カエルくん(以下カエル)
「ここからしばらくはアカデミー賞でも注目された作品が続々と登場するね!」
亀爺(以下亀)
「楽しみな作品がたくさんあるの」
カエル「本来は『ムーンライト』も4月末公開だったし、さらに『マンチェスター・バイ・ザ・シー』と『メッセージ』が5月公開、それと『ハクソーリッジ 最後の戦場』が夏に公開となっているね」
亀「本当はノミネート作品全て見たいがの……わしなどは英語がからきしであるから、日本語字幕がないとお話がわからん。脚本の上手い下手にも関わってくるからの、せめて日本語字幕付きで配信して欲しいものじゃ」
カエル「いい作品だからといって売れるわけではないしなぁ。
面白いことは面白いんだけど、オススメしにくい作品も確かにあるし」
亀「今作などは娯楽作ではないから日本では大ヒットしないじゃろうが、骨太な社会派作品じゃからの、評価は高いじゃろう」
カエル「日本だと娯楽作品じゃないと興行的には苦しむ傾向にあるしね。社会派作品で大ヒットって……どうだろう? パッと思いつかないなぁ」
亀「衝撃の実話系であり、感動する作品じゃから、人を選ばんかもしれんがの。
それでは感想記事を始めるかの」
1 ネタバレなしの感想
カエル「じゃあ、まずはざっくりとした感想だけど……いい作品だったよね?」
亀「確かに本作がアカデミー賞などで高く評価されるのは納得出来るし、多くの人が賞賛するじゃろうな。
事実を基にしたお話じゃから、荒唐無稽な事もないし、説得力に溢れておる」
カエル「……なんか含みがある言い方だよね」
亀「ふむ……確かにレベルの高い、感動のできる作品じゃ。これが実話だというのじゃから、驚きに満ちておるし、社会性もちゃんとあるの。
じゃがな……わしにはどうにもノレなかったの」
カエル「まあ、言ってしまえばラストはわかっているわけだしね」
亀「事実じゃから脚色が難しい部分もあるのじゃろうし、どこまでを描いて、どこを省略するかというお話もあるのじゃろうが……どうにも1本の映画としてみたときに、粗があるような気がしての」
カエル「え〜? アカデミー賞脚色賞もノミネートされているのに?」
亀「しかし、どれも受賞には至っておらんじゃろ?
なにかこう……もう1つ欲しいものがあると思うのじゃがな」
カエル「う〜ん……その違和感ってどういうことなの?」
本作の主役を演じたデブ・パテル
『スラムドッグ$ミリオネア』の少年も立派な大人に
本作の違和感
亀「端的に言うと『奇跡体験アンビリーバボー』の2時間スペシャルをみているような感じというのかの……」
カエル「まあ、この手のお話が多い番組ではあるよね。特集されていてもおかしくないけれど……」
亀「こういう言い方をするとまるでアンビリーバボーが悪いテレビ番組のように思われるかもしれんがの、決してそんなことはない。むしろ、上質なテレビ番組じゃと思っておる。
じゃがな、やはり映画とは違うからの、若干のご都合であったり、省略や語れないことがあって違和感がある時もあるにはある。
本作も『事実を基にしたお話』という部分が本作の評価されるポイントでもあるのじゃろうが、わしにはそこはプラス材料にはならんからの」
カエル「事実を基にしているかどうかによって、映画の良し悪しは変わらないって?」
亀「そうじゃの。わしは物語の本質は『嘘から出た真』じゃと思っておる。語れておる物語は嘘八百じゃが、それがもたらした影響や感動というのは、決してただの夢物語ではない。むしろ、真実じゃ。
そして本作は『事実を基にした』点は確かに強調されており、その意義もわかるのじゃがな……1作の映画としてみた場合、色々な粗があるように思えてくる。そしてその粗が、わしは『映画としてみた場合』において、非常に気になってしまうのじゃ」
カエル「だからアンビリーバボーなんだ」
亀「あれも事実であることが重要なテレビ番組じゃからの。その意味では本作と似たようなものかもしれんの」
以下ネタバレあり
2 個人的な違和感
カエル「じゃあ、ここから具体的に話していくけれど、……どこが違和感になったの?」
亀「まずは単純な話じゃがの……大人になった彼の恋愛描写、あれが必要かの?」
カエル「え? 彼の日常描写として必要なんじゃないの?」
亀「あくまでも、このお話は『故郷に帰る』までのお話じゃろ? じゃが、そこに至るまでの不必要なお話があまりにも多いような気がしてしまっての。
