……では、一応人気シリーズである、妖怪ウォッチの新作アニメ映画の感想といきますか
最近、ほとんど話を聞かなくなってしまったよねぇ
カエルくん(以下カエル)
「一時期は数年後にはポケモンとかにも匹敵するコンテンツになるのでは!? とまで騒がれた記憶もあるけれど、ちょっと見ない間に急速に市場も縮小しているという話も聞くもんね……」
主
「爆発的な人気の盛り上がりに笑いが止まらないという話が2015年ごろにはあったのに、それも夢か幻かって話だよ」
カエル「まあ、別におもちゃやゲームを売ることと映画の評価は別なので、今作が途轍もない傑作だったら褒め称えるだけなんですが……」
主「近年というか、妖怪ウォッチシリーズの映画は迷走がずっと続いているようにしか見えないんだよなぁ。
シリーズ全体を通した方向性の模索に失敗し、方向転換にも失敗し、迷走を繰り返しているとしか思えないんよねぇ」
カエル「……では、そんな妖怪ウォッチ作品の感想記事を始めましょうか」
感想
では、いつものようにTwitterの短評からです
#映画妖怪ウォッチ
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2018年12月14日
アニメもゲームもよく知らず、毎年映画だけ見に行くだけのにわか以下のファンからすると、魅力的なコンテンツを潰しているだけの迷走に見えてしまうシリーズは今年も健在
詰め込みすぎの脚本もあり、ダイジェストにしか見えないしなぁ……
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凡作かなぁ……語ることも難しい
カエル「う〜ん……やっぱり今年も迷走してしまった印象だよねぇ。
素直に人気キャラクターのケータやジバニャンを出しておけばいいのに、って思いはどうしても抜けないというか……
何で新キャラクターを出して、映画で新しい物語を1から始めようとするのかが全くわからないよ」
主「これは当然といえば当然だけれど、人間側の新キャラクターを出して約100分前戯でそのキャラクターの魅力を出しながら、物語を展開するってそんなに簡単な話ではないんだよ。
しかも本作はその世界観すら1から構築し直しているし……何で平成最後の年に昭和の話をやっているんだ? ってさ。
もっと色々と描き方があるだろう? って」
カエル「ちょっと話は逸れるけれど、今年は山崎貴監督の”昭和は良かったなぁ”系の作品が年末に公開されないんだよね。まさかその枠を埋めにくるのが妖怪ウォッチだったというのは、意外というか何というか……」
主「作画なども特別素晴らしいわけでもなく、かといって悪いわけでもないんだけれどね。
絵コンテの担当者はともかく、作画監督の人数がえげつないことになっていたけれど、現場は相当大揉めだったのかなぁ?
ファンの子供達も喜ぶのか、よくわからない作品というのが正直なところかなぁ」
妖怪ウォッチのコンテンツ力を捨てている?
今回、色々な新妖怪? も登場したけれど、なんか魅力があんまりなかったというか
もう妖怪ですらないな
主「例えばさ、さっきから引き合いに出しているポケモンだったら、モンスターだって魅力的でオリジナリティが高いんだよ。
ピカチュウって世界中の誰もが知っているけれど、似たような存在があまりいないじゃない?
リザードンだろうが、カビゴンだろうが何でもいいけれど、誰が見てもポケモンだとわかるキャラクターデザインであり、オリジナリティの高いものになっている」
カエル「妖怪ウォッチだって、その意味ではジバニャンやウィスパーはオリジナリティが高い妖怪だったんじゃないの?」
主「そうだったんだけれど、今作は神様とかが出てくるわけ。
それもかなり有名な神様ばかり。今はスマホゲームなどでガチャシステムを使ったキャラクターを売りとしたゲームも多いけれど、そこにもよく出てくるようなキャラクター達。
結局のところ、そういうキャラクターを多く登場させることによって、元々の知名度はあるんだろうけれど、妖怪ウォッチのオリジナリティはかなり損なわれてしまった。
鑑賞中、これが『モンスターストライク』なのか、妖怪ウォッチなのかわからなくなってしまった」
カエル「う〜ん……これは難しい問題だけれど……」
主「一言で語れば妖怪側のキャラクターの魅力がほとんどない。
何故ならば妖怪側の魅力を描く尺がないから。
それなのに、見せ場は妖怪>人間キャラクターになっているから、誰も魅力的にならない。
この手の作品はゲームやアニメの販促であるから、意図はよくわかるけれどあまりにも下手すぎる。
結局、新キャラクターも見せ場が少なくて魅力も伝わってこないし、おざなりな紹介で終わってしまい映画自体も不満のまま終わってしまった印象かなぁ」
以下ネタバレあり
作品考察
冒頭から物語がチグハグ……
では、ここからはネタバレありで語っていきましょう
なんか物語がチグハグなんだよねぇ
カエル「冒頭の5分間などは相当驚きの展開だったよね」
主「ただ、観客を引き込もうとしているのはわかるけれど、そのやり方があまりにもひどすぎてドン引きしてしまったというのが正直なところ。
この作品は全体的にそうなんだけれど、描かれる物語の多くがおざなりなんだよ。
だから唐突な印象があるし、そこに到るまでのタメが一切なく、さらにいえば伏線なども……ないわけではないし、しっかりと回収はするんだけれど、それが物語のカタルシスに繋がらない」
カエル「ちなみに、冒頭の……衝撃の展開なので直接的な言及は避けますが、あれはどう見たの?」
主「気持ち悪いよ。
主人公の男の子、下町シンがとてもいい子で母子家庭だけれど病気のお母さんを助けるために一生懸命新聞配達の仕事をして家計を助けて……ってなにそれ? いつの時代の物語?
