亀爺(以下亀)
「またこの時期がやってきたの」
ブログ主(以下主)
「2010年の8月24日に今敏監督が永眠されていて……もう結構日が過ぎてるんだね」
亀「今作品も語ったのは『千年女優』だけじゃからな。
現代の、そしてアニメ映画文化を……さらに言えば世界の映画文化を語る際にも、かなり重要な立ち位置にいる監督であるというのがこのブログの評価じゃから、全作品をレビューしたいものじゃな」
主「押井守と今敏作品は少なくともアニメ映画は感想記事を書かないとなぁ、と思っているんだよね。
この2人の行ったことというのは、アニメオタクは分かる人も多いけれど、かなり偉大。
はっきり言えば、今のアニメ映画が世界に誇れるものになっているとするならば、それはこの2人がいたからだと言ってもいい。
自分はガラパゴス化が進んでいると考えている日本のアニメ界だけれど、それを防いだとしたら、その最大の功績者はこの2人じゃない?」
亀「高畑勲と宮崎駿をどう評価するかというのもあるじゃろうが……」
主「もちろんその2人は偉大だけれど、世間的にも評価されているじゃない? まあ、高畑勲の世間評価ってどんなものなのかはちょっとピンとこないところもあるけれど……
押井守、今敏はそこまで大ヒットしている監督でもないから、一般層の知名度は少し低いのかもしれない。まあ、このブログを読む層はどうなんだろう? アニメ映画を多く扱っているから、むしろ『このにわかが!』って怒られそうな気がする」
亀「大丈夫じゃろう。アメコミ映画に比べればだいぶ詳しく話すことができるじゃろうし」
主「……よし、感想記事を始めようか!
今回は今敏監督の遺作となってしまった、パプリカについて語っていくよ!」
1 夢と現実の境
亀「では感想から始めるが……パプリカを初見で見た時の印象を覚えておるかの?」
主「さすがに10年前ぐらいには遡るよなぁ……劇場では見ていなくて、今敏監督作品を全て見ようというブームが個人的にあったんだよ。で、その時に初めて見た。他の作品は……見たことなかったかもしれない」
亀「初今敏がパプリカだったのか」
主「多分ね。1番有名だし、最新だしってことでとっかかりにはいいだろうと思ったのか……いや、テレビ放映で『東京ゴットファーザーズ』をやっていた影響か?
まあ、とにかくそんな時期だよ」
亀「そして初見時の感想は?」
主「全く意味がわからなかった!
当時はアニメといえばやっぱりみんなが連想するようなロボットアニメや、萌えを意識したキャラクターの作品を多く見ていたし、そもそもアニメとしても相当尖っているじゃない?
この映画を初見で理解するには若すぎた!
まあ、今敏監督の映画を一度で見て理解したことはないんだけれどね。今ならばともかく、当時は演出などもそこまで考えながら見なかったし、平沢進も知らなかったし」
亀「この辺りは押井守も同じかもしれんの。今は『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』が一般層に批判されているが、あの映画の比ではないくらい意味がわからない独特なアニメ映画じゃからな。
それこそ、ジブリなどを連想しながら見に行ったら、あまりの衝撃に腰を抜かすかもしれん」
主「ただ、アニメを知れば知るほどこの映画の偉大さ、特徴などもはっきりわかるようになってきて、今では中毒症状だよね。朝の出勤時に平沢進を聞きながら行って、テンションがわけわからなくなって、仕事を始めるということもあって……」
亀「何度も繰り返して観たい中毒性に溢れている作品なのは間違いないの」
想像もできないものが動きだす、狂気のパレードが最大の魅力
ちなみにカエルくんもいるらしいけれど、どこにいるのかわかるかな?