子供時代の1部と、大人時代の2部の接続があまりうまいとは思わなかった。どうにも余計なシーンが多いように感じてしまったの」
カエル「でもさ、あの恋愛描写や家族描写が『大人になっても拭いきれない喪失感』として機能していると思うんだよね。彼が本質的に自分のルーツを探す……その理由になっているんじゃないの?」
亀「そうとも言うことはできるの。
じゃが、違和感も強くあっての。もちろん、事実に即しておるからあんまり嘘八百にすることはできんというのもあるのかもしれん。
それでも満たされないものがあるというのは……わからんでもないんじゃがな。だからこそ、もっと丁寧な演出が欲しかったの。」
母親役のニコールキッドマン
彼女も養子を受け入れるなど、作中のスーを連想させる
弟との関係
亀「それが1番感じたのが弟との話かの」
カエル「結構大変な思いをしてきたんだろうね……」
亀「この作品の優れた点は『サルーが体験したこと以外はどのようなことが起きているかわからない』点にある。幼少期のサルーが様々な危機に遭うがの、それが本当に危機なのか、それても実は少し強引な警察による保護なのかは実はわからんようになっておる。
それが他のドラマを感じさせて、よりこの作品に深みをもたらしているのじゃが……その象徴があの弟じゃの」
カエル「多分さ、サルーってまだ恵まれていた方であって……児童虐待や性的搾取を連想させるシーンもあったけれど、おそらくその手の虐待があったんだと思う。だからこそ大人になってもあれだけ自分を痛めつけて、頭を打ち付けてしまう。
多分、それって忘れたいからなんだよね。色々なものがフラッシュバックしてしまって……辛い気持ちになるから、それを忘れたいんだよ」
亀「そのようなドラマを連想させるのは素晴らしいのじゃがな。
わしはあの弟との関係について、少しモヤモヤが残ったというか……
サルーがまるで自分から反省し、そのことで弟との関係を良化させたように描写されていたがの、あれでは投げっぱなしのような気がしてしまった」
カエル「……まあ、寝ているところに一方的に謝っただけで、そのあとの反応もわからないからね」
亀「そのように大人になったサルーと他者との関係がどうにも投げっぱなしのように思えての。確かにサルーは救われたかもしれん。じゃが、恋人や弟に関しては何も救われたようにも思えん上に、別に帰るために絶対必要な存在というわけでもなさそうなのがの……」
カエル「結局最後もグーグルアースを適当にいじっていたら偶然見つけました! だしね」
亀「ここで弟が協力してくれて発見! とかならドラマとして面白いのじゃが……そんな展開が起こらないから現実的という意見もあるかもしれんがの、その割にはラストがご都合のようでどうにも違和感があったの」
3 本作の良かったところ
カエル「だけど、決して悪いところばかりではないんだよね」
亀「そりゃそうじゃ。
前述したようにサルーが体験したこと以外は何もわからないというのも素晴らしい判断じゃな。それにより、余計に恐怖心が増していった。まあ、それならば最初に故郷の場所や故郷からの距離を字幕で説明しないでも良かったように思うがの。徹底的にサルーと観客を同じ状況にするならば、せいぜい年月日以外に説明しないでも良かったと思う。
それにより、ラストの衝撃的なこの映画のタイトルの意味につながるしの」
カエル「他にも良かったところというと?」
亀「まず、子供時代の風景などが抜群に美しい。インドの田舎町じゃが、まるで観光地のように輝いておる。
この撮り方がすごくうまいの。
これによって、サルーがどれほどまでにこの光景を美しく、そして印象的に覚えているのかと言う何よりの説明にもなる」
カエル「5歳の子供が印象深く覚えている光景ということがこちらにも伝わってくるよね。25年間も覚えていられるかな? という疑問はあったけれど……あの光景で全て理解できたような気がするよ」
亀「そのあたりの撮影技術もそうじゃし、それから兄との関係性もまたよくて、サルーがどうしても帰りたい理由であったり、兄との絆というのもよく表現されていた。それから……兄がその後に辿る道についても、示唆されておったしの。
あとは……あの母親の思想なども『なるほど!』と思わせるものじゃったな」
もう1人のサルー役のサニー・パワール君
彼の名演技が光ります!