そこまでのいい子話を展開しておいた時点で、あまりにも作為的だったから苛立ちすら覚えたけれど、その後は本当に酷い。
『とりあえずシン君の冒険の旅立ちのために問題が必要なので、手っ取り早く起こしました』という風にしか見えない」
カエル「う〜ん……こういうと何だけれど、作り手側の正気を疑うよねぇ」
主「本当に子供向け作品だと思っているのか?
だとしたら、何を思ってあれほど重い話を急に無神経にぶち込んだのか?
そう聞きたい気分ですよ」
相棒役のイツキとタエも……
シンと一緒に冒険するイツキとタエについてはどうだった?
……あの2人、必要だったのかなぁ
カエル「え? 物語中では結構な大活躍をしていたじゃない」
主「それもおざなりなんだよなぁ。
とりあえずタエは紅一点だけれど、実は霊が見えるし戦うことができる力を持つという設定だけれど、2人の仲間になるのが橋の下で偶然会って……というパターンだった。
冒険の仲間を入れるやり方として、全くうまくないよね。
これも女の子のキャラクターを仲間に入れる必要性が会ったから、とりあえず入れましたって風にしか見えない」
カエル「しかも中盤以降、何か特別な活躍をしたわけではないしねぇ」
主「キャラクターとしても特別可愛いとも思えず、モブキャラクターに毛が生えたようにも思えた。まあ、でもそこは子供向けだからヒロインでもあまり萌えを意識させないようにした、というならそれはそれでわかる。
でもこの子だけ妖怪ウォッチをもらうこともできなくて、それでいいの? って疑問もね」
カエル「そしてシンの相棒にして、実質的な主人公とも言えるイツキ君ですが……」
主「もう、最低!
大っ嫌いですよ、こんな子供。
そもそも言っていることが意味不明だし、何で普通の少年だったシンが彼を信用するのかもよくわからない。
だけれど、物語論で考えるとすごくよくわかるわけ。
イツキは3人に目的や行動する理由を与える、いわばエンジン役なわけで、そういうキャラクターがいないと物語は展開しない。
だから直情型で、すぐに激昂するイツキのキャラクターを設定した」
カエル「……大人の事情?」
主「今作って全部が大人の事情で作られているんだよ。
しかも、それを隠そうとしていない。
主役であり、巻き込まれ型の主人公であるシン。
物語を推進するエンジン役で激情型のイツキ。
2人では解決できない問題を担当するためのお助けキャラのタエ。
そこに様々な出会いもあって物語は進み、その結果シンやタエはいらなくなるというのがこの作品。
だって、必要なのは子供達が熱中してくれそうな強い新妖怪だからさ、シン達はお役御免になる」
全くもって配慮のない描写
色々な事情があってシンのお母さんの魂を取り戻すために冒険をするわけだけれど……
もう無神経も過ぎる作品だよ
カエル「玉藻前という妖怪がシンのお母さんの魂を持って行ってしまったため、それを取り返すために旅をする、というのが1つの目的になります。
そして中ボスのような玉藻前と立ち向かったけれど、もうその魂は上司の元へと送られてしまったために、そこに向かいます」
主「シンにしても、イツキにしても玉藻前は憎っくき敵なわけですよ。
大切な家族を奪ってしまって、恨んでも恨みきれない存在のはずだ。
だけれど……これは妖怪ウォッチのシステムもあるけれど『俺の友達』って言いながら召喚するわけにもじゃない?
そんなことある!?
自分の家族を奪った相手を”友達”って称すること、そう言わなければいけないというのは、配慮の欠けらも感じません!」
カエル「手厳しいようだけれど、あれだけのことをやらかした玉藻前がちょっとしたコメディ役でもあったのは、色々と思うところがあるかも……」
主「しかも物語の目的が途中から大きく変わっていて、終盤くらいになると母親の魂とかどうでもよくなっているんだよね。
もっと大変なことがイツキを中心に起こっていることと、さらに今作は”泣ける友情話”というのをアピールしているように、そこに持っていくためんに物語の目的を改変してしまった。
これでどう評価しろって話なんだろうね?」
ゲームの脚本ならばあり?
物語として、文句が多いんだね
単なるエピソードをつなぎ合わせただけだからね
カエル「これは憶測どころが、単なる邪推でしかないけれど、絵コンテを書いた人がたくさんいたのはスケジュールの都合もあるけれど、実は全く違う物語を担当していて、それを苦心しながら繋げた結果なんじゃないか? って思いもあるなぁ」
主「1つ1つのエピソードが軽いんだけれど、でも伏線などはちゃんと機能している部分もあるし、鑑賞中の疑問は作中でも解決してくれるところもある。
でも、物語としては繋がってこない。
この映画はまさしく”ゲーム的”な脚本なんだよ」
カエル「ゲームならありなの?」
主「多分ありになるはず。
というのも、ゲームは大目標を掲げつつも、小目標をクリアしていくのが重要になっていく。
本作でいえば
大目標
シンの母親を取り戻す
小目標
- ヤマンバの家に行き、妖怪ウォッチを取り戻す
- 玉藻前を倒す
- 玉藻前の上司の元へ行き、武闘会で戦う
- ラスボスと対峙
このようになっていくわけだ。こうしてみると、各パートのラストに中ボスがいて、それを倒すとご褒美のアイテムだったり、次にいくべき道を示してくれる。
そしてラスボスも何回も変身するけれど、これはRPGではよくあるパターンだよね。こうしてみると、ゲームだったら割とありなんだよ」
カエル「イツキやタエの仲間のなり方なども、20年前くらいのRPGだったら、まあ違和感はないのかなぁ?」
主「ゲーム、特にRPGも当然作品によるけれど、プレイヤーのために1つ1つの小目標をクリアさせていきレベルアップさせていくことが重要になる。
そのためにエピソードそのものはおざなりになりがちだけれど、ゲーム性でそこはカバーすることができるわけだ。
でも映画は1つの物語だから、それだけのエピソードの連なりでは弱い。
その弱点が如実に出たし、もしかしたら来年くらいに発売するゲームのプロットをそのまま使用したのかもね」
今作に望んだこと
結局、どうあればよかったと思う?
……”平成最後”と”妖怪と死”のテーマを掘り下げて欲しかったなぁ
カエル「2018年は平成最後ということで、仮面ライダーのようにそこをアピールする作品も多いよね」
主「昭和と平成では妖怪に対する受け止め方も大きく変わってきた。
昭和は『ゲゲゲの鬼太郎』のように、恐怖の存在でもあった妖怪だけれど、現代では妖怪ウォッチが一番顕著だけれど、恐怖の象徴というよりは愛すべき隣人という描写に変わってきている。
もう”妖怪が怖い!”って子供も少ないんじゃないかな? これだけ都市化して、情報化社会になると、妖怪を怖がることなんてほとんどない。
そこをうまく汲み取って”昭和と平成の妖怪の捉え方の違い”などを描けば、面白かったかもね」
カエル「そして、もう1つが”妖怪と死”ということだけれど、こっちの路線にいくかと思ったら、おざなりで終わったからびっくりしたよね」
主「子供向けの作品でも死を取り扱った作品だってある。特に妖怪ウォッチは死の世界を身近に感じさせることができる設定でもあるわけじゃない?
今作ではとても重い死を取り扱ったのに、作品としてそこを掘り下げることを一切しなかった。
ここは本当にもったいない。
確かにこの手のアニメ作品はゲームやおもちゃの販促のためだけれど、そこを超えたメッセージ性などがある映画を生み出せていたら、ここまで凋落することもなかったんじゃないかな?」
まとめ
では、この記事のまとめです
- 妖怪ウォッチの映画らしい迷走してしまった作品
- おざなりな物語に違和感とストレスが募る
- 妖怪ウォッチらしさとは何か? 一度問いただす必要があるのでは?
元から期待していません、って言わせないで欲しいなぁ
カエル「ちなみに、作中ではカエルや亀も出てきたね。亀はともかく、カエルはなんだったんだろう?」
主「さあ? うちへのメッセージだったんじゃない?」
カエル「……そんなわけはないと思うけれど、
それと、同日公開のドラゴンボールを明らかに意識していたよね」
主「最後の敵の倒し方なんて、明らかに元気玉だったしなぁ。
まあその辺りはちょっと面白い話ではあるんだけれど……そんなことよりも、しっかりとした作品をお願いします!」