『間』を描く今敏
亀「これは以前の記事でも語ったことではあるが、今敏は『間』を描く監督、という評価なんじゃな」
主「自分は映画に限らず、表現というのは間であったり、想像させる余地が重要だというのが持論であるけれど、今回語るのはそういった間とは少し違う。いや、違わないんだけれど……
今敏はいつもテーマとして『現実と何かの間』について描いてきた監督なんだよね」
亀「各作品を個別に考えていこう。
デビュー作の『パーフェクトブルー』はアイドル(偶像)と自分(実体)やネットとリアルの間について描いた作品である。
『千年女優』は嘘と現実、虚構の物語と現実のドキュメンタリーの間を描く。
『東京ゴットファーザーズ』は日常と非日常(奇跡)の間を描く。
そして『パプリカ』は夢と現実、人間の認識の間を描いておる」
主「わかりやすい物語じゃないんだよ。
いや、お話自体はすごく単純なんだけれど、トリックが悪質。もちろん、これは褒め言葉。
いくつもの世界や認識の壁を軽々と超えていき、しかもそこに明確な差がない。例えば世界線が変わる何らかの合図……車に乗って時空を超えるとかさ、頭痛がして非日常の世界に行くとかがあれば、もっとわかりやすい。けれどそういったものがないからこそ、今敏の作品は理解が難しい。
だけどそれが癖になるほど面白い!」
亀「その意味では押井守の『イノセンス』に通じるものがあるの。どこから電脳ハックされていたのか、ということは明確には見せない。もちろん、演出的補強はあるんじゃがな。
平沢進の音楽も相まって、独特の空気感が形成されておる」
主「映画における音楽の重要性をわかっている監督だよね。一般的なBGMや、若者に人気な作品のタイアップ楽曲だったらこの味は間違いなく失われてしまう。そもそも若者向けの映画でもないし」
インセプションとの類似性も指摘されるシーン
空間が急に歪むなどの現象はアニメだからできる技術
シームレスにつながる狂気と夢
亀「このお話の意味のわからなさというのは、やはり演出や脚本にあるのかの?」
主「そうだろうね。
さっきもあげたけれど、本来ならばこの手のお話はどこから夢か観客に伝える必要がある。それがないと意味がわからない映画になってしまうから。だけれど、今敏はあえて夢と現実の境目を描かないわけだ。
例えばこれが実写ならば役者の演技や演出などでなんとなくどこから世界が変化したか分かるだろう」
亀「CGなどを使用していることもあるし、現実のお話と全く同じようにはならんの」
主「例えば何かと話題に挙げる『ラ・ラ・ランド』だけれど、この作品もある種の夢や幻を描いた映画だということができる。だけれど、あれは夢で、幻想の出来事であるとわかる瞬間がはっきりとわかるようにできているんだよね。
だけど、今敏はそれがまったくない。
これはアニメという絵を動かすという表現技法が持つ特性をフルに使っているからだということもできる」
亀「つまり、現実の描写も夢の中の描写も、同じ絵を動かすという技法である以上、ある意味では嘘なわけじゃ。どれほど現実的な物語であろうと、どこかで虚構性が生じてしまう」
主「OPを見て貰えばわかるよね。そこにいるパプリカはまるで現実に存在しているかのようだけれど、彼女は時間を止めたり時空を跳躍することができる。その動きが現実とシームレスで繋がっているわけだ。
だからこの映画ってどこまでが現実で、どこからが幻想、夢なのかまったくわからなくなる。それが最も発揮されるのが狂気のパレードであって……あの背広姿のおじさんが笑いながらビルから飛び降りていくシーンなんて、狂気しか感じない。それが現実のことなのか、幻想の出来事なのかは結局観客の想像に委ねている」
亀「映画を見ていても急に変な話になるわけでもなく『……何を言い出したんだ?』と思ったら、そこからジワリジワリと幻想の世界へと誘う。これがとても上手いわけじゃな」
主「その意味では雰囲気アニメと言われればその通りかもしれないけれど……この雰囲気を出せるのは世界中でも今敏だけでしょうね」
2 今敏が遺したもの
亀「ではここからは今敏論にもなっていくが……なぜそこまで高い評価をするわけじゃ?」
主「アニメ映画の中で押井守と今敏は特に重要な人物だと思う、とは冒頭でも述べたけれど、この2人がいるからこそ、今の日本アニメ映画界は高いクオリティを発揮しているとも言える。
これは高畑勲、宮崎駿とは違う意味でね」
亀「では、これからそこを考えていくとするかの」
主「とても簡単な話だよ。
この2人は『アニメ』を作っていない。
『映画』を作ったんだよ。
押井守が『ビューティフルドリーマー』でやったことは、アニメ映画を映画にしたことなんだよね。どれだけ宮崎駿が売れようが、それはアニメ映画の範疇でしかなかった。やはり『ラピュタ』も『カリオストロの城』もアニメ映画、つまり子供向けのファンタジーであったわけだ。
だけど押井守はアニメ的な表現を用いながらも、大人の繰り返しの鑑賞にも耐えられる深い精神性を宿した映画にした。
そしてそれは今敏も同じなんだよ」
亀「アニメ映画と映画の違い、というのは言葉にしづらいものではあるがの……」
主「この2人が偉大だという証拠があって、洋画を中心に世界中のクリエイターに影響を与えている。それこそ『マトリックス』であったり、それからパプリカでいったら『インセプション』との関連性を疑われている。
あのノーランがだよ!? 公式には否定しているけれど、これは認めてしまうと訴訟になってしまうというアメリカの文化があるからだ。今敏は『これはパプリカだ』と言っているね。