トンネルを抜けて
カエル「この作品って最初にトンネルを抜けるけれど、このモチーフも洋の東西を問わず、共通なんだね」
亀「例えば『千と千尋の神隠し』であったり、それから『雪国』などのようにトンネルを抜けた先の物語というのはよくあるものじゃ。
それによって観客は『異世界に入る』ような印象を受けるものでの」
カエル「この作品も『旅に出る物語』であり、その意味では異世界の物語とも言えるもんね」
亀「列車に乗ってふたりで旅たつというのも、その後のことを示唆しておったのかもしれんの。
そして……その旅の最後に何が起こるか、ということもの」
カエル「その意味では本作って王道の『行って帰る物語』であり、規模は大きいけれど『少年の冒険物語』ということもできるわけだね」
亀「……冒険するには早すぎる年でもあるがの」
4 自らのルーツを巡る旅
亀「ここからは少しだけ他の作品と交えて語ることにするがの、同日に公開された『ゴースト・イン・ザ・シェル』とこの映画のテーマは同じとも言えるの」
カエル「それはゴースト・イン・ザ・シェルの記事でも語ったけれど、あの映画も……ネタバレにならないように話すと、押井守版や攻殻機動隊のテーマって『自分のアイデンティティを探す』というものなんだよね。
体が全身義体化……つまり機械化されて、サイボーグになってしまった時に、肉体の個性を失ってしまってもアイデンティティというものは残るのだろうか? というもので、SFでは多いものらしいけれど」
亀「本作も自らの生まれ故郷であったり、アイデンティティを探す旅であることは間違いない。
これは日本人にはわかりづらいものなのかもしれんの……」
カエル「どういうこと?」
亀「日本は島国じゃろ? じゃから、自分のアイデンティティを確認するまでもなく日本人であることを疑っておらんし、多数の人であれば自分の親が別人であるということに疑いを持っておらん。
自己のルーツというアイデンティティに対して疑う機会があまりないのじゃよ。
しかし、世界はそんな人ばかりではない。肌の色や宗教、民族、言語、その他様々なものが違う人が共存しており、同じコミュニティで暮らしておる。その中で自分がどのようなコミュニティに暮らし、アイデンティティを確立しておるのか……それを確かめることというのは、重要なことなんじゃよ」
カエル「作中でいうと『インド生まれなのにオーストラリア代表を応援する』みたいなことだよね」
亀「あの時点でサルーのアイデンティティは揺らいでおる。自分のルーツとなるインドと、育ての地であるオーストラリア……どちらに属する人間なのか、わからなくなっておる。
それはある意味では『インドの母とオーストラリアの母の選択』とも言えるかもしれん。生みの母と育ての母、じゃの」
カエル「つまり、本作はそのアイデンティティがどのようなものか、見つけるお話でもあるわけだ」
亀「最後にサルーはインドの母親を見つける。そこで自分のルーツであり、もう1つのアイデンティティを見つけるわけじゃな。
自分には2つの故郷があり、母がいて、ルーツがありアイデンティティがある……それが見つけられるのと見つけられないのでは、全く違うのじゃろうな」
最後に
カエル「ラストシーンで昔の起きたある事件の跡を見せることで、彼が本物のサルーだということが証明されていたけれど、そういう傷だとか、あとは例えば顔のシミやシワなどがその人を証明していくんだね」
亀「アイデンティティというと難しいようであるが、親と目元が似ている、輪郭が似ているというそのレベルもアイデンティティの問題じゃ。自分が日本の何県に生まれた誰々である……それを知るのと知らないのとでは、実はその後の人生に大きな影響を与えるんじゃろうな」
カエル「例え気に食わない箇所であっても……それがシミやソバカスであったとしても、それが個性となっていくわけだ」
亀「普段はそんなことは全く気にしないかもしれんがの。これはとても重要なことであり、人間の根本でもある。
じゃから、この作品が提示したものは大きい。アカデミー賞候補も納得じゃな」
カエル「映画としては色々と思うところがあるけれど、意義が大きい1作ということだね」
亀「『ムーンライト』の語らざる静かな力強さも素晴らしいし、この作品のように実話の力強さを抱えた作品もあって……アメリカの映画文化の底力に感心するの」
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