まさかの情報が入ってきたので書いていきます!
化物語シリーズ、刀語、めだかボックスなどアニメ化作品も多く、掟上今日子の備忘録ではまさかの実写化など、メディアミックスにおいても活躍中の西尾維新のデビュー作が、まさかのアニメ化決定!
私自身、10年ほど前にどハマりしていた作家だし、作品なのでこの発表は非常に嬉しいもので、いつかアニメ化してくれないかなと思いつつも、映像化が中々難しい作品ということもわかっていたので、ほとんど諦めていたような状況だった。
それがまさかのアニメ化決定!(2度目)
というわけで今回は戯言シリーズについて紹介がてらに魅力などを書いていこう。
1 メフィスト賞について
現代のラノベ界のトップランナーの一人であり、エンタメ小説界を突っ走る西尾維新のデビュー作が『戯言シリーズ』の第1作『クビキリサイクル 青色サヴァント戯言遣い』になっている。
この作品が編集者の目に止まり『第23回メフィスト賞』を受賞する。
ちなみに第1回受賞者は『最も完成された新人』の異名もある森博嗣であり、森の唯一もらった作家としての賞でもある。(森博嗣は賞レースに参加しない主義)
第2回受賞者は『最も賛否が分かれた新人』清涼院流水であり、第0回受賞者と言われるのは京極夏彦。
余談だが京極夏彦と森博嗣が講談社に持ち込んだために誕生した賞がメフィスト賞となっている。
(森博嗣は第1回受賞者となっているが、知らない間にできた賞の第1回受賞者にさせられただけであり、メフィスト賞が欲しくて投稿したわけではない)
これ以降も乾くるみ(イニシエーション・ラブ )や舞城王太郎(毎回芥川賞にノミネート)佐藤友哉(1000の小説とバックベアード で三島由紀夫賞を受賞)などを次々とデビューさせている。
(余談だが佐藤友哉の奥さんは芥川賞、直木賞候補にも毎回名を連ねる島本理生。一度離婚した後、復縁しているところも作家らしい)
1番最近で話題になるのはやはり辻村深月であり、ツナグ などが映画化されたり、直木賞を受賞するなどの活躍を見せている。(まさかメフィスト賞から直木賞が出るとは……)
西尾維新、舞城王太郎、佐藤友哉はデビューした年齢や年代が近いこともあって、『メフィスト三人衆』など称されるなど、よく比較されることが多かった。
かつては『ゼロ年代批評』なんて批評されたり、作風も独特の文体とキャラクター重視な物語、シニカルな視点などで似ていると思ったものだが、今では少年少女向けのエンタメの西尾維新と、純文学方面に移った舞城、佐藤などと作風が変わったために、比べられることも減った。
(この3人はやはり今の若手作家では外せない重要な面々であろう)
このようにメフィスト賞というのは『賛否両論がありそうだけど、すげえ個性的で面白い作品』をデビューさせることに全力を注いだ賞だということもできる。(すげえ個性的だけどエンタメというのがポイント)
2 戯言シリーズの解説
メフィスト賞を一通り語ったところで戯言シリーズの解説に入るが、本作はミステリーぽいバトル小説である。
というよりも途中の作品(シリーズ5作目のヒトクイマジカル)までは紛いなりにもミステリーをしていたのだが、最終章であるネコソギラジカルではミステリー要素はすっかり消え失せてしまっている。ぶっちゃけそのトリックも実行可能か意見が割れるようなもので賛否両論あるのでフェアかと問われると微妙だが、ミステリーというジャンルに当てはまるものだった。
だが、本作が読者の心を掴んだのはそのミステリー部分ではない。
主人公、いーちゃんの思想とその地の文である。
いーちゃんというのは『自己評価が極端に低く、自分にも他人にも無頓着な死にたがり』なのである。彼が地の文で語る思想というのは、世の中を斜めに見た少年のものそのものであり、今風の言葉で表すならば『典型的な厨二病(重度)』である。
しかしそれが西尾維新独特の言葉遊びと、名言力(オマージュ多数)が重なることによって、より魅力的な人物に見えてくのである。
私はこの現象を太宰治現象と呼んでいる。(太宰の作品も暗い文系の厨二感バリバリのものだが、それが理解できるとはまり込んでしまう)
例えば戯言シリーズからいくつか名言を挙げるならば
「他人を自覚的に意識的に踏み台に出来る人間ってのは、なかなかどうして怖いものがあるよな」
そうだろうか。
ぼくには、無自覚で無意識で他人を踏みつけていく人間の方が、善意で正義で他人を踏み砕いていく人間の方が、ずっと怖いように思えるけれど。
自分の値打ちは自分が一番よく知っている。頭の悪いいい加減な連中の評価なんてこっちから願い下げだね
誰にも理解されず。
誰にも理解を求めず。