他にも『ブラックスワン』などのダーレン・アロノフスキーも影響を受けたと公言していて、近く公開する『新感染』のヨン・サンホ監督も今敏の影響について言及している。まあ、ヨン監督はアニメ監督だけれどね」
亀「アニメ映画を専門としない監督が影響を受けているようなのが面白いところじゃの。宮崎、高畑に影響を受けたクリエイターはたくさんいるが、その多くはアニメ制作者じゃしの」
主「この2人が『アニメ』ではなくて『映画』を撮っていたという何よりの証拠になるんじゃないかな?」
これらの作品に影響を与えたとされる今敏
日本の『アニメ』からの乖離
亀「アニメ映画を撮る、ということと、映画を撮るということは違うということを説明するとどうなるのじゃ?」
主「う〜ん……また押井守と今敏って同じ『映画を撮る』と言っても、違うんだよね。押井守は洋画とSFを主軸にしているけれど、今敏は邦画なんだよ。テイストが日本的なんだよね。
『千年女優』なんて歴代の邦画について言及した映画でもあるし、その意味ではやっていることが違う。
で、この根幹にあるものというのがすごく重要なわけだ。
既存の文脈に基づいた、日本のアニメ映画を作ろうという意識だと、今敏のような世界観にはならない」
亀「現状の日本アニメ業界の主軸となるのはキャラクターアニメ映画か、オタク向けの一部のファン向けに特化された作品ばかりじゃからの。
日本のアニメというのは確かに世界的にも評価が高い。しかし、それと同時にジャンルアニメ……つまり、端的に言ってしまえば『オタク向け』アニメとして世界では評価されておる」
主「それは昨年の『レッドタートル』がアカデミー賞外国語映画賞にノミネートしたことでもわかるよね。
なぜ『君の名は。』などではないのか? と言われたら、それはすごく簡単。
『君の名は。』はアカデミー賞で受賞するようなアニメーション映画ではないからだ。むしろ、ジブリ以外はノミネートすら難しい。『レッドタートル』の方が世界的にはメジャーなんだよ。
アヌシー賞もノミネートはされるけれど、なかなか取ることができなくて、ようやく湯浅政明がクリスタル賞を獲得した。日本のアニメってすごくレベルが高いけれど、同時にガラパゴス化している」
亀「それでもいい、というのであればそれまでであるが……世界から孤立して、鎖国状態になってしまう」
主「日本の独特の文脈の上に成り立つアニメも大事なんだけれどさ、そのアニメの可能性を広げてくれたのは押井守であり、今敏であり、湯浅政明であり、原恵一なんだよ。この人たちの素晴らしいところは、芸術や作家性をふんだんに発揮しながらも、基本はエンタメとして、商業ベースで戦っていることだ。
今でもアニメの可能性を広げる戦いをしている人といえば……上記の人たち以外だと賛否はあれども新房シャフトと……あとは山田尚子がこの先どう出るか、だな。
自分は山田尚子はアニメ界の小津安二郎になる才能だと思っているので。まあ、商業ベースの演出もあるから、どこまで作家性にこだわるかはまだまだ未知数だけれどね」
亀「話を今敏に戻すと、つまりアニメ映画を作ろうという意識ではなくて映画を作る際に、さらに『表現技法としてのアニメ』を選択しておるだけなんじゃな。
だからあのようなシームレスな夢と現実の入り混じった世界観になると」
主「そう考えると今敏が遺したものってすごく偉大だよね」
最後に
亀「これは昨年も語ったことであるが『日本に必要なのはポスト今敏である』ということじゃな」
主「今の日本のアニメ業界は問題は多々ありながらも、なんとか存続している。それはアニメが好きな人が多いからだと言えるけれど……一方で『アニメが好き』って人が『アニメを作る』という、ある種の当然のようでありながらも歪な状況になってしまっている。
それだと何が問題かというと、日本的な文脈に基づくアニメを作ろうとはするけれど、その文脈から外れたアニメを作ろうとはなりにくいんだよ」
亀「アニメらしいアニメが量産されてしまい、いつの間にかそれが型にはまって固定化されてしまうということじゃな」
主「そういう表現世界もある。例えば伝統芸能もなるというのも1つの選択肢ではあるけれど、それは緩やかな衰退を意味すると思うんだよね。
本当は『アニメが好き』という人がアニメを作らないのが理想。
むしろ『小説が好き』『映画が好き』という人がアニメ業界に入って、まったく新しいアニメの表現方法を見つけるというのが理想なわけ」
亀「それはどのジャンルでも同じかもしれんの。例えばラノベ好きがラノベを書き始めたら、それはテンプレートに沿ったラノベが出来上がるだけじゃ。
しかし、そこで一般文芸や経済小説などが好きな人がラノベを書き始めたら、それはまったく新しいラノベになるかもしれん」
主「だからこそ、今敏のような人ってすごく大事なんだよ。
今敏が若くして亡くなったというのは、アニメ業界はもちろんのこと、世界の映像表現業界にとっても大きな損失なんだよ。この人がいたからこそ生まれたものもある。それは実写洋画もそう。もしかしたらノーランの演出方法も変わって『インターステラー』や『ダンケルク』なども違った映画になっていたかもしれない。
こういう人がアニメ業界に次々と現れるようになれば、とても面白くなるんだけど……その兆しはまだ見えないかなぁ」
亀「アニメをテンプレにしないためにも重要なことじゃな」
今 敏 画集 KON'S WORKS 1982-2010 (イラスト・画集)
- 作者: 今敏
- 出版社/メーカー: KADOKAWA/角川書店
- 発売日: 2013/12/21
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログ (3件) を見る