、本作は多くの人に受け入れられる作品になっているんじゃないかな? むしろメインターゲット層に響いていない可能性もある。
自分は『アニメ映画』と『アニメーション映画』は分けて考えていて、日本人が多く思い浮かぶのはオタクアニメっぽい『アニメ映画』だけど、海外アニメーションを見るとそういう文脈とはまったく違う『アニメーション映画』が存在するわけだ。
実はアニメっていうのは日本で生まれた、独特の表現技法なんだよね。
で、本作はどちらかというと『アニメーション映画』に近くて、最近だと『ソング・オブ・ザ・シー 海のうた』だったり『レッドタートル』の方に近いかも。あれほど芸術寄りではなくて娯楽作品として仕上がっているのは違うけれどさ。
本作は大人向けアニメというよりも、もっと子供向けのアニメーションなんだよ。
だけど子供騙しではない深いものがある」
カエル「この『アニメ映画』と『アニメーション映画』の違いなんて明確なものではないけれどね」
主「そして最も特筆すべきはこれほど『優しい』映画はない!
今年1番優しさに溢れた映画かもしれない!」
ルー役の谷花音ちゃんの演技も可愛らしくて魅力倍増!
(C)2017ルー製作委員会
『ピンポン』から考える湯浅作品の特徴
じゃあ、ここで湯浅作品の特徴について考えていくけれど、そこで代表作として挙げるのがテレビアニメ版の『ピンポン』なんだ
有名だし多くの人に理解してもらいやすい作品じゃないかな?
主「原作が名作なのは当然としても、実写映画、アニメも評価が高い例ってそんなにないから。そして各媒体の違いと監督の個性がはっきりと出た作品でもあるし」
カエル「『ピンポン』を簡単に説明すると、中学生を主人公とした卓球漫画で、実写映画は窪塚洋介などが出演していた作品で……その主題は『圧倒的な才能の前には努力をしても無駄だ』ということになるのかな?」
主「それと同時に『才能があっても腐らせては意味がない』ということにもなるかもしれない。
自分はピンポンはアニメ版から入ったんだけど、1番好きなのもやっぱりアニメ版で、これは各媒体の違いがはっきりと出ている。
映画は尺の問題もあって基本的には『ペコ(主人公)とスマイル(親友兼ライバル)の関係性』に焦点を絞っている。原作と比べると映画はドラゴン、チャイナ、アクマなどのライバルの出番が少ないなぁ、と思うけれど2時間に収めるには仕方ない。
じゃあ湯浅監督のアニメ版はどのように改変したのか? というと……ドラゴン、チャイナ、アクマなどの脇役のキャラクターをさらに掘り下げたんだよ」
カエル「ライバルが目立った作品だったよね」
主「じゃあ、なぜそんなことをしたのか? というと、それがあるからこそ『才能の前に敗れていった者達の挽歌』にも仕上がっている。ピンポンって残酷なお話で、どれほど努力をしても才能の前には敗れ去るという物語でもあって、その象徴がアクマやチャイナという登場人物だけど、彼らを掘り下げることで『敗れ去る者達』に対して救済を与えたんだよね。
卓球の勝負に負けても指導者の道もあるし、家庭を持つという道もあるということをしっかりと指し示した。
だから原作よりも『優しい』物語になっている。
湯浅作品ってこの全ての人間に対する優しさで構成されていると思うね」
湯浅作品の特徴
カエル「それは森見登美彦原作作品の『四畳半神話体系』や『夜は短し歩けよ乙女』もそうだね。
あれらも『ダメな男が恋をする』というお話であって、普通の恋愛物語と比べるとすごく回りくどいことをしていて、それがコメディとして面白いけれど……」
主「例えば『四畳半神話体系』というのはどんなにダメな男であろうとも、どんな道を辿ろうとも、最後は好きな女性とくっつくし、そのチャンスはどこにでも転がっているというお話である。
そして『夜は短し歩けよ乙女』は遠回りかもしれないけれど黒髪の乙女についてずっと思って行動すれば縁が巡って、いつかは彼女とくっつくことができるよ、という物語でもある。
先に挙げた『マインドゲーム』はどんなに辛い人生が待っていても現実に戻って自分の人生を送ることを描き、そして全ての人に捧げる『人間賛歌』であり『人生の応援歌』に仕上がっているわけだ」
カエル「分かりにくいけれど優しい作品が、特に近年は多いね」
主「これももしかしたら欠点になるかもしれないけれど、明確な悪の存在があまり描かれていない。物語の障害となる人物は出てくるけれど、でもそれも悪と断罪することはできない。
悪党を倒す物語って作劇として楽だけど、その悪や弱者にも救済を与える。
それが近年の湯浅作品に多く見られるモチーフじゃないかな?」
脚本家、吉田玲子の存在
ちょっと馴染みがあまりないかもしれないけれど、ここで今作の脚本を務めた吉田玲子について語ろうか
実写も含めて、今1番安定して面白い作品を作り続けている脚本家だろう
主「最近でいうと『聲の形』などの脚本を担当していたけれど、すごくうまい脚本家。もちろん、脚本は脚本家だけで作るものではなくて、監督やプロデューサーの意向が反映されるものだけどね」
カエル「今回も湯浅監督との共同脚本だね」
主「吉田玲子うまさってどこにあるのかというと……やっぱり魅力的なキャラクターの描き方にあるんじゃないかな?
