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物語る亀

ネタバレありの物語批評

物語の作り方〜上手い、下手より大切な事〜

 毎週木曜日恒例の物語の作り方シリーズ。

 今回は上手い下手だけでは語れない、誰もがわかっている重要な要素について書いていきたい。

 

 

 先週の記事はこちら。

 結構な力作だと私自身も自画自賛している。 

blog.monogatarukame.net

 

1 うまい=いい作品? 

 物語の作り方講義を読んでいると、当たり前ながら『読者を惹きつけるキャラクター』だったり、『起承転結、序破急に基づいたストーリー展開』については非常に細かいことまで教えてくれている本はいくらでもある。

 だが、そもそも待って欲しい。

 

 多くの読者は『上手い物語』を求めているのだろうか?

 

 私は確かに上手い物語が好きだし、その作品の構造や演出がどのようになっているか考えるのが好きだが、それは私がこうしてブログにあげたり、また小説を書いているからであり、一般の殆どの読者はそのようなことは気にもしていない。

 

「なんか面白い作品だったね」

「感動した」

「あの男優(女優、キャラクター)良かったよね」

 感想の多くはこのレベルではないだろうか。

 本当に『上手い物語』こそが素晴らしい物語であるのであれば、世の中には純文学や教養として扱われるような作品、古典、名作ばかりになり、それ以外は淘汰されていくはずである。

 しかし、世の中はそんなことになっておらず、言葉は悪いが『クソみたいな作品』がたくさん売れて、話題の中心を掻っ攫っているのもまた事実である。

   

2 上手いよりも大切な事

 ここで、私は読者の多くを敵に回しかねない発言をしようと思う。

 

 私は進撃の巨人が嫌いである。

 私は僕だけがいない街が嫌いである。

 私は8 1/2(フェリーニの映画)が嫌いである。

 私は愛のむきだしが嫌いである。

 

 勘違いしないで欲しいのが、これらの作品が読むに値せず、売れるのは馬鹿に受けているからだ! と言うつもりは毛頭ない。むしろ、これらの作品は世間的には名作と評価されているし、その理由もわかるのだ。

 まずは嫌いな理由を一つずつ話させてもらう。

 

 進撃の巨人は話題になった当初、まだ2巻までしか発売されていなかった時に読んだのだが、確かに衝撃のスタートに震えたし、あれだけの絶望感と「人が人を食べる」という根源的な怖さに着目し、ストーリーを練り上げたのは非常にうまい。

 だが、私はその恐怖感を本能的に否定した。生理的に受け付けないというものだろう。

 

 僕だけがいない街はこれも5巻か6巻まで出た時に、一気読みした。少なくとも、一気読みするほどに熱中したはずだ。次の巻を早く、と熱望した。次の巻へと導く引きが非常にうまく、毎回気になる部分で止めているのが、連載作品なのに素晴らしいなと感心した。

 だが、よくよく考えてみると設定や転換に難があるように思えたし、タイムスリップするサスペンスって、それミステリーを超能力で解決と何も変わらなくね? と思い至って興味を失った。

 

 8 1/2は単純な問題で、特に興味がない。確かに映画的だと思うし、これを非常に高く評価する知識人や映画ファンが多いのもわかるが、そもそも私はモテることにそこまで価値観を見出しておらず、さらにその映画でやりたかったことが少しも共感することができなかった。その意味においてこの映画の魅力を理解するには若すぎたということかもしれない。

 8 1/2は世界的大名作だし、オールタイム映画でもトップクラスの作品であるということは否定しない。それほどまでにレベルは高い作品だろう。

 

 愛のむきだしは確かに『すごい』映画だった。ヒロインの満島ひかりは世界一の美少女だったし、フェチズムを理解している園子温監督渾身のセクシーショットの連続だった。描かれている内容も人間の根源に迫るようなものだったし、その迫力の絵作り(グロ描写)も確かに映画的な手法で、映画でしかできないものだっただろう。

 だが、私はこの作品に嫌悪感を抱くし、もう一度見たいとは決して思わない。

 

 いやいや、お前はグロいのがダメなだけだろうと言われるかもしれないが(そしてそれはある程度正解だが)、深作欣二作品や、北野武作品であればそれは大丈夫なのだ。彼らは確かに暴力的ではあるのだが、その絵にこもる感情は『怒り』というよりは『悲哀』な気がして、とても好感が持てる。

 もちろん黒澤明の渾身の絵作りというのもとても好きである。私は暴力の中に悲哀を含むものを好むだけだ。

 

 

 さて、ここまで読んで頂いてお分かりいただけただろうか?

 私は決して、上記の作品を貶しているわけではない。作品として問題点はあるものの、褒めるポイントはあるし、ある種の熱中と惹きこまれた経験もある。もちろん多くの人に愛される作品ということもわかる。

 それでもなぜそれらの作品が受け入れられないか?

