今回はテレビアニメも絶賛放送中の人気漫画『ヴィンランド・サガ』の最新23巻の感想記事になります!
ここいらで一度書いていたほうがいいだろうなぁ、と思ってね
カエルくん(以下カエル)
「作者の幸村誠先生がTwitter等で語っていますが『ヴィンランド・サガは大きく分けて4部あります。戦争編、奴隷編、東方遠征編を書きました。私は最後の一編を書きはじめています。』ということなので、東方遠征編が終了したこのタイミングで語るのがベストかな、と思いました」
主
「まず、最初に語っておくと今の漫画・アニメ・映画などの物語表現の中でも、最も読む価値がある重要な作品である、というのが自分の評価です。
ちょっと他の作品とは違う方向ですごいことを描いていて……こんな作品はほとんどないのではないか?
もちろん、相性もあるでしょうが……それほどまでにオススメしたい作品である、ということは最初に述べておきます」
カエル「なお、感想記事の性質上、過去の巻のネタバレがどうして入ってしまいますのでご了承ください。
特に『アニメから入ってこの先の物語もアニメで知りたい! ネタバレはやめて!』という方は、残念ながらここで他の記事を読んでいただきますと幸いです。
多分、気になる記事があると……信じていますよー」
主「というわけで、記事のスタートです!」
感想
というわけで、この東方遠征編までを一言で表すと、どうなるの?
やっていることは『プラネテス』と一緒だと思うんだよ
カエル「幸村誠先生の前作の『プラネテス』は漫画・アニメと全くと言っていいほど違う物語を描きながら、その両者が名作となった稀有な作品です」
主「百万回くらい語ってますけれど、プラネテスは2000年代を代表する名作です!
漫画を読んでいない人、アニメを観たことない人は是非鑑賞してほしいね。
で……この両者に共通するのが”遠くに行きたい”ということである」
カエル「プラネテスの場合は木星に、今作の場合は新大陸・ヴィンランドに向かうのが最終目標だもんね」
主「今の自分のいる環境に不満があるという、若者らしい理由で木星に向かうのがプラネテスだったけれど、今作の場合は過酷な環境という、さらに切実なものになっている。
特にこの巻ではその一面がさらに強調されていた」
カエル「アイスランドは火山による溶岩などが積み重なってできた土地ですが、その影響もあり非常に痩せた土地です。人間が来る前から生息していた唯一の陸上哺乳類は北極ギツネだけだったというほどなので、その過酷さがわかるかもしれません。
同じようにアイスランドを舞台とした漫画『北北西に雲と往け』の2巻を読んでもらうと、どのような土地かわかりやすいかな」
主「そんな土地だからこそ、生きるためには農耕だけでは限界がある……その中でどのように生きるのか? というのがこの作品のテーマであるわけだ。
まだ知らぬ場所へ行きたい、そこに何があるかわからないけれど、戦争とは違う戦い(ある種の自己との戦い)をしていきたいという思いがあふれている作品だと言える。
で、ようやくここで……トルフィンは本当の戦いに出向く準備ができたわけだ。
その意味ではプラネテスの3巻までに追いついた、というのが自分の解釈かな」
対比関係の妙
ヴィンランド・サガの魅力の1つに対比関係があるという話だけれど……
これまでも多くの対比関係でもって、物語を積み上げてきた
主「一番わかりやすいのは”トールズとトルケル”だろう。この作品で明確に最強の力を持つ存在はトルケルだが、その上をいったのがトールズである。
でも、2人の戦士としての有り様というのは真逆のものになってしまった。
だからこそ、物語が進展していくとも言えるんだけれどね。
そしてざっくりと思いつく限りでは以下のような対比ができる」
- トルフィンとクヌート(楽園を作る目標は共通だが、やり方が異なる)
- トルフィンとシグルド
- グズリーズとハトルゲルドとユルヴァ
カエル「他にも語りだせば色々あるだろうけれど、今はこの程度にしておきます」
主「で、この東方遠征編のテーマは何かと言うと”トルフィンの過去との決着”なわけじゃない?