この人は『けいおん』や『ガルパン』などの男性受けする可愛らしい女の子を描ける一方で『金色のコルダ』や『マリア様が見てる』などの女性向けのキャラクターアニメも手がけている。どの作品もキャラクター人気も高い1作だよ。
そして細かいところのモチーフ論もきっちりとしていて、1つ1つの描写に意味がある。
そう言った部分もうまいなぁ、と感じさせてくれる脚本家だね」
カエル「じゃあ本作もその魅力は健在なの?」
主「もちろん! キャラクターが可愛らしいのもあるし、実は隠喩だったり様々なものが隠されていて、それを読み解くだけでも面白い。様々な意味がある映画に仕上がっているね。
序盤のルーの行動なんて、すっごく可愛らしいよ!
子供の良さがはっきりと出ていた!」
あの、公式さん? そのルーではないんですが……(笑)
(C)2017ルー製作委員会
技術的な部分について
技術的な部分というと、やはり『湯浅マジック』について?
それもあるけれど……今作も作画監督を務めるのは盟友、伊東伸高でその実力はいかんなく発揮されている。特に歌と踊りのシーンというのは抜群に良くて『ドラッグ作画』と呼ばれる原色多めの酩酊するような作画はやはり見事。
主「しかも今回はいつもよりも抑えられているから、多くの人に受け入れられやすい作品になっている」
カエル「確かに湯浅監督らしいドラッグ作画云々で言ったら『夜は短し歩けよ乙女』の方が凄かったかも……」
主「今作で触れておきたい技術的なところでいうと 『Flash作画』があって……
今作ではデジタルに制作されていて、旧来の手書きアニメの部分はないと監督インタビューで明かしている。前作の『夜は短し〜』では時間の都合上手書きで書かれた部分もあったらしいけれど、今作は特にデジタルであることにこだわっている。だけれど、その味は海外のCGアニメーション映画とはまた違うものになっている。
そして水の動きが見事だよね。
とても滑らかで美しい。これを描きたかったと監督が語るのもわかる出来になっています。そして、影無しでもきちんと動いて見えるようにできている。これは結構ハードルが高いものだけれど、デジタルを導入することで可能にしている」
カエル「今回も独特は独特だけど、他の作品に比べたら癖はまだ弱いキャラクターデザインかな?」
主「このFlashの影響もあってキャラクターが全体的にヌルヌルと動くという凄さもあるけれど……自分は『テーマと技法の一致』であると感じた。
この映画を読み解く鍵は『人魚』『Flash』『歌うたいのバラッド』だね。
それは後ほどネタバレありの項目で詳しく解説するよ」
カエル「じゃあ、ここからはネタバレありのパートに入ります」
以下ネタバレあり
作品考察
序盤について
ではまずはネタバレありで序盤について語ろうとしようか
今作はスタートが本当に素晴らしい!!
