先日、詩人と会ってきた。詩人と小説家と二人揃って言葉人間なので、必然的に言葉の話になる。
その中で出た語源の話が面白かったので、ブログにあげます。(白川静の字訓を参考にしている)
言語
言、というのは下に口、つまり神の器がある。その意味は呪詛らしい。言というのは攻撃的な意味合いがある。
語、は逆に防御的な言葉。言はストレートに突き刺さる言葉、語はそういった攻撃から身を守っている。
つまり、言語とは言葉による攻撃と防御を表しているらしい。
確かに言うは直接的、語るはオブラートに包むような雰囲気がある。
物語
物、とは牛が畑をすいている様を表す。(牛の後ろにつけるフォークみたいな農具の名前を忘れてしまいました)
ひいては精霊などが起こす理を表す。
語るは上記の通り。
つまり物語とは、精霊などの理を防御的に紡がれた語りということだ。これは昔の物語が神話に由来することに関係があるだろう。 砕くと、「神様や精霊が言ったり、行動をして守ってくれてるんだよ」という口伝、という意味だろう。
優しい
古文に詳しい人ならわかるだろうが、古文には優しいという言葉に現代的な意味合いは薄く、『恥ずかしい、みっともない』という意味合いが強い。
では優の語源はなんだろうか?
憂、というのは喪の席で泣いている様を表す。これはまだ現代にも通用する。
優、というのは喪の席で泣いている人を真似する人を表す。つまりは悲劇的な演技という意味だろう。
俳優というが、俳はひょうきん、喜劇的なという意味がある。つまり俳優とは、『喜劇も悲劇も演じる人』という意味になる。これは意味が変わらなかった例。
憂いの演技→哀しみを分かち合う人→思いやりのある人→優しい人、という風に変化していき、今の意味になったのだろう。
(知り合いは優しいという言葉に昔から違和感があったようで、偽善的に感じていたらしい。確かに憂いの演技ならば所詮は演技、偽善的とも受け取れ、優しさの胡散臭さもわかる)
とりあえず以上が今回調べた結果でした。
素人解釈なので間違いがあるかも。
言葉は変化するものだし、だから?と言われたらそれでおしまいな話だが、言葉型人間にはとても大切な発見だった。
語源から解釈はやっぱり大事だね。