- ヒルド=トルフィンの過去の清算
- フローキ=トルフィンの復讐の清算
- トルケル=暴力からの清算
ざっとこういう風になっている。トルフィンは結果的に復讐の機会を得ることができなかったけれど、その代理として首謀者のフローキに復讐する機会を手に入れながら、それを明確に否定した。
そしてずっと追ってくる暴力……ヨーム戦士団の因縁、そしてトルケルとも一定の決別を果たした」
ふむふむ……
で、自分が1番重要だと思うのは”トルフィンとシグルド”の対比なわけね
主「トルフィンが外の世界を目指すことができるのは、過去のことがあり武力があるからだとも見える。でも、実はそうじゃないってことを証明するのがシグルドである。
シグルドというのは”あのままアイスランドで育ったトルフィン”でもあるわけですよ。
偉大で尊敬する父の元で暮らし、力を身につけることなく、戦士になる思いを抱き続けている男。それがシグルドの役割。
でも、シグやんだって外の世界に行くことができるわけじゃない?」
カエル「それを考えるとハーフダンの武器が鎖というのも、象徴的だよね……人々を縛り付けるものの象徴でもあり、その心をも縛り付けているというか……」
主「でも、シグやんは彼なりに自分で外の世界を目指す。そこには腕っ節とか、そういうことは一切関係ないんだよね。
それを描いたのが東方遠征編で、あれだけシグルドが描かれた理由だろう」
幸村誠作品の女性の描き方
そして、いよいよここで登場したヒロインのグズリーズだけれど……
幸村誠作品の女性の描き方って、ちょっと一面的なところもあるよね
カエル「えっと……それは批判?」
主「というか、作者の女性観がはっきり出ているってことかな?
幸村作品の女性って、ほとんどが強い存在。
特に名前があるような、何話も出てくる主要キャラクターはだいたい男より精神的にとっても強い。
プラネテスで言えばタナベやフィーもハチのお母さんも、作中最強のメンタルと行動力の持ち主だし。今作でもメンタル面最強はおそらくユルヴァ。ただし、彼女はギャグ専門みたいなところもあるから、シリアスでは使いづらいけれど」
カエル「でも、戦闘能力最強はトルケルだよね?」
主「でもそのトルケルを止めたのはグズリーズなわけで、結局”理不尽な暴力の連鎖を止めるのは愛しかない”ってことなんだよ。あの22巻のシーンを見たとき”あ、プラネテスと同じことをやっているな”と思ったけれど、結局は幸村節の根っこにあるのは愛なんです。
だけれど、その”愛”って簡単なものではなくて……それこそ王子覚醒の愛の問答も含めて、非常に興味深い考えの元で作られている。
ただの”愛が最強❤️”って作品ではなく、その前に過酷な現実やらトルフィンの覚悟を嫌という程見せつけられた後の愛であるわけで……この描き方が最強なわけです」
女性の”あるべき形”の否定と多様な肯定
そういえばTwitterでハトちゃんのことについても言及していたよね
ハトルゲルドって嫌な女のようだけれど、彼女にしてみればグズリーズって最低の女だからね
カエル「まあ、言い方は悪いけれど、ハトちゃんにしてみれば最も欲しかったシグやんの第一夫人の座をパッと出の女に奪われた挙句、その女が『そんな地位いらない!』ってわめいているわけだもんね。そりゃ、小言やら意地悪の1つや2つくらいしたくなるってもので……」
主「グズリーズの生き方ってすごく現代的じゃない?
”女性は家庭を守るという価値観から脱して社会に進出し、自己実現を果たす”というのは、現代であれば文句のつけようのない正義である。
だけれど、同じようにハトちゃんの”女の磨いて好きな男に寄り添っていく”というのも、生き方として否定されていない」
カエル「その結果、2人は一緒に全てを捨てて新しい地に向かうわけだもんね……」
主「そしてユルヴァの存在も大事でさ、彼女はどこかに行くつもりもない。
旦那が外に出るって決断をしたらどうするかはわからないけれど、ユルヴァはずっとアイスランドで家を守るつもりでいる。
- 夫とともに冒険の旅に出る生き方のグズリーズ
- 夫とともに新しい地で生きると決めたハトルゲルド
- 家族とともに土地を守ると決めたユルヴァ
この3者の思いというのは、同価値なものなんだよ。だけれど、それがあまり同価値として扱われづらい現状というのも感じる。
時代性もあるとは思うけれど、そこで差異をつけなかったというも自分は評価が高いかな。
多様な生き方を目指し、そして生き方を強制する奴隷制や暴力を否定する。その信念が徹底しているように感じるね」
最後に
といわけで、ここでこの記事は終了です!
いろいろと語りたいことが多いんだけれど、いまいちうまくまとまらないなぁ……
カエル「ちょっとテレビアニメ版の感想のためにセーブしたってとこともあるのかな?」
主「いよいよラストに突入ってことですが、後5年くらいはかかるのかなぁ? でもどのような結末を迎えるのか、しっかりと見極めていきたいね!」