主「ここ最近のアニメ映画がなぜこれほどまでに評価されるのか? ということを考えた場合、1つの共通点がある。
『君の名は。』『聲の形』『この世界の片隅に』もそうだし、あるいは海外アニメでいうと『SING』『ズートピア』『モアナと伝説の海』などに共通することってなんだと思う?」
カエル「……音楽がすごいとか?」
主「それもそうなんだけど、まず1つ目としてあるのが『OPがある』ということなんだよ。海外アニメではミュージカルシーンがOP代わりにある。
映画をたくさん見ていると思うのが、なぜ映画館で予告編があるのか? それはもちろん宣伝のためであるし、時間を過ぎても入ってこない観客のために10分ほどの猶予時間を与えているというのもあるけれど、これは『映画の世界に入ってもらうための誘いの時間』でもあるわけだ。
この時間で現実を少しでも忘れてもらって映画の世界に入る手伝いをする。
実はこれは小説でも同じで……多くの小説や本には表紙をめくると遊び紙と呼ばれる真っ白なページがある。この意味も多分同じ。『これから物語が始まりますよ』という準備の間だと思う」
カエル「ふ〜ん……」
主「そしていよいよ映画が始まりました、となった時、改めてその映画のために作られたOPを音と映像を一緒にして流す。そうすることによって映画の世界に没入しやすくするんだよね。
アニメの歴史からいうとOPっていうのはバンクシステム……つまり同じシーンの使い回しとして生まれた文化だけど、これは非常に重要な意味を持つ文化だ。それを導入した映画が……とりわけアニメ映画では増えている、というのにもアニメが評価される一因がある。
もちろん実写映画でもOPがある映画もあって、最近だと『ReLife』や洋画だと『ラ・ラ・ランド』が似たようなことをやっている」
OPとともに始まるタイトルコールで映画の世界にご招待!
(C)2017ルー製作委員会
OPに至る『間』
この作品はYouTubeと思われる動画サイトの映像からスタートするけれど……
この意味は何か? というと世界に簡単に繋がれる環境があるということだよ
主「カイはずっとこの街にいたいわけじゃない、表現欲もあるし、そのスキルもあるし、認められたいという夢もある。そしてそれはYouTubeを使えば今でもできるわけだ。
でも彼はそのことに対して悩みを抱えている。
それをうまく表現したのがスタートであって……ドラムの音などもあって、すごくいい感じに物語が始まりそうなのに、イマイチそれが乗り切らないんだよね。爆発しない。
カエル「ここからがいいのに! ってところで音楽が止まってしまった印象があるなぁ。ちょっと肩透かしというか……」
主「ここがこの映画のうまいところであって、音楽が中途半端に終わってしまうということを通して、彼がどれだけ鬱屈したものを抱えているか、というのは演出として表現している。
もっと弾けたい、やりたいこともあるけれど、それができる環境下にない……と勝手に決め付けている。
これはすごくこの映画にとって重要なスタートだよ」
カエル「そこからご機嫌なOPがしばらくすると始まって物語の幕が上がるわけだね」
主「序盤は影がすごく強くて、主人公たち若者はほとんど影の中にいる。これは『暗い気持ちになりがち』という意味もあるし、それ以上に重要な意味を持っている。主人公の悩みって実はすごくわかりやすくて
『やりたいことができるかわからない』
『好きなことをしたいけれどできるかわからない』
『そもそもそんなことをしていていいのだろうか? 勉強などの方が重要では?』
という若い頃なら誰でも思うようなことを悩んでいる。その象徴が進路調査票で、行きたい高校がないというのはそのまま『道に迷っている』ということになる」
核心の話を始めるとして……結局、この映画における人魚って何?