 単純な問題だ。

 好みである。

 

 

 例えばどんなに優れた恋愛作品でも今日恋人と別れた人や、配偶者を亡くしたばかりであれば、そのロマンチックな雰囲気に酔えるはずがない。むしろ、悲しい思いをして嫌いな作品になるであろう。

 どれほどの作品を作り上げたとしても、結局は受け手の状態と好みによって変わるものだ。この世の中に万人に受け入れられる完璧な作品というものが現れないのも、受け手によるところが大きいからだろう。

 

 これは当たり前のようであるが、創作者にしてみると非常に怖いことだ。なぜならば、どれほどの作品を創り上げようとも、一番初めに感想を聞いた人によっては「つまんない」の一言で片づけられて、この世から抹消されてしまうかもしれないからだ。

 そして、さらに怖いのは多くの人がつまらないと思う作品を激賞されてしまうこと。褒めた人は悪気があったわけではないだろうし、むしろ好きという感情を精一杯込めているのだから嘘は言っていない。誠実な結果である。

 私だって似たようなことはいくらでもある。学生が書いた稚拙な話が、とんでもなく好きになることだってあった。(知り合いの先生にお願いして過去作まで見せてもらった)

 実は上手い下手ということは、好き、嫌いに比べればそれこそ些細な問題なのかもしれない。

 

   

3 好かれるためにやるべき事

 では万人に好かれる方法とは何か?

 そんな方法はこの世の中に存在しないだろう。そんな方法があるならば、むしろ私は秘匿してそれを実践し、巨万の富と名声とチヤホヤされる人生を送れている。こんな弱小ブログをセコセコと書いているはずがない。

 

 しかし、せっかくここまで読んでくれた方にそんなものはないということはさすがに言えないので、私が考えた好かれるためのコツをここで書いてみよう。

 それは

 

 嫌われること

 

 である。

 

 論理的には矛盾しているのは100も承知、だがここからのお話は論理ではない、感情の話だ。

 例えば、身近なことを例に挙げてみよう。

 八方美人で誰にも害がないタイプと、好き嫌いが激しくて少しトゲのあるタイプ、どちらがもてるだろうか?

 私は後者だと思う。前者は草食系男子を始めとして世の中にいくらでもいるが、結局は良いお友達で終わってしまう可能性が高い。後者は周囲は趣味が悪いと思いつつも、知らず知らずに惹かれてしまうことがある。真面目くんよりヤンキーくんがモテる現象である。

 同性から見て非常に良い子なのに、異性受けしない人というのはいつの時代もたくさんいる。

 なぜならば、人が欠点としてみている部分、嫌いな部分こそが、他の人にはたまらない魅力に見えるからだ。

 

 プロアマ問わず、創作者(ブロガーも)が最も恐れるのは炎上ではない。

 誰にも見てもらえず、誰からも反応をもらえないことである。

 好きの反対は嫌いではなく、無関心というもはや常識的とも言える言葉があるが、まさしくその通りであり、八方美人な誰の心にも響かない作品というものはそもそも存在価値がない。

 

blog.monogatarukame.net

 

 

 多くの名作を書き上げた作家というのも、アンチが非常に多い。

 例えば小説家ならば村上春樹はファンも多いがアンチも多い。太田光のようにアンチを公言している人物もいる。その太田光もアンチが非常に多い。

 他にも太宰も多いし、三島も評価しない声を聞いたことがある。そもそも現役作家などは一流になればなるほどアンチがいるだろう。あんまり例をあげすぎると問題がありそうなのでこの辺りにしておく。

 編集部ではアンチが出てくると人気が出てきたという合図だという記事を読んだこともある。

 

 『告白』が大ヒットした湊かなえを例とすれば、あの作品は非常に好き嫌いが分かれるような作品だろう。非道徳的であり、物語として毒気が強い。だが、それが売りとして逆に売れているし、評価を受けているのが事実である。

 私が大好きなamazarashiというバンドはその内向的な歌詞ゆえに『暗い、負け犬の音楽』だと言われてきたが、その歌詞こそが一部の人の代弁者として高い共感性を呼んで評価を受けている。

 そのような作家、表現者はいくらでもいる。今のお笑い芸人など毒気が強い人があまりにも多すぎて、毎日非難合戦を聞いている気分になってくる。有吉、マツコ、坂上忍などもその毒気という本来ならば嫌われる部分が売りのタレントである。

 このように嫌われるポイントが売りになるケースなどいくらでもある。嫌われないように、理解しやすいようにと、個性を殺すようなことをすると逆に魅力がなくなって離れていってしまう。

 

 

 

 一つだけ勘違いしないでほしいのは、犯罪行為などをアップして炎上することは私が言いたい事とは違うという事だ。

 それらの行為は誰にでも簡単に思いつくし、やろうと思えば明日にでもできる。ただ、それがみんな違法行為であり、何よりも表現として成り立っていないと考えているから誰もやらないだけだ。

 私が言っているのは、『誰も思いつかなくて、誰もができない事』である。有吉やマツコのイライラしない、引かれない絶妙な毒舌具合というのは誰にでもすぐにできるものではない。

 犯罪行為などというのは、表現として誰にでも思いつき、誰にでもすぐに実行できるのに、それをアップして悦に浸るということは非常に『ダサい』ものだという意識は持って欲しい。

 

 今回はここで終了。

 

 

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