他人を頼らず己を頼み。
自分を食い潰しながら生きていく。
クビキリサイクルより
今読み返すと恥ずかしくなるほどの厨二感!! でもこの感じがすごくいいんだよね、十代の頃の自分は何者でもない焦燥感とか、特別な人間になりたいという思いとか、でも平凡な人間なようだと諦めて、勝手に絶望して勝手に世間を斜めに見て皮肉っているような人間性というか。
後から冷静に考えると「お前何もやってないし、何も始まってないじゃん」と言いたくなるんだけど、その当時はその考えでいっぱいというか……そういう『青さ』というか『若さ』がはっきりと出ている。
おそらくこの辺りはまだ西尾維新自体が20歳だったことも影響しているのだろう。今読み返すと若書きだし、恥ずかしくてしょうがないだろうなぁ、なんてニヤニヤポイントでもあるのだけれど、逆に言うとそれだけ作者の全力投球の文章で紡がれているとも言えるのだ。
3 圧倒的なキャラクター性
西尾作品の魅力の大きな部分はやはりこのキャラクター性とも言える。
これはデビュー作からして圧巻であり、一人としてまともな人間が出てこないし、これまた恥ずかしいくらい厨二感の漂うものではあるのだが、それがまたいい味を出している。
私は厨二感といって馬鹿にしているようだが、逆である。非常に褒めている。
ここまで漫画的としても濃いキャラクター性なんてものは、簡単に書けるものではない。
そのキャラクター性でがっちりと若い読者のハートを掴み、その世界観に酔わせた上で自分の世界に惹き込んで行く、独特な作り方をしている。
読みかえしてわかる伏線
本作には伏線が張り巡らされていて、それは読み返した時に同じセリフでもまったく違う意味に聞こえてくる。
例えばクビキリサイクルからではこのセリフ。
「ああ、すまない。うふふふ。……私はきみが気に入ったよ。きみが女だったら良かったのにな」
これは作中に登場する『天才』園山赤音のセリフであるが、全てを読み終わった後では意味合いは大きく変わってくる。その変化を是非とも読んで確かめてほしい。上にKindle版を張っているからね。(宣伝)
冗談はこれまでにして、このように伏線の張り方が結構うまいので、すんなりと騙されてしまう。ただし、本来は24作出そうとしたらしいが、それを6シリーズに短縮したために放置されてしまった伏線や設定もたくさんあるのが痛いところだ。
殺し名、呪い名、ER3、七愚人、玖渚期間など魅力的な設定も多かった。それを続編を作ることでバトルメインで回収しているのが零崎シリーズなどということになるだろうか。
4 クビキリサイクルの『オマージュ』
クビキリサイクルは多方から指摘されているが、オマージュされているシーンも多い。例えば天才たちの集まる島に行く、というのは森博嗣のデビュー作『すべてがFになる 』のオマージュだし、キャラクターの個性は清涼院流水の『JOCシリーズ』、独特の台詞回しは上遠野浩平や森博嗣の影響を感じる。
それが悪いというつもりは毛頭ない。それらのウケる要素を詰め込んで『西尾維新』という作家のスタイルを生み出したことは賞賛に値する(私ごときが何を言ってんだ?)
ただ一つ思うのは、これがインターネットがギリギリ一般化するかしないか微妙な頃だったこそできたスタイルだということだ。
例えばベータはVHSに勝てなかった、元来人間は7までの数字しか理解できない、共依存などといった面白くて、ほんの少し頭が良くなったような気がする豆知識的なものは、今ではネットなどで簡単に仕入れてしまえる時代である。
この作品はオマージュだったり、豆知識をあまり共有していない時代だからこそできた作品ではないだろうか。おそらく現代で発表したら、厨二的すぎと笑われるか、一部の学生に大人気で終わっていたかもしれない。
あとこれだけは言っておきたいが
絶対ノベルスで読んだほうが面白い!
文庫とノベルスでは段の組み方なども違うため、私は文庫版は物足りなく感じてしまった。
今作はノベルスで読むことを前提とした表現も多いため、是非ともノベルスで読んで欲しい!
最後に
最後に、私がオススメするのは戯言シリーズ2作目の『クビシメロマンチスト』である。これを何度読み返したかわからないほど読み込んでしまった。
映像化は少し向かないかもしれないが、なんとかうまくやってほしいなぁ。あとはあのx/yの謎も、是非とも原作通りでお願いしたい。
アニメ化すると聞いておそらく今からならば早くても来年以降なのであろうが、是非ともシャフトで製作して独特な作品に仕上げてほしいと願って、この記事を終える。
(できれば成田良悟の越佐大橋シリーズとか、ダブルブリッドとか、あの時代の名作ラノベをアニメ化しませんかね?)