いろいろと複合的な意味合いがあるんだけれど……1番大きいのは『将来の夢』であったり『好きなこと』の象徴だよ
カエル「え? じゃあルーってどんな意味があるの?」
主「カイはルーと出会うとすごく明るくなって歌うことを否定しないようになってくる。これは『自分の好きなこと、やりたいことを見つけた』という意味がある。
現実的なことを言うとカイが語ることってすごく正しい。バンドメンバーである女の子の遊歩の声は若干不安定で微妙にうまくない……ここは寿美菜子の演技力も褒め称えたいポイントだね。中学生という若さは非常にいいけれど、養殖業のおじさんが言うように『町の天才が東京にいると普通の人だった』ということはよくあることだよ。
カイ達って別に優れた音楽家というわけではないんだよね」
カエル「まあ、音楽家の99パーセントが大成しないでいなくなっていくものだよね……」
主「だから夢を追っかけていいのか? というカイの悩みは最もなんだけれど、ルーは何も考えていないかのように『好き!』って言って歌ったり踊ったりを始めてしまうわけだ。
後先を考えないでただ行動するから、そのあともすごく大変な事態に巻き込まれていくけれど……でも『好き!』って気持ちは誰にも負けない。それがルーという存在に現れていた」
影の有無に注目してほしい3人の日常の光景
(C)2017ルー製作委員会
それぞれの人魚に対する立ち位置
それを1番象徴するのが、人魚に対する立ち位置というお話だけど……
まずカイたち若者たちはルーに対して友好的で友達だと思っている
主「一方カイのおじいちゃんはルーを敵視している。町の一部の高齢者たちもそうだね。
ここで簡単にまとめると……
人魚に対して好意的
カイ、国夫、遊歩、町長で遊歩のじいちゃんなど
人魚に対して否定的
カイのじいちゃん、遊歩の父、町の高齢者など
となっている。これが大きな意味を持っている」
カエル「ふむふむ……ここで先ほどの『夢の象徴』というテーマを取り入れてみようか」
主「好意的な人の中で象徴的なのは遊歩の爺さんで、あの人は昔『人魚ランド』を作って大失敗した過去を持っている。それでも人魚を信じて、再び町おこしに人魚を使おうとしているわけだ。
一方で遊歩の父はそれに反対して『もっと地に足のついた事業を!』と訴えている。
つまり『夢を追っている』爺さんと『夢を追うことに否定的』な父、という構図がここで出来上がっている。それはこの映画全体がそうで、カイの爺さんも音楽が好きだったけれど、その夢を諦めて傘職人になった過去を持つ。
だから『夢を追うこと=人魚』に対して否定的なんだよ。特に遊歩の乙さんはそれで失敗しているからね」
影の中に暮らす人魚
それを象徴するのが『影の中に暮らす人魚』という設定であって、それぞれの好きの気持ちはあるんだけど、それを隠して生きていかなければいけない。日の当たる場所、スポットライト、フラッシュの光など『人目につくところ』に出てしまうとたちまち弱ってしまうわけだ
カエル「その設定の意味ってそれだったんだ……」
主「だから最初からカイは暗い影の中にいる。これは自分の好きな事、好きなものを表舞台出す事ができない、という意味が込められている。
それにあの街は御影岩だっけ? その岩によってずっと日陰の中にいるわけだ。この設定が非常に重要で、未来に対してなんとなく暗雲が立ち込めている、という描写なわけだ」
カエル「そう考えると中盤のダンスシーンとかが真夏の砂浜というのも面白いね」
主「そうだね。あのシーンにおいてルーが陽の当たる場所に出てくる、というものだけど、それはそのまま『好きの気持ちが陽の目を浴びる』をいう意味になる」
カエル「そうなるとこの映画って『保守派VS革新派』みたいな話なわけだ」
主「保守派は言い換えると現実主義者、革新派は理想主義者、夢追い人といってもいい。
ただ、大事なのは『どちらが正解でどちらが間違い』というわけではない、ということだ」
彼らの晴れ舞台もなんだかちょっと暗め……でも周囲は明るい!
(C)2017ルー製作委員会
夢破れし者への救済
その対立関係がうまくいっているのがカイの両親である。カイの父親は元々バンドマンを目指していたけれど夢破れて地元に帰ってくる。一方で母親はおそらく東京でモデルとして活躍しているわけだ。
主「やはり町は夢に敗れた者たちが集まる場所でもあるんだけど……この映画がすごく優しいのは、そういう人を『負けた存在、負け犬』として描かないことにある」
カエル「その視点でいうとビックになるつもりで出ていって帰ってきた養殖業のOBだったり、あとはモデルをやっていたけれど町の放送係になったお姉さんもいるよね」
主「夢を追う、というとどうしてもバンドを組むとか、有名人になるとかを連想しがちだけど、そうじゃない。地元に帰ってきてやりたいことを見つけて、それを追求することだって夢であり革新なんだよ。
この2人はそれぞれ夢追い人としては負けたかもしれない。だけど、それぞれの地元で新しい夢ややりたいことを見つめて、そして影の差す町を少しでも変えようと努力しているわけだ。
そしてそれはカイの父親も同じで、確かに今はしがないサラリーマンかもしれない。だけど、息子の抱える思いは誰よりも理解しているわけだよ。
だから最大限応援するし、支援もしている。カイがやりたいことを見つめたら、それに反対しなかった。その意味ではこの物語は『父と子の継承の物語』でもあるわけだ」
底抜けに優しい物語
それがこの映画が底抜けに優しいって意味なの?
いや、それだけじゃない。この映画は徹底的に母親の存在が描かれていないんだ。
主「父と子の物語として機能している。それはカイと父親、そしておじいちゃんもそうだし、遊歩と父とおじいちゃんの関係もそう。父と子、というよりは3世代の物語というべきかな?
ルーも同じだよね。お父さんとルーの物語で、お母さんはすでに亡くなっているから」
カエル「ここは母のいないカイとの同一性を狙ったのかな? という思いもあるんだけど」
主「多分そう。吉田玲子の脚本の特徴かもしれないけれど、家庭環境を揃えることでキャラクター同士の同一化を狙っている節がある。もちろん吉田玲子が単独で決めているわけじゃないし、原作がある作品も多いからなんとも言えない部分だけど……
で、この物語って徹底的に悪役がいないんだよ」
カエル「え? でも遊歩のお父さんとかは悪役じゃないの?」
主「物語の都合上悪役のように見えるけれど、あのお父さんの思考というのはあまり間違っていない。あの暴走だって娘のことを思ってしたことだ。
そしてルーのお父さんもそうだよね。恐ろしいような姿になったけれど、それは娘を思うゆえであって、当然といえば当然の対応だよ」
カエル「子供を思う親心ゆえの行動かぁ」
主「よく夢を反対する親って悪者のように描かれがちだけど、実際は親の言うことの方が正しいかもしれない。そんな夢が叶うことなんてほとんどないし、サラリーマンなどのような現実的な仕事の方が楽なこともある。
親だって子供が憎いから反対するんじゃない、むしろ愛しているから反対するんだ」
見た目は怖いけれどいいオヤジです
(C)2017ルー製作委員会
犬と人魚
今作では犬も大きな役割を果たしていたよね?
保健所に送られた犬というのは『保護者をなくした犬』である。
主「ルーやカイはまだ父親などがいるけれど、そういった存在すらいないのが保健所の犬たち。
あの犬たちはそのまま放っておくと保健所で処分されてしまう運命にあるわけだ。ここで人魚の意味がまた1つ変わる」
カエル「人魚の意味?」
主「人魚になるって『夢、希望』であるのと同時に『死者の魂』という意味もあるんだよね。ルーが噛むと人魚になる、というのは『生者に安らぎを与えて死者として海に返す』という意味がある。
だからあの犬たちって救われたように描写しているし、作中では確かに救われたんだけれど、実際は処分されてしまったことと変わらない。それを暗喩として表している」
カエル「そしてそんな存在がかつての飼い主と対面して……というシーンがあるけれど……」
主「このシーンが素晴らしいのは、誰が見たって全面的に悪いのはあの飼い主なんだよ。だけど、そんな存在にも復讐をすることなく生きることを選ばせている。
そしてそれは序盤に出てきた盗人もそうで、彼らにも見せ場を作って徹底的に悪党にならないように配慮している。
この優しさだよ!
どんな人間であろうとも過ちはある。その過ちに縛られることなく、前を向いて生きること、いつでも人生はやり直せることを表している。
その優しさが目頭を熱くするんだよ!」
カエル「ちょっと都合良すぎる気もするけれど……」
東日本大震災と本作
他にもこの作品が示したことはすごく大事な意味があって……本作は明らかに東日本大震災を意識して作られている。津波こそないけれど海面が上昇してきたり、そこから避難する人がいたり、というのは東日本大震災を連想させる
波こそないけれど次々と人々を襲う海、というのは既視感があったよね
主「人魚の設定などもここで生きてきて、つまり人魚というのは『津波で亡くなった方』でもあるわけだよ。もちろん、あの日だけじゃない。海難事故で亡くなった方や、もしかしたら海に愛着を持っていて陸で亡くなった人。そういう人のモチーフなわけ。
カイの爺ちゃんのお母さんなんかそうだよね。ああいう事故で亡くなってしまう方というのは残念ながら絶対いる。この現代のお話だから、爺ちゃんが子供のころなんていうのはもっとたくさんいたわけだ」
カエル「それを人魚とすることで死者の魂として表現しているんだ……」
主「その人魚がたくさんの生きている人を救う。それはそのまま『海難事故や津波などで亡くなった人が生者を救う』という物語になっている。
この描写ってすごく意味があって……あの人魚が嫌いなお婆ちゃんがいたけれど、やっぱり海難事故や津波で人生を前向きに生きることができない人っていっぱいいると思う。あの時ああしていたら、すぐに避難していれば、そんな後悔っていつまでも付きまとう。
だけど、亡くなってしまった方はそう思って生きていてほしいと本当に思うだろうか?
むしろ、もっと前を向いて生きてほしいのではないか? ということなんだよ。だからたくさんの危機に瀕した人を人魚=死者の魂が救う、という物語になっていた。すごく意味が深い物語なんだよ」
カエル「地震の時も避難勧告を呼びかけているのに動かなかった住人とか、一回戻ってしまった住人というのはニュースなどでもたくさん聞いた話で……」
主「自分がいつも語るのは『物語は祈りであり、願いである』ということ。こうあってほしい、こんな現実が少しでもなくなってほしい……
若い人が夢を持ってほしい。
そして死者のことに縛られないで、自分の人生を見つめてほしい。
そんな願いがたくさん溢れている。
こんなに優しい物語ってそうそうないよ!
だからこそ、自分は涙を流したんだ。
だけど、決して湿っぽい映画ではないよ。むしろ楽しい、笑える映画。だから素晴らしいと思う。
こういうテーマを持っていると重い作品になりがちだけど……そうじゃない。本作は娯楽だし、基本は楽しい映画なの! だから素晴らしい!」
本作もおすすめ!
歌うたいのバラッド
最後に歌うたいのバラッドについて語ろうか
この歌の歌詞を読んでほしいけれど、歌うたいのバラットほどにこの映画に合っている映画も他にない。
主「この歌は『好きな歌を歌う事』について語っている歌でもあるんだけど、考えようによるけれど『今はいないあなたに対するラブソング』でもあるんだよね。
ということはこの映画の2つの主題である『歌うこと、夢を追うこと』と『今はいないあなたに捧げるラブソング』の2つの意味がはっきりと込められている歌なわけだ」
カエル「元々人気の高い楽曲だけど、今回歌手を変えてカバーという形でもなく斉藤和義が歌っているのを主題歌として使用したのも評価が高いね」
主「これほどまでに作品テーマと歌詞が一致している曲というのもそんなにないかも。ここは『秒速5センチメートル』などの例はあるにしろ、この一致は見事!
そして作中で使っているYUIの『Fight』もまた若者に対する応援歌であるじゃない? それと同時に『命燃やして生きて行く』という歌でもあって、人生に対する応援歌なんだよ」
カエル「本作のキャッチコピーって『君の”好き”は、僕を変える』だけど、このキャッチコピーもぴったりだね」
主「この映画を一言で表すならば『若者よ! 好きを叫べ!』ということになるんだろう。そしてそれは他ならぬアニメ界で独特の表現技法を実践してきた奇才、湯浅政明が言うからこそさらに強く染み渡る。
湯浅政明って本当に唯一無二の作品の人だから! 好きを貫いてきた人だからこそ、この作品は胸に響く!
その好きを貫いた先にあるのが『明るい町』で、ようやくその才能が日の目を見る、というお話だよ!」
最後に
また長い記事になったね……
やっぱり監督のバックボーンなどを話し始めると長くなるなぁ……
主「今回は役者の話はしなかったけれど、声優陣も良かったよ。芸能人声優も違和感なかったし、主演の谷花音も良かった。ただ、この子は『君の名は。』の子でしょ?
なんというか、子役に厳しいと言われるかもしれないけれど、このレベルを期待しています! という演技だったよ」
カエル「子供だけど子役扱いしなくてもいいくらいしっかりした役者、という意味だと受け取ってください。
ちなみに……一部で言われているけれど『ポニョ』との比較をすると?」
主「……ポニョ、見たことないんだよね」
カエル「え!? アニメ大好きでアニメ感想もやっている人がポニョを見たことないの!?」
主「いや、だって震災以降テレビでやってくれないじゃん。わざわざ借りてまで見るものではないし……」
カエル「……衝撃の新事実!」
主「ただ『パンダコパンダ』から影響を受けているという話はなるほどなぁ、と思った。確かにその要素はあるし」
カエル「ポニョを見ないでパンダコパンダを見ている人も珍しいかも……」
主「いや、案外いるよ、多分。
というわけで湯浅政明は天才だ、というお話でした。公開館数は少なめだけど、是非劇場で鑑